四、反復 (2)
いや、ない、というかノイズがかかって認識できない感じ。顔の部分だけザザッザザッと画像が乱れているようになっているのだ。
なんだ、これは?
リサコはそのまま気を失った。
・・・・
真っ暗闇。上下の感覚もわからない。ただ何の感触もない空間に漂っている。
どこからともなく、赤ん坊の泣き声が聞こえる。
私の赤ちゃん?
どこ?
リサコは泣き声の方向に意識を傾ける。
オンギャー オンギャー
泣いている。
私の赤ちゃんが泣いている。
・・・・
ハッと我に返ると、リサコは赤子を抱いて、病院のベッドの上に座っていた。おぎゃーおぎゃーと泣きながら、腕の中でもぞもぞ動く赤子を見下ろす。
顔がなかった。赤子にも顔がなかった。ザザッザザッとノイズがかかって認識できない顔。
リサコはぎゃっと悲鳴をあげて、赤子を放り出しそうになったが、寸でのところで、隣にいた男性がリサコの腕を抑えてくれて事なきを得た。男性を見ると、やはりノイズの顔だ。
もう無理!!!
リサコは顔なし赤子を顔なし男に押し付けると、裸足のまま病室から飛び出した。飛び出したところで、ちょうど部屋に入ろうとしていた看護師(もしくは助産師)と接触し、リサコは無様に廊下に倒れこんだ。
「大丈夫ですか!?山本さん!?」
看護師は驚き、リサコを立ち上がらせると、心配そうに体を支えてくれた。リサコは恐る恐る看護師の顔を見た。看護師の顔は普通だった。全く知らない顔だったが、ちゃんと顔がついていた。
リサコはホッとして、看護師に促されるまま、病室に戻った。病室には赤ん坊を抱いた男がおどおどした雰囲気で立っていた。
彼らには、やはり、顔がなかった。リサコは病室の入口で固まってそれ以上入ることができなかった。
「いやだ、いやだ…いやだぁ!!!」
目の前が真っ白になって、リサコは気を失った。
・・・・
腰回りに激痛を感じ、リサコは我に返った。薄暗い部屋で、どうやらリサコはベッドに寝そべっているようだ。
耐え難い痛み。ナニコレ?
ぐうぅぅぅ、、、と耐えていると、すっと痛みが引いた。
それと同時に、看護師のような人が入ってきて、「点滴の針だけ入れさせてくださいね。」と言った。
激しい既視感。
状況を考える間もなく、再び陣痛が始まり、リサコの2回目の出産が始まった。1回目とほぼ同じ展開で出産は進行し、助産師には顔はあるが、隣の男には顔がなかった。
恐怖に震えながらも、出産の衝動にはどうにも抗えず、リサコは赤子を無事出産した。
今度は、出産を終えたとたんに、彼女は気を失った。
・・・・
暗闇をただようリサコ。
赤子の泣き声。
・・・・
ハッと我に返ると、リサコは赤子を抱いて、病院のベッドの上に座っていた。おぎゃーおぎゃーと泣きながら、腕の中でもぞもぞ動く赤子を見下ろす。
顔のない赤子。ザザッザザッとノイズがかかって認識できない。隣を見ると、ノイズ顔の男が赤子を覗き込んでいる。
リサコはぐっと恐怖を飲み込み、部屋をぐるっと見回した。赤子用のベッドに名札がついている。
1994年4月5日
山本 理沙子
3104g 女
リサコの名前と生年月日だ。
私の名前と生年月日…………いや、違う。これは、この赤子の名前と生年月日だ。私は、私を生んだのだろうか????
そこはかとない恐怖がリサコの心にじわじわと広がっていくのが感じられた。気を失うとまた出産に戻ってしまいそうな気がしたので、リサコは踏ん張って現状にしがみついた。とりあえず、この状況を把握しなければ。
「山本さーん。そろそろ授乳の時間でーす。」
言いながら誰かが部屋に入って来た。顔を確認すると、出産の時に立ち会っていた助産師だった。知っている顔を見て、リサコは少しだけ落ち着きを取り戻した。
「お父さんはお部屋でお待ちくださいね。」
赤子を車輪のついた移動式のベビーベッドに寝かせると、助産師に着いて部屋を出た。薄暗い廊下をガラガラとベッドを押しながら進む。
助産師は少し行った先の部屋へとリサコたちを連れて行った。「授乳室」と書いてある。中に入ると、数名の母親たちがソファーに座って、赤子に乳を飲ませていた。
リサコもそれにならって、赤子を抱き上げようとすると、「山本さん、まずオムツ見てくださいね。」と助産師に言われた。産着をめくってオムツを確認するも、何を確認したらよいかわからなかった。赤子のしわしわで細い足がモゾモゾ動いていた。
もしかしたら、おしっこしてないか見るのかな?何かヒントはないかと、すぐそばに置いてあるオムツの袋を盗み見る。オムツの中心にある黄色い線が水色になっていたらおしっこのサインらしい。
もう一度赤子のオムツを覗いてみると、黄色い線は黄色いままだった。よかった、ひとまず、ここでオムツは替えなくてよさそうだ。
リサコは赤子をそっと抱き上げ、ソファーの方へ向かう。赤子はぐにゃぐにゃで、すぐに壊れてしまいそうで抱くのが恐ろしい。産まれたばかりの赤子は首が座っていなくて、抱くときに支えなくてはならない、ということをぼんやり知っていたので、頭を支えるようにして抱いた。
ソファーに座ると、助産師が隣に座ってきて、授乳のレクチャーが始まった。
「じゃあ、左側からやってみましょうか。昨日やったように、こうやって…」
このセリフで、リサコは出産から少なくとも1日以上経っていることを知る。これまでもとんでもない体験をしてきたが、時間が飛んだのは初めてだった。今回はいままでとルールがちょっと違うのかもしれない。用心しないと。
赤子は一生懸命、リサコの乳に吸い付いてきたが、いかんせん、顔が見えない。どうにもうまく乳を飲ませることはできなかった。
リサコが焦っていると、「理沙子ちゃん、昨日より吸うのが上手になりましたね。お母さんも吸ってもらうと自然とお乳は出てきますから、そんなに焦らないでね。」
やはり、この赤子は「理沙子」なんだ。
他の母親たちもリサコと同様、授乳に苦労している様子だったが、授乳室には幸せな空気が充満していた。どの母親にも、もちろん赤子にもしっかりした顔があり、普通の人間に見えた。
彼女らは時々お互いにおしゃべりをして、仲がよさそうだった。リサコは辻褄が合わないことを言ってしまうのではないかととの恐怖心から、他の母親たちとは距離を置き、会話だけを全力で盗み聞きした。
赤子の理沙子が十分に乳を飲めなかったので、看護師さんがミルクを作ってきてくれて、哺乳瓶で飲ませることになった。
赤子の口の場所を予測して、哺乳瓶の乳首を当てると、グビ、グビという振動が伝わってきて、赤子がミルクを飲んでいることがわかった。哺乳瓶だと上手に飲めるのか。
大人だったら一口で飲み干してしまうくらいの量を、赤子は5分以上かけてゆっくりと飲んだ。
「低酸素状態で産まれて来たので心配でしたけど、特に問題なさそうとのことで、よかったですね。こうしてミルクをちゃんと飲んでくれていれば安心ですよ。」
なるほど産まれた後、何か様子が変だったのはそういうわけだったのか。おそらく小児科の先生に説明を受けたのだろうが、リサコにはその記憶はなかった。
ミルクを飲み終わると、赤子は静かになった。顔が見えないのでわからないが、おそらく寝てしまったのだろう。リサコはそっと彼女をベビーベッドに戻す。
部屋に戻ると、リサコはどっと疲れてしまった。赤子の父親が何か話しかけてきたが、彼女に彼の相手をしている余力はなかった。
そのままベッドに倒れこむと、リサコは意識を失った。
・・・・
「おあかさん?おかあさんっ!!」
突然声がしてリサコはハッと我に返った。黒こげの目玉焼きが目に飛び込んでくる。煙がもうもうと出て今にも火が付きそうだ。
あわててガスを止め、フライパンごとシンクにつっこみ水を流した。ジュゥウゥウと音がして台無しになった真っ黒な目玉焼きから蒸気が上がる。
あぶないところだった。ほっとして振り返ると、10歳くらいの女の子が立ってた。女の子の顔は例のザザッ ザザッだった。
「どうしたのお母さん、大丈夫?」
女の子は心配そうな怯えたような声を出した。リサコは今にも悲鳴を上げそうな気持ちをぐっと飲みこみ、やっとのことで声を出した。
「……大丈夫。ちょっとぼーっとしちゃって。」
「お母さん、具合悪いなら、少し休んでいて。朝ごはんなら私が用意するから。」
娘と思われる女の子が、リサコの腕をとり、ソファーまで連れて行ってくれる。そう、ここは、リサコが慣れしたんだ、あのリビングルームだ。
ソファーに横たわると、いくらか思考が戻って来た。目の前に置いてある新聞を持ち上げて日付を確認する。
2003年6月12日(木)
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