第二章 「桜色の剣士 Want to become strong」2-4

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 染治せんじは敗北を噛み締めながら、大の字に倒れて天井を見る。

 腹を蹴られた痛みで動くことが出来ない。

 響く痛みに思うのは、手加減されていたという事実。

 かなでが本気だったならば、動けない程度では済まなかっただろう。

 肋骨あばらが数本折れていてもおかしくなかったはずだ。

 竹刀しないが足元に転がった。

「俺は……弱いですね」

 思うのは喫茶店での出来事。サクヤと名乗った女性から向けられたやいばに動けなかった。そして今も奏の動きについていけなかったのだ。

 5年間の努力に意味は無かったのか。

 考えに表情が歪む。

 頭の上、倒れる染治を右側から無表情に見下ろしている奏は、首を振った。

「そんなことはございません」

 それは言葉と思考、どちらも否定する言葉。

「昔は、初撃すら反応できなかったではございませんか」

 確かに教わり始めてから最初のうちは、一撃で気絶させられていた。それに比べれば成長しているだろうか。

「染治様は、昔より強くなっていらっしゃいます」

「そう……でしょうか」

「ええ、ではございますが」

「ですが、本日は気が散っていらっしゃったようでございますね。普段の染治様ならば、最後の一撃も回避できたはずでございます」

 奏からの自身への意外な評価と、現状への指摘に目を見開く。

「そうですね……今朝、アマテラス様と出会った後でしょうか、何かございましたのでしょう」

 奏の的確てきかく過ぎる問いに、息が詰まった。

 彼女には、アマテラスと会ったことと、喫茶店に行ったことしか話していない。サクヤについてや、過去への迷いについては詳しく伝えていない筈だ。

「それは……」

 続かぬ言葉と共に、上半身を起こして胡坐あぐらをかいた。

「喫茶店で会ったやつに言われたんです。真実をおしえてやる、と」

「真実……でございますか」

「それが、何のことについてなのかは分かりません。でも……」

「どうされるのですか」

 突然の問いに、染治の言葉が止まった。

「?」

「真実を告げられると言われ、染治様はどうなさるおつもりなのでしょうか?」

 どうするか。それはずっと考えている問い。ならば答えは、

「……解らないんです」

 それはアマテラスにも告げた言葉。

「解らない?」

「はい……あれほど思い出そうとして、どうしても思い出せなかった記憶が、……過去が、今頃になって追いかけてきている気がするんです」

 言葉を紡ぐたび、視線が落ちていく。

 染治に纏わりつく呪いは、失った過去と直結するものだ。

 今まで、誰も教えてくれなかった過去が、影を見せ始めている現実。それが染治をさいなんでいた。

「もしかしたら、失ったものを取り戻せるかもしれない」

 だけど、

「真実を知って過去を取り戻したいのか、それとも何も知らないまま今のままでいたいのか。……どちらを選びたいのか……解らないんです」

 口から漏れ出したのは、自問と呼ばれるもの。

 7年間、失ったことを許容し、諦めてしまう事で現在の自分を肯定しようとしてきた。

 だが、アマテラスは言ったのだ『君の願いを教えて』と。

 願いとは、過去と現在をかんがみて、未来に信じる行為だ。

 ならば、願いを得るためには、己の過去と相対する必要がある。

 それは、己の過去と向き合えば、願いを手に入れられるかもしれないということ。

 だが、

 「過去を恐れ、現在を肯定できていない俺に、願いを思う資格はあるのでしょうか?」

 だとしたら、

「俺は、俺の過去を望んでもいいんでしょうか?」

 口から零れた言葉が、道場に響く。


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 うつむいている染治の視界に、白と黒の二色が現れた。

「少々失礼いたします」

 奏が染治の前に立ったのだ。

 彼女はしゃがみ込み、座る。

 それは、膝をこちらへと向けた正座だった。

 膝を正した姿勢はどこまでも美しい。

 奏の急な動きに、染治は目を奪われる。

「染治様」

「なんでしょうか?」

 呼びかけに答えたとき、奏がおもむろに右手を振りかぶった。

 快音。

 突然の痛みに、視界が右にぶれる。

 染治は驚きに身を固めた。

 頬が熱を持ち、じくじくと痛み始める。

 視界を正面に向けると、奏は元から鋭い瞳を普段以上に尖らせていた。

「なん__」

 動揺に声を詰まらせると、言葉が来た。

「自分に甘えるのもいい加減にしなさい!!」

 それは、激昂げきこう

「何を恐れているのです! 何を悲観しているのです!」

 紡がれるのは、普段の奏では想像できないような怒りの波。

「何が望んでもいいのか、ですか!!」

 訴えるかのような言葉の羅列。

「貴方の過去は、貴方のものだ!!」

 現実を突きつける言葉。

「貴方のものを貴方が望むこと。それを否定することは、この世の誰にもできない!!」

 染治の思考を否定する意思。

「知りたいのならば欲しなさい! 欲しいと思うのならば立ち上がりなさい!」

 染治の願いを肯定する切望せつぼう

「解らないと嘆くのではなく、解りたいと叫びなさい!!」

 染治のあり方を示す指標。

「それが天桐あまぎり家の人間であると言うことです!!」

 それは、過去から現在に至るだった。


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 染治は、またも天井を見上げていた。

 場所は道場。

 同じ場所、同じ体勢で微動だにしない。

 顔は片腕で隠されている。

 奏の姿は、既に消えていた。

 道場から退出する際、彼女は謝罪の言葉と共に告げた。

『染治様、お考え下さい、お悩み下さい、そして己の答えを出すのです。その答えが貴方の確かな刃となる』

《ひりかい》 そして、洗濯の続きがあると礼を残して、母屋へと戻った。

 奏の言葉に動けぬ染治は、己の腕に広がる暗闇を見上げて思い出していた。

 それは7年前、記憶を失って現在の天桐染治となったあの日のこと。


 目を開けたとき、眼前に広がったのは夜空だった。

 漆黒の空に並ぶ、無数の星屑はその光の意味を教えてはくれない。

 背中に何かが当って、地面に触れると体は草原に横たえられていると気付く。

 すぐそばから聞こえてくるのは、風に水面が揺れる音。

 解らない場所で目覚めた染治。彼の中に残っていたのは、何かが消えてしまった喪失感と、頭の中に微かに響く何かを呪う声。

 非理解ひりかいの世界に突然放り出された染治は、恐怖と不可解に体を震わせた。

 そして、

「ひ____」

 口から溢れたのは、慟哭。

 歌うように、叫ぶように。

「あ____」

 泣いた。

 世界に産声を上げるように。

 生まれたての赤ん坊のように。

「あぁ____」

 自分が何者なのかも知らずに。

 未知の世界に己を示すように。

 泣き続けた。

 そして、いつか涙は枯れ、声は止まった。

 次に来たのは、眠気。

 薄れていく意識の中で聞こえたのは、り眠らせるような波の音。

 そして__。


20


 己の始まりから、続く今へと意識を戻した染治は思う。

 奏の言葉を聞いて今頃になって、あの時の涙の意味が一つだけ理解できたのだと。

 涙の意味。それは、知りたかったのだ。

 自分はなぜ生きているのか、なぜここにいるのか、なぜ何も思い出せないのか、なぜ涙が溢れたのか。

 なぜ、なぜ、なぜ。

 繰り返す幾つもの疑問を、今の今までずっとずっと問い続けていたことを、今頃になって理解した。

 視界をふさいでいた右腕を外す。

 見えたのは、暗闇でも夜空でもなく、天井。

 ならばもう大丈夫だ。そう思って立ち上がる。

 立った。

 いつの間にか腹部と頬の痛みは消えていて、動ける。そう思った。

 転がっている竹刀を拾い上げる。

 そして、

 背筋を伸ばし、右足を半歩前へ。

 その動きで左足のかかとが浮く。

 竹刀のつかを両手で握る。

 柄のつば近くは右手、柄頭つかがしら側は左手だ。

 全身を楽に、そして引き絞った。

 竹刀を振り上げ、振り下ろす。

 空気を切り裂く鋭い音が、道場に響く。

「解りに行こう」

 浮かんだ思いの中で、その言葉だけが形となった。


幕間


 染治とアマテラスが去った後の喫茶店には、二つの影があった。

 喫茶店のマスターである時戸と、姫と呼ばれた少女だ。

 時戸はカウンターで、開店の準備をしている。

 姫はカウンターの椅子で、飲み物の入ったマグカップを口につける。

 皿を布巾で手入れする時戸は、おもむろに問う。

「姫、君は彼らのことをどう思うかい?」

「……」

 問われた少女は、無言。

 表情の無い顔を時戸に向ける。

「どうだい?」

 再度の質問に、姫は重い口を開いた。

「……

 良く通る声で告げられた答えに、時戸は目を見開く。

「……そうか、姫がか……」

 漏れた言葉を紡ぐ表情は、何処か悲しそうで、それでいて嬉しそうな。

「ああ、そうか、ついに全てが動き出そうと言うんだね」

 すると突然、姫があらぬ方向を向いた。

「どうしたんだい?」

「……がっこ……う」

 姫は、告げた場所が存在する方向を見つめ続ける。

「やっぱりそちらも動いたか」

 納得するように頷いた時戸は、姫の頭を撫でた。

「全ては始まり、そして終わっていくんだ。次世代を担う子供たちによってね」

 時戸が見つめる先には、一枚の写真が飾られていた。


第二章 「桜色の剣士 Want to become strong」 終

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