鼻歌大会

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鼻歌大会

司会者はベージュのチノパンに赤いジャケット金色の蝶ネクタイをしている。

感染症対策のマスクは喋りやすいように直方体のようになっており、顔を横から見ると口のあたりに四角い箱がくっついているように見える。


腰まであろうかという長さの髪をかき分けて高らかに宣言した。


「さあ始まりました!北区鼻歌大会!」



会場の北区コミュニティセンターの体育館では、観客の座席用のパイプ椅子が1.5メートル間隔で並んでいる。

観客の前後にもアクリル板で仕切りがされている。



窓と出入口は全て開けてあり、更には換気の為の家庭用の扇風機がぶぅーんと風を起こしている。


「本大会は新型ウイルスが蔓延しても歌唱大会がしたいとの多くの声をいただいて開催しております。本大会は出演者、スタッフ、観客の皆様全員にマスクの着用をお願いし、承諾していただいた方に来場していただき、会場に入る際には体温チェックも行っております」



司会者のマスクは息継ぎの度に凹み、話しだすたびに膨らんでいる。



「それでは、ルールをご説明します。各選手は持ち時間3分で鼻歌を舞台のセンターマイクにて披露していただきます。なお、選手の皆様にもマスクの着用していただいています。全選手が演奏を終えた後、審査員による結果発表を行います」


司会者はニコニコで溌剌とした声で話す。



「審査員は、演歌界の大御所、マダム・パンジーさん。株式会社聴神経研究所よりカールさん。人気動画配信者のモルモッコルさん。以上の3名に審査していただきます!」


審査員は舞台にて紹介されると観客席の最前列の専用席に着席した。


マスクの音は紙風船を膨らませたり潰したりするときのような音で、司会者の説明の間に度々入っている。



「本日は3名の演奏です。それでは、早速参りましょう!エントリーナンバー1番!むらさき周子さん!」


舞台袖から紫を基調とした和服姿で中高年の女性が舞台センターマイク前に来た。



会場の扇風機がスタッフによって一時的に止められた。静寂が会場を包む。


「ではスタートです!」


むらさきは一礼すると大きく息をすった。

会場に注がれるキリっとした鋭い視線が会場を更に静謐な情感に満たす。

会場は何の音も無いはずなのに水が滴る音が響いているかのような氷の洞窟に変わってしまったかのようだった。


「ふふーん。ふふふふふーーん。ふふふーーふふふふふーー」


むらさきは両足を軽く開いて、腕を曲げて力強く握った右手をマイクと自身の顔の前に出し、歌に合わせてリズムをとっている。


「ふふふーー…ふふふーー…! ふふふー…!! ふふふー!!」


会場は次第に盛り上がる鼻歌に緊張感を増していく。


むらさきは右足を更に前に踏み込み、地面を鳴らした。



右手拳にも一層力がこもる。


「ふぅぅううーーーん!! ふうぅぅううううーーん!!」



むらさきの演奏が終わった。


再び世界が一度完全に無音になった。


むらさきは足と手を上品に揃えると、一礼して舞台を後にした。


会場は拍手が沸き起こる。


「ありがとうございました!」



司会は続ける。


「審査員の皆様採点はお済になりましたでしょうか。よろしいようですね。では、続いてはエントリーナンバー2番、高尾高男さん!」



ジーパンに緑パーカーのぽっちゃり系の男性が舞台センターマイクの前にやってきた。


「では、スタートです!」



一瞬の間の後、高尾は両足を揃えて小さくジャンプして舞台をドンと鳴らした。


ドン「っふー!」ドン「っふー!」ドン「っふー! っふ!ふ!ふ!」



このメロディを高尾は3回続けた後、高尾は更に同じメロディながら、次第に大股にして足音を強く鳴らし、音程を高くしていった。


ドン「っふー!」ドン「っふー!」ドン「っふー! っふ!ふ!ふ!」



高尾は目を見開きながら出せる限りの高音をふんふん言いながら絞り出していく。



高尾は最高音の「っふ!ふ!ふ!」を奏で切る!



高尾は急に大股から足を揃え、腰を左右にくねくねと揺らしだす。


それに合わせてメロディも打って変わって低音の落ち着いた地点から音楽がリスタートする。


上り階段を少し上がっては、また少し下の段から上に上昇していく、そんな音程の変化が次第に会場の心を巻き込みながらうねりと上昇気流を巻き起こしていく。


「ふふふーーふふふーー」


「ふふふふふふふふふーーー」


低音からスムーズに高音に達したところで途切れないまま低音に戻っていく高尾。


「ふふふふふふふふふふふーーーー!!」


低音から高音へと高尾の音程が振り切ったところで、最高音を伸ばし続ける。


「ふふふーーーーーーーーーー!」



高尾は最後の伸ばし切りところで、そこまで高くはないが高尾なりに最大のジャンプをする。


ドン!!



四股を踏むような恰好で着地した高尾は両手両足を揃えると会場に一礼し退場した。


巻き起こる拍手。


「ありがとうございました!」



審査員も納得の表情である。


「審査員の皆様採点は…よろしいようですね。では、続いてはエントリーナンバー3番、渋谷成瀬さん!」


スーツ姿の男性が舞台センターマイク前にやってきた。


「では、スタートです!」


鎮まる会場に聞こえてきたのは渋谷の鼻歌ではなかった。


「ピピーピピーピピーバックシマス」


トラック後退時の警告音声だった。


「ピピーピピーピピーバックシマス」


渋谷の顔に焦りが広がる。


トラックの音が鳴りやむのを待つべきか、強硬するべきか。


一瞬の間の間に渋谷は非常に悩んだ。


どうしたらいい。渋谷は考えた。


人類は王政から共和制、立憲君主制や民主主義など様々な国家運営システムを改良構築してきた。


様々な反省や革命などを繰り返して現在に至っている。


しかし実際はどうだ。


民主主義とは形ばかりで、実際には一党独裁であったり、十分に議論がなされないまま時間切れとして数の優位で押し切ったり、都合の悪いことはひた隠しにしすぐに目先の焦点を別の争点に誘導する、論点をずらすなどが頻発している。


確かに少しずつ世界はよくなっていっているのかもしれない。


しかし、歴史は繰り返されるとはよく言ったもので、目先の利益に目がくらんで大衆の理解を得ずに強硬することばかり人類は繰り返している。

紛争や武力衝突、実行支配も依然として無くならない。

それに加えて、新型ウイルスの脅威だ。


渋谷はそう考えた。


自分はそうなってはいけない。歴史を繰り返してはいけない…!乗り越えなければいけない…!


そう、トラックの音が終わるのを待つべきだ…!



「ピピーピピーピピーバックシマス」



まだか、まだなのか。



「ピピーピピーピピーバックシマス」



緊張と焦りで渋谷はもう訳がわからない。


もう1分くらい過ぎたのでないか。


このトラック何回切りかえしているんだ!


その時である。


「かぁ、かぁ、かぁ、かぁ」


カラスの鳴き声がトラックの音に入ってきた。


なんてことだ。


トラックとカラスの演奏になってしまう。


しかし、だめだ。

ここで俺が演奏してしまえば、人類は過ちから脱することができない…!



頼む、頼むから静かになってくれ…!


スタッフが「残り1分」と書かれたスケッチブックを渋谷に提示する。


ようやくトラックのエンジン音が止み、カラスも去っていったようだ。


ここだ!


渋谷は歌い出す!



「んふーーーんふーーー」


次の瞬間更に渋谷に衝撃が走る。



「たけや~さおだけ~」


更にどうやって利益を出しているか分からない竿竹移動販売車も通るではないか。


オリジナルソングを大幅に短縮せざるを得なかったところに鳴り響く「さおだけ~」が更に渋谷を追い詰める。


竿だけと言われても竿だけさえももう待ってられないんだ…!


「うふん、うふん、うふん」


渋谷は焦りとパニックから予定にないメロディを口から出まかせに発音してしまった。


「さおだけ~」


「ふふふふ~」


「たけや~」


「ふふふ~」


「うーーーーーうふん!」



と渋谷は自らの演奏を強制的に終了させた。


やっとの思いで渋谷は一礼すると舞台を降りた。


真摯に向き合い真っ当する姿勢を渋谷は臨んだのではなかったか。


それなのに自分は自らの舞台を大幅に切り上げ、しかも無理やり終わらせてしまった。



落胆とはこのことだった。

対照的に司会者の声は明るい。


「はい!ありがとうございました!以上で全選手の演奏が終了しました。ここで3名の選手の方と審査員の方にに再度登場していただきます!」


計6人が舞台に登場する。

審査員は舞台上に用意された簡易的なパイプ椅子に着席する。

むらさきは表情から自信があふれ、高尾は落ち着きながらも緊張した面持ち、渋谷は魂の抜けたふぬけそのものだった。


「続いては審査員の方にご講評をいただきます。まず演歌歌手のマダム・パンジーさんお願いします」



「はい。まず1番の方は非常にコブシが効いていて大変すばらしかったです。2番の方はもう少しビブラートが欲しかったなという印象です。3番の方は…そうですね。すばらしかったです」


「ありがとうございました!続いて聴神経研究所のカールさんお願いします」


「アー。3人の方ともオンキョウ的に、チョウカク的にタイヘンすばらしカッタですね!トクに3番の方はシゼンの音に自分のエンソウを混ぜるのが、シゼンカイの音には1/fゆらぎといっていやしのヒビキでヒトにとって役立ちます」



「ありがとうございました!続いて人気動画配信者のモルモッコルさんお願いします」



「はい、あのー。僕としては一番あのー、2番の人がグッときてぇ、野生と文化の調和的な?1番の人はもう芸術アミーゴいぶし銀って感じでぇ。3番の人はむしろ前衛的的な?人類の歴史考えるとそうなっちゃう的な?人生かかってる的な?はいまぁ。そういう感じで」


「ありがとうございました!それでは、結果の集計はいかがでしょうか…」



スタッフが司会者に結果の書かれたペーパーを渡した。


「では、北区鼻歌大会の優勝は…」


ドラムロールが流れる。


「…渋谷成瀬さん!!」


会場からは拍手が巻き起こる。司会者が続ける。


「結果は審査員一人100点満点で合算し、合計300点満点です。むらさきさん266点。高尾さん270点。渋谷さん295点でした!では、改めて審査員のマダム・パンジーさんから総括をいただきたいと思います」



「はい。今回の大会は新しい感染症と世界が人々がどう付き合っていくかということが背景のテーマにあります。世界的に密集を避けること、外出の自粛が叫ばれています。その中で芸術やエンターテイメントの役割とはいったい何だろうと考えた時、一つの言説では芸術は人が生きていくのには役に立たない、無駄だ、というものがあります。確かに芸術では空腹も喉の渇きも癒せません。しかし、芸術文化やエンターテイメントは人間の心の豊かさの象徴であり、満たされた気持ち、豊かな気持ち、鑑賞する人々の一体感、調和と融合など世界がより良い明日に向かっていく原動力をもっていると私は信じています。モルモッコルさんが先ほどの講評で渋谷さんの演奏について、人類の歴史的だと述べられていたと思います。人類の歴史は感染症との闘いの歴史でもあります。優勝の渋谷さんは自然の脅威に困惑しながらもなんとか人間として乗り越えていこう、感染症との付き合いを模索しよう、それが芸術表現として最も調和的に表現されていました。また今回の新型ウイルス騒ぎで感染症との闘い自体が初めての人の方が多いでしょう。その中で歴史から私たちは何を学び、どう行動するべきか、もう前進するしかないこれからの私たちは感染症とどう折り合いをつけていくのか、その混乱とあがき、そういったものも表現されていました。それがこの結果だと思います。3名ともすばらしかったです。ありがとうございました」


司会者は大袈裟な手振りで髪をかき上げて笑顔が弾ける。

「マダム・パンジーさんありがとうございました!それでは北区鼻歌大会これにて閉幕です。またお会いしましょう!さようならー!」

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鼻歌大会 makura @low_resilience

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