七、改革 (1)

 リサコは心地よい朝の光の中で目を覚ました。清潔なシーツにフカフカのベッド。肌触りのよいパジャマ。


 体を起こすと、目の前に大きな窓があった。少し開いた窓の隙間から、春の風が入り込み、白いレースのカーテンを揺らしていた。カーテン越しに木の枝と向かいの家のベランダが見えた。


 リサコはこの場所を知っていた。階下から心地よいコーヒーの香りが漂って来た。

 部屋のドアをノックする音がしたので返事をすると、良介が入って来た。


「おはよう。」


 そういうと彼はリサコのベッドに腰かけ、唐突にキスをしてきた。

 リサコは驚いて身を引いた。


 良介はぽかんとした顔をしている。


「何で急に?」


 リサコは動揺して、ベッドの上でもぞもぞ動いてなるべく良介から体が離れるように座りなおした。


「何でって、特別ということを示す人間流の挨拶じゃないの?」


 ああ、確かにそうやって教えたのはリサコだ。良介は記憶がない間のことも全部覚えているのだ。


「私は特別なの?」


「そりゃあそうだろう。君はこのシステムの中で唯一無二の存在だ。…俺もだけど。そういう意味じゃないの?」


「…うーん。それとは少し違う。もうしなくていい。誰にもしちゃだめ。わかった?」


 良介は頷いたが、何だか理解できない、という表情だった。この件については可能ならガイスに仕様を確認をしておきたいとリサコは思った。


「ここがどこだか覚えている?」


 良介が話題を変えてくれたので、ほっとしたリサコは「もちろん」と返事をした。


「おじいちゃん…、いるの?」


「いるよ。下でコーヒーを入れている。」


「おじいちゃんもAIなの?」


「そうだよ。じいちゃんは俺が一番最初に作ったAIなんだ。初代デバッカーとして作った。」


「デバッカー?」


「平場でやっていたこと覚えている? あそこのAIたちは、シミュレーションのバグを見つけて修復しているんだ。じいちゃんはこのシステムを構築する過程で出たバグを修復するために作った。シミュレーションが完成してからは、君の案内人として使っていたけど、また修復屋に戻して、働いてもらっているんだ。」


「私たちとここにいた時のことは覚えているの?」


「君が記憶している分だけ、彼にも記憶させている。ついでにこの世の成り立ちも知っているよ。だけど、性格も物腰も変わっていないから心配しないで。下に行ってみる?」


 リサコは頷いて立ち上がり、良介と共に階下へ向かった。


 なつかしいリビングに入ると、おじいちゃんこと茂雄が朝食を用意して待っていた。厚切りのベーコンとスクランブルエッグ、たっぷりバターが塗られたトースト。そして、コーヒー。


 リサコはまずは茂雄のコーヒーを飲みたいと思っていた。茂雄は、そっと、リサコの前にコーヒーを置いてくれた。

 そして「おかえり」と言った。


 リサコは「ただいま」と言うと、コーヒーをすすった。懐かしい味がした。涙がボロボロこぼれた。茂雄は無言でそれを見ていた。リサコは泣きながら食べ始めた。


 向かいの席で、良介も同じものを食べていた。それを見ていると気持ちも落ち着いてきた。


 そういえば、この人たちAIなのに食事もするし睡眠もとるのよね…。

 リサコは不思議に思った。

 そもそも、リサコもただのデータなのに、お腹もすくし、眠くもなるし、排泄もする。奇妙な世界だ。


 朝食を食べ終わったころに、良介の部屋の方から、リーン リーン と古めかしい電話の音がした。

 良介は「ごちそうさま」と言いながら食器を流しに片付けると、自分の部屋へ入って行った。電話の音はやはり良介の部屋から聞こえているようだった。


 リサコはコーヒーの最後の一口を飲み干した。茂雄がリサコの食器を片付けてくれた。


「ごちそうさま、おじいちゃん。とってもおいしかったよ。」


 茂雄が、食器を洗い始めたので、リサコは代わってあげた。リサコが洗い、水切り場に置いた食器を茂雄が拭いて棚にしまう。

 以前にここに暮らしていたのは、ほんの短い間だったけど、この家でかつて営まれていた日常の風景が再現された。リサコは懐かしくて再び涙を流した。


「たくさん辛いことがあったね。よくがんばったよリサコ。」


 茂雄が前と変わらない優しい声で言った。


「私ね、ずっとここに帰って来たかったの。おじいちゃんと良介がいるこの家に。」


「それは光栄だよ。おじいちゃんもリサコが戻って来てくれて嬉しいよ。」


 二人はにっこりと微笑み合った。

 すっかり気分がよくなり、ふと部屋の隅に置いてあるテーブルを見ると、時計の部品のようなものが山積みになっているのが見えた。


「あれはね、修復プログラムだよ。」


 リサコの視線に気が付くと、茂雄は言った。


「もうほとんど対応し終えたけど、まだ少し、残っているからね、バグが。」


 目の前にいる老人が、かつての茂雄と似て非なるものであることをリサコが悟ったところで、良介が部屋から出てきた。


「リサコ、ちょっと来て。」


 良介の部屋に入ると、そこはもうかつての良介の部屋ではなかった。そこは、あちらの世界の人たちと話ができる、あの変な放送室のような部屋だった。


「このドアに通信室を繋げたんだ。便利だろう?」


 マイクの前に来ると、マイクの下に引き出しがついているのが見えた。 


 前にあんな引き出しあっただろうか?


 そう思っていると、良介がその引き出しを開けた。中には、プラスチックの透明な棒が入っていた。リサコはその棒に見覚えがあった。


「これ、最後のターンで君が使っていた武器を再現したんだけど、どうかな? 同じ?」


 リサコは引き出しから棒を取り出してみた。 

 柄には金属の輪がついていて、ストラップのような派手な色のヒモと明太子キャラのストラップが付いていた。


「全く同じに見えるけど。」


「刀にしてみて。」


「どうやるの?」


「平場で画面を出すのと同じ要領だ。刀になれと思えばいい。おっと俺に向けて持つなよ。」


 リサコは後ろを向いて、部屋の何もない方に棒を向けて「刀になれ」と思考を送った。すると、棒が変化してすらっと長い日本刀になった。「もどれ」と思うと、今度はまたプラスチックの棒に戻った。


「どう? 重さとか。」


「私が持っていたのと同じだと思う。」


 良介は頷くと、マイクに向かって話しかけた。


「ガイス、OKだ。これと同じのを全員分、用意してくれ。」


「わかった。じゃあ、そっちにみんなを向かわせるよ。」


 ガイスの声がそう答えると、どこか遠くの方で、玄関のベルが鳴る音が聞こえて来た。


 その音を聞き、良介が通信を切ろうとしたので、リサコはガイスと少し話したいとお願いをした。


 良介は、いいよ、と言って部屋から出て行った。


「リサコちん。何?俺と話しがあるの? 刀はどうだった?」


「完璧です。」


「そいつはよかった。それ、君のだから持っててよ。で、何か相談?」


「はい…あのですね…、良介についてなんですが。彼は人間みたいに、恋とか愛とかそういう感情はあるんでしょうか?」


「恋!?」


 想定外の質問にガイスは一瞬戸惑った様子だった。


「良介に感情があるのかどうか…というのは、AIに感情があるのかどうか…という人類がまだ答えに辿り着いていない問題になるぞ。………あれ? 何かあったの?」


「いや…別に何もないんですけど、逆にあまりに何もないから…。」


「そらそうだろう…良介だぞ…。あ、もし必要だったら、恋愛オプションつけてもいいけど? 良介に惚れちゃったりしたの?」


「惚れちゃったりはしてないです。仕様を知りたかっただけですよ。オプションもいらないです。」


「ああ、そうなの? そっちはAIばかりで人間は君だけだから退屈なのかなと思ったよ。」


 ガイスの何気ない言葉にリサコはギョッとした。


「私は人間なんですか?」


「え? 違うと思ってたの? 確かに君はデータだけど、まるまる人間の精神だ。人間だよ。」


 人間…! リサコは思いがけず知った自分の分類を噛みしめた。


「そうそう、良介からログイン許可が出たから、こっちの人間が何人かそっちに行っているはずだ。もう来てるんじゃないか? みんないい奴だから仲良くしてやってくれ。ちなみに、河原アカウントは廃止したら安心しろ。」


 そしてリサコとガイスは通信を切った。


 部屋から出てリビングに戻ると、見知らぬ人が三人ソファーに座っていた。さっきガイスが言っていた人たちだろうか。


 リサコは良介の方を盗み見たが、いつもと変わらない様子だった。彼はこの世界の全ての情報にアクセス権を持っている。さっきのガイスとの会話も聞こうと思えば聞けるのだ。


 まあ、聞いたところで何とも思わないのかもしれない。


 リサコが通信室から戻ってくると、ソファーに座ってるうちの、おかっぱの黒髪で、黒のボディスーツに身を包んだ女性が立ち上がり、リサコに手を差し伸べてきた。


「この姿で会うのは初めてね。私はオブシウス。ヤギ対策チームの統括部長です。」


 リサコはこの声に聞き覚えがあった。おそらくガイスの後ろにいた人だ。リサコはオブシウスの手を握った。

 続いてオブシウスの隣に座っていた体格のいい男が立ち上がった。ロン毛で髭面。ゆったりした麻の上下を着ている。


「俺はヤギ討伐隊 隊長タケルだ。よろしく。」


 リサコはタケルの手を握った。

 三人目は華奢で色白の女の子だった。短い髪を銀髪にしている。


「あたしはアイス。ヤギ討伐隊。よろしくね。」


 リサコはアイスとも握手した。アイスはぎゅっと彼女の手を握って来た。


「以上が、俺が呼び寄せた人間の討伐隊だ。それぞれ本番で使っているアカウントを複製してログインしてもらっている。」


「良介、AIのメンバーは使わないの?」


 アイスが訪ねた。


「確かにAIだと極限まで精神能力を高めた人員を用意できるんだけど、シミュレーションの結果、ヤギの動きが予測不能すぎて、この仕事はAIには向いてないという結論に達した。俺も訓練には参加するけど、本番ではほぼ役に立たないと思ってくれ。」


 そう言うと、良介は以前は茂雄の書斎だった部屋のドアを開けた。そこは、20畳ほどの広さの道場になっていた。

 良介は手招きをしながら全員を招き入れ、こう言った。


「今日からここで、ヤギ討伐作戦の訓練を毎日行う。リサコ、君もやるんだよ。」


 リサコは不意打ちを食らって、へ?という間抜けな声で返事をした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る