第二章 「桜色の剣士 Want to become strong」2-4
17
腹を蹴られた痛みで動くことが出来ない。
響く痛みに思うのは、手加減されていたという事実。
「俺は……弱いですね」
思うのは喫茶店での出来事。サクヤと名乗った女性から向けられた
5年間の努力に意味は無かったのか。
考えに表情が歪む。
頭の上、倒れる染治を右側から無表情に見下ろしている奏は、首を振った。
「そんなことはございません」
それは言葉と思考、どちらも否定する言葉。
「昔は、初撃すら反応できなかったではございませんか」
確かに教わり始めてから最初のうちは、一撃で気絶させられていた。それに比べれば成長しているだろうか。
「染治様は、昔より強くなっていらっしゃいます」
「そう……でしょうか」
「ええ、まだまだではございますが」
「ですが、本日は気が散っていらっしゃったようでございますね。普段の染治様ならば、最後の一撃も回避できたはずでございます」
奏からの自身への意外な評価と、現状への指摘に目を見開く。
「そうですね……今朝、アマテラス様と出会った後でしょうか、何かございましたのでしょう」
奏の
彼女には、アマテラスと会ったことと、喫茶店に行ったことしか話していない。サクヤについてや、過去への迷いについては詳しく伝えていない筈だ。
「それは……」
続かぬ言葉と共に、上半身を起こして
「喫茶店で会ったやつに言われたんです。真実をおしえてやる、と」
「真実……でございますか」
「それが、何のことについてなのかは分かりません。でも……」
「どうされるのですか」
突然の問いに、染治の言葉が止まった。
「?」
「真実を告げられると言われ、染治様はどうなさるおつもりなのでしょうか?」
どうするか。それはずっと考えている問い。ならば答えは、
「……解らないんです」
それはアマテラスにも告げた言葉。
「解らない?」
「はい……あれほど思い出そうとして、どうしても思い出せなかった記憶が、……過去が、今頃になって追いかけてきている気がするんです」
言葉を紡ぐたび、視線が落ちていく。
染治に纏わりつく呪いは、失った過去と直結するものだ。
今まで、誰も教えてくれなかった過去が、影を見せ始めている現実。それが染治を
「もしかしたら、失ったものを取り戻せるかもしれない」
だけど、
「真実を知って過去を取り戻したいのか、それとも何も知らないまま今のままでいたいのか。……どちらを選びたいのか……解らないんです」
口から漏れ出したのは、自問と呼ばれるもの。
7年間、失ったことを許容し、諦めてしまう事で現在の自分を肯定しようとしてきた。
だが、アマテラスは言ったのだ『君の願いを教えて』と。
願いとは、過去と現在を
ならば、願いを得るためには、己の過去と相対する必要がある。
それは、己の過去と向き合えば、願いを手に入れられるかもしれないということ。
だが、
「過去を恐れ、現在を肯定できていない俺に、願いを思う資格はあるのでしょうか?」
だとしたら、
「俺は、俺の過去を望んでもいいんでしょうか?」
口から零れた言葉が、道場に響く。
18
「少々失礼いたします」
奏が染治の前に立ったのだ。
彼女はしゃがみ込み、座る。
それは、膝をこちらへと向けた正座だった。
膝を正した姿勢はどこまでも美しい。
奏の急な動きに、染治は目を奪われる。
「染治様」
「なんでしょうか?」
呼びかけに答えたとき、奏がおもむろに右手を振りかぶった。
快音。
突然の痛みに、視界が右にぶれる。
染治は驚きに身を固めた。
頬が熱を持ち、じくじくと痛み始める。
視界を正面に向けると、奏は元から鋭い瞳を普段以上に尖らせていた。
「なん__」
動揺に声を詰まらせると、言葉が来た。
「自分に甘えるのもいい加減にしなさい!!」
それは、
「何を恐れているのです! 何を悲観しているのです!」
紡がれるのは、普段の奏では想像できないような怒りの波。
「何が望んでもいいのか、ですか!!」
訴えるかのような言葉の羅列。
「貴方の過去は、貴方のものだ!!」
現実を突きつける言葉。
「貴方のものを貴方が望むこと。それを否定することは、この世の誰にもできない!!」
染治の思考を否定する意思。
「知りたいのならば欲しなさい! 欲しいと思うのならば立ち上がりなさい!」
染治の願いを肯定する
「解らないと嘆くのではなく、解りたいと叫びなさい!!」
染治のあり方を示す指標。
「それが
それは、過去から現在に至る答えだった。
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染治は、またも天井を見上げていた。
場所は道場。
同じ場所、同じ体勢で微動だにしない。
顔は片腕で隠されている。
奏の姿は、既に消えていた。
道場から退出する際、彼女は謝罪の言葉と共に告げた。
『染治様、お考え下さい、お悩み下さい、そして己の答えを出すのです。その答えが貴方の確かな刃となる』
《ひりかい》 そして、洗濯の続きがあると礼を残して、母屋へと戻った。
奏の言葉に動けぬ染治は、己の腕に広がる暗闇を見上げて思い出していた。
それは7年前、記憶を失って現在の天桐染治となったあの日のこと。
目を開けたとき、眼前に広がったのは夜空だった。
漆黒の空に並ぶ、無数の星屑はその光の意味を教えてはくれない。
背中に何かが当って、地面に触れると体は草原に横たえられていると気付く。
すぐそばから聞こえてくるのは、風に水面が揺れる音。
解らない場所で目覚めた染治。彼の中に残っていたのは、何かが消えてしまった喪失感と、頭の中に微かに響く何かを呪う声。
そして、
「ひ____」
口から溢れたのは、慟哭。
歌うように、叫ぶように。
「あ____」
泣いた。
世界に産声を上げるように。
生まれたての赤ん坊のように。
「あぁ____」
自分が何者なのかも知らずに。
未知の世界に己を示すように。
泣き続けた。
そして、いつか涙は枯れ、声は止まった。
次に来たのは、眠気。
薄れていく意識の中で聞こえたのは、
そして__。
20
己の始まりから、続く今へと意識を戻した染治は思う。
奏の言葉を聞いて今頃になって、あの時の涙の意味が一つだけ理解できたのだと。
涙の意味。それは、知りたかったのだ。
自分はなぜ生きているのか、なぜここにいるのか、なぜ何も思い出せないのか、なぜ涙が溢れたのか。
なぜ、なぜ、なぜ。
繰り返す幾つもの疑問を、今の今までずっとずっと問い続けていたことを、今頃になって理解した。
視界を
見えたのは、暗闇でも夜空でもなく、天井。
ならばもう大丈夫だ。そう思って立ち上がる。
立った。
いつの間にか腹部と頬の痛みは消えていて、動ける。そう思った。
転がっている竹刀を拾い上げる。
そして、構えた。
背筋を伸ばし、右足を半歩前へ。
その動きで左足の
竹刀の
柄の
全身を楽に、そして引き絞った。
竹刀を振り上げ、振り下ろす。
空気を切り裂く鋭い音が、道場に響く。
「解りに行こう」
浮かんだ思いの中で、その言葉だけが形となった。
幕間
染治とアマテラスが去った後の喫茶店には、二つの影があった。
喫茶店のマスターである時戸と、姫と呼ばれた少女だ。
時戸はカウンターで、開店の準備をしている。
姫はカウンターの椅子で、飲み物の入ったマグカップを口につける。
皿を布巾で手入れする時戸は、おもむろに問う。
「姫、君は彼らのことをどう思うかい?」
「……」
問われた少女は、無言。
表情の無い顔を時戸に向ける。
「どうだい?」
再度の質問に、姫は重い口を開いた。
「……わからない」
良く通る声で告げられた答えに、時戸は目を見開く。
「……そうか、姫がわからないか……」
漏れた言葉を紡ぐ表情は、何処か悲しそうで、それでいて嬉しそうな。
「ああ、そうか、ついに全てが動き出そうと言うんだね」
すると突然、姫があらぬ方向を向いた。
「どうしたんだい?」
「……がっこ……う」
姫は、告げた場所が存在する方向を見つめ続ける。
「やっぱりそちらも動いたか」
納得するように頷いた時戸は、姫の頭を撫でた。
「全ては始まり、そして終わっていくんだ。次世代を担う子供たちによってね」
時戸が見つめる先には、一枚の写真が飾られていた。
第二章 「桜色の剣士 Want to become strong」 終
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