六、河原 (6)

 良介との会話が再開してから、チームの全員がガイスの端末の周りに集まっていた。

 そこにいる全員が、この作戦が新たな局面に入ったことを認識していた。


「了解。じゃあ、リサコに説明するからちょっと待ってて。数秒で終わる。」


 良介のステータスが「MUTE」になり、2秒ほどでまた戻って来た。


「リサコに話したよ。」


「それで?」


「彼女は大丈夫だ。俺たちに協力してくれる。普通に会話できるよ。まずは、彼女に直接ヤギのことを聞いてみて。」


 ガイスは、一度オブシウスを振り返った。彼女は、どうぞと仕草で伝えた。


「それじゃあ、リサコ。初めまして。俺はガイスだ。」


「こんにちは。」


 リサコの声が答えた。

 彼らとのやり取りは音声のみで行われるので、姿は見えないのだが、本当にそこにいるんだ…とガイスは不思議な気持ちだった。


「それで、えーと。君はヤギに会った時にことを覚えてる?」


「はい…。」


「その時のことを詳しく話せる?」


 リサコは驚くべき体験を語り始めた。

 対策チームの面々は、今までログで彼女の動向を全て確認してきたが、こうして本人から直接聞くのは初めてだ。


 その生々しい体験談に、全員が引き込まれていった。


「私は父親と二人で暮らしていた世界から、良介たちと暮らす世界に移ってしまって、だいぶ混乱してました。―― ああ、今でも困難してますけど。それで、良介たちには内緒で夜中に抜け出して、前に父親と住んでいた家に行ってみたんです。その家は空き家になっていたんですけど、玄関のカギは開いていて、入ると目のないお婆さんがいました。」


「その婆さんには見覚えがあった?」


 ガイスが聞いた。


「ないです。」


 リサコは即答した。


「良介、その婆さんはお前が配置した “案内人” なのか?」


「いや、俺が作った奴じゃない。」


 良介はしばし自分の見解を語った。


 “案内人” はシミュレーションの成り行きをコントロールするために、良介が要所要所に配置したAIだ。案内人たちは自分がAIだという自覚はない。

 彼らはチェスの駒のように動き、≪ヤギ≫ に辿り着くまでのリサコの行動パターンに影響を与える。


 本来なら自然にリサコの人生の中に出現して、リサコを導くようにプログラミングされているのだが、良介が全てのデーターへのアクセス権を失った段階で、“案内人” の運用も制御不能に陥っていた。


 そんな中で、システムは独自の “案内人” を作ったようだった。

 管理者不在の状態で何とか世界を維持しようとした結果なのではないかと良介は考えているようだった。


 良介が全データから締め出されたのは、リサコのエイリアスを救出してる最中だった。


 リサコがテストの中で行った全ての行動は、ログとして保存されるのだが、その記憶の保存先がエイリアスなのである。

 エイリアスはバックアップのため同じものが3つあったのだが、その全てがシステム内のどこを探しても見当たらなくなってしまっていた。


 リサコとエイリアスの接続は切れていなかったのだが、外部からエイリアスにアクセスできなくなっていたのだ。

 そのせいで、ガイスたちはリサコの動向を追えなくなっていた。


 やっとのことでリサコのエイリアスの1つを救出したと思ったら、今度は良介がいなくなってしまった。


 リサコの話を聞きながら、ガイスは改めて、まじでやばい状態だったんだ…と思い知らされていた。

 よくもまあ、ここまで復旧できたものだ…。


「君がその家に入ったあたりから、“カプセラ・バーサ・パストリス” の影響が特にひどくなって、こっちでログの整理がまだできてない。詳しく話してくれないか。」


 リサコは続きを語りだした。


「その目のないお婆さんは、私に変な棒をくれました。それが日本刀だって後からわかりました。場所を移動すると刀になったり棒になったりしてました。で…家の中は私の家のようで、全く違うものでした。ものすごく不快なところでした。それから…なぜか家からあり得ないくらい長い廊下が伸びていて、そこに、良介っぽい男の子がいましたが、人間ではないようでした。」


 また、システムが作った案内人か? 気味が悪いな…、とガイスは思った。

自分がもしもそんなところに迷い込んだのであったら、正気が保てるか自信がなかった。


「その子…、勝手にマシュマロ君って呼んでたんですが、彼に連れられて廊下の外に出たら、だだっ広い荒野がありました。そこに黒い無人のヘリコプターが来て、私達はそれに乗りました。」


 ヘリコプターでヤギの領域へ行くのは正規のルートだ。システムはぐちゃぐちゃだったが、そこはちゃんと機能したらしい。


「ヘリコプターは私たちを山小屋みたいな場所に連れて行きました。」


 ヤギの領域だ…、とガイスは想像する。

 本番サーバの本物のヤギは、隔離処理がされる瞬間に、自らの周りに繭のような領域を作った。

 それをガイスたちは ≪ヤギの領域≫ と呼んでいた。≪ヤギの領域≫ は一定期間ごとにランダムに変形し、何かしらの空間を形成している。そこの一角に ≪ヤギの部屋≫ があり、ヤギはガチガチに封印されている。


 今回のテストでリサコが入ったのはお土産屋…だった。ガイスはとても興味深く思った。

 同じ空間が再び現れることがあるのかはわかっていないが、その確率は、ほぼゼロに近いだろう。なぜ、お土産屋なんかを作っているのだヤギは。


 もしくは、お土産屋には何の意味もないのかもしれない。次にリサコが ≪ヤギの領域≫ に入ったとしたら、そこは全く違う空間になっているはずだ。


「お土産屋の一角に、また私の家のリビングがありました。そこに入ると、何か科学の映像のようなものが始まって、私とマシュマロ君はそれを見始めました。」


「ちょっとストップ。」


 良介が言った。


「ここなんだけど、この映像のは正規のシミュレーションに組み込まれているものではないんだ。おそらく “カプセラ・バーサ・パストリス” が何かしら関与していると思う。もしかしたら、何かの手掛かりがあるかもしれない。映像の部分だけ抜き出しておいたから、後で解析してみようと思っている。」


 はい、じゃあ続けて、と良介がリサコに言っているのが聞こえた。


「それで、その部屋で映像を見てたら、奥から死ぬほど大きな声で名前を呼ばれて…。あれは、何て言うか…もう、息もできないくらいデカい声でしたよ。」


 オブシウスが鼻を鳴らして笑った。

 彼女もその声を聞いたことがあるのだ。


「声の方に行ってみると、あの部屋があった。」


「≪ヤギの部屋≫ ね…」


 思わずオブシウスは声に出して言った。


「そこはピンク色の気味の悪い部屋で、壁中に時計と鷹の絵が描いてありました。あれは良介と何か関係あるの?」


「俺とは直接関係ないけど、時計や鷹は、修正プログラムやワクチンを現している。実際の ≪ヤギの部屋≫ もそういったプログラムで固められているんだ。」


「ああ、そういうことだったの…。あなたやたらと時計を作ってたから。で、ヤギの部屋に入ると、私は ≪ヤギの夢≫ を見せられました。」


「それはどうやって始まった?」


「うーんと…確か、何世紀も、何億年も、待っていたとかヤギが言ったら、目がビカーーと光って体がしびれて、いつのまにか夢の中にいた。」


 リサコの説明に、ガイスとオブシウスは顔を見合わせた。

 今までのテストで何度かここまでは来ていたが、視覚的な情報を得られたのは初めてだった。


「良介、リサコが浴びた光は、《閃光》の可能性はあるか?」


 《閃光》というのは、本番サーバで運用中の更生プログラムで罪人の更生が完了した時点で発動する、目撃者を麻痺させる特殊効果のことだ。


「リサコとヤギの対面のシーンは何度も確認しているけど、《閃光》が走った形跡はなかった。けど、似た異様なコードの断片がいくつかあったから、多分、ヤギオリジナルの《閃光》だったのかもしれない。」


 さていよいよ、今回のテストで初めてその姿を捉えることに成功した ≪ヤギの夢≫ がリサコによって語られる時となった。

 今までのテストでは、≪ヤギの夢≫ が始まるとほぼ同時に、長くても数秒でリサコの精神が破壊されて続行不能になっていたため、詳しいことは一切わかっていなかったのだ。

 ちなみに、リサコを破壊しても ≪ヤギ≫ には何の変化もなく、そのまま存在し続けることがわかっている。


「気が付くと、私はベッドの上にいて、いきなり出産していました。」


「出産!?」


「はい。はじめ私も何なのかわからなかったんですけど。女の子を産みました。でも、赤ちゃんに顔がないんです。ザザッザザッってノイズが走ってて。あ、あと旦那さんらしき人にも顔がなかった。助産師さんとかには普通に顔があるんですけどね。」


「なんだそれ??まるっきり悪夢みたいな世界だな…。」


 ガイスがブルブルっと身を震わせて言った。


「いや、この話はもっと怖いんだ。覚悟して聞いてほしい。リサコ、続きを話して。」


「うん。この夢の中ではやたらと時間が飛ぶんですけど…、気が付いたら、また出産が始まって、たぶん、ループしたんだと思います。私はまた顔のない女の子を産みました。そんで、この時に赤ちゃんの名前と生年月日を確認できたんですが、それは私自身の名前と生年月日になっていました。」


 話を聞いている一同は静まりかえってしまった。いや…、怖すぎないか。≪ヤギの夢≫ が始まって、もれなくリサコが発狂していたのは、こんなものを見せられていたからなんだ。

 ≪ヤギの夢≫ の中では時間のスピードが違っていそうなので、今までのリサコが発狂に至るまで、体感的にどのくらい持ちこたえていたのかはわからないが、赤子に顔がない時点でかなりのダメージがありそうだ。


「その後、9年くらい時間が飛びました。そこは、私と父が暮らしていた家でした。娘は成長していました。それで私は、今自分は自分の母親になっていて、一緒に暮らしている男の人は、私の父親なんだと理解しました。娘にも父親にも相変わらず顔はなかったけど…。私は…私は、父親に殴られたり蹴られたりしてたんですけど、それは母親が自殺した後からです。私は、この奇怪な世界がその日に向かって進んでいるのだと悟りました。そして、私は絶対に死なないと誓ったんです。」


 ごくり…と誰かが唾を飲み込んだ音が聞こえた。

 やばすぎるぞ、≪ヤギの夢≫。こんなのを見せていったい何をするつもりなんだ。こんなに得たいの知れない奴と戦おうとしてたのか俺たちは…とガイスはぞっとした。


「でも、私、あっさり死んじゃったんです。母が死ぬはずだった日より前に、確か交通事故かなんかで…それで、あの ≪ヤギの部屋≫ に戻りました。」


「死んだら自然に目が覚めたの?」


「そうです。そしたら、ヤギは、画面を出して何かやってました。あの画面… 良介、あの画面はエルたちがいるところで使ってたやつと同じだった!そうだ、最初にオーフォがあの画面を出した時にてっきりヤギの仲間かと思ったんだった。」


「その画面は、平場の奴らが使っているのとは違うものみたいだ。たぶん、ヤギの夢のプログラムが可視化したものだろう。続けて。」


「ヤギは、えーと確かバグってるとかなんとか言って…。その姿を見たらものすごく腹が立ったんですが、何もできずにまた光を浴びて夢に戻ってしまいました。そして、また出産から始まったんです。」


「げ…地獄のようなシミュレーションだな…今どきマフィアだってそんな拷問VR思いつかないぞ…。」


 リサコは人間ではないとは言え、こんなものを見せるために繰り返しテストを行っていたことに、その場にいる全員に罪悪感が芽生えていた。


「私は、全ての記憶をそのままに、もう一度 ≪ヤギの夢≫ に入りました。出産して、9年飛んで…と同じことが繰り返されました。私はこのループから抜け出す方法をずっと考えてました。死んだらいいのかな?と思いましたが、自殺したのでは母と同じになってしまうし、もしも自死の場合は戻れない、とかあったら怖いと思って、何もできずにいました。前回と同様の手順を踏めばまた戻れるかとは思ったんですが、それまでの時間を待っているのがもどかしくなって…そんな時に、思い出したんですよ、アイアンタワービルを。私が元いた世界では、あそこの9階に『有限会社 ヨクトヨタ』という会社がありました。何となくそこに行ってみようと思ったんです。」


 『有限会社 ヨクトヨタ』。それは何を隠そう、ガイスたちが使っていた、職員専用のログインポイントなのだった。


「それで、行ってみてどうだった?」


「『有限会社 ヨクトヨタ』はありました。」


 チームの全員がざわついた。≪ヤギの夢≫ の中にそれが存在する意味とは何であろうか。ただ、我々の仮想現実を再現しただけなのだろうか?


「あったんですけど、ただの普通の会社でした。それで見学の予約か何かして、帰り道にまた交通事故にあって私は死にました。」


「その時もまたヤギの部屋に戻った?」


「はい、あっさり見事に戻りました。今度は1回目より余裕があって、咄嗟に私はヤギを切らなければと理解しました。この刀はそのためのものだって。で、ヤギを切ったんです。首をスパーンと。」


 この動作は、良介がリサコの潜在意識に組み込んでいるプログラムによるものだ。ヤギの夢が発動する一瞬のスキを狙ってアクティブになるように設計されている。

 そのチャンスのうち、1回目で失敗し、2回目で動作したのだ。


「なるほど、話を聞く限りでは見事に切ってるじゃないか。良介、これのどこが切損じていたんだ?」


「ガイス、リサコとヤギの話はまだ終わりじゃない。続きを話して。」


「そうなんです。私はヤギを切ったのに、まだ声がしてました。『ボクのむーたん』ってヤギがまだ叫んだんです、あのバカデカい声で。いやもう、あり得ない爆音でした。で、必死にヤギの方を見たら、ヤギが持ってた人形みたいなやつが、バタバタ動いていたんです。『ボクのむーたん』って言ってたのはそいつだったんです。というか、最初からしゃべってたのはその人形だったんです。」


 これには全員が黙ってしまった。

 確かに…、確かにヤギの足元に何かあるのは知られていた。しかし、それ自体が何かしている形跡はなく、ヤギの体の一部か何かかと思われていたのだ。


「むーたん…って。ヤギはむーたんって名前なのか?」


「うーん、恐らく…。で、人形ですけど、ヤギに最初に近づいた時から、そこにいるのはわかってたんですが、あまり気にしてなかったんです。でもやっと、そっちが本体なのかもって気が付いて、私はそいつも切りました。ザクっと、縦に真っ二つにしました。そこから血みたいのがドバァアァって吹きだして、それを浴びちゃったもので、気持ち悪くなって部屋から逃げ出してしまった…。もしかしたら、あいつも首をはねないいけなかったのかも。」


「そのとおりだ。ヤギと人形の両方の首を落とさないと奴らは完全に停止しないようだ。」


「その後は?どうなったんだ?」


「私は必死にヤギの部屋から逃げて、お土産屋から出ると、何にもない空間を移動して、あなたたちが平場と呼んでいる場所に出たんです。」


 なるほど、リサコが平場に来たのはヤギを切った後だったんだ。ガイスは考える。

 テストが一旦終了したと判断したシステムがどうしていいのかわからずに、ひとまず特殊アカウントを平場に出したんだな。


「リサコ、話してくれてありがとう。君の勇気ある行動で、俺たちの十年分の努力が報われた。感謝してもしきれない。その代償に、君には大変な思いをさせてしまった。対策チーム全員、心から謝るよ。君は ≪ヤギの夢≫ を見ることはもう二度とないだろう。記憶のリセット機能が無効になっているからね。」


 ガイスが感謝の言葉を述べると、そこにいる全員が口々にリサコに謝罪した。


「そんなに謝らないでください。私は意外と平気。悪夢からやっと抜け出た感じで、今は気分がいいし。」


 リサコ…なんて奴だ、惚れそうだぜ…。とガイスは思った。

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