四、反復 (1)

 腰回りに激痛を感じ、リサコは我に返った。薄暗い部屋で、どうやらリサコはベッドに寝そべっているようだ。


 耐え難い痛み。ナニコレ?


 ぐうぅぅぅ、、、と耐えていると、すっと痛みが引いた。


 それと同時に、看護師のような人が入ってきて、「点滴の針だけ入れさせてくださいね。」と言った。


 ここは病院か?自分は怪我でもしたのだろうか?看護師が慣れた手つきでリサコの腕に針を刺す。


 状況が全くわからない。わからないのだが、再び猛烈な痛みがリサコの体を支配し、思考が停止する。


 息ができないほどの痛み。こんな痛みは今まで経験したことがない。父親にさんざん痛めつけられてきたリサコであるが、これは次元が違う。どのような姿勢でこの痛みを耐えたらよいのか見つけられず、リサコはベッドの上でただただ悶えた。


 そんなリサコの様子にはお構いなしに、看護師はいたって冷静に作業を続けている。

 「子宮口チェックしますね。」


 そう言うと、彼女は問答無用にリサコのズボンとパンツをおろし、股の間に手を突っ込んで来た。


 激痛!!!!!!

 思わず「ギャアア!!」と叫び声が出る。


 「自宅でよく頑張りましたね、8cmくらい開いています」


 リサコを自分の体を見る。腹が異様に膨れている。


 私は、今、妊娠してる!!!!????これは陣痛か!!!???


 何となく状況がわかってきた。また違うリサコが始まったのだ。それにしても、なぜ出産中???せめて、もう少し前から始まってほしかった!!!


 再び激痛がリサコを襲う。陣痛は未知なる領域へと突入したようだった。さっきまでの「今まで経験したことのない痛み」は、まだまだ序の口だったのだ。


 数分おきにやってくる骨盤の痛みは、もはや言葉では表現でするのは困難な代物となった。よく、スイカを鼻から出すようだと言うけど、リサコは、そうじゃないと思った。


 これは、何と言うか…大勢の人が骨盤をつかんで、せーので四方八方に思い切り引っ張っている感じ??


 その度にリサコの理性はぶっ飛んで、「ぎゃぁぁっぁ~~!!!」と自分でもびっくりするような声を出していた。


 骨盤が砕けそうだ。


 ベッドに寝ているのではとても我慢ができず悶えていたら看護師のお姉さんが、胡坐の体制になってみましょうか、と教えてくれて、そうしたら少し楽になった。――いや、看護師じゃない。この人はおそらく助産師だ。


 でもやはり無理…!!! と思っていると、今度はベッドから降りて柵につかまり、椅子にまたがって座る体制になってみましょうと、言われた。


 ここで初めて気が付いたのだが、この部屋にはもう一人、見知らぬ男性がいた。その人が、後ろからリサコの腰を支えている。


 誰?


 しかしリサコには、この男性を確認している余裕はなかった。誰でもいい、とにかく支えてもらっているのが心強く感じた。


 椅子にまたがり、数分おきに襲ってくる痛みに雄たけびを上げる。


 「痛みが来たら『アー』ですよ、息を吐けますから」と助産師さんが教えてくれる。


 リサコは吠えた。


 アァァァァアアァァ~~~~~~~!!!!!!


 リサコを支配しているのはもはや本能のみであった。太古の昔、人類がまだ道具を使う前から脈々と繰り返してきた一大イベント。


 アァァァァアアァァ~~~~~~~!!!!!!


 リサコは一匹のサルだった。出産の痛みに耐えて吠えている一匹のメスザル。ホモサピエンスだ。


 ア”ァァァァアアァァ~~~~~~~!!!!!!


 なぜかこのとき、ドラゴンボールの孫悟空が月を見て大ザルに変身し吠えているシーンを思い出していた。あは、あは、あは…とリサコは変な笑い声を発する。


 陣痛の感覚はどんどん短くなり、痛みが襲ってくる度に下腹部に力が入り、イキみたくなる。


 「まだイキんじゃダメ、がまんして」助産師が言う。


 いきなり出産をしているリサコには何の知識もなく、これからどうなるのか想像もできなかった。とにかく本能にまかせて産むしかない。


 地獄のような時間だ。いったいいつまでこれが続くのだろうか。これ以上続いたら、発狂するかも!!と思った瞬間に、バシャっと音がして、股のあたりが生暖かくなった。


 「あああ、破水した…!!!???」

 「はい、じゃあ、分娩室に行きます!」


 リサコは助産師と見知らぬ男に支えられ、なすがままに部屋から出る。部屋から出ると、明るい病院の廊下。数歩いった先に、どうやら分別室があるようだった。


 すぐ隣なのに、遥か彼方にある分娩室…。その間も数十秒おきに激痛が襲ってくる。


 やっとの思いで分娩室に入ると、分娩台がこれまた遠い…!!! リサコは分娩室の床にへたり込んでしまった。分娩台が高い…。登れる気がしない…。


 「登れそう?」

 「登ります…」


 リサコは力を振り絞って分娩台へと登った。文明社会の分娩台。さすが。握りやすいところにバーがある。これならできそう…。


 リサコはイキみ始めた。


 イキみ始めると、不思議と骨盤の激痛はなくなり、イキみたいという猛烈な欲求が数秒おきに襲ってくるようになった。その本能に逆らうことなく、イキむ。


 このへんから、出産は赤子との共同作業なのだという感覚が強くなってきた。うーーんとイキむと、おなかの子も外へ出ようと頑張っているのが感じられた。


 最初はイキみ方がよくわからなかったけど、イキむ前に息を大きく吐いてとか、どこに力を入れるのかとか、助産師さんが的確なアドバイスをくれて、だんだんコツを掴めるようになった。お腹に力を入れるのではなくて、股の先っぽに力を入れるようにするのだ。


 分娩台でのイキみ合戦は、とてもエキサイティングで、アドレナリンが放出され、リサコはまさに分娩ハイになり始めていた。


 助産師さんが「髪の毛が見えます」「頭が出てきましたよ」と声をかけてくれて、早くわが子に会いたい一心でリサコはイキんだ。


 「よし、もう出る!外科呼びます!」

 助産師さんの掛け声で、外科の先生が入ってきて、ハサミを手に取ると、リサコの股をチョキンチョキンと数カ所切った。もちろん麻酔なしで切ったわけだけど、アドレナリンが出まくっていたので全く痛くはなかった。


 切った瞬間に、デロ~っという感覚があり、あっけなく出産祭りは終わりを迎えた。


 「う、産まれた…!!!????」


 なぁぁーー、という可愛い声がして、リサコは赤子が無事生まれたことを知った。


 産まれた!!!私の赤ちゃん!!!


 ん?私の赤ちゃん??


 忘れていたが、リサコの横には見知らぬ男性がいた。もしかして…この人が赤ん坊の父親だろうか?斜め後ろに立っているので顔が確認できない。「がんばった、よくやった。」と繰り返し言っている。もしかしたら泣いているのかもしれない。


 本当によくやったよ、私。リサコも男性に同感だった。


 しかし、何か様子がおかしい。赤子が産まれたのは確かだが、最初のひと泣き以降、声が聞こえず、リサコの元にやってくる気配もない。


 部屋の隅で、ピッピッピッピッというクリック音がし、助産師たちが、60とか70とか数値を言っているのが聞こえてきた。リサコのところからは赤ちゃんが見えないので、横にいる男性に聞いてみる。


 「動いてる?」

 「うん。でも酸素マスク?みたいなをしている。」

 「何してるの?」

 「わからない…」


 その間、リサコは股をひろげたままで、麻酔注射をされ、切ったところを縫われていた。それも地味に痛かった。


 いや、もう出産って痛いってもんじゃない。もう二度とごめんだ。特に、こんな、いきなり始まるやつは…。


 しかし、赤子は大丈夫なのだろうか?


 向こうの方で、助産師さんたちが「小児科の先生を呼びました。すぐ来るそうです。」と言っているのが聞こえた。うーん??先生が呼ばれたのか???


 「ごめんなさいね。本当は赤ちゃんをお母さんのところに連れて来たいんだけど、今ちょっと処理をしてて、赤ちゃんの安全を考えてお母さんの抱っこは後にさせてください。」


 助産師が言いに来た。そうこうしているうちにリサコの股のキズの処置も終わり、赤子は別の部屋に移されて、分娩室にはリサコと、例の男性だけになった。


 男性がそばに来たので、ようやくゆっくりと顔を確認することができた。そして、心臓が止まるかと思うほどギョッとした。


 男性には顔がなかったのだ。

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