4. 郷里

「さて、今日も一日がんろう」

「はい。がんりましょう、セイル」


 ここは商業都市国家〈クルゾン〉にあるセイルの事務所兼住居だ。セイルはクルゾンでは名の知れた遺跡冒険家でありようへいである。そのため遺跡調査の依頼や戦闘生物のとうばつなどが主な仕事であるが、それ以外にも様々な依頼があるので何でも屋として活躍している。年齢が若いことに驚く人もいるが実力は本物。荒廃しきったこの世界でセイルは力強く生きていた。

 彼自身気付いたのだが、死へとさそわれたいがために危険な場所に行っていたのではなく、生きる実感を求め、死と隣合わせの世界で生きる、そういうことだったのだと、あの遺跡から生還してわかったのだ。


(イシュタルと出会って変わったな……自分)


 そう日々、思いながら家の前の掃除をする。ただ具体的に何が変わったのかはわかっていない。しかし、何かが自分の中で変わった。時たま、屋内にいるイシュタルの方を見て、道に落ちているゴミをほうきでいていく。イシュタルは部屋の掃除を黙々とこなしていた。



 遺跡の転送装置を使い、帝国軍特別騎甲大隊の追跡を振り切った二人は、クルゾン近くのどうくつの中に転送された。どうやらそのどうくつも《失われた旧世界》遺跡だったようだ。多くの人々は普通のどうくつだと思っている。二人が転送された時、どうくつの外はがちょうどのぼり始めている頃だった。セイルは自分がいる位置を理解すると、すぐにクルゾンへイシュタルを案内した。

 そしてイシュタルはセイルと一緒に住むことになるのだが、イシュタルを初めて見た街の人々は、その姿を見ると皆が振り返り、まじまじと観察していた。イシュタル自身、「周りの人々に監視されているようです」と言うほどだった。

 街の人々がイシュタルを見て、そのような反応をするのは当然だった。銀髪で白い肌を持つ少女なんて見たことある人はいない。それに、街でもそこそこ有名な少年セイルと一緒にいるのだから、様々なうわさが街に流れ、二か月ほどセイルもイシュタルのことでよくからかわれた。今ではだいぶイシュタルの話は落ち着いたのだが、それでもイシュタルの注目度は依然として高い。


 今では、セイルの優秀なパートナーとして知られている。

 

「セイル、今日も朝から掃除かい?毎日えらいねぇ」


 声をかけてきたのは、セイルがお世話になっている商人のラモン・ティズ。薬草や希少鉱物を取り扱っている。


「ラモンさんも朝から仕入れですか?」

「そうだよ。今日はちょっと遠出になるから営業は昼過ぎからかね。用があるときは昼過ぎに来てくれな」

「はい。お気を付けて」

「じゃあね。行ってくるよ」


「ラモンさんも大変だな……」

 薬草は栽培できるものもあるのだが、多くは栽培方法が確立していないため人工栽培ができない。そのため、自然の中から採取しなければならなかった。品種によっては生育場所が限定されているものもあり、野生の戦闘生物と出会う危険もある。鉱物も同様に探すには命の危険がともなう。


「さて、家の前はこんなもんでいいかな」

 掃除を終え、イシュタルは家の中へ戻る。

「イシュタル、掃除終わった?」

「はい。終わりました」


 事務所は二階と地下一階建て。裏庭も含めるとセイル一人で住むには広い建物だ。

 元々ここはセイルを育てたようへい部隊の集合所であり、事務所であったところだ。ようへい部隊が全滅し、ただ一人の生き残りであるセイルが所有権を引き継いだ。武器庫や隠し通路もあり、ここが襲われた時の想定もされている造りとなっている。


「よし、椅子と机を元に戻して……これでよし」

「看板出します」


 イシュタルが事務所営業時間の看板を表に出す。


「今日は予約のお客さんはいないから、訪問してくるお客さんに専念だね」

「はい」


 イシュタルは自身のことについて多くを語ろうとしないが、のために生み出されたということを話してくれた。セイルはこの世界について、知っていることをできるだけ詳しく話し、足りない情報や基本的知識は本を紹介した。特に帝国に関する情報を多く教えた。これは遺跡で戦った相手ということもあるが、ようにイシュタルが帝国に関心を示したためである。帝国建国の歴史や支配者、アカデミーについての情報をイシュタルは求めた。

 セイルがお世話になる情報屋によると、帝国はここ最近多くの国や地域で好戦的な状況であり、軍備の拡張や新技術の開発など今まで以上に力を入れているとのことだ。とりわけ新しい情報なのは、ローブ姿あるいはマント姿をした謎の人達が各地で確認されているということだった。その人達は帝国軍を時に指揮し、時に直接戦闘参加しているとか。おまけにその人達は敵の銃弾や戦闘生物に対し、何ら恐れることもなく向かっていくらしい。なみの人間ではないとのうわさだ。

 

(帝国の軍事活動が活発化している。僕とイシュタルを探しているのか?いや……考え過ぎかな。逃がした二人という理由でそんなことをするわけない。世界統一へ向けて勢いづいているんだ。きっと良くないことが起こる。帝国もまだこの地域まで進出していないけど、フェゾンきょうこくに帝国軍が現れたということはクルゾンも侵攻されるかもしれない。そのことについては自治組織や情報屋にも伝えたけど、いざという時のために備えないといけないな)


 セイルは実弾銃、イシュタルは小型無線機の手入れを行いながら来客を待っていた。


「この無線機はですね」


 イシュタルは無線機のパーツ交換をしている。そのままでも使えることは使えるのだが、イシュタルは独自にパーツを組み替えて改造を加えていく。


「そうかな?この時代のものでは最新だよ。イシュタルがいた時代は、僕らの世界とはだいぶ違うみたいだね。これは帝国軍が最近開発したものらしいんだ。そのうちの一つを武器商人のレイダーから買ったんだ」

「レイダーさんというと、私とセイルが初めて一緒に訪れたお店の店長さんですね」

「そそ。いつもお世話になっている。弾や爆薬は基本的にレイダーから買うからね」


 武器商人のレイダーはセイルと同じく少年だ。正しくはセイルよりも三つ年上で、両親は彼が幼い頃、戦闘生物に襲われて亡くなっている。レイダーは少年ながらも多くの武器を扱っている武器商人であり、爆弾の作り方や戦闘生物について詳しい人だ。イシュタルと一緒の姿を初めて見た時のレイダーの言葉は「お前にはもったいない美人だな」だった。


「これ、無線機っていうんでしょ?どこでも会話することができるなんて便利な道具だね。こんな道具、イシュタルの時代には普通にあったんでしょ?」

「そうですね。音声だけでなく映像も相手に送信することが当たり前でした。この時代は何かと不便です」

「ああ、そういえばあの遺跡でも空中に映像が表示されていて正直、どうなっているんだって思ったよ。イシュタルの時代の人々はすごい技術を持っていたんだね。すごいや」

「確かにすごいですが、今この世界の人々を苦しめている戦闘生物……人工生命体兵器も我々の時代の人々が造り出したものです。申し訳ございません」

「イシュタルが謝ることじゃないよ、大丈夫。どこの世界にも技術を悪用する人はいるもんさ。それが人間なんだ。いい人も悪い人もいる。それが世界なんだ」


 セイルは遺跡で手に入れたレーザー銃を何とか調べてみようとしたが、外見でわかることは何もなく、分解することもできなかった。まあ、分解してもセイルにはわからなかっただろう。戦闘生物に対して高い威力を誇るを放つだけでなく、銃の持ち主を自動で守る機能も付加されている。その機能がなければあの時、ヴェーガに殺されていたはずだ。


「……帝国の動きはどうですか?」

「どうもあちらこちらで戦線を拡大しているようだ。まるで一刻も早く世界統一したいみたいにね。いまだかつてないペースだよ。おまけにこの無線機のように、新しい装備や兵器も次々に開発されたみたい。新種の戦闘生物も目撃されている。情報屋のシエラさんの話では帝国は新しい戦闘生物を戦場に実験投入しているみたいだね」

「ちなみに現在の帝国領土の範囲と帝国が戦闘している地域の地図はありますか?」

「ああ、あるよ。ちょっと待って。確か裏にあるはず」


 セイルは事務所裏にある本棚の方へ向かった。


「うーんと、これじゃない。ここらへんだ。お、これだ」


 セイルは一枚の大きな世界地図を持ってきた。


「これは一番新しい帝国に関する地図だよ」

 そう言いながらセイルは机の上に地図を広げた。そこへイシュタルが歩み寄る。


「ここが帝国。そしてこの赤い色で塗られている地域が帝国領。さらに赤い×印が書かれているところが現在戦闘中の地域。青い△印は帝国軍のちゅうとんや関連施設があるところで緑色の◇印は大きな遺跡がある地域だよ。ただ遺跡は発見されていない場合の方が多いから地図に載っているのは

「これを見ると帝国は大きな国ですね」

「ああ。この荒廃した世界で最初の国家だからね。おまけに《失われた旧世界》の技術もある。そのおかげかな。周りの国へ攻め込んで領土を拡大している。それも遺跡がある場所を狙っているみたいだ。実際、帝国が発掘した遺跡の数は多いから」

「だとすると、帝国は遺跡がどこにあるのか知っているということですね」

「そうかもしれないね。ま、そんなことはないとは思うけど」

「帝国はこちらの方へも勢力を拡大していますね」

「このままだとこの街もいつ帝国に襲われるかわからない……多分、この街を越えた先にある国〈アルカ王国〉を目指しているんだと思う。〈アルカ〉は海上都市国家で海底に遺跡があるんだ」

「海底に遺跡ですか……」

「あそこの国は閉鎖的な国で他の国や地域とほとんど交流がないから、僕もどんな国かは知らない。うわさでは帝国と同じように遺跡の調査をしているって。まあ戦争目的ではないと思うけどね」


 セイルが地図を片付けようとしていると事務所の玄関扉が開いた。訪問客だ。

「いらっしゃいませー」

「いらっしゃいませ」

 セイルの後にイシュタルがお客にあいさつをする。


(この人は初めて見る人だけど、仕事の依頼の意志を固めているっぽいなあ)


 セイルは経験上、すぐにそう感じた。

 見た感じ三十歳前半くらいの男性。セイルはこの男性がぼくちくをしている人だろうと推測した。


「こちらにお座りください」

 イシュタルが男性を席に案内する。


「ありがとう。ちょっとセイル君に相談があって」

「まずはお名前を聞いてもよろしいですか?」


 セイルは男性と向かい合う形で椅子に座った。イシュタルはお客さんのためにお茶をいれている。


「僕の名前はクルス・オートラス。クルゾン近郊でぼくちくをやっているよ」

「それでクルスさん、依頼というのは何でしょう?」

「最近、僕が飼育しているフフポチェックが戦闘生物に襲われるんだ。自分で何とかしようとしてみたんだけど、全然効果がなくてね。このままじゃ僕の生活が困る。そこで、戦闘生物ハンターとしても有名な君に野生戦闘生物の退たいを依頼しようと思って」

 イシュタルがクルスにお茶を出した。

「どうぞ」

「ありがとう」

 出されたお茶をクルスは一口飲んだ。


 フフポチェックは食肉用として広く飼育されている戦闘生物。戦闘生物なのだが、かつてのあるじを失い自然へと帰化、その過程で戦闘能力は大幅に退化している。自然環境に適応し、はんしょく能を発達させた《しんせい種》と呼ばれる戦闘生物だ。基本的に性格はおだやかで、何らきょうにはならない生物である。食肉用として重宝される。

 一方、遺跡内でその姿を昔とほとんど変えていない、強力かつ好戦的な種を《古代種》と呼ぶ。《古代種》は一般的な生物と異なるせいかつかんを有しているようであり、遺跡のおかげなのか〝寿命〟という概念がないように思われる。無機的な性質を持つものが多い。


「クルスさん、依頼は戦闘生物の討伐ですか?」

「そうなんだ」

「戦闘生物の名前はわかりますか?」

「ヴァンキャスだね。数は八体ぐらいかな」


 ヴァンキャスは四足歩行の戦闘生物でありどうもうな性格。人間の生活区に進んで侵入することはないが、今回のように人間が飼っている大人しい戦闘生物を狩ることが多い。時々、人間を襲うこともある。ゆうの性別があるため、はんしょく期、特にめすの凶暴さは特筆すべき事項だ。


「ヴァンキャスですね、わかりました。依頼を引き受けます。日程はいつごろがよろしいですか?」

「そうだね……よくフフポチェックは月の日に襲われるから、明後日あさっての昼一時に来てくれないかな?」

明後日あさっての昼一時ですね、わかりました」


 スラスラと筆を走らせてセイルは契約書を作成する。


「こちらに署名をお願いします」

 筆を渡されたクルスは依頼主名のらんに名前を記入した。

「謝礼についてですが契約書に記載されている通り、前金で二千セトラ、依頼完了時に残りの半額の二千セトラ頂きます」

「うん、わかったよ。はい、これがまえきん

 戦闘生物の討伐依頼は基本的に前金をもらうのが普通で、それに関しては依頼人クルスも理解していた。


「こちらはひかえです。ご契約ありがとうございました」

「ありがとうございました」

「じゃあ明後日あさって、待っているよ」

 クルスはお茶を飲み干すと事務所の外へと出て行った。


「戦闘生物討伐の依頼ですね」

「そうだね。ヴァンキャスの討伐は経験上、問題ない。イシュタルだったら瞬殺してしまうと思うよ。一応これがヴァンキャスの資料」

 セイルは戦闘生物図鑑のヴァンキャスのページを見せた。ページには実際にセイルがそうぐうした時の経験も一緒に書き込まれている。



《ヴァンキャス》

・新生種。ゆうあり。

ちゅうこうせい。活動時間は早朝から夕方であり、夜は寝ている。はんしょく期になるとめすの攻撃性が増す。

・広い地域で生息が確認されている四足歩行戦闘生物。茶褐色の身体で灰色の尾が特徴。

・一般的に人間の姿を見ると立ち去っていくが、人間が飼育している生物は積極的に襲う傾向がある。また彼らのなわりに侵入した人間はようしゃなく襲ってくる。

・鋭いきばと爪が主な攻撃手段であるが、目くらましとして地面の砂をき上げたり、宙へ跳躍して前足の爪による切り裂きを行ったり、死んだふりをするなど油断ならない。

どうたいは食用として利用することができる。引き締まった筋肉は良質な栄養源となり、さらに風邪かぜに対して有効な成分を含んでいる。ただし身体はけものしゅうが強く、においを抜くためには多くのこうていを必要とする。頭部や尾は食用に向かない。

・彼らの消化器官は多くの毒物を解毒することができる。そのため、彼らの消化器官を利用して水を浄化させる装置を作ることができる。



「なるほど、ヴァンキャスについての記録を記憶しました」

「相変わらずイシュタルはすごいね。ヴァンキャスはずるがしこい戦闘生物だからそこは忘れないように。ハンターの中でも、死んだふりを見抜けなくてやられた人もいる。確実に殺さないとダメだ」

「はい」


 お昼になり、セイルとイシュタルは昼食の準備をする。事務所前には《きゅうけい中》の看板が出ていた。

「今日のお昼は三種のざっこくパン、レルデの野菜スープ、ニヌーバの照り焼き。さ、どんどん食べよう。いただきます」

「いただきます。セイルはいつもれいに料理を作りますね。私にもできますか?」

「イシュタルは何でも覚えが早いからね、すぐ覚えることができると思うよ」

 イシュタルはスプーンを使ってスープを少しずつ飲んでいる。彼女は食事をとるのはひっ事項ではないのだが、味覚は備わっている。

「今度、料理を教えてください」

「いいよ。そうだ、イシュタルの初料理の時には他のみんなも呼んで、食事会でもしよう」

「それは少しずかしいですね……」

「大丈夫、大丈夫」


 昼食を済ませると再び営業開始した。

「今日はあと三人くらい来ると思うんだけどな」

「セイル、私は買い物に行ってきます」

「あ、そうだね。お願いするよ」

 冷蔵庫の中身と武器・医療品の在庫を確認したイシュタルは、足りないものを補充するため買い物に出かけた。

 事務所の扉を開いてすぐにイシュタルは左側へ進む。最初の目的地はレイダーがオーナーをやっている武器屋だ。この街で、イシュタルとセイルが一緒に初めて行った店がそこである。レーザー銃を手に入れた今でもセイルは実銃の手入れや射撃訓練を行っている。その弾薬や冒険で使うしゅりゅうだんや設置型爆薬などをセイルはいつもレイダーの店でそろえる。イシュタルの感覚で言えばこの時代の武器はこっとうひんレベルのものだ。



〈レイダーの武器屋〉

「お、イシュタル、いらっしゃい。今日は何にする?」


 ここはレイダーの店。商店街の区画でもはしの方にあるレイダーの店は、しんざんものには入りにくい雰囲気がただよっている。戦闘生物ハンターやようへいがよく利用しており、店の信用は高い。この時代、店を営んでいるのが少年だろうが少女だろうが老人だろうが、関係ない。優れた人は優れている。レイダーはセイルよりも四つ年齢が上で、元々はとうぞくだった。様々な人と交流もあるのでそこから武器を仕入れているようだ。また武器だけでなく携行医薬品類も扱っている。


「このリストの通りに」

 イシュタルは必要なものが記されたリストを彼に渡す。

「了解だ」


 彼はトレードマークである左目のかた眼鏡をかけ直し、受け取ったリストを見る。

「ああ、なるほど。弾を自作するんだね。フェル火薬、フェル火薬……それとカチュラ発火剤、マージの花粉、あと予約していた通常弾を百二十発分ね。医療品としてはちんつう剤のアオバじょうざいを十二錠、三種解毒剤メヌ十二錠、パーシャの葉なんこうだ。確認してくれ」

 イシュタルは用意された商品を一つ一つ確認していく。


「はい、確かにこれで大丈夫です」

「代金は5580セトラだよ」

「はい、これで」

「代金ちょうど。毎度あり。イシュタルもこの街にだいぶ慣れてきたようだね」

「皆さんのおかげです。それではまた」

「ああ、またのご来店待っているよ」



〈商店街第一区 ハルファン通り〉

 食品や薬草などの商店が続くハルファン通りはいつも多くの人でにぎわっている。


「おい、イシュタルちゃんだぞ」

「イシュタルさん、相変わらず美しいですね」


 初めてこの街に顔を出した時ほどではないが、今でもイシュタルは街の注目を集める存在だ。これがセイルの事務所のとてつもない宣伝になり、戦闘生物のとうばつや遺跡調査依頼以外の依頼が増えることになった。イシュタルと一緒に住むことも踏まえて、依頼が増えたことはセイルも嬉しいが、多くの依頼客(特に男性)はイシュタルを見に来るために依頼に来ているようで、セイルから言わせれば「イシュタルを見るために、お金を出す依頼をしなくてもいいのに……」という複雑なしんきょうだ。


「あら、イシュタルじゃないの」


 聞いた覚えがある声。イシュタルが振り返ると黒髪の女性がいた。


「シエラさん、こんにちは」


 その女性は情報屋のシエラ。セイルが長いことお世話になっている情報屋の一人で、かなりセイルと親しい仲である。

「あら、セイルは?」

「セイルは事務所にいます」

「そう。ちょっと気になる情報を手にいれたから近いうちに来てもらうことになるかもね。セイルには一応、そう伝えておいて」

「わかりました」

「それじゃあね」

 突然現れたかと思うとすぐにいなくなる、変わった女性だなとイシュタルは感じた。シエラに出会った後、イシュタルは食品をいくつか買うためパール食品店に寄る。

「…………」

 その後ろ姿を見ている特異な存在に、イシュタルは気付いていなかった。



〈セイルの事務所〉

 買い物を済ませたイシュタルはそのままセイルの事務所へ戻り、シエラに出会ったことをセイルに伝えた。

「シエラさんが何か情報を手に入れたみたいです。近いうちに来てもらう必要があるかもしれない、とおっしゃっていました」

「わかった」

「多分、帝国関係の情報だと思う……あれは、お客さんかな」

「だと思います」


 事務所の前にいるがなかなか入ろうとはしない人がいる。こげ茶色のローブを着ていることから、砂漠越えをしてきた旅人かもしれない。

 セイルは事務所の扉を開け中に入るのを迷っているお客に声をかけた。


「相談だけでもどうぞお入りになってください」

「それではお言葉に甘えて」


 声とときおり見える顔から、女性だということがわかった。ただセイルの直感として普通のお客とは異なる印象を受けた。


「いらっしゃいませ」

 イシュタルはいつものようにお茶をれている。お客が席に座ったことを確認するとセイルも席に座る。

「お客さん、何かお困りごとでも?」

 少しの間を置いてから女性が答えた。

「戦闘生物のとうばつをお願いしたいのです。ただその戦闘生物は今まで見たことも聞いたこともないもので……依頼するのもどうかと思いまして」

戦闘生物ですか?」

 そこにイシュタルがお茶を持ってきた。

「どうぞ。お茶です」

「ええ、見たことないです。その戦闘生物は飛行型なのですが、〈アミュザミス〉でもなく〈グワール〉でもないです。生まれて初めて見ます。口から光る弾を出して相手を倒します。それと、なんといえばいいんでしょうか……他の戦闘生物とは格が違う感じがします。そこに見えるのは恐怖というような」

「恐怖……」

 そこまで聞いてセイルが思いつく戦闘生物は一つしかいなかった。おそらくイシュタルも同じ戦闘生物を思い浮かべているはずだ。

「その戦闘生物が怖くて仕方がないんです。私が住んでいる村のすぐそばまで来ていて、いつ村を襲うようになるのか」

「参考として聞きたいのですが、帝国軍の存在を村の近くで確認していますか?」

「今のところ、帝国軍は来ていません。ただ数日前にしんな人は見ています。旅人ではなかったと思います」


(帝国軍の偵察兵の可能性があるな。〈ヒューヤの道〉を使ってきたということになる。これは非常にまずいかもしれない)

 

「お姉さんの村はどこです?」

「プラム村です」


(フェゾンきょうこくから離れている北の村だが、帝国軍が侵攻している可能性は十分にある。相手がもしヴェーガだった場合どうする?いや、どうせ逃げられない。覚悟は決めなければ)


「わかりました。戦闘生物とうばつの依頼として引き受けます。準備もあるので明日、プラム村に向かいます。契約書はこちらになります。依頼料は前金として四千セトラ、依頼完了後に五千セトラ、さらに不測事態による追加料金が発生する可能性もありますが、よろしいでしょうか?」

 セイルは用意していた契約書を依頼人の女性に渡す。今回の依頼はとうばつ対象がわからないため、割高になるのはしょうがなかった。

「はい。問題ありません。その内容でお願いします」

 女性は契約書に名前を書いた。女性の名前はウインド・アイだ。

「こちらが控えです。契約ありがとうございました」

「ありがとうございました」

「ええ、こちらこそ。ただ無理はしないでくださいね」

 そう言ってウインドは事務所を出た。


 女性が確実に事務所から出て行ったことを確認した後、セイルは口を開いた。

「あの人、何か隠している」

「なぜそう思うのですか?」

かんかな。おそらくだけど、とうばつ対象の戦闘生物について何か知っているんだよ。違和感があった。あの人の言葉にはうそがある。僕は色んな人と出会って商売の話をしてきたから、相手の言葉にはびんかんな方。まあ、単に戦闘生物が怖いだけで言いたいことが言えなかっただけかもしれない。でも、最悪の想定として帝国ちょうほう員の可能性は捨てきれない」

「その場合、戦闘生物はヴェーガの可能性が高いですね。偵察でしょうか?」

「わからない。ただ、もし帝国軍がヒューヤの道を突破しようとすればヴェーガはひっになる。あそこはとりわけ強力な戦闘生物が多くいるから密輸屋でも使わない。もし相手がヴェーガだった時はイシュタルの力が必要になる。その時は力を貸して欲しい」

「もちろんです。私がセイルを守ります。心配はいりません」

「ありがとう。さて、準備だ」


 ウインドは隠れるように人気のない小道に入った。

「こちらウインド、標的は依頼をじゅだくした。明日、作戦を決行する。ケリュタスの実戦テストとしてもいいはずだ」



〈プラム村〉

 プラム村はクルゾンから北東部、クローラ砂漠を越えたところにある。

 草木がしげり、水もき出ているところからオアシスとして知られている村だ。ただき出ている水は汚染されている。この時代のき水は、必ず浄化処理が必要となることを忘れてはならない。ここから西部は荒廃した集落〈ヒューヤ〉の跡地や岩山、どうくつが存在し、さらに西へ進むと帝国領ウルツアへ繋がっている。そのルートは一般的に〈ヒューヤの道〉として知られている。しかし、多くの強力な戦闘生物が住んでいるため、ここの道を通過する人はまずいない。特に飛行戦闘生物〈アミュザミス〉は生命力が高く、攻撃力も高いため危険である。

 プラム村の周辺にはまれに、商人のキャラバンがテントを張ることもあるが、ウインドの話では商人でもなく、村人でもない人を数日前に見ているとのことだ。仮にこの人物が帝国軍の偵察兵だった場合、帝国軍の侵攻部隊がヒューヤの道を突破し、村の近くまで来ていることになる。それはセイルとイシュタルにとって不安要素だった。それにとうばつ相手が想像通りヴェーガであった場合、激しい戦闘になるのはひっだ。


「セイル、プラム村にようこそお越し頂きました」

「ウインドさん、こちらはパートナーのイシュタルです。彼女も戦います」

「イシュタルさん、よろしくお願いします」

「任せてください」

「で、さっそくですが目標の戦闘生物はどこに?」

「ここから東へ進んだところによくいます。場所の目印としては、半壊した高台と折れた剣が複数刺さったところです」

「わかりました。行こうかイシュタル」

「はい、セイル」

「お二人ともお気を付けて」

「ウインドさん、もし我々が半日経っても戻ってこなかった場合は、すぐに村から離れてください。村を捨てる覚悟を」

「……はい」

 セイルはウインドの表情に注意しながら、イシュタルとともに東へ歩き始めた。



〈ヒューヤの道・ハドロ広場跡〉


(やはり彼女は何か隠しているな)


 セイルは自分の感覚を信じている。ただ具体的にどのような内容を隠しているのかはわからない。

「セイル、どうやらここが目的地みたいです」

「そうだね。でも標的がいない。どこだ?」

「……この辺りは私の索敵能力が低下しますね。磁場の影響でしょうか」

「そういえば、この辺りは外部の戦闘生物が方向感覚を失うらしい」

「でも意図的に妨害されている感じがします。気のせいかもしれませんが」

「意図的?イシュタルの感覚を妨害できるやつなんているの?」

「いないことはないですが、戦闘生物ではないはずです。そもそもこの時代にいるとは考えられません」

 周囲を警戒しながら敵が現れるのを待つ。太陽は雲によってさえぎられ風はない。野生の戦闘生物の声すら聞こえず、やけに静かだ。


(野生の戦闘生物の声や気配がしないのは気がかりだ……偶然か?)

 

「セイル、上空から何か来ます」

「上!?」


「キュイア、キュイイィ」


 翼を羽ばたき、上空からこちらを見下ろすのは飛行型戦闘生物。セイルも見たことがない。ヴェーガではなかったが、その姿形はヴェーガに近い印象を受けた。

「見たことない戦闘生物だ」

「さらに三体来ます」

 すぐにセイルは戦闘生物の頭部に狙いを定めて、レーザー銃の引き金を引く。イシュタルはセイルの狙っている個体とは違う個体に向かって跳躍し、強烈な回しりを放った。

「キイイィィ」

「キィア」

 レーザーを頭部に受けた個体は即死して地面に落ち、りを受けた個体は遠くに吹っ飛んでいった。

「さらに六体来ます」

「くっ、多いな」

 三体ずつのフォーメーションを組んでいるのがすぐに二人にはわかった。口に光が集まったかと思うとすぐに光弾が六体の口から飛んできた。

「まずい」

 イシュタルは一体の背中に張り付き、首の向きを変え他の個体に光弾を当てていく。そこでひるんだ個体に向けてセイルは右手首に装着された装置からワイヤーを射出、そのワイヤーが装置に巻き取られて引っ張られる力を利用して宙に飛んだ。

「食らいな」

 セイルはレーザー銃を空中で撃つだけでなく、すぐ別の個体にワイヤーを射出して飛んだ。右手の内に装着していた隠しナイフが、飛んでいる間にばね仕掛けで右手に収められ、その鋭利なナイフで戦闘生物の首を切り裂いた。その時、イシュタルは頭突きをしようと突っ込んで来る個体を正面から受け止め、逆に投げ飛ばしていた。

「イシュタル、追加で六体だ」

「はい」

 戦闘生物を踏み台にしながら、高速で跳躍しこぶしりを次々に繰り出すイシュタル。ワイヤーとナイフ、レーザー銃を上手く使いこなし、複数の飛行型戦闘生物を相手にするセイル。

 飛んでいるケリュタスはほとんどいなくないっていた。

 

 その光景を隠れて見ている者がいた。ウインド・アイだ。

「こちらウインド。作戦は成功した。目標を確認。目標名称はイシュタル。少年はセイル・ナツァス。なお、ケリュタスの実戦データも収集完了。十五体いた試験用ケリュタスは全滅。私は予定通りこのまま現場での指揮にあたる。以上」



〈プラム村〉

「戦闘生物のとうばつ、本当にありがとうございました」

 ウインドがセイルとイシュタルに何度も頭を下げ、感謝を述べる。他の村人も二人のところに徐々に集まってきて頭を下げていた。

「いえ、お役に立ててなによりです」

「こちらが約束の成功ほうしゅうになります」

 ウインドはほうしゅうが入っているかばんごとセイルに手渡す。

「ありがとう。それじゃあ、我々は明日の依頼もあるので帰らせていただきます。また何かあれば事務所に来てください」

「はい。ありがとうございました」

「帰るよ、イシュタル」

「はい」

 セイルは村に帝国軍の気配がないかを確認しながら、イシュタルとともに村を後にした。



〈クルゾン・シエラの店〉

 プラム村での未知の戦闘生物との戦闘を終えた翌日。

 セイルはいつもよりも早く事務所の開店準備をしていた。クルゾンの自治組織や情報屋に先日の話をしようと思ったからだ。そこに情報屋のシエルが尋ねて来て「セイル、すぐ来て」と彼の手を引いた。

 仕方がないので、イシュタルに事務所の店番を頼み、シエルの店に来たのだった。

「で、シエルさん、どうしたんですか?」

 シエルの様子はいつもと違う。これは何か重要な情報を手に入れたんだとセイルは理解する。

「昨日の段階では断定できなかったのだけど、今は断定して言えるわ……帝国軍よ。フェゾンきょうこくに駐留している部隊とレレラ密林付近の部隊が南下中。早くて四日ってところかしら。おまけに〈リズトー〉の東部方面軍がこちらに向かっているとの情報もある。自治体には報告しているわ」

「なんだって。ここは商業都市国家だ。そんな大戦力……明らかにここを落とすつもりだ」

「ええ、そう考えるのが自然ね。あなたはまだ知らないかもしれないけど、帝国軍は更なる軍事力強化をげている。新しい量産型戦闘生物を戦場に投入しているだけじゃなく、軍の編制を一新したわ。従来の師団編成は五個連隊3000~4500人、新しい師団編成は三個連隊9000~13500人よ。また、大半の部隊で装備が新しいものに置き換えられたわ」

 シエラは新しい帝国軍編成表と装備の一覧を見せてきた。

「新しい戦闘生物に関してはが多いわ。なんでもヴェーガに似ているらしいの」

 ヴェーガに似ている、というシエラの言葉を聞いた瞬間、セイルは口を開いた。

「まずい!昨日、僕らはその戦闘生物にそうぐうしたかもしれない。依頼で未知の飛行型戦闘生物のとうばつを行ったんだ!そいつらはヴェーガに似ていて、しかも個体数が多かった」

「それはどこ!」

「ヒューヤの道だ。僕が見た感じでは帝国軍の姿はなかった。でも依頼主はあやしい人を数日前に見たと言っていた。帝国の偵察兵の可能性が高い……今日はそのことをシエラさんや自治体へ報告しようと思っていた」

「その依頼主が帝国軍のちょうほう員の可能性もあるわ。自治会へは私が代わりに伝えておく。帝国軍の侵攻に対し議会は〈ユランベルク諸国連合〉をはじめとする近隣諸国に応援を求める方向で話を進めている」

「応援なんて来る?」

「このままここを帝国に落とされると、近隣の国々にとっても嫌な話よ。ここを落とすということは、次からここを拠点にして帝国は周辺へ侵攻するということだから。それに多くの国はここを経由して貿易しているからね。まあ、閉鎖的交流を基本とする〈アルカ〉は応援に来ないかもしれないけど……」

 シエラは応援に駆けつけてくれる国をいくつか挙げた。確かにここを帝国に落とされてしまうと、近隣諸国にとっては経済的にも、軍事的にもまずい話だ。しかし、最も地理的に近い国アルカはセイルも助けに来てくれないと考えていた。

「多くの国がまとまれば、確かに帝国の侵攻を食い止めることができるかもしれない」

「でも、せい者は多く出るはずよ。それは帝国も我々もね……」

「戦争になるのか……嫌だな」

 誰しもが戦争を望んではいない。だが、クルゾンと帝国の衝突は避けられそうになかった。帝国はクルゾンを武力で支配しようとしているのだ。



〈リズトー 帝国軍東方司令部〉

「なぜです!なぜ我々に出撃許可が出ないのですか!」

 とつじょ、部屋中に響き渡る大声。その声に外の通路にいた兵士も反射的にビクッとした。

「納得できません!」

 その迫力ある声の主はフェベル大佐だった。日頃、彼が声を上げないことを周囲の人物は知っていた。しかし今回ばかりは、いくら相手が皇帝直属の近衛このえ騎士団長だからといっても、彼は声を上げずにはいられなかった。

 ここは帝国軍東方面軍の本部基地リズトー。司令室では特別騎甲大隊長のフェベル及び部下二名と、帝国近衛このえ騎士団長ウインドが向かい合っていた。その空気は控えめに言ってもおだやかではない。

「何度も言わせないで大佐。貴方あなた達はここで待機。今回の作戦で貴方あなた達が前線に出る必要はない」

 近衛このえ騎士団長ウインドはフェベル達に冷たく言い放った。彼女は近衛このえ騎士団を表す紋章が刺しゅうされたマントを羽織っており、儀礼的なものなのか腰には剣をたずさえていた。

「次から始める東方侵攻作戦に備えなさい。貴方あなた達も陛下直属部隊でしょ?」

 だが、フェベルはどうしても納得がいかない。帝国最強の看板を背負う特別騎甲部隊が、今回のクルゾン侵攻作戦に参加できないことに。

「しかしウインドきょう!例の少女と少年がクルゾンにいるのであれば、我々、特別騎甲大隊の力が必要になるはずです!」

「帝国最強の貴方あなた達は今後のために必要なの。理解してちょうだい。

「くっ……」

 近衛このえ騎士団長に言われ、フェベルは返す言葉もない。フェベルの部下であるマース、ジュライの二人は無意識に両手を握りしめていた。帝国軍では忠誠と服従が絶対だが、彼らも人間であり、ウインドに不満を抱くのは当然だった。

「失礼しました」

 フェベル達はウインドに敬礼するとすぐに司令室を出た。


 足早に廊下を歩く三人。その足音はいつもよりも速く大きかった。

「大佐、この決定には納得できません」

「自分もです」

 マースとジュライが不満を隠せずフェベルに言った。

「わかっている。だが、騎士の命令は皇帝陛下の命令だ。我々よりも皇帝陛下に近く、上の存在だ。あきらめるしかない」

 一番フェベルが不満に思っているが、こればかりはしょうがなかった。帝国建国時から近衛このえ騎士団は存在しており、まさに皇帝とともに帝国の歴史を記してきたといえる。最近になって創設された特別騎甲大隊とは、組織としての伝統の重みも格も明らかに違う。当然、マースとジュライの二人もそのことを理解していた。

「「…………」」

「話は変わるが、ウインドきょうを本国以外の基地で見るのは初めてだ」

 フェベルが少しの沈黙の後、言葉を発した。

「私は近衛このえ騎士を見るのが初めてです。名前だけの組織だと思っていました」

「ジュライと同じで、自分も騎士を見ること自体が初めてです」

「皇帝直属の近衛このえ騎士団は式典でも、団長のウインドきょう以外の騎士は姿をめっに見せないからな。謎の多い人達だ。正直、不気味でもある。こんなことを言うのは問題だと思うがな……」

 フェベルも近衛このえ騎士団についてはほとんど知らない。というより、帝国軍人で近衛このえ騎士団について詳細を知っているものがほとんどいない。それは事実だ。同時に不自然でもある。

「何者なんですか?我々のヴェーガを必要としないなんて……」

「わからない。何か考えがあるのかもしれない」



〈クルゾン近郊・クルスの放牧地〉

 クルスからヴァンキャスのとうばつ依頼を受けたセイルとイシュタルは、フフポチェックが話されている彼の放牧地にやってきた。

「あれがフフポチェック……」

 イシュタルは丸く大きな体の戦闘生物フフポチェックを見る。よく肥えた生物だった。イシュタルがフフポチェックを見るのは初めてだ。フフポチェックはずっと昔は他の戦闘生物と同じく、人間に対して攻撃的で強い生物だったのだが、長い時間をかけて環境への適応した結果、戦闘能力が大幅に低下した。戦闘に使うエネルギーを自身の成長にてる進化を遂げたのだ。

「ああ、一般的に食肉用として飼育されている。クルスさんはあの人かな」

 セイルとイシュタルは手を振る男性クルスのもとへと向かう。


「お二人とも今日はよろしくね」

 クルスはセイルとイシュタルの手を交互に握る。

「お任せください」

「はい、がんばります」

 二人ともその握手に応えた。


「クルスさんの話だといつも同じ日の同じ時間帯にヴァンキャスは来るようだ。この間はクルスさんが大体家をにしている。ヴァンキャスはこのことを学習しているんだろう。今日はヴァンキャスとうばつを確認してもらうために家にいてもらっているが」

「なかなかヴァンキャスはかしこいですね」

「ああ。人間の行動をよく観察している。それだけに嫌な相手だ。移動用に使うデュプラ貸出屋もヴァンキャスの被害をよく受ける」

「効率よく狩りを行うってことですね」

「そう。だからとうばつ依頼も多いんだ」

 フフポチェックはのんびりと牧草を食べている。クルスの手によって汚染された土壌の大半は浄化された土壌に入れ替えられており、牧草も土壌の有害物質を浄化する作用が強いものである。フフポチェックはこの上、汚染された環境でも生きていく高い生命力を誇る。これはフフポチェックの体内に強力な解毒機能が備わっているということを示している。

「今日の朝、セイルがシエラさんのところで聞いた話についてですが」

 イシュタルはセイルからシエラが得た情報を教えられていた。

「やはり私のせいでしょうか……」

「どういうこと?」

「帝国軍がクルゾンに侵攻してくる理由です」

「そんなわけないよ。相手は帝国。理由なんてそれだけ。イシュタルがここにいようといまいと、帝国はいつかここに侵攻してくる。遺跡で帝国軍とやり合ったのは僕も同じだし。そもそも、そんな理由で戦争なんかしない。二人を追って戦争にし来るなんてね。馬鹿げてる。誰もイシュタルのせいで、帝国軍が来るとは思っていないよ。それにそう思われたら僕も同罪だ」

 軽く笑いながら、セイルはイシュタルの心配を打ち消した。

「ふふっ。ありがとう、セイル。おかけで気持ちが楽になりました」

 イシュタルの見せた笑顔に、セイルは思わず笑顔を返す。


(こんな表情を見せたイシュタルは初めてだな)


「セイル、何か来ます」

 フフポチェック達もその存在に気付き、逃げ初めている。これは殺気だ。


「キイイィ!」


 とつじょとして現れたのは、昨日見た飛行型戦闘生物ケリュタス。

「はっ、冗談じゃない。お前達はとうばつ依頼に入ってないぞ!」

 そういうとセイルは横に跳んで、ケリュタスの突進攻撃を避けた。

「ヴァンキャスは今日来ないみたいだ!」

「そのようですね」

「セイル君!」

 フフポチェックのあわてように気が付いたクルスが、セイル達を心配して家から出てきた。

「クルスさんはクルゾンに伝えてください!おそらく帝国軍の奇襲です!」

「わかった!」


「キイイィ」

「キイイィ」


 さらに二体のケリュタスが目の前に現れた。イシュタルは最初の一体のつかみ攻撃をかわし、その横腹にこぶしを食らわせる。

「ギュ……」

 こぶしを受けたケリュタスはその場に倒れることはなく、持ちこたえた。そして身体を回転させて尾をイシュタルにぶつけようとした。

「危ないですね」

 しかしイシュタルは持ち前のきょうじん的な身体で、その尾を受け止め、逆に別のケリュタスへ投げ飛ばす。

「おっと」

 セイルはそれにいち早く気付き、目の前にいるケリュタスから離れた。イシュタルが投げた個体が目の前にいる個体に命中するのを確認することなく、三体目にレーザー銃を撃つ。

「すばしっこい奴だな」

 セイルの射撃技術をもってしても、飛行して動き回るケリュタスにレーザーを当てるのは難しい。

「くそ」

 ケリュタスは一気に高度を上げると、空から大量の光弾を撃ってきた。

「これは逃げないと」

 イシュタルは難なく全弾避けることができるのだが、セイルはそうもいかない。側転や空中後転というアクロバティックな回避技も使うことができるが、長く避け続けるのは体力的に無理だ。それに銃に搭載されている自動防衛機能はいざという時までとっておきたい。

 イシュタルはケリュタスの注意を何とかこちらに向けようと考えている。

「あれを使えば」

 戦闘不能状態のケリュタス二体が倒れているのを見て、イシュタルはひらめいた。

「これで」

 ケリュタス一体をつかむと、それをそのまま空にいるケリュタスへと思いっきり投げた。

 当たりはしなかったものの、それに激怒したケリュタスはイシュタルに向かって光弾を撃つ。しかし、イシュタルには一発も当たらない。ますますケリュタスはいらちをつのらせたが、それでも高度を下げることはしない。イシュタルの驚異的な身体能力で跳躍しても、届かない高度を維持している。

「下りてこない」

 打撃技しか持たないイシュタルにとって、飛行型戦闘生物は厄介な相手だ。セイルもケリュタスの様子を見ながら射撃のチャンスを狙っている。だが、そのチャンスは中々訪れない。

 

(少しの間、すきを見せれば……)


 イシュタルもセイルが射抜いてくれることを期待している。どうにかして隙を作らなければならない。

「キィィイ」

 ケリュタスの光弾攻撃が止まった。連続で光弾を出すことに体力の限界が来たのだ。ケリュタスは一呼吸置いて再び光弾をこうとする。


「そこだ!」


 一瞬の静止を見逃さず、セイルはレーザー銃の引き金を引いた。


「ギュアァ」

 レーザーを頭部に受けたケリュタスは最期のたけびを上げて、空から地面へと落ちていった。倒れたケリュタスはそこから立ち上がってくることはなかった。

「ふう」

「助かりました」

「お互い無事でなにより。すぐにこのことを伝えないと。帝国軍が来ているはず………」

 途中まであんの表情を出していたセイルは言葉を失った。


「キイイィ」

「キィィ」


 空を見上げるとケリュタスの大群がクルゾンに向かって行った。そして地上にはこちらに向かってくる帝国兵の姿。

「逃げよう!」

 すぐにこの場から離れようとするが遅かった。

!」

 セイルとイシュタルの姿を確認した帝国兵。デュプラに騎乗している騎兵もいる。

「ああ、やばい。イシュタル、逃げるぞ!」

「はい」

 逃げる姿を確認するやいなや帝国兵は銃を発砲する。

「撃て!撃て!」

 帝国兵全員が二人めがけてようしゃない銃撃を浴びせる。セイルの脇腹横を銃弾が走った。

つかまってください」

 イシュタルはセイルを抱きかかえると全速力で走り出した。

「おっ……」

 イシュタルは帝国兵の銃撃をかわしながらクルゾン周辺の堀を飛び越え、さらに閉まっているクルゾンの門を跳び越えた。



〈クルゾン〉

「二人とも無事だった?」

 二人をすぐに見つけ、声をかけたのは情報屋のシエラだった。

「なんとか。それより帝国軍だ。帝国軍が来ている」

「ええ。帝国軍の飛行戦闘生物が侵入していて、今対応しているところよ。ただ被害はかなり出ているわ」

「地上部隊が来る。もう間もなくだ」

「わかっている。ハンター達、さらに武器商人も戦っている。二人とも力を貸して」

「ああ、もちろん」

「皆さんを助けます」

 シエラはクルゾンの全体図を広げて現状を二人に伝え始める。

「飛行戦闘生物はケリュタスと呼ばれる新型で、すでにクルゾンの各所を襲っているわ。帝国軍の地上部隊に関しては、堀や外壁で侵攻の時間かせぎをしているところ。ただ、外壁守備隊が破られるのは時間の問題」

「どこに向かえばいい?」

「今、一番人手が足りないのは第七区。そこに行ってちょうだい」

「わかった。まずは武器を回収してくるよ」

 セイルとイシュタルは事務所へ走った。



〈セイルの事務所〉

「貴重品を持っていこう。万が一、クルゾンが落されてもいいように」

 セイルは自分の遺跡調査記録を記した本と戦闘生物図鑑、弾薬、地図を数枚自分のかばんに入れる。そして腰にガンベルトを巻き、拳銃と各種の小道具、ナイフを収納した。イシュタルも同様にガンベルトを巻き、遠距離の敵を仕留めるために銃と弾薬を収納した。

「準備はいいね?」

「ええ」

 二人は装備を整え事務所の外に出た。各地で爆発音や銃声が聞こえる。先ほどよりも激しさは増したようだ。どうやら帝国軍の地上部隊が侵入したと見える。

「他の国からの援軍が来ないと、クルゾンだけでは耐えられない」

 セイルはさっき見た帝国軍の軍勢は先行部隊だと知っていた。本隊が来れば確実に戦力が足りないクルゾンは、ほぼ間違いなく帝国の手でかんらくするだろう。


「見つけたわよ、

 その言葉に反応したイシュタルは上を向いた。

「あなたは確か、ケリュタスのとうばつを依頼したウインド・アイ」

 マントを羽織っている女性。そのマントには帝国近衛このえ騎士団の紋章が入っていた。近衛このえ騎士団長のウインドきょう。敵だ。

「そうよ」


「あの紋章は、まさか、帝国近衛このえ騎士!? なぜ皇帝直属の騎士がこんなところに」

 セイルはレーザー銃を構え、相手に疑問をぶつけた。イシュタルも臨戦態勢をとる。

ぼっちゃんに用はないわ。用があるのはゼロクイーン、貴方あなたよ。ここで終わりにしてあげる」

 次の瞬間、ウインドは目にも止まらぬ速さで剣を振りかざした。それを回避し、りを入れるイシュタル。

「さすがね。でも逃がさないわよ」

 猛烈な連続攻撃で攻めるウインド。イシュタルは距離を取ろうと後ろに跳ぶが、ウインドもぴったりついて来る。

「どうしたゼロクイーン。お前の力はその程度じゃないだろう?」

 先ほどから回避しかしないイシュタルをあざけるウインド。

「なら、これでどう」

 イシュタルはウインドの剣をかわすと右こぶしを突き出した。

「甘いな」

 その攻撃を見切っていたウインドは難なくヒットを避け、イシュタルにカウンターとして左ひじを入れた。

「……」

 ひるむことなくイシュタルは体勢を立て直し、ウインドの背中へ左足で後ろ回しり。

「なかなかやるじゃない」

 ウインドはかんいっぱつ、イシュタルのりを回避した。

「あなた人間じゃない」

貴方あなたと同じよ」

「まさか!」

 そのウインドの言葉にイシュタルは強く反応した。



 イシュタルが戦っているのを見ながら、セイルは自分に何かできないか考えるが何も思いつかない。人間離れした動きで戦う二人を見て、いかに自分という存在が無力なのかを思い知らされた。とにかく二人の後を追おうと走り出した。

 イシュタルはこの追い詰められた状況でも口を開いた。

「あなたもDoLLドール……」

「そうだ、ゼロクイーン」

 騎士団長のウインドはイシュタルに言葉を返す。

DoLLドールは戦闘生物のとうばつを目的として生みだされたはず。なぜこんなことを!」

「何が言いたい?はっきり言ったらどうだ?」

「罪のない人々をなぜ襲っている。DoLLドールは戦闘生物に対抗するために生まれた。人々を守るために」

 イシュタルはこんしんの右こぶしをウインドに向けて繰り出した。

「そうだ。そうだとも……あるじ達はそのために我々を生み出した。でもな、ゼロクイーン。あるじ達は滅びてしまった」

 こぶしを受け止めたウインドはイシュタルをにらみつけ、そのまま力任せに勢いよく突き飛ばした。

「わかるか?ゼロクイーン。変わらないのは人間の方だ。人間の方なんだよ。貴方あなたは一番最後のDoLLドール貴方あなたにとって私は裏切り者だ。それは事実。でも、貴方あなたは世界を知らない。何も知りはしない。非力な女王クイーン。文字通りゼロだ。このまま大人しく消えてもらう」


 鋭利な剣がイシュタルに襲いかかる。


「イシュタル!」


 しかし、青いエネルギー弾がウインド目がけて飛んできた。

「ちっ……少年セイル」

 後ろに跳躍することでセイルの攻撃を避け、イシュタルの攻めに備える。


『ウインドきょう、緊急事態です!』


 ここでウインドに帝国偵察兵からの無線連絡が入る。


「どうした?」

『南東からアルカ軍です!』

「アルカだと。連中が軍を動かした?!」


 ヒューン


 セイルが空を見上げると、くうていが頭上を越えていった。

「あれはアルカの飛空艇……」

 飛空艇はアルカ王国旗を風になびかせており、さらに、クルゾンの外から爆音が聞こえて来た。


『ウインドきょう!アルカ軍の爆撃により、後方部隊が被害じんだい!ケリュタス部隊が応戦していますが、敵地上部隊による抵抗が激しく、このままクルゾンを攻略するのは不可能です!』


「ウインド!」

 無線を聞き入っているウインドを狙い、イシュタルが攻める。

「っ……」

 イシュタルによるとうの攻撃。殴る、るを止めどなく繰り出す。

「あなたにここは渡さない!」

「何度しても同じこと……なにっ!」

 順調に攻撃を避けていたウインドだったが、ここでイシュタルの右こぶしを左ほほに受け、大きく後退した。

「早くゼロクイーンを仕留めなければ……」

 ウインドはあせり始めていた。明らかにイシュタルの動きは洗練されてきている。長く戦い続ければ、こちらが不利になるのは火を見るよりも明らかだ。

「しかし、アルカ軍が……」

 帝国軍はクルゾンだけでなく、アルカ軍の両方を相手にすることになり、苦戦を強いられていた。帝国の航空戦力は戦闘生物ケリュタスだけ。一方、アルカは《失われた旧世界》の技術を用いて、〈くうてい〉と呼ばれる航空機を実用化していた。また、アルカ王国軍は帝国と同様、いくつかの戦闘生物を戦闘部隊として組み込んでいる。


「もはやこれまでか。こちらウインド、全軍てっ退たいを開始しろ。ゼロクイーン、そしてセイル。また会う機会があれば相手を願おう。さらばだ」


 ウインドは大きく上へ跳躍し、迎えに来たケリュタスの背に飛び乗った。


「ウインド……あなたは何を知っているの」

 ウインドを目で追うイシュタル。ウインドは二機のアルカ軍飛空艇を撃墜し、味方ケリュタス部隊と合流した。

「あれが帝国近衛このえ騎士ウインド。恐ろしい相手だな」

 セイルもウインドの姿を目で追っていた。イシュタルと同等にやりあっていたことから、ウインドもただの人間でないことは想像できた。ウインドもDoLLドールなのだ。

 この先、帝国との衝突は避けられない。そして、ヴェーガや近衛このえ騎士との再戦もそう遠くないだろう。そのことをセイルとイシュタルは不本意ながら感じ取った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る