四、反復 (3)

 2003年…。ということは、9年?出産から9年か?また時間が飛んだのだろうか。


 これは異常なリサコの人生の中でも、最も異常な事態だ。どう対処したらよいのかさっぱりわからない。


 今までもとても現実とは思えない出来事ばかりだったが、こんなのは本当に現実とは思えない。夢なのだろうか??リサコは今、夢を見ている?


 リサコはこうなった経緯を思い出そうと、記憶の引き出しをほじくり返す。気持ち悪いヤギがいたのは覚えている。そいつが、何か言ったような?覚えていない。あのヤギにこの夢を見させられているのか?


 「お母さん、朝ごはんできたけど、食べる?」


 体を起こすと、食卓にトーストや卵焼きなどが並んでいた。リサコはうなずくと、重たい体を持ち上げて、なんとかテーブルにつく。それと同時に、例のノイズ男が入ってきて、椅子に座った。


 そこは、リサコの父親、幡多蔵が毎日座っていた位置だった。全身の血液が地面に吸い取られていくような感覚。この男は…、こいつは幡多蔵なのだろうか???


 男が席につくと、娘が新聞を持ってきて彼に渡した。男は、無言でそれを受け取ると、読みながら食べ始めた。


 間違いない。この男は、幡多蔵だ。そして、この娘は、私……。私なんだ!!


 ふわーっと気が遠くなる感覚がして、リサコはまたもや気を失いそうになった。ダメだ!ここで気を失っては、どうなるかわからない。


 リサコはぐっと理性にしがみつき、味のしない朝ごはんを食べた。噛んで飲み込む。噛んで飲み込む。


 ああ、味のしない食事をここで何度繰り返して来たことか!!!もう二度とここには戻ってこないのかと思っていたのに!!!


 リサコの中に「絶望」の二文字がドサッと音を立てて落ちて来た。


 普通であれば朝の時間は慌ただしく過ぎるものだが、今のリサコには百万年にも感じられた。ようやく娘と幡多蔵が家を出ていき、リサコはひとりになった。


 よし、家の中にこの状態を把握するヒントがないか探してみよう。できるだけ早く脱出したい。こんなのが現実なわけがないのだ。必ず出口はあるはずだ。


 家じゅうのドアというドアを開けてみたが、別の世界へ繋がっているようなところは見つけられなかった。我が家はリサコの記憶にあるとおり、どこも不自然な箇所がない、どこからどう見ても、リサコの家だった。


 今は2003年。パソコンは?あるはずだ。押入れを探してみると、箱に入ったままのパソコン一式が出て来た。ありがたいことに、プロバイダの契約書も一緒にしまってあった。


 パソコンを立ち上げると、初期設定から始まった。本当に、買ってから一度も使っていなかったんだ。インターネットの接続は電話線をモデムにつなぐところからやらなければならなかった。二階の廊下にある電話回線の差込口を使って、リサコの部屋へとケーブルを引き込む。リサコの部屋というか、今の理沙子の部屋であるのだが。


 ここで笑いが込み上げてきた。うふふふふ、そうか、そうだったのか。


 かつてのリサコがブログをやろうと思い立ち、パソコンを引っ張り出してきて設定したとき、線をつなぐだけで、最初からインターネットにつながっていた。その時は何とも思ってなかったけど、こうして、母さんがこっそり使っていたのかもしれない、本当に。


 毎回モデムを外して、押し入れに隠し…。母と娘は同じことを繰り返していたのかもしれない。


 インターネットをつなぎ、検索サイトを開いた。さて、何を調べる??もしも、ここから例のブログに書き込みをしてきた「R」を見つけられたらよいのだが、手掛かりは何もない。リサコが使っていたブログサービスも、2003年にはまだ始まっていなかった。


 良介は?どうかな。彼の話が本当なら、この世界には良介は存在していないかもしれない。いたとしても、まだほんの小さな子供だろう。


 茂雄は?茂雄は確か、このころは時計職人をやめて、喫茶店をしているはずだ。茂雄の喫茶店の名前は何と言ったか。忘れてしまった。というか聞いていなかった。


 とりあえず、茂雄の家があった付近の商店街を探したらあるかもしれない。記憶にある町の名前と「喫茶店」というキーワードを入力してみる。


 まだ、個人商店などはホームページなど持っていない時代だ。情報が出てくるか、期待はしていなかったが、商店街のロードマップのようなものを見つけることができた。


 地図を開く。通信速度が遅いので、じれったいほどゆっくりと、少しずつ画像が読み込まれ表示された。


 喫茶店は、二つあった。「喫茶メロディ」と「カフェ時間の森」。リサコは時計を見た。午後2:30。


 だめだ間に合わない。もう少しで小学校が終わる時間だ。明日、明日行ってみよう。


 娘が帰宅し、リサコは夕食を作り、幡多蔵が帰ってきて、夜になり、みんなが寝静まった。幡多蔵は暴力を振ることはなく、そのかわり、ほとんど家族が見えていないかのように、風呂に入り、食事をし、テレビを見てそして寝てしまった。


 そうだ、父さんはずっとこんな人だった。家にいてもほとんど存在のない人。赤子が産まれたときに喜び涙声になっていた男性と、ここに暮らす幡多蔵は同一人物なのだろうか?自分に生みの親がいた話なんて聞いたこともないが、ありえない話ではない。何しろ顔が見えなかったので何とも言えない。


 あの男性が幡多蔵になったのであれば、この9年間でいったい何があったのだろうか?失われた時間。このころの両親がどういう関係だったのかあまり思い出せなかった。


 リサコは幡多蔵が眠る寝室には行かずに、理沙子のベッドにもぐりこんで一緒に寝ることにした。中学生くらいになるまで、母親はこうやって一緒に寝ていたように思う。

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