三、双頭 (2)

 リサコは最後の数百メートルを全速力で走って、良介そっくりの少年の元へと急いだ。少年が目の前に迫ってきて、リサコはさっきの確信がまた疑惑へと変わるのを感じた。


 良介……… じゃないかも。


 だって何の反応もなく突っ立てる。本物の良介だったらこっちに走ってきてもよかろうものを。


 リサコはとうとう少年の元に到着した。息があがってゼイゼイ言った。リサコは膝に手をついて何度も深く息をした。


 良介にそっくりな少年は黙って息を整えるリサコを見ていた。リサコはようやく落ち着くと、顔をあげて少年を見た。本物の良介よりだいぶ幼いようだ。やはりこれは良介じゃない。


 「あんた、誰よ。」リサコは少年に話かけてみた。イライラした様子を抑えることができない。良介の姿が使われていることが不愉快だった。


 少年は返事をしなかった。彼は黙ったまま手まねきすると、くるりと後ろを振り返って歩き出した。仕方ないのでリサコは少年の後を追った。黙って歩いていると、さっきの怒りも消えていった。だってここまで来てしまった彼女にはもう、この空間に身をゆだねる他の道はないのだから。


 良介にそっくりな少年はひたすら歩いて行く。この廊下はどこまで続いているのだろうか。少年と遭遇という大きな変化を迎えて少しは進展があるかと期待したのだが甘かった。いくら目を凝らしても、この廊下の先には何も見えなかった。ただ、迷いのない足取りでずんずん進む無言の少年がリサコに勇気を与え始めていた。


 うん、私の行動に今のところ、間違いはない。はず。


 やがて、最初にこの少年が見えたときのようにかすかに何かが見え始めた。少年が振り返って前方を指差した。

 「見えたよ。あそこに行くんでしょう?」

 リサコが話しかけても少年はなにも言わなかったが、自然な動作で彼女の手を握った。


 二人は黙って手をつないで歩いた。少年に触れても、先ほどソファーに触った時みたいな嫌悪感はなかった。ただ、人とは違う感触だった。もっとこう、弾力があって少し冷たい。マシュマロみたいな感触だった。リサコはこの少年を心の中で《良介》と呼ぶのをやめてマシュマロ君と呼ぶことにした。


 やがてリサコには黒いドアが見えてきた。よかった。また誰かが増えるだけだったら気がめいってしまうところだった。これできっと別の場所に行けるんだ。ドアはぐんぐん近づいてきて、やがて二人の目の前に立ちはだかった。この廊下の終点だ。


 いったいどれくらい歩いたのだろう。こんな廊下がある建物ってどんなだろう。リサコの家の中にこんな空間があるとはとても思えない。そもそも、この廊下を現実の建造物と考えることが間違っているのかもしれない。


 マシュマロ君がポケットから鍵束を取り出した。何十本もの鍵がじゃらじゃらと付いている。その中から一本選ぶとそれをリサコに渡した。そしてドアを開けろと仕草で示した。


 この子、喋らないんじゃなくて、喋れないんだ。


 「いいよ。開けるのね。」


 少年は頷いてから、リサコの手を指差し、何かを握る仕草をした。それでリサコは思い出した。ああ、刀。忘れてた。危ない。


 リサコは正しい持ち方で棒を握るとドアに鍵を指して回し、鍵をあけた。マシュマロ君が手を突き出したので、鍵を返してやる。リサコはそっとドアを開いた。ドアの向こうには予想を大きく裏切る風景が広がっていた。


 まるで西部劇に出てきそうなゴツゴツした砂漠。荒れ果てた大地がどこまでも続いている。少年が再びリサコの手を取り、ドアをくぐって外へ出た。リサコも続く。外に出たとたんに、また棒が刀に変わった。素足に砂のざらざらした感触が伝わり、大地は太陽に照らされて熱かった。


 少年が空を指差したので見ると、真黒なヘリコプターがちょうど真上でホバーリングし、降りてくるところだった。ヘリコプターを認めた瞬間にバババババババと物凄い音が始まって、風がぐるぐると舞いだした。ヘリコプターは騒音を発しながらゆっくりと降りてくると、やがて地面すれすれで止まった。着陸はしないつもりらしい。


 少年が先にヘリコプターに乗り込もうとしたが、首をかしげて立ち止まった。リサコが横からのぞくと、そこには頑丈そうな鎖がかかっていてハッチが開かないようだった。少年が困ったようにリサコを見上げる。


 これは予定外だったのね。


 リサコはちょっと考えてから少年を脇へ寄せ、持っていた刀で鎖を断ち切った。思ったより容易く鎖は千切れた。


 ああ、まずいものを切ってしまった、という思いがリサコの心をかすめたが、その気持ちはすぐに消えた。何事もなかったかのように少年がハッチを開けてヘリに乗り込んだので、リサコも続く。


 ヘリの中に入ると刀はまたプラスチックの棒に戻った。ヘリの中は柔らかくて生き物の中にいるようだった。が、不快ではなかった。むしろ心地よい感じだった。リサコは一体どんな奴が運転しているのか興味が湧いて覗いて見たが、操縦席には誰もいなかった。


 リサコとマシュマロ君が乗り込みシートベルトを締めると、ひとりでにハッチが閉じてヘリは再び空へと浮き上がった。操縦席では勝手に操縦機が動いているのが見えた。リサコは窓の外を眺めたが、荒涼とした大地には何もなかった。マシュマロ君が遠慮がちに手を伸ばしてきてリサコの手を握った。リサコはその手を握り返してやった。この指、本当にマシュマロみたいだ。かじりたくなる感触。


 黒いヘリコプターは険しい山を飛び越えてリサコとマシュマロ君を運んで行った。どこに向かっているのか目的地らしいものはまだ見えてこない。人や動物の営みの証となる何かが見えないものかとリサコは眼を凝らしてあたりを眺めまわした。


 山々には動物どころか草木一つなく、無論、人が住んでいる様子もない。空には鳥の姿もなかった。そうしてリサコがキョロキョロしていると、マシュマロ君が彼女の手を引っぱって前方を指差した。その先にはひときわ高い山がそびえていた。


 あそこに向かっているんだ。


 リサコはその山に何があるのか見ようとしたがまだ遠くて何も見えなかった。山頂は雪が積もっているのかうっすら白くなっていて、下の方は茶色。植物が生えているようには見えなかった。


 ヘリコプターは山頂を目指して飛び続けた。近づくにつれ、山頂には小さな小屋のようなものがあるのが見えてきた。


 リサコは少しガッカリしてしまった。何もない廊下をひたすら歩かされたうえに、変なヘリコプターに乗ってやってきたところがあんな小屋だなんて…。ヘリコプターの風で簡単に飛んでしまいそうだ。


 ヘリコプターは山頂に到着すると、ゆっくりと小屋の前の空き地に着陸した。ぎりぎりヘリコプターが着陸できるくらいの狭い土地だ。


 小屋はヘリが巻き起こす風に煽られてバリバリと震えて今にも吹っ飛びそうになっている。錆びついたトタン屋根がブルブルしている。


 ほら、早くエンジンを切らないと飛んじゃうよ!


 ヘリコプターはようやくエンジンを切ると世界は驚くほど静かになった。


 ヘリのハッチが自動的に開いた。少年がヘリから降りるように促したので、リサコは裸足の足を伸ばして地面に降り立った。


 ここは山頂にも関わらずそよそよとしか風が吹いていなかった。地面にはうっすらと雪が積もっていて冷たかった。少年はヘリから降りると、そのまま小屋に向かって歩き出した。リサコもあとを追う。裸足に雪が刺さるような感触だった。


 小屋にはボロボロのドアが一つついているだけで窓はないみたいだった。マシュマロの少年はズボンのポケットからまた鍵束を取り出すと、リサコにさっきのとは別の一本を渡した。


 ドアに鍵を差し込み回すと、ガチャっと重たい音がした。このドア、見た目より重厚なのかもしれない。リサコは鍵を抜き取ると少年に返した。ドアは押して開けるタイプだった。見た目よりずっと重たく分厚い。滑るようになめらかに、ドアは音もなくゆっくりと開いた。


 リサコは小屋に入って中を見回した。目の前の光景に圧倒され、プラスチックの棒を適当な形で持っていたが、運がいいことにここではそれは刀にはならなかった。


 中は思った以上に広かった。意外と広い、というレベルではなく、外から見える大きさと全くもって矛盾している広さであった。


 そこは、まるで観光地にある売店みたいな空間だったのだ。様々な商品が並んでいる。特産物の漬物。缶詰。お土産風の菓子類。用途のわからない工芸品の類。ひょうたんの飾り物がたくさんぶら下がっている。たくさんのキーホルダー。奥の方にはお土産品ではない普通の飲み物やパンなども売っているようだった。


 リサコは品物を一つ一つ観察した。漬物は日本の各地の名産物だった。野沢菜、たくあん、奈良漬け、千枚漬け、らっきょう…。日本各地のものが寄せ集まっているようだった。富士山、蔵王、駒ケ岳、京都、戸隠、どれも見たことのある観光地の名前がついていた。

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