七、改革 (2)

 良介の道場に入ると、彼はリサコの方を向いて、少し気まずそうな顔をした。

 リサコは彼のそんな顔を見るのは初めてだった。


「リサコ、この部屋は俺の意思で見た目を自由に変えられるようになっている。そこに、訓練用のヤギを置きたいんだ。ソースコードは同じに作っていて動くけど、攻撃性は無効にしているから害はない。それでリサコが平気かどうか試したい。」


「やってみて。」


 リサコが言うと、部屋の雰囲気がぱっと変わった。

 ピンクの照明に壁一面に時計の絵。正面には、あいつが座っていた。


 今の説明で、これはただの映像だとわかっていても、リサコは激しいフラッシュバックに襲われ、吐き気を感じた。


「ごめん、ダメだ。」


 リサコが言うと、部屋の内装が道場に戻った。


「これだとどう?」


 内装は道場になったが、正面にはあいつが鎮座していた。直視できないほど気色悪い奴。


「あいつの見た目はどうにかならないの? もっとかわいくするとか。」


 ヤギの見た目が少し荒くなって、一昔前の3Dのようになった。


「もうちょっと…眼をまん丸でかわいくして…、鼻毛をなくして、それから、あの口が嫌なの。ただの線とかになる?」


 良介はリサコに言われたとおりに、ヤギの見た目を調整した。そこに現れたのは、狙いすぎて失敗したゆるキャラのようなものだった。


「ああ、これなら、耐えられる…かも。」


 そのあまりに奇妙なヤギの姿に、アイスが耐え切れず、吹きだした。


「これじゃあ笑っちゃって集中できないよ。」


「慣れてくれ。リサコの様子を見ながら、徐々に本物の姿に戻していくから。」


「あの日本人形の方もどうにかならない?」


 リサコは、ヤギの足元にこっそり立っている、ヤギの本体である不気味な人形を指さして言った。


「どうしたらいい?」


「じゃあ…目をただの黒い点にして、口を一本の横線に…」


 良介はそのとおりに対応した。まるで、白けた時に使う顔文字とそっくりな顔がそこにできた。(・―・)これにはリサコも思わず笑ってしまった。


「よし。じゃあ、最初はこの感じで、みんなにはこれから367パターンの攻撃手順を頭と体に叩き込んでもらう。」


 これには、その場にいる全員が「えっ」と声を出した。


「ちょっと待ってよ。あたしら生身の人間だよ。何ヶ月かかると思ってるの?」


 アイスが悲鳴に近い声をあげた。


「普通にやったらね。君たちが耐えられる限界の時間スピードをさっきガイスに計算してもらったんだ。その計算だったら、そっちの時間でだいたい3日あれば訓練は終了する。訓練スケジュールはガイスが作ってくれた。できるだけ肉体にも精神にも負担が少ない進行になっている。」


 全員が目の前に画面を出してガイスのカレンダーを確認していた。


「鬼軍曹…」


 アイスが良介に聞こえるように言った。良介はそれを無視した。

 リサコもみんなに習って画面で確認をした。いつの間にか空中に画面を出すことを普通にやっている自分に驚いた。


「いま、みんなに覚えてもらう367パターンを送信した。これは、ヤギが取る確率の高い行動パターンに対応した動きになっている。ヤギの動作のパターンは実際はもっと多いんだけど、兼用が効くからこちらの動作はこの数で足りる計算だ。」


「データがとれるほどリサコはヤギと対峙してないでしょう? どうやって検出したの?」


 オブシウスが質問した。良介は頷くと、空中に大きな画面を表示させて、何やら点がうごめいている図と、グラフ、そして、ズラズラと流れるプログラミング言語のようなものを映し出した。

 オブシウスとタケルは、その画面を見て、意味を理解している様子だった。

 リサコはアイスの方を見ると、アイスは肩をすくめてみせた。彼女にはわからないのだ。それでリサコは少しほっとした。


 良介は、主にオブシウスとタケルに向かって説明を始めた。


「確かに、リサコがヤギの部屋に到達できたのは、全体の5%だ。しかも、詳しいデータは最終回のものだけといってもいい。

 俺は、リサコを導入する前に、人間とAIの合同チームでヤギを倒せないか、数千回のシミュレーションを行っている。今回は、その古いデータを元にヤギが取りがちなパターンを抜き出したんだ。」


 良介は開いていた画面を閉じると、みんなに向き合った。


「まずは、さっき送った攻撃パターンを覚えて、ここのシミュレーターで動作テストを繰り返してほしい。ヤギは、リサコに ≪ヤギの夢≫ が入らないと、別のパターンで動いてくるはずだ。そこはまだ未知の世界だ。次の動作が出たら、それに対応した攻撃パターンを実行する、といった感じで進める。ヤギの動作が俺の予測と違っていたら、その都度修正していく。」


「なるほど、相手の動作を見てコンボを繰り出すゲームの戦闘みたいな感じね。そういうのだったら得意だよ。」


 アイスが言った。


「記憶を保持したままリサコを部屋に入れられない問題はどうなった?」


 今度はタケルが質問した。


「ああ、それは…」


 良介はリサコの方を見ると、側に来てそっと彼女の肩を手を置いた。


「これから言うことは、リサコには辛いかもしれない。いい?」


「私なら大丈夫、何でも言って。」


 良介は頷くと語りだした。


「みんなも知ってのとおり、これまでに、リサコの記憶を保持したままヤギの部屋に入れたのは1回だけだ。その結果、リサコがヤギの記憶を保持していると、なぜか ≪ヤギの夢≫ は作動せずに、リサコの精神は破壊されてしまった。だけど、何度確認しても、何も出なかったよね。だから、こちらで探知できない未知のプログラムによる攻撃かと思っていたんだが…」


「ちがったの?」


「何度も確認したが、あの時、ヤギはやっぱり何もしていないんだ。ただ座っていただけだ。リサコの精神を破壊したのは、他ならぬ、リサコ本人だったんだよ。あまりの恐怖で。」


 その場の全員が黙ってしまった。


「今回も、今のままでは、リサコはヤギの部屋に入って数分も持たないだろう。だけど、≪ヤギの夢≫ の発動を促して防御を解除させるためには、やはりリサコの同行は外すことができなそうだ。だから、リサコには、あのヤギから始めて、恐怖を克服してもらう必要がある。俺の計算だと、現在のリサコにはそれが可能だ。」


 良介は、失敗したゆるキャラのようになっているヤギを指さして言った。


「ドS軍曹め…リサコ、断ってもいんだよ。あたしらだけでヤギは何とかするよ。」


 アイスが言った。

 リサコの肩に置かれた良介の手に心なしか力がこもった。


「アイスの言うとおりだ。できればこんな方法はやりたくない。でも今のところ、これしか方法がないんだ。」


 こんなに悲しそうな良介は見たことがなかった。彼もAIなりに悩んだ結果なのだとリサコは感じ取っていた。


「いいよ。私訓練する。けど、途中で挫折するかもしれない。そしたら、次の案を考えてくれる?」


 良介は真面目な顔で頷いた。


「リサコを同行させるということは、≪ヤギの夢≫ を発動させるんだろう? 本番で失敗してリサコが取り込まれたらどうするんだ?」


「失敗する可能性がゼロになるまで行かない。君たちの時間で3日後に結果がでなかったらこの案は捨てる。このシミュレーション兼訓練は、実際に君たちに動いてもらわないと正確なデータが取れない。絶対に失敗は許されないんだ。大変だけど協力してほしい。」


「わかったよ…。」


 アイスを含む全員が納得して協力することになった。


「ちなみにさ、攻撃パターンが決まっているなら、AIで対処した方が効率よくない? さっきAIには向いていないと言ったけど、どうしてなの?」


 アイスの質問に、良介は少し表情をゆるめた。


「君たち人間は、AIの開発黎明期に、よく人間とAIをゲームで戦わせていただろう。AIがなかなか勝てなったのは知っての通りだ。苦手なんだよね、俺たち、こういう非効率的で予測不能なことが起こりうる駆け引きが。」


 リサコの頭の中に、ヤギと良介が並んでゲームをしているイメージが湧いて出てきて消えなくなってしまった。


「あー…、空気が読めないのね。わかるなぁ。」


 アイスが言った意味を良介は明確には理解していない様子だった。


「…ということは、相手は人間なのか?」


 タケルの質問に全員がハッとなった。今更だが、ヤギの正体は全く分かっていないのだ。AIなのか人間なのか、ただのプログラムなのか、それすらわかっていない。

 良介は、じっと考え込むようような表情をして言った。


「俺にも奴が何なのか皆目見当がつかない。俺の知らない未知のプログラムか、そうでなければ、あれは人間だ。」


 それを聞いて、リサコは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

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