第二章 「桜色の剣士 Want to become strong」2-3
13
住宅街を抜けた
アマテラスは、周りをきょろきょろと見回している。
何もかもが珍しい。とでも言うかのように。
「さっきから、そんなに見回して楽しいか?珍しい物もないだろ」
笑顔がこちらを振り向く。
「そんなことないよ?ぜんぶぜんぶ見たこと無いものばっかりだ。すごくすごく楽しい!」
テンションの高い頬の綻んだ全力の笑顔は、嘘を付いているようには見えない。
木々でさえ珍しいならば、彼女は今までどんな場所で生きてきたのだろう。どこか閉ざされた場所にでも、幽閉されていたのかもしれない。
「怖い顔して、どうしたの?」
足を止め
「あぁ、いや、何でもない」
思考を振り払い、足を動かすと見えてきた。
「……そろそろ着くぞ」
まだ続く坂道。その頂点から覗く大きな建物の屋根。
染治の暮らす家だ。
坂道を登り切った先、母屋の玄関には
彼女にアマテラスが見つかってしまうと、話がややこしくなってしまう。
こっそり庭を抜け、離れに向かうことにしよう。
玄関の横、離れに続く石畳の道を選択した。
様子を伺うが庭の中に奏の姿は見えない。
隣に立つアマテラスに視線を合わせ、口元に人差し指を当てて言う。
「アマテラス、静かに行くぞ」
遊びか何かだと思っているのか、彼女は楽しそうに首を縦に振った。
「よし」
小声の決意と共に、庭の中に歩を進める。
石畳を進み庭の中頃、小さな池の付近に辿り着いたとき、背後から声が届いた。
「おかえりなさいませ、染治様」
受けた声にゆっくりと振り向いた染治は、声の主を見る。
池を挟んだ母屋の縁側。その傍でこちらを見ているのは、黒のワンピースに白のエプロンドレスを着た女性。
「……奏さん」
奏はこちらを無表情に見つめていた。
「本日は、いつもより遅いお帰りでございますね」
「ただいま戻りました。……その、少々、アクシデントに見舞われまして……」
「なるほど、アクシデント……ですか」
そう言った奏の視線は染治から、隣へ向かう。
「それで、その方はどなたでございましょう。……まさか」
奏は鋭く目を細めた。
「いつか、何か
言い切ると、奏は懐から電話を取り出す。
「警察の電話番号は何番だったでしょう。いえ、出頭していただいたほうが早いでございますね。今すぐ車の用意を致しますのでご準備くださいませ」
素早い自己完結の言葉に、全身から冷や汗が噴き出す。
「何やら高速で結論が出てしまってますが、勘違いが発生しています」
「ほう、それはいったい何でございましょう?」
「俺は無実です」
「犯人は大体そうおっしゃります。さあご準備を」
「ですから話を聞いてもらっていいですか!?」
叫ぶと、奏はため息を吐き、持っていた携帯を懐に仕舞い直した。
「仕方ありません。言い訳ぐらいは聞いて差し上げましょう」
14
話を聞き終わった奏は、感情の浮かばない瞳でアマテラスを見た。
「アマテラス様、この愚か者が仰っていることは事実で間違いございませんでしょうか」
「うん、染治は間違ってないよ」
「畏まりました。ではアマテラス様に免じて、今回は見逃すことにいたしましょう。当面の間、アマテラス様は当屋敷のお客様として扱わせていただきます」
「うん!よろしくね!」
アマテラスの笑顔を
そのやり取りを見ていた染治は、肩を落とした。
「思った以上に信頼無いですね、俺」
「普段からの自身の行いを鑑みる事をお勧めいたします」
「えぇ……」
「困っている人間を見ると、すぐに手を出して事件に巻き込まれる癖を直して下さいませ」
「それは……」
確かに、困っている人を助けることはあるが、そんなに
「はやり気付いていないご様子。これは重症でございますね」
またも溜息をつかれてしまった。
「染治様はいつもいつも__」
これは、いつもの説教が始まってしまう。
身構える。だが、そこから言葉が続かなかった。
見ると、奏のエプロンドレスをアマテラスが小さく引っ張っている。
「どうかされましたでしょうか?」
奏が問うと、アマテラスは首を傾げながら、
「染治をいじめちゃダメだよ?」
アマテラスの訴えに動かなくなった奏は眉を
「貴方様は……?」
奏の動きが完全に止まった。
何か引っかかることでもあるのだろうか。
「どうかしましたか?」
「……いえ、何でもございません」
染治の声に、動きを取り戻した奏は首を振った。
「そういえば、朝ごはんは食べてこられたのでしたね」
染治が頷く。
すると、奏の隣に立っていたアマテラスは眠そうに目を擦り始めた。
「ふぁぁぁ」
奏のエプロンを握りながら、大きな欠伸を一つ。
「お疲れのようでございますね。客室が開いておりますのでご用意いたしましょう」
眠気にフラフラしているアマテラスを、奏は抱きかかえた。
「すいません。お願いします」
染治の言葉に頷いた奏は、
だが、縁側に足を掛けたながら、こちらに振り向く。
「染治様」
「はい?なんでしょうか?」
「アマテラス様にお休みいただいた後、道場にて少々お話がございます」
「それは……分かりました」
母屋の奥に向かっていく奏。
その後ろ姿を見送る染治は思う。
説教の続きか、それともアマテラスについての何かか。
先ほどの態度から、奏も何か知っているようだった。
ならば、こちらからも詳しく話を聞きたい。
一度離れで準備してから、道場に向かうとしよう。
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離れで準備を行った染治は、庭に出た。
道場は、離れから母屋を挟んで対角線上に存在する。そのため離れからはその姿を確認することが出来ない。
庭から母屋に入り、母屋の中央廊下を進む。
母屋から道場へは、屋根付きの渡り廊下となっていて、左右を木々に挟まれている。
通り慣れた渡り廊下を抜け、目的地にたどり着いた。
そこは、瓦の屋根と漆喰の壁を持った建物。
障子の張られた、引き戸となっている扉に手を掛けた。
開く。
視界に広がるのは、木造の内装。
正面、壁の高い位置に掛けられた板には『
右手の壁には、誰の名も下げられていない名札掛けと、何本かの
白と黒のメイド服を纏った奏は、道場の中心で厳かに佇んでいる。
足元には、竹刀。
「お待ちしておりました」
正された礼がこちらへと向けられた。
返すかのように、染治は一礼し道場へ入った。
奏の正面に立ち、染治は口を開く。
「話って何でしょうか?」
アマテラスについて何か知っているのかもしれない。
開口早々、呼び出された理由を問う。
だが、問いに奏は首を振った。
「竹刀をお取りくださいませ、染治様」
奏は足元の竹刀を拾い上げ、構えた。
「少々稽古の時間と致しましょう」
そこからは、無言。染治が竹刀を取ることを待っている。
「……解りました。では稽古の後、話を聞かせてください」
「でしたら、私から一本取ることが出来たら考えましょう」
奏の答えを聞き、話があるといったのは奏では。とも思う。
そう思いながらも、染治は壁掛けから竹刀の一本を手に取った。
「手合わせは久しぶりですね」
「ええ、どれほど成長しているか見せて頂きます」
奏の正面に戻り、染治も構えた。
同じ流派である二人の構えは、鏡合わせの様。
奏の筋の通った構えを見て、昔教えられた言葉を思い出す。
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今から5年ほど前、記憶の喪失を理解してやっとの事で新たな生活に慣れてきた頃。
何もかもを失い、己の身一つが残っていてた。
何かがしたい。そう思った。
そして、幾つかの競技に手を出し、納得を得られなかった。
染治の姿を見かねたのか、家の主であった奏から提案を受けたのだ。
『剣術を習ってみる気はございませんか?』
と。
それから奏に師事することとなり、何度目かの稽古の時だ。
『剣術、槍術、格闘術、弓術。どのような武術にも、共通して大切な物がございます』
『それは……何ですか?』
『それは、構え』
『構え?』
『構えは全ての起こりにして起点。構えを体得することが武術の第一歩となるのです』
『それは人間の心の在り方にも、同様のことが言えるのです』
『心構え、とも申します。人の心は千差万別、ですがその在りようを決める為の備えとして、心もまた構えを得ることで人間は一歩を踏み出すのです』
武としての構えを取りながら、過去の
今、心に構えを得ることが出来ているのだろうか。
疑念がある。迷いがある。だが__。
意識が思考に偏っているうちに、声が来た。
「それでは行かせて頂きます」
一歩分のステップで、奏が来た。
構えは大上段。無言の振り下ろしだ。
反応の遅れた染治は、一撃を竹刀で受ける。
竹刀と竹刀の重なりは、鍔迫り合い。
道場に竹刀が軋む音が響く。
数秒の拮抗。お互いがお互いを弾き、一歩の距離で離れる。
染治は弾かれの勢いを、右へのサイドステップで流し前に出た。
竹刀を握る角度を変え、下から上への動きは
「はぁぁぁぁ!」
雄叫びの乗った一撃は、メイド服を翻しての捻りの動きで回避される。
奏が続けた動きは、落ちた姿勢からの突き。
振り上げた竹刀を戻す流れで突きを逸らす。
詰まった彼我の距離を、バックステップで一歩半離した。
「気が散っておりますよ。もうお止めになりますか?」
「いえ、まだまだ行けます」
言葉通り、今度はこちらから行った。
前方への滑るような一歩で、奏の懐に入り込む。
振るうは、横なぎの一撃。
薙ぐように
「な」
視界の中、白と黒の姿が宙を舞う。
頭上、一回転の動きは背後への飛び上がりによる回避だ。
だが、遅かった。
「終わりです」
背後から告げられたのは、止めの言葉。
声と同時に振るわれたのは、中空で
腹部への衝撃で視界が揺れる。
「かはッ」
肺から口へ、空気と共に呻きが漏れた。
染治が床に叩きつけられた音と、奏が床に舞い降りる音が、道場内にほぼ同時に響く。
気付くと、染治は天井を仰いでいた。
倒れた染治の首筋に、竹刀の先が突き付けられる。
「一本。でございますね」
ああ、負けたのだ。そう思って敗北が心を打つ。
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