第一章 「失った青年 Lost desire」1-3

11


 柵の傍で、見つめ合う二つの影。

 二人が立つそこは、朝日に照らされた、湖のほとりだった。

 一人は、黒く長い髪を肩まで伸ばし、黒に白いラインの入ったジャージを着た青年。

 一人は、長い亜麻色の髪を風にたわませ、白い衣装に赤いころもを着た少女。

 二人はお互いに動きを止めていた。

 青年の表情は、疑問を浮かべた困惑。

 少女の表情は、喜びを浮かべた笑顔。


 一瞬の空白の後、困惑する青年。染治は笑顔を浮かべる少女に問うた。

「お前は、誰だ?」

 問いに、笑顔の少女は首を傾げながら答える。

「僕はアマテラス。アマテラスだよ」

「アマテラス……?」

 答えに、染治は困惑を深める。

 天照といえば、先ほど通ってきた幻能げんのう神社にて祭られている神の名だ。

 ならば目の前にいる少女は、己を神だとでもいうのだろうか。そう思い、彼女を見る。

 亜麻色あまいろの髪と、白と赤そして金の装飾の衣装を着た少女だ。

 着ている服は、白い着物に赤い羽織だけで、先ほどまで鳴っていた鈴の様な物の姿は、見受けられない。

 見たところの年齢は、10歳前後といったところだろうか。

 幼い少女に、また質問を行う。

「お前は……神なのか?」

「神様じゃないよ?僕は、ただのアマテラスだ」

 ことりと首を傾げ、あっさりと答えられた。益々ますますの困惑に眉を細める。

「じゃあ、お前は何なんだよ」

 幾度いくどもの質問に、アマテラスと名乗った少女は笑顔を崩さない。

「僕は、君の願いを叶えに来たんだ」

「願い?」

「うん。どんな願いだっていいよ。君が、が願うことだったらなんでも。例えば……そうだね、。とか」

「お前なんでそれを……」

 驚きに固まる。まだ名乗っていないはずだ。なのに、なぜアマテラスは俺の名を、そして、なぜ記憶を失っていることを知っているのか。

 記憶について知っているのは、かなでと染治の姉である藍奈あいな一朔かずさに一朔の父である克己かつみ、あとは喫茶店のマスターぐらいのはず。

 ならば誰かがしゃべったのか。だが、そのようなことをする人たちでないことを、この7年間でよく分かっている。

「僕は、染治をずっと見続けてきたから。ずっとずぅっとね」

 見続けてきたとはどういう事だろう。この少女に出会ったのは今さっきであり、会ったことなどないはずだ。もしかしたら7年より以前の知り合いか何かだろうか。年齢的にもそんなはずは。そう思っていると、今度は問いが来た。

「だから、教えてほしいんだ。君の願いを」

 こちらへと右手を真っ直ぐに伸ばしながら、告げられるそれは、繰り返される問い。

 その問いに、頭を混乱させながら、染治は答える。

「……俺は、分からない」

「分からない?」

「ああ、忘れてしまった過去をそんなに簡単に思い出してしまっていいのか。それが分からないんだ」

 そう、分からないのだ。消えてしまった過去は、己の中に存在せず。今まで生きてきた7年間こそが、今ここに立っている天桐あまぎり染治せんじという人間を形作っている。

 だからこそ、記憶を取り戻した時、どうなってしまうのか。それが恐ろしくて___。

「ほんとに?」

「え?」

 突然の問いに、心が空白を生む。

「ほんとにのかな?」

 こちらへ向けられた瞳は、真っ直ぐに、染治の心を突き刺すかのようで、

「どういう事だよ!!」

 理由もわからず叫んだ先、視界でゆっくりとアマテラスは、横に倒れていく。

「!?」

 驚きと共に駆け寄り、アマテラスの体を受け止めた。

 軽い。そう思いながら声を掛ける。

「おい!大丈夫か!?」

 すると、

「……おなか……すい……た」

 空腹を訴える掠れた声。電池が切れたかのように、動かなくなってしまった。

「えぇ……」

 これは、先に何か食べさせてしまう必要がある様だ。話の続きを聞くためにも。


12


 項垂うなだれ、動かなくなってしまったアマテラスを背負い、行きに駆け上がってきた階段を、今度はゆっくりと歩いていく。

 先ほどまで、薄暗かった森は、日が上がることで、木漏こもが差し込み始めていた。

 日の温かさを感じながら、一歩一歩を踏み出していく。

 そして気付く。先ほど、うずき始めていたはずのあざが、今は、静かになっていることに。それはおろか、アマテラスを背負う背中が、包まれるかような温かさを感じている。

 どういう事だ。と、またも疑問が浮かぶ。

「ほんとに分かんないことだらけだな。こいつも、俺自身も」

 誰にも届かない呟きを残して、段差を下っていく。

 向かう先は決めている。早朝のこんな時間に、営業している店は限られていて、それに山を下りても、住宅街が広がっていてる。営業しているような店は存在しない。

 だからこそ、向かうのは、住宅街にそぐわず佇んでいる、小さな喫茶店だ。


幕間


 日が昇り始め、黒、青、赤のコントラストに映し出された空を、朝焼けに照らされた雲が流れていく。

 盆地に存在する幻能市は、周囲を山脈に囲まれているため、ほかの街よりも日が昇る時間が遅い。

 街の中心に近い位置に存在するのは、電波塔。それに備え付けられた大きな時計は、すでに朝の6時を回っていた。

 電波塔の最上部。ただの人間なら立つことの出来ないような場所。街の全体を見渡せる位置から、東の方角を見つめる二つの視線があった。

 一つは、こんの男性用スーツを着た女性。黒髪に、途中から淡い桜色のメッシュが入った長い髪を、メッシュと同じ桜色の細長いリボンで、後ろに纏めている。隣にゴルフバックのような大きな鞄を立て、真っ直ぐな姿勢で電波塔の縁に立っていた。

 一つは、青のチャイナ服を着た少女。黒髪を頭の上で二つの団子状に纏めている。男物のスーツを着た女性の隣、電波塔の縁に片膝を立てた状態で腰掛け、チャイナ服のスリットからは、その細い足が露わになっていた。

 電波塔の上、強風に晒されながらも二人は微動だにしない。


 スーツの女性が、声を掛けた。

「見つけました。ターゲットです」

 冷たく冷え切ったような声。それにチャイナ服の少女が答える。

「うむ、そのようじゃのう」

 見た目とはそぐわぬ、年を経た老婆のような口調の少女は、スーツの女性に言葉を返す。

「サクヤ。お主、おのれの役割を忘れてはおらぬかのう」

「えぇ、もちろんです。彼は私が」

「本当かのう。まあ良い、わしにはわしの役目がある。お主の役目、まっとうするがよい」

「もちろんです。それでは」

 サクヤと呼ばれた少女は、短く答えると、隣に立てた鞄を肩に背負い、一息のうちに電波塔から

「行ったかの」

 サクヤを見送ったチャイナ服の少女は、サクヤの横顔を思い目を細めながら呟く。

「分かっておるなら、そのような表情はせんと思うがのう」

 少女の言葉は、誰にも届かず。ただ空を舞うだけであった。


第一章 「失った青年 Lost desire」 終

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