第二章 「桜色の剣士 Want to become strong」2-1
1
太陽が昇り始めた空の下で、暖かさを秘め始めた風が流れる。
春の朝、東から流れる風を
朝東風は、幻能市の東に存在する山の頂上から、斜面を駆け下り、中腹にある湖を波立たせ、麓へと落ちた。
風の流れを受けるのは森。
緑を主体とした騒めき。それらに囲まれた場所。
神社だ。
山を下り、幻能神社に戻ってきた
静まり返った
あのような別れ方をした後だ、顔を合わせるのは気まずい。さっさと抜けてしまう方が良いだろう。
山からの道と参道の接合部。境内の中心に近い場所で、一度立ち止まる。
振り返り、
木で組まれた
この神社は、確かに天照大御神を祭ったものであると、一朔や、その父親からも聞いたことがある。
染治が背負う少女。アマテラスと名乗った彼女は、神と呼ばれる存在なのだろうか。
しかし、問うた言葉にアマテラスは、否定を示した。『ただのアマテラスだ』と。
自覚がないだけなのか、それとも違う何かなのか、ただ悪戯に語っているだけの子供なのか。
いずれにしても、あのまま空腹の彼女を、放置しておくのは忍びなかった。
アマテラスの空腹を満たし、話しを聞いてから、警察に届けるかどうかを決めよう。
ただ、
「これ、
内心、冷や汗をかきながら、染治は神社を後にした。
2
山から下りた染治が向かったのは、住宅街。
自宅へ向かう道中、神社との中間に存在する場所だ。
そこのあるのは、喫茶店。
木造で青い屋根をした二階建ての喫茶店は、洋風の佇まいで、周囲の住宅の群れからは浮いてしまっている。
掲げられた看板には、『喫茶 空』の文字。
昔、『空』の読み方を、マスターに聞いたことがあるが、
「『そら』でも『から』でも『くう』でも好きに読んだらいいさ」
とのことだった。適当すぎではないだろうか。
喫茶店の扉には、クローズの文字が下げられている。だが、窓から店内の光が漏れていて、
「やっぱり作業中か」
言葉を漏らしながら、扉を開ける。
カランと
中に入ると広がるのは、明かりの付けられた空間。
外観と同じ、木造で作られた場所だ。
入り口の正面にカウンターが置かれ、床に固定された座高の高い椅子が並ぶ。その横には、二階に上がる階段が見える。
カウンターと入り口の間から、部屋の奥にかけて、肩の高さほどのパーテーションに挟まれた、椅子と机がいくつか並んでいる。
カウンターの奥で影が動いた。
影は、扉の開く音に、振り向く。
「お客さん。まだ開店時間には……あぁ、染治くんか、こんな時間にどうしたんだい?」
こちらに気付き、声を掛けてきたのは男性。
白銀の髪。その片側を刈り上げた短髪に、白いシャツの上から紺のカマ―ベストを羽織っている。その下は黒のギャルソンエプロンだ。
食器の手入れをしていたのか、左手にティーカップ、右手に布巾を持った彼は、整った顔を、人懐っこい笑顔に崩す。
「おはようございます。
彼は、
高校に入ってからの一年間、バイトとしてお世話になっている。
「朝早くにすいません。何か食べるものありませんか」
時戸は、髪と同じ銀の瞳で、こちらを様子を確認すると、染治の背中に背負われた少女の姿に気付く。
「はっはっは、まさかとは思っていたけど君はそんな趣味を持っていたのはなぁ。うちの子もそういう目で見てたんだねぇ……今すぐ回れ右して警察署に自首することをおすすめするよ?」
「予想通りの反応ありがとうございます!……いいから話を聞いてもらっていいですか」
ニヤニヤ顔に、半目を向ける。
「ごめんごめん、それで何があったんだい?」
説明の
「それがですね__」
3
「なるほど……。それで、その子がアマテラスちゃんということか」
理解の言葉に、頷きで返す。
「時戸さんは何か知りませんか?」
「ごめんね。その子のことについては、さっぱりだ」
時戸は、肩を竦めて答えた。
「そうですか……」
「力になれず申し訳ないね。取り合えず、ちょうど朝ごはんの準備してたところだから、座って待っていると良い」
そう言うと時戸は、カウンターの裏に下がっていった。
背負っているアマテラスを床に下ろす。
「おい、立てるか?飯が食えるぞ」
「……?ごはん?」
「あぁ、ごはんだ」
答えると、アマテラスはふらりと立ち上がり、とてとてとカウンターに向かう。
ぴょんと椅子に飛び乗ろうとするが、座高が高いため、届かない。
不満に口を膨らませ、こちらを見つめてくる。
「はぁ……」
足を掛ければいいだろう。そう思いながら、溜息を一つ入れた。
近づき、脇に腕を差し込んで持ち上げる。
線は細く、やはり軽い。
座らせると、こちらを見上げた彼女は、花が咲いたような笑顔を向けてくる。
その笑顔を見ていると、脳裏を何かがよぎり、頭が軋んだ。
痛みに顔を
心配するな。と
頬を緩め、最後に二度頭を優しく叩くと、手を放す。
名残惜しそうな顔を横目に、隣に座った。
4
染治が座り、少し待つと時戸が戻ってきた。
「サンドイッチだ。ありもので申し訳ないけどね」
耳の切られた食パンに、トマトやレタスなどの野菜と薄く切られたハムが挟んである。アマテラスの分にはマスタードが入っていない。
陶器の皿に乗せられたそれが、二人のまえに置かれた。
目の前に置かれたサンドイッチを、アマテラスはキラキラと見つめ、手を伸ばした。
両手で掴むと、その小さな口でもそもそと食べ始める。
アマテラスを見ていた視界の端、幾つかの机と椅子を挟んだ先の、喫茶店の奥に見慣れぬ物を見つけた。
それらは、壁に掛けられた一本の西洋剣と、一枚の写真。
「時戸さん、あの奥の剣と写真、今までなかったですよね?」
前回の出勤日には、存在しなかった物だ。
「ああ、あれかい?あれは、友人からの預かりものさ。長いこと倉庫に仕舞っていたんだけど、ずっとそのままは可哀想だと思ってね。……それに、そろそろだ、と思ったんだ」
「そろそろ……ですか?」
「あ、いや、こっちの話さ」
時戸はそう答えると、
「剣は、柄と鞘だけで刀身は入ってないから、危なくないよ。どうだい?触ってみるかい?」
断ると残念そうにな顔を浮かべて、続ける。
「隣の写真は、昔友人たちと撮ったものでね」
並べて飾られた二点を見つめる時戸の目は、過去を見つめていた。
「どんな人たちだったんですか?」
「そうだね。気の狂、……気の良い人たちだったよ」
言葉を濁した彼は、それでも笑顔を見せる。
カウンターの席からは、写真を詳しく確認できない。だが、ここからでも分かるのは、10数名ほどの男女が仲良く肩を並べていることぐらいか。
「変な人ばかりでね。よく振り回されていたよ。崖から突き落とされたり、空中から叩き落されたり、階段から転げ落とされたり、水中に投げ落とされたり……今思うと落とされてばっかりだな」
語られるのは過去の想起だ。懐かしさに思いを馳せる姿に、これ以上、詳しく聞くことは
「賑やかな人たちだったんですね」
話していると、誰かがカウンター横の階段から下りてきた。
5
「起きたかい。姫」
階段の影から現れたのは少女、アマテラスと同年代だろうか。10歳ほどの少女は、ふらふらと頭を左右に振りながら、階段を降ると、こちらに気付く。
時戸と同じ白銀の長い髪は、寝ぐせで乱れている。時戸を見る表情は無。
白いワンピース型の寝間着を着た少女は、声を掛けた時戸に視線を向ける。
「歯は、磨いたかい?」
時戸の問いに、姫と呼ばれた少女は、コクリと頷く。
「そうか。朝ご飯の準備はできてるから、適当に座って待っててくれ」
少女は、もう一度頷くと歩き出した。
染治の隣を歩く少女は、突然、こちらを見た。
視線が合う。一直線に見つめてくる彼女の瞳は赤。
少女の瞳は、染治の心を覗き込んでくるかのようで、
「どうかしたか」
問うと、彼女は首を横に振り、喫茶店の奥の椅子に、腰かけてしまった。
「何でしょう?やっぱり嫌われてるんでしょうか?」
「そんなことはないさ。照れているだけだよ」
「どうですかね」
隣を見るとアマテラスは、既にサンドイッチを食べ終わっている。だが、まだ物足りなさそうに皿を見つめていた。
「何だい、まだ物足りなかったかい。そうだね……じゃあ」
時戸がそう言うと、
「アマテラスちゃんだったっけ」
「うん。僕はアマテラスだよ」
「すまないけど、このサンドイッチを、お店の奥の女の子に、持っていってくれないかい?」
「僕が?」
「ああ、一緒に食べてくれていいからさ」
時戸の言葉に、アマテラスは目を輝かせた。
「分かった!持っていくよ!」
嬉しそうに皿を受け取ると、椅子から飛び降り、喫茶店の奥に駆けていく。
さっきまであんなに伸びていたのに、現金な奴だ。
姫の座る椅子の隣に立ったアマテラスは、笑みで声を掛けた。
「ごはん!持ってきたよ!」
掛けられた声に、姫は無表情の視線を返す。
アマテラスと姫の視線がぶつかり、笑みと無表情が見つめ合う。
「……」
「__」
数秒の沈黙。
姫がコクリと頷いた。
アマテラスが笑みから、満面の笑顔に変わる。
机の上に、皿を置くと、姫の対面にアマテラスが座った。
それぞれがサンドイッチを手に取り、口に運び始める。
6
二人のやり取りを見届けた染治は、内心嘆息して、時戸に声を掛ける。
「すいません。営業前の朝早くに、あんなに用意していただいて、お金は支払うので」
「いいさいいさ。染治くんには、いつもお世話になっているしね。
「……ありがとうございます」
普段からお世話になっているのは、こちらの方なのに、優しい人だ。優しすぎる気もするが。そう思っていると、時戸が笑みと共に言う。
「そうだ、飲み物も用意しよう。彼女たちはココアでいいかな。染治くんは何がいいかい?」
「そんな、そこまでは__」
「いいから、遠慮はしないでおくれよ」
「……では、紅茶でお願いします」
「了解した。準備してくるから、食べながら待ってて」
そう言い残し、時戸はまたカウンターの裏へ消えた。
染治は、手つかずのサンドイッチに手を伸ばす。
突然、背後で、カランと扉の開く音が鳴った。
伸ばした手を止め、壁に掛けられた時計を見る。
現在は、6時40分を過ぎたところか。
扉には、クローズと書かれた札が掛けられていたはずだ。
だが、染治たちも人のことを言える立場ではないため、入ってきたものか、裏に下がってしまった時戸か、どちらに声を掛けるかで、
声が来た。
「見つけましたよ。天桐染治」
突き刺すような、己の名を呼ぶ声に淀んでいた思考が凍る。
急いだ動きの、振り返りのうちに、感じたのは匂い。
淡い甘さを含んだそれは、桜だろうか。
なぜか懐かしさが、心を掠める。
一瞬の懐古の感覚を無視し、警戒を持って気配の
立っていたのは、女性。
長身に、紺の男性用スーツを着た誰か。
長い黒髪の先に、桜色のメッシュが入っており、メッシュと同じ色のリボンを使って、頭の高い位置で髪を
左肩には、ゴルフバックのような、大きな鞄が掛けられている。
桜を思わせる女性は、染治と同年代か、又は少し上の年齢だろうか。
向られた視線は、冷たい。
「誰だ、お前?」
問うた先、険しい顔をした女性は、名乗った。
「私は、対怪異対策部隊『エクシード』所属、サクヤだ」
告げられた部隊と名は、染治の知識には無いもの。
「貴方を、連行させていただく」
続いたのは、強制の言葉だった。
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