第二章 「桜色の剣士 Want to become strong」2-2

7


「私に、付いて来ていただきましょう」

 突然現れた、サクヤと名乗る女性。

 彼女からの強要に、染治は警戒を強める。

「何だよ突然。最近は見ず知らずの人間の名前を当てるのが流行っているのか?」

 うんざりとした言葉とは裏腹に、不可解の視線を投げる。

「任務のため、貴方の名を調べさせていただきました」

 律儀な返答に、眉をひそめる。

「分けも聞かずに行くわけないだろ」

 答えると、サクヤはため息を一つ吐いた。

「貴方は、この世に居てはならない存在なのです。本来なら、今すぐにでも叩き切ってしまうのですが、上からの命令ですので」

 凍えるような視線が、染治を貫く。

「貴方に拒否権はありません」

 突きつけられた言葉は、鋭い。

 居てはならない存在。叩き切る。理不尽な押しつけの言葉に、不快感を感じる。

「居てはならない?なんだそれ、そんなこと言われて、行くわけないだろ」

 吐き捨てると、彼女は目を細めた。

「あくまで抵抗すると言うのでしたら、今この場で死んでいただいても構いませんが」

 言葉と同時、サクヤの右手には、いつの間にかが握られていた。

 それは、染治の胸元から数センチ前に、突きつけられていて、

「な、」

 驚愕に、目を見開く。

 気付けなかった。警戒はしていた筈だ。だが、刀がいつ現れたのかも、いつ抜刀ばっとうしたのかも、分からなかった。

 サクヤの腰には、既に刀の抜かれた鞘が下げられている。

 向られた刀と下げられた鞘、そのどちらにも桜の意匠が刻まれていた。


 刀と共に、こちらへ向けられたのは、殺気。

 奏との模擬戦で、何度か感じたことのあるそれは、他人から向けられると、ここまでの重さを持つのか。

 空気が急激に冷え込んでいく感覚。

 命の危険と、非現実的な状況が、喫茶店という空間を、また別のものへと、歪めていくかのような錯覚に陥る。

 鼓動が早まっていく。全身が警鐘を鳴らし、心が『逃げろ』と叫ぶ。

 だが、動けなかった。急激な展開に、体が付いて来ないのか。指一本動かすことが出来ない。

 すると、

「……貴方は……何故?」

 視界の先、サクヤの表情が、殺気を含んだものから、苦虫を噛み潰したかのようなものに変わる。

「?」

 豹変ひょうへんに疑問を抱く。その時、

「染治をいじめちゃだめ!」

 叫びが、歪んだ空気を引き裂いた。


8


 声は、アマテラスのものだ。

 いつの間にか、彼女は染治とサクヤの間、刀の刃先に触れる直前の場所に立っていた。

 両手を広げ、サクヤの前に立ちふさがる。

「染治は、今までたくさんたくさん傷ついてきた!だから、もう傷つけちゃダメ!」

 叫びは、擁護の言葉だった。

 染治を守ろうと、必死に両手を広げている。

 その後ろ姿が、目の前にあった。

「何ですか貴方、邪魔をするというのでしたら、貴方ごと切り捨ててしまっても構わないのですよ!」

 サクヤが怒りに叫ぶ。

 視線に殺気が戻り、構えた刀に力が籠められる。

 アマテラスとサクヤの目線がぶつかる。

 数秒のにらみ合い。

 そして、痺れを切らしたように、サクヤは刀を振り上げた。

 振り上げが、振り下ろしに変わる。その瞬間、

「いらっしゃいませ。お客様」

 響いた言葉に、サクヤの動きが止まった。

「当店は、食事とティータイムを楽しむ空間となっております」

 声の発信源。カウンターの奥から姿を現したのは、時戸ときどだ。

 彼は、笑みをたたえながら、サクヤを睨む。

「それに……この店は、中立地帯であることを忘れたかい?サクヤ」

「……貴方は」

 刀を掲げた状態で、動きを止めていたサクヤは、時戸の姿を見ると、刀を下ろした。

 アマテラスに向けていた視線を、時戸に向ける。

「まだこんなところにいらっしゃったんですね。あの部隊の数少ない生き残りである貴方が」

「その話は君には関係ない。そうだろう?」

「そうですね。逃げ出した貴方には関係ない話でした」

 サクヤの言葉に時戸は、目を細めた。

「食事もティータイムも取らないのなら、お引き取り願えるかい?」

「……仕方ありません。今回は見逃しましょう」

 そう言ったサクヤは、刀を納めると、こちらから視線を切った。

 リボンで纏められた、長い髪が宙を戦ぐ。

 扉へと振り向き、歩き始めた。

 辿り付いた扉に手を掛けたサクヤは、肩越しに染治を見た。

「本日の深夜2時。幻能神社で待っています」

「行くわけないだろ」

「……そういえば、先ほど神社で、少女と話をしていましたね」

 それは、脅しとも取れる言葉で、

「お前……!」

 叫んだ染治を見たサクヤの表情は、笑み。

「それに来ていただけたなら、貴方の背負っている、真実を教えてあげましょう」

 言葉を残し、カランというむなしい扉の音と共に姿を消した。


9


 サクヤの去った喫茶店は、静まり返っていた。

 最後に残していった言葉を思う。

「呪いについての真実……」

 サクヤと名乗った女は、何を知っているというのだろうか。

 新たな疑問の浮上と共に、驚きに縛られていた体が解放される。

 幻覚のように、現実味の無い感覚が体を支配している。記憶の中で、突きつけられていた刀は、確かな鋭さを湛えていた。

 心を支配するのは、恐怖なのか、それとも別の何かか。

 分からないことばかりが、積み重なっていく。


 思考を巡らしていると、目の前で、染治を守るように立っていたアマテラスが、気が抜けたように、へたり込んだ。

「大丈夫か!」

 疑問を一旦投げ捨て、言葉と共に駆け寄ると、アマテラスを支える。

「ケガは無いか?」

 言うとアマテラスは、こちらを見て笑みを見せる。

「うん。だいじょうぶ」

 言葉では強がっているが、体が震えている。

 体から力が抜けてしまったようで、立てるように手を貸そうとする。だが、伸ばそうとしていた手が止まった。

 頭を締め付けるような痛みが、体を強張らせたのだ。

 伸ばしかけていた手で、響く痛みを抑えつける。

 痛みに呻き声が漏れた。

「染治?だいじょうぶ?」

 いつの間にか立ち上がっていたアマテラスに、頭を撫でられた。

 彼女に触られると、痛みが引いていく気がして、

「ああ、大丈夫だ」

 痛みが治まると、立ち上がった。


10


鑪場家たたらばけの末娘か」

 背後の小さな呟きに振り向くと、時戸はサクヤの立ち去った扉を見つめていた。

「あいつのこと、知ってるんですか?」

 先ほどの会話でも、顔見知りの様だった。

 サクヤと名乗ったあの女が、何者なのか。知っているのならば教えてもらいたいところだが。

「ん?あぁ、二人とも大丈夫かい?」

気の抜けた返事に、染治が頷くと、時戸は続けた。

「知り合いの娘でね、昔会ったことがあるんだ。といっても会ったのはその一度きりでね、そこまで詳しくは知らないよ」

 喋っていた雰囲気からは、それだけではなさそうだった。時戸は何かを隠しているようにも感じる。

「鑪場家って何です?」

 問うと、少し目を見開いた。

「聞こえてしまっていたか。……鑪場家は、彼女の生家せいかさ。でも彼女をその名で呼ぶと、怒ると思うから、サクヤと呼んであげてよ」

「また会うことは無いと思いたいですが……」

 呟いた染治に、時戸は笑みを向ける。

「いいや、君はサクヤに会いに行く。そうだろう?」

「……それは」

 思わぬ否定の言葉に、言葉を返せなかった。

 彼女は、言外に、来なければ一朔を傷つける、と仄めかしていた。確かに行く以外の選択肢は無いだろう。

 しかし、向けられた刀に、反応できなかった。本当の意味での殺気を受けて、体が動かなかったのだ。

 今まで、奏に師事し、ある程度動けるつもりだったが、甘かったようだ。

 このまま、もう一度サクヤに会ってしまって大丈夫だろうか。口惜くやしさに、顔を歪めていると、時戸は笑顔をこちらに見せながら、手を叩いた。

「さあ、気を取り直そう。食事の続きだ。折角作ってきた飲み物が、冷めてしまうからね」


11


 蒼天の空を頭上に置いて、二つの足音が響く。

 一つは、軽快に。

 一つは、重々しく。

 彼らの行く道に、人の姿は無い。

 前を歩く少女は、珍し気に周囲を見回しながら、楽しそうにくるりと回る。

 後ろを歩く青年は、少女の足取りを見守っていた。

 染治とアマテラス。二人が歩くのは、早朝の住宅街だ。

 時刻は7時10分ほど。

 あの後、時戸が用意した、サンドイッチと飲み物を食べ終わった染治は、アマテラスを連れて、一度帰宅の途に就くことを選んだ。

 そのまま、喫茶店でアマテラスの話を聞くつもりだったが、時戸に帰ることを勧められたのだ。

『サクヤは時間を指定していたけど、ここにいると、また襲撃してくる可能性があるからね。奏さんの居るあの家は安全だから、帰ったほうがいい。今日のバイトは、お休みにしとくからさ』

 とのことだ。

 そして、喫茶店を後にする直前の会話を、思い出す。


 扉に手を掛けると、背後から声が来た。

『染治くん、一つだけいいかい?』

 言葉に、動きを止める。

『何でしょうか』

 時戸は、真剣な顔をこちらに向ける。

『サクヤに会うというのなら、覚悟しておくといい』

『真実を知った時、君は己を見失ってしまうかもしれない。だから、自分を信じることを忘れちゃいけないよ』

『あなたは何を知っているんですか?』

 問うた先、彼は苦笑いを浮かべる。

『……ごめんね。彼女にも行ったけど、ここはあくまで中立なんだ。これ以上は、口出しできない。』

 苦い笑いは、崩した笑顔に変わる。

『だけど、個人的には君のことを応援したいと思っているんだ。そうだね……お腹が空いたりしたら、いつでも来ると良い』

『……ありがとうございます』

 答えると、喫茶店を出た。


 思い出した記憶は、また新たな疑問を生み出した。

 染治の足取りは、重い。

 この一時間ほどの出来事が、複数の疑問となって頭をもたげさせる。

 呪いについて教えるというサクヤ。過去を知っている可能性のあるアマテラス。何かを分かっている様子の時戸。なぜ突然、染治について知る者が現れたのか。なぜ、今頃になって__。

 願い。記憶。呪い。真実。分からないことばかりが、積み重なっている。

 ならば、目前もくぜんの疑問。その種に手を伸ばそう。


12


 染治は、足を止め、声を掛けた。

「アマテラス」

「?どうしたの?染治」

 数歩先を歩き、周囲をきょろきょろと見回していた彼女は、こちらの呼びかけに振り返り、足を止めた。

 体の動きに合わせて、赤の衣が宙を舞う。

「お前は、何者なんだ?」

「僕は、アマテラスだよ?」

 彼女は不思議そうに、首を傾ける。

「いや、だから、そうじゃなくて」

「?」

 なんとも要領を得ない。この子は、何かを隠しているのか。それとも、何も知らないのか。

「俺の失った記憶。それについて、お前は何か知っているのか?」

 質問に、アマテラスは首を横に振る。

「ごめんね。僕は知らないよ」

「じゃあ、知らないなら、願いを叶えるってどういう事なんだ?」

 言うと、彼女はこちらに右手を伸ばして、

「僕は、君の願いを叶えに来たんだ。」

 それは、出会った時と同じ言葉。

「……じゃあ、金持ちになりたい。って願ったら叶えてくれるのか?」

「うん、叶えるよ。でもそれが、染治の心の底からの願いだったら、だけどね」

 答えは、願いを叶える条件だった。

 心底の願いを、おのれ自身で理解している人間が、一体どれほどいるのだろうか。

 そして、記憶を取り戻すことが、染治にとっての願いかと言われると、やはり分からない。

「なんだよ、それ」

 呟くとアマテラスは、頬をほころばせる。

「染治が、自分の願いにたどり着くまで、僕はずっと待ってるよ」

「…………」

 真っ直ぐな瞳が、染治を見つめる。


 記憶を失ってから、ただ必死に生きてきた。そこに、願いなんてものを持つ余裕なんて無かったのだ。

 なら、今から願いを持つことが、本当に出来るのだろうか。

 染治の視界は、地に落ちた。

「分からない……やっぱり分からねえよ。アマテラス」

 吐いた言葉が、足元に転る。

 転がった言葉と共に、落ちた感情。それを拾い上げたのは、

「今は、それで大丈夫だよ。いつか、染治は絶対にたどり着けるから。君の願いに」

 アマテラスの、純粋で真っ直ぐな信頼の言葉だった。

 染治は、自嘲的に笑った。

「……だと良いんだけどな」

 何も分からないことは、変わらない。

 だが、アマテラスは、信じてくれると言う。

 出会ってまだ数時間だ。だが、彼女はサクヤの刀から、染治を守ろうとしてくれた。

 それに彼女の言葉は真っ直ぐで、アマテラスが信じてくれるなら、何故か大丈夫だと思えてくる。

 ならば、分からないままでも、前に進んでみよう。

 そう思い、足を踏み出した。

「行こう、アマテラス」

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