三、双頭 (4)

 ちょっと、ちょっと待ったぁぁああぁぁ!!!!!


 もう一度、同じ声が響いた。世界中に聞こえるのではないかと思えるほどの音量。体験したことがない音量だ。


 テレビの映像は原子のズーム中で一時停止状態になってしまった。マシュマロ君が耳をふさいでリサコの膝のポテトチップスの中に顔をうずめる。


 リサコ、こっちにおいでぇぇぇえええっ!!!!


 得体のしれない声に自分の名前が呼ばれて、リサコは生きた心地がしなかった。マシュマロ君と同じように耳ふさいで彼の上に体を折り重ねた。


 リサコ、こっちにおいでぇぇぇえええっ!!!!


 再び声が言った。音が巨大すぎて息ができない。限界を超えた爆音を浴びると、人は息もできなくなるのだと、リサコは初めて知った。


 リサコぉぉぉおおおおぉ!!!!!


 声は続く。このまま続いたら鼓膜が破れるかもしれない。鼓膜どころか、脳みそも破壊されそうだ。リサコは耳をふさいだまま体を起こすと、首を伸ばして声のする出口を覗いてみる。廊下が途中で曲がっていて先が見えない。


 リサコ、痛くしないから、おいでぇぇぇえええっ!!!!

 おいでよ。おいでぇぇぇええ~。

 おいでったら、おいでぇぇぇええ~♪。


 バカでかい声は、世界をバリバリ言わせながら、こともあろうか歌いだした。オペラ歌手の千倍くらいの迫力だ。たまらずリサコは力いっぱい声を出して声に答えた。


 「わかった、行くよ!そっちに行くから、お願い、お願い黙って!」


 その声は爆音にかき消されて全く聞こえなかったが、ピタっと歌が止まった。ボワーーーっと耳鳴りがする。


 マシュマロ君が顔を上げてリサコにしがみつくと何度も首を振って、行くなと警告を発した。リサコはそんなマシュマロ君の頭を撫でてから彼を押しのけ立ち上がり、声のした方の出口に向かった。


 マシュマロ君が追いかけてきた。リサコを制するのかと思いきや、彼女にプラスチックの棒を手渡した。リサコは大事な武器を忘れていたのを恥ずかしく思い、マシュマロ君にお礼を言った。


 リサコは正しい握り方で棒を掲げて廊下に踏み出した。廊下に出ても棒はまだ変わらなかった。マシュマロ君は部屋から出ないでそこで待っているつもりらしかった。


 うん、その方がいいよきっと。誰かしらないけど、向こうの奴が呼んでいるのはリサコだけなんだから。


 リサコは廊下を慎重に進んでいく。しばらくソロソロと進んで、直角に廊下が曲がるところまで来た。リサコはゆっくり曲がり角から顔を出して向こうの様子をうかがう。数メートル先に部屋が見えた。


 中は薄暗いピンク色をしていて、壁中に何か飾ってあるようだった。奥の方に人影らしいものがあるが、暗くてよく見えなかった。


 心配ない、早くおいでぇぇぇえええっ!!!!


 また声がした。不意を突かれてリサコはまたビクっとする。これでは心臓がいくつあっても足りない。


 「そっちに行くから、お願い、もっと小さい声で喋ってくれる?」


 相手に通じるか全く自身がなかったが、ダメ元で言ってみた。通じたのかどうかはわからないが、向こうはそれ以上何も言わないようだった。


 リサコは棒を握りなおすと、ゆっくりと部屋に向かった。部屋の前で一度足を止める。


 学校の教室くらいの大きさの部屋だ。部屋からはお香のような匂いが漂ってくる。壁の飾りはピンクの照明のせいでよく見えないが、なんだか懐かしい感じ。もっとよく見たいという衝動が湧いてきた。


 部屋の正面に何かが胡坐をかいて座っていた。人と同じくらいの大きさかと思われる。その隣にもっと小さい何かがうずくまっているようだった。リサコは意を決すると、ついに部屋に足を踏み入れた。


 途端に棒が刀に変わった。リサコは刀を構えた姿勢で部屋を進む。壁に掛かっているものを見て、リサコは足を止める。


 !!!!


 良介の部屋にかかっていた時計だ!しかも…、本物に見えるけど、これ全部、絵だ!


 リサコは猛烈なホームシックを感じながら絵で描かれた時計を眺めた。正面の壁にも時計の絵が描かれていたが、リサコが見ていると、突然、それらがクルクルクルと回転し変形し始めた。そして中心に集まると、巨大な鷹の絵へと変化した。


 その鷹は、茂雄の家のリビングにあったタペストリーの鷹であるとともに、良介が作っていた機械仕掛けの鷹と同じものであった。


 リサコはしばらくすべてを忘れて鷹の絵を見上げていた。


 すると、何か物音がした。鷹の下、正面にいる何かの方から聞こえて来たように思えた。


 リサコは目を凝らしてそいつの正体を見極めようとした。が、その姿を確認するには暗すぎてよく見えなかった。リサコはさらに足を進めてそいつに近づいて行った。やがて、そいつの姿が暗がりから浮かび上がってくると、リサコの全身に鳥肌が立ち始めた。


 そこにいたのは双頭のヤギだった。良介が作っていたものによく似ているが、似て非なるもの…。


 正確に言うと、双頭になりかけのヤギだ。リサコはこれ以上気味の悪いものを今まで見たことがなかった。そいつはヤギによく似ているがまったく違う生き物だった。ヤギそっくりなのが腹立たしいくらいだ。


 頭にはツノが二本生えている。耳は普通の位置に二つ。その下にはヤギで言うところ額があり、さらにその下には、この生き物の部位でおそらく一番気色悪い「目」があった。


 目は三つあった。まさに顔が二つに分かれる途中のような形状。


 あまりに不気味で一秒間ですら見ていられないのではっきりはわからないが、目は黄色だった。黒目は横に伸びて歪な楕円形をしている。


 この眼を長時間見ていると、石になってしまうのではないと思われるほど、気味が悪かった。


 目の下にはこれまた気持ち悪い鼻がある。鼻の穴は四つだ。その全てからモサモサと茶色い鼻毛が出ている。


 その鼻毛をさっきからべろべろ嘗めているのがこいつの真ん中の口から出てくる巨大な舌。こいつには目と同じで、口が三つある。口も目と同じくらい不気味だったがまだいくらかましな気がした。


 それぞれの口には人間と同じような唇と歯が生えていた。そして口の周りには、鼻毛と同じような茶色い毛がモサモサと生えている。


 ヤギの身体はぽっこりしたおなかで、短い両手足がついていた。リサコはそれを見て場違いにも笑いそうになってしまった。笑ったりしたらどうなるかわからない。リサコは舌を噛んで寸でのところで笑いを飲み込んだ。


 足は短いながらに胡坐をかいていて、大量のぺんぺん草の上に座っている。ヤギのお尻が触れているあたりのぺんぺん草は、腐っているのかドロドロした感じになっている。それを見ていると吐き気がしてきた。


 あわててリサコはヤギの傍らにいる小さな生き物に視線を移す。こちらはおかっぱの日本人形みたいな子どもだった。と言っても本物の子どもではない。子どもにしては小さすぎるのだ。


 じっとしているので一瞬ただの人形のように見えるが、よく見ると時々瞬きをしているのがわかる。彼(彼女?)は可愛らしい柄の着物を着て、ぺんぺん草の花束を抱えている。人形の足元にも若いぺんぺん草がびっしりと生えている。


 この草はいったいどこから栄養を取っているんだろう。リサコはそう思ってぺんぺん草の生え際を観察した。ぺんぺん草は、ヤギと人形の周りだけに生えていて、リサコの立っているあたりには全く生えていなかった。


 ぺんぺん草の生え際のあたりまでは床にも時計の絵が描かれていて、どうやら絵がないところに草が生えているらしかった。


 ぺんぺん草は、絵のあるところには生えないんだ。


 壁や天井にも一面、良介の時計の絵が描いてある。描いてないのはこの変な生き物がいる周りだけだ。この絵はもしかしたらこの生き物とぺんぺん草を閉じ込める効果があるのかもしれない。


 …………


 この奇妙な部屋と生き物の観察に我を忘れていたリサコはようやく小さな物音がするのに気が付いた。リサコはあわてて刀を構えなおすと、物音に神経を集中する。


 ……に……ロ………は……よ。


 また聞こえた。とても小さい音でよくわからないが、どうやら人の喋り声のようだ。


 リサコは眉間にしわを寄せてさらに耳をそばだてる。さっき何度も繰り返された大声のせいで耳鳴りがしていて注意すればするほど聞こえなくなってしまう。


 そ…に……ロ……ては……よ。


 声が少し大きくなった。それでも何を言っているのかはわからない。しかし、どうやらヤギの方からこの声が聞こえるらしいことがわかった。


 喋っているのか?こいつが?


 リサコは刀をヤギに向けて、かろうじて見るのを我慢できる口へと視線を移した。口は何やらモゴモゴ動いているように見えた。やっぱりこのヤギが喋っているんだ。

 「今、なんか言った?」

 刀をつきつけたまま、リサコはヤギに話しかける。


 そ…なにジロ………ては…よって……ってるの!


 間違いない、声はヤギから聞こえてくる。リサコはイライラしてきた。刀を構えるのをやめ、肩手を耳に当てる。

 「は? そんな小さい声だと聞こえないよ。」


 そんなにジロジロ見ては失礼だよってぇぇぇえええっ!!!!

 言ってるのぉおおおぉぉ!!!!!!!


 突然ボリューム最大でヤギが怒鳴り、不意を突かれたリサコは後ろにひっくり返った。


 うるさいと言ったり、聞こえないと言ったりぃいいぃぃいい!!

 お前の耳はどうなってんだぁああぁぁぁ!!!????


 ひっくり返ったままの姿勢でたまらずリサコは耳をふさぐ。

 「鼓膜が破れる! 今すぐ黙って!」


 なんだ、おまえ。難しい生き物ぉぉおお。

 これくらいの大きさではどうだあぁ??


 リサコは起き上がると、手のひらを下に向けて手を動かし、もっと小さくを伝えた。


 「じゃあ、これくらい?」


 うん、まあいいだろう。リサコは頷く。

 「私と同じくらい大きさで喋ってくれればいいのに。これだとあんたには聞こえないの?」

 リサコはヤギをあまり見たくないので壁の絵に視線を走らせながら訪ねた。


 「リサコの声はよく聞こえる。ボクにはさっきの声と今の声の区別があまりわからない。」


 ははぁん。調節が効かないのね。おおざっぱなんだ。

 リサコは何となくこの不気味な生き物が自分より下等であるような気がして、心の中で優越感を感じたが、できる限り表情に出さないように無駄な努力をした。


 「それで、私を呼んだのはなぜ? 今からとっておきのビデオを見るとこだったのに。」


 「あんなビデオはいつでも見れる。僕はね、ずっと待ってたんだよ、リサコが来るのを。何世紀も、何億年も、ずっとここで待っていたんだ。」


 そう言うとヤギの気持ち悪い三つの目が同時にビガァァッと光り、リサコの体を包み込んだ。


 その光をまともに受けてしまったリサコは、たちまち体がしびれて動けなくなってしまった。咄嗟に刀を構えたが、力が入らず、膝をついて、ぐったりした姿勢になる。


 ああ、、かぐや姫のお迎えが来た時の男子たちってこんな感じ?


 この状況と全く関係ない妄想がリサコの脳裏を駆け巡った。


 そして、リサコは気を失った。

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