2. 脱出
《失われた旧世界》の遺跡を調査していた帝国アカデミー遺跡調査部隊所属マクレアン中隊第一調査小隊は、思わぬ場所から現れた少女に向かって銃を構えた。
彼ら帝国軍の持っている銃は手で
正式名称は二十五式狙撃銃。この二十五式狙撃銃は、先にも述べた通りこの世界で一般的な銃である、片手で扱う単発式のものよりもはるかに高性能だった。射程は長く、殺傷能力も高い。そして何よりも、少し
「敵対対象を確認。
小隊長は少女のその言葉を聞いた瞬間、命令を下そうと声をあげる。
「撃っ…………」と、隊長の声が
いつの間にか隊長の横に少女イシュタルが来ており、彼女の高速
イシュタルは兵士達が視線を移しているその間に、四体いるデュプラのうちの一体の
加えてたった今、右突きを受けているデュプラの胴体はイシュタルの右腕が見事に貫通していた。三体目と四体目はイシュタルの動きを本能で
兵士達はデュプラを倒したイシュタルの姿を捉えると同時に、二十五式狙撃銃の
だが、イシュタルは飛来してくるその全ての弾丸の軌道と速度を正確に計算・予測した。弾道の予測がされているのだから、回避行動をとるために身体を動かすことはイシュタルにとって
無我夢中で引き金を引かれ続けた銃は当然弾切れを起こす。それでも彼らは動かない二十五式狙撃銃の引き金を引き続けていた。0.3秒後、彼らは弾切れに気が付いたのだが、すでに手遅れだ。
全ての弾を撃ち切ったその瞬間を狙いイシュタルは兵士達に驚異的な速さで近づいてき、そして強烈な
「敵の全滅を確認。オールクリア」
イシュタルが帝国軍と接敵して約一分後、マクレアン中隊第一調査小隊は全滅した。
その光景を隠れていたセイルはイシュタルをやはり美しいと感じた。それがなぜなのかはわからない。普通ならその光景に恐怖を覚えるだろう。
しかし、戦うイシュタルを化け物とも殺人鬼とも思わなかった。ただただ自分では不可能な、無駄のない
セイルは隠れていた扉の
「……イシュタル、きみは一人で帝国を相手にできるんじゃないか?」
「それがセイルの望みなら」
右手を振りながら、イシュタルが
「いや。
一刻も早くここから出て行きたいセイルは、腕に付けた《失われた旧世界》の端末を何とか使い、出口までの道順を検索する。
「こんなこともできるんだ。すごいな本当に。よし、道はわかった。早くここから出よう」
「まだ近くに移動している生命反応があります。おそらく上の階層かと思われますが……」
イシュタルが
反映された生命体の位置は大きい赤い点で示された。赤い点が動くのは対象が動いているということである。
「多分、ここに来るときに出会った大型の戦闘生物だ……そういえば、イシュタルはどうして敵の位置がわかるんだ?」
「私には外界のあらゆる情報を収集するセンサー、つまり受容器が多くあるんです」
「人間にはないもの?」セイルがセイルが尋ねた。
「
「よくわからないけど、本当に人間ではないんだ」
セイルはそう言った。
ちょうどその頃、セイル達がいる遺跡の上、
「本国、特別騎甲大隊のフェベル大佐だ」
「ハッ!お待ちしておりました、大佐。アカデミー極東方面軍第八遺跡調査大隊所属、第一中隊長のマクレアン少尉です」
帝国は建国当時から圧倒的軍事力による領土拡張を行っていたのだが、領土が広大になるにつれて、治安維持の問題が現れた。占領地域当たりの治安維持要員の減少とそれに
そのため各地で小規模ながらも帝国に対する抵抗運動が発生。帝国軍は抵抗運動鎮圧のために
そこで、皇帝を頂点とする帝国軍最高司令部は、いまだかつてない強力でかつ戦闘生物を有した機動部隊の創設を決定した。それが特別騎甲大隊である。特別騎甲大隊の登場により、帝国領土内のほぼ全ての抵抗勢力は排除され、その強大な力による恐怖を各地に植え付けた。また、居住区付近の危険な野生戦闘生物はあらかた根絶され、帝国
特別騎甲大隊の兵士全員は従来の戦闘服に比べ、機能性の高いものが支給されており、武器も二十五式狙撃銃ではなく、新たに開発された
それに加え、特別騎甲大隊は多くの戦闘生物を運用しているのが特徴だ。〈デュプラ・ハイア〉、〈ウォンクス〉、そして〈ヴェーガ〉。いずれの戦闘生物も人間が正面から戦って勝つのは難しいだろう。
〈デュプラ・ハイア〉は帝国軍で広く利用されているデュプラの改良型である。弱点だった視力の向上だけでなく体力の向上にも成功した。
〈ウォンクス〉は帝国占領地域の治安部隊が主に運用している
〈ヴェーガ〉は帝国が《失われた旧世界》の技術により生み出した新型戦闘生物であり、その全てが特別騎甲大隊に配備されている。最強の戦闘生物と言われ、非常に高い知能と驚異的な環境適応能力・再生能力をもつ。通常は翼を広げた飛竜であるが、地上索敵のために地上に下りることもある。この時、翼は
つまり、〈ヴェーガ〉は陸海空の全てに対応しているということになる。〈ヴェーガ〉は鋭い爪や歯、長い尾、口内からの強酸
「少尉、状況は?」大隊長であるフェベルが尋ねた。
「現在、第一から第四までの調査隊が遺跡内部に入り調査中です。しかし、遺跡内部には戦闘生物が多数確認されており、第二、第三小隊が壊滅したとの伝令が……」
「ふむ……やはり被害は
「それと、この村に到着して
二人の後ろでは六体のヴェーガ達が翼を折りたたみ、お互いの顔を見合っていた。まるで、二人の会話を理解して、確認し合っているようだ。ヴェーガを初めて見たマクレアン少尉を含め、現場の兵士達はその姿に圧倒されている。なんというか、明らかに他の戦闘生物とは存在感が違うのだ。これほどまでに戦闘生物の
「その少年に関しては無視していいだろう。どうせ死んでいる。君の隊は入り口付近の警戒をしてくれ。私の隊も地上の警戒に当たらす」
「了解しました」
「第四歩兵中隊、マクレアン調査中隊とともに入り口と
「ハッ!」
「さて、行こうか」
遺跡の中へ先に進入したヴェーガ六体は、三体ずつに分かれ各通路を低空飛行する。
標的を見つけると三体が意志
ヴェーガが大体の
「遺跡内全ての戦闘生物を
フェベル大佐率いる特別騎甲大隊は、遺跡をくまなく探索しながら下層へと移動していく。当然、セイルとイシュタルがいる階層にも
「なんだ?」
セイルは腕の端末に、大型戦闘生物以外の反応が六つ、上層から降りてきているのを確認した。移動速度が非常に速い。
「セイル、これらは飛行しています」
イシュタルが新たに出現した生命反応について言った。
「飛行している?」
「間違いありません」
「「「ギイィィシャアアアアアアアアアアーーーー」」」
数秒後、セイルが今までに聞いたことがない、恐るべき鳴き声が下層に響き渡った。
「これは……やばそうだな」
下層に進んでいるヴェーガ達は、
その標的は右腕が盾のように肥大化しており、左腕には目玉があった。そう、セイルがイシュタルに出会う直前、遭遇した大型戦闘生物試作型デバスタ改だった。弱点となる背面はすでに
動きの
ヴェーガ三体は、それぞれ別々に飛行することでこちらの動きを読まれないようにし、相手の動きを観察していた。試作型デバスタ改は跳躍や突進はできるが、ヴェーガ
もちろんヴェーガ三体に襲われないように動きは止めなかった。試作型デバスタ改は飛んでいるヴェーガ一体に狙いを定め、
ヴェーガ三体が相手を囲むよう位置を取り、毒霧を一瞬
と、別のヴェーガ三体もこの場に到着した。先のヴェーガ三体を援護するのかと思いきや、三体はその場を無視して通り過ぎる。彼らの判断通り、試作型デバスタ改はその場に崩れた。もうデバスタ改に勝ち目はなかった。大型戦闘生物試作型デバスタ改を倒したヴェーガ三体は、後から来る帝国軍兵士のために、先ほど
「反応の一つが消失。六つのうち、三つの反応が接近中」
セイルとイシュタルは上へ上がる部屋にいた。
この部屋の行先が、セイルと試作型デバスタ改が戦った場所。そして、六つの反応がいる場所でもあった。
「大きい方がやられたってことか。倒したのは帝国軍の戦闘生物だろうな。まさか……」
セイルはすでに
「これは気休め程度だな」
そう。
「ここから外に出るには……」
最短で遺跡から脱出できるルートを腕の端末に表示させた。
部屋が止まり、通路を進む二人。その時、再びあの
「出た先の左側から来ます」
敵の接近をイシュタルが告げた。
「ああ」
セイルとイシュタルは警戒しながら通路を出る。
と、床が急に暗くなった……
「ギイィィシャアアアアアアアアアアーーーー」
「ギィィアァ?!」
セイルが見上げたのは、イシュタルが一体の空飛ぶ戦闘生物に
「強いですね」
先の一撃がヴェーガにとって致命傷になっていないことは、イシュタルが一番よくわかっていた。イシュタルはセイルが反応するよりも早く、敵の襲来を予測し同時に
「ギイィィシャアアアアアアアアアアーーーー」
「ギィィシャアアアアアアーーーー」
「ギイィィシャャアアアアアアアアーーーー」
が、二人にとってまずいことに別のヴェーガ三体がこの場に到着した。
「あれが、ヴェーガか!イシュタル逃げるぞ!」
「はい」
セイルは空に向かって
さすがのヴェーガも強烈な光で動きを止め、方向感覚を失ったようだ。その場で大きく首を揺らしていた。
「セイル、的確な判断です」
「もう
「あのヴェーガですが、どうやら倒すのは難しいようです」
「それは空を飛んでいるから?」
「いえ、確かにそれもあるのですが……私の
「なんだって。くっ、なんでこんな目に。このままだと、逃げ切るのは無理だ」
セイルは左腕の端末に表示されている道を右に曲がり、とにかく走る。このルートは遺跡を出るための最短ルートであるが、周りには身を隠せるような狭い通路も部屋もなかった。ヴェーガは必ず二人を正確に追跡してくる。戦って勝てる相手ではない。六体もいるのだ。それに帝国軍の後続部隊も来るだろう。ヴェーガは
(どうする、どうすればいい?)
これは非常にまずい状況だ。
「ギイィィシャアアアアアアアアアアーーーー」
「シィィァアァァアアーーーー」
「ギイィィシャャアアアアアアアアーーーー」
「ギイィィシャアアアアアアアアアアーーーー」
「シャアアアアアアーーーー」
「ギイィィシシシィィァァアアアアーー」
ヴェーガ六体の鳴き声がすぐ近くで聞こえた。セイルの表情に余裕はない。
相手はあのヴェーガ。それは死の象徴。飛んでくる死だ。いったんは遠ざかっていた死だ。しかし、死は再び戻ってきた。死は迫って来る。
「後方よりヴェーガ六体が接近中。あと七秒後に角を曲がってきます」
「まずいぞ、行き止まりか!」
目の前にあるのは壁だ。
腕の端末はこの先を示しているが、開く様子は全くない。《失われた旧世界》の言葉を入力する箇所もない。普通の壁だ。横を見ても入り口はない。上を見ても。下を見ても。あと四秒後にはヴェーガがこの通路に来る。
「いいえ、行きますよ!」
イシュタルは突然、セイルの腕を引っ張り、壁に向かって走りだした。セイルは訳がわからず、イシュタルの手が導くまま身体を引っ張られ、イシュタルとともに壁にぶつかった……かと思いきや、セイルはイシュタルの体当たりにより壁が動いたのを見た。
「え…………」
壁はイシュタルの衝突による衝撃で回転し、二人は壁の向こう側の通路に投げ出された。それはわずか数秒の出来事だった。
「いててて……隠し扉か。これは驚いたよ」
「そうです。これは
イシュタルが後ろの壁を見ながら説明した。
「この壁は一定の衝撃を加えなければ、動きません。ヴェーガ達は回せないはずです」
その言葉通り、ヴェーガの声が壁越しに聞こえる。その声は怒りだ。目の前の獲物を、あと一歩というところで逃がした
「確かに。これで一安心だ」
セイルは壁からヴェーガが来ることはないと思っていたが、その場から離れたかった。少し通路を先に進みその場に座り込んだ。自分の心臓の鼓動が落ち着きを取り戻していくのを感じていた。呼吸のペースもだ。ずっと走り続けていただけに、足の疲労は相当溜まっていた。
「周辺に敵はいません。そのまま、少し
「ああ、ありがとう」
(思えば、今日ほど死を強く感じたことはないな)
セイルは同時に「自分は生きているんだ」とも痛感した。右手を胸に当てると心臓の鼓動。この鼓動は死ぬまで止まることがない。休むことなく脈を打ち続ける鼓動だ。
(僕は生きている。この世界に、この瞬間に。この廃れきった世界。ただただ、生きるために戦う。それは死が怖いからなのだろうか……)
それはそれで正しいような気もするが、他に意味がある気がした。そして、イシュタルの方を見た。
「どうかしましたか?」
イシュタルは
「いや、大丈夫」
(汚いけれども、イシュタルには外の世界を見てほしいな。何とか一緒にここから出て行きたい……)
セイルは右手に握られている銃を見た。銃には
特別騎甲大隊は歩兵三個中隊と騎兵一個中隊、及び戦闘生物一個中隊からなる混成大隊。なお帝国軍における歩兵大隊は五個中隊(300名)からなる。つまり特別騎甲大隊を相手にするということは、少なくとも240名近い兵士を相手にし、強力な戦闘生物部隊をも倒す必要があるということだ。
当然、特別騎甲大隊の兵士は帝国軍でも優秀な兵士達であり、戦闘生物は最強のヴェーガを筆頭に、多くの戦闘生物が運用されている。
(ふっ、帝国の特別騎甲大隊が相手か。こいつは笑えない)
体力がある程度回復したセイルは立ち上がった。
「何か使える物はないかな……このままだと逃げるのは難しいんだ。この《失われた旧世界》の遺跡なら、何か使えるものがあると思うんだけど」
とにかく武器が足りないことをセイルは実感していた。
先ほど、帝国兵をイシュタルが倒した時、彼らの武器を拾うという選択
「武器ですか?すいません、私が何も武器を持っていなくて」
「いや、イシュタル、そういう意味で言ったわけではないんだけど。きみはそのままでも十分強いよ。ただ、僕は武器に頼るしかなくて」
セイルは彼女に説明した。
「武器……セイルに合う武器は、おそらく第二武装研究棟にあります」
「武装研究棟?そこに武器があるのか」
イシュタルの言葉に反応したセイルの端末が、第二武装研究棟の位置を赤い点で示す。
ここから、やや遠くの上層階だ。ヴェーガがここに到達した時間を逆算すると、第二武装研究棟にはすでに帝国軍が展開している頃だろう。セイルは考えた。
(これは難しい選択だな。下手をすれば敵本隊のど真ん中。
「セイル、第二武装研究棟へは私一人で行きます。時間
セイルが左腕に装着している《失われた旧世界》の端末は非常に優秀だ。《失われた旧世界》の品だけのことはある。セイルが遺跡から地上へ出るための道順を検索し表示された脱出ルート……そのまま現在地から地上へのルートではなく、わざわざ帝国軍がいる上層を避けていた。
そう、セイルとイシュタルにとっての敵が上層から来ているということを、この端末は理解しているのだ。正しく言えば端末は、この遺跡の侵入者情報をイシュタルことType:00を
「心配いりません、セイル。それでは」
そう言うとイシュタルは、セイルの言葉を最後まで聞かずに第二武装研究棟へ向かってしまった。
「待て、イシュタル……」
〈第二武装研究棟 第三通路〉
「なかなかこの遺跡は興味深い。しかし……」
床、壁、天井全てが
「なんの発見もないとは。まあ、マクレアン少尉に途中経過を伝えなければないのは変わらないが、残念だ」
帝国軍特別騎甲大隊長にして、帝国軍大佐であるグレイア・フェベルの名は帝国内でも有名だ。格闘技術、射撃技術は極めて高く、加えて戦闘生物の扱いが非常に上手い。その才能もあって、わずか二十五歳で少佐の地位に、三十歳で今の地位に
「大佐、やはり遺跡内では通信機器が使用できません」
「地上のマクレアン少尉には伝令を送ろう。私は初めから通信機器なんて当てにはしていない。地上でも有線でないと、ほとんど使い物にならんからな」
「大佐、そんなことをおっしゃらないでください。本国のアカデミーが泣きますよ」
「はっ、どうせ《失われた旧世界》の技術だろう。中途
フェベル大佐の特別騎甲大隊は現在、四つのルートへ分かれ下層へ進行中であり、
(しかし、この感覚はなんだ。まるで、誘われるような感覚……遺跡の雰囲気か、それとも何か秘密があるのか)
フェベルはこの遺跡に引き込まれるような感じがした。
帝国には《失われた旧世界》の遺跡調査を専門とする部隊が存在する。
これらの部隊は通常の「帝国軍」ではなく「帝国アカデミー」の
現在、人間が
「しかしなぜ、古代人はこんな大きな施設を地下に作ったんだろうな。理解に苦しむ。それに、この遺跡は他とはだいぶ様子が違うようだ。皇帝陛下が我々にこの遺跡調査を命じたのもうなずける」
フェベルが手にしているのはアカデミー遺跡調査隊による《失われた旧世界》遺跡調査報告書。この報告書には遺跡の発見年月、場所、外観、調査開始年月、古代文字、仕掛け、壁や天井などの内装、調査時の死者数というような詳細情報が記されており、発見された戦闘生物の外見スケッチや特徴という戦闘生物関係の情報も書かれていた。
「〈デルダ〉、〈グア〉、〈ヴァチェク〉、この遺跡にいる戦闘生物は、どれも〝特定危険種〟ばかりだな。通常装備の部隊が来たら確実に全滅だろう」
部隊を率いているフェベルは通路に倒れている戦闘生物の死体を確認する。
通路に転がっているのは、
「古代人の中には動物収集家でもいたのか?全く迷惑な話だ。これほど多種多様の特定危険種がいるとは信じられない。重要な報告事項だ。アカデミーでも大きく取り上げられることだろう。興味深い」
〝特定危険種〟というのは、帝国の巨大研究機関である帝国アカデミーが設定した戦闘生物大区分の一つだ。特定危険種の規定として、
1.戦闘生物の中でも生息地域が限定されている生息域限定種あるいは個体数が少ない希少種であること。
2.人間に対し好戦的であり、その攻撃性は非常に高いこと。
3.帝国の戦闘生物部隊でも対抗することに
以上の1~3を全て満たす戦闘生物のを特定危険種とする。
〈デルダ〉は帝国北部のアビアス遺跡固有種、〈グア〉はアブラフェー砂漠で発見された希少種、〈ヴァチェク〉は帝国南部のクラベ遺跡周辺の固有種だ。帝国アカデミーの研究では、特定危険種は戦闘生物の中でも試作種あるいは先行量産種ではないか、という限定生産説が有力だ。戦闘能力においては
「大佐!大佐!こちらに来てください!」
「どうした?」」
即座に部下の方向へ走った。
「こちらです、大佐!」
声を発する部下の声は興奮気味だ。それにフェベルのために道開ける兵士達からも、ざわつきが伝わって来た。どうやらすごいものを発見したようだ。
「この部屋です。見てください!」
部屋の中へフェベルは足を踏み入れた。そして、目の前に広がる光景に息を飲んだ。
「これは……」
部屋には大小さまざまな作業台や
「すぐにマクレアンを呼ばなければ。本国アカデミーの研究チームも必要だ」
すぐさまフェベルは部下に命令する。
「周辺の警戒を
「これはすごい発見ですよ、大佐」
「ああ、わかっている。この発見は皇帝陛下もお喜びになるだろう」
フェベルと部下の兵士達は周囲を警戒しながら、さらに奥へと足を進めていく。
〈第二武装研究棟 第四通路〉
「やはり、遅かったみたいですね……」
第二武装研究棟にたどり着いたイシュタルの頭には、周辺の敵位置情報が次々と送られてきていた。これは彼女が熱源感知センサーや超音波、壁の透視などによる空間スキャンができるためだ。最新型
「第二武装研究棟にいる敵の総数は68人、目標周辺には32人。武器は銃で、特別な装備なし」
イシュタルの現在位置は第二武装研究棟第四通路だ。彼女がセイルのために手に入れたい武器は、第三通路に面している光学実験室にあった。
「さて、どうしましょうか」
光学実験室に入るための扉は一か所しかない。第三通路に展開している帝国兵達の視線を全て避けて通るのは物理的に無理だ。また、彼女自身が透明になるなんてことも不可能だ。そんな都合のいい機能、あるわけもなかった。
「選択、強行回収。相手するしかないですね」
この数を無理に相手にせずとも、目的である武器だけを回収して逃げることもできるのだが、そうすれば帝国兵はイシュタルのあとを追いかけてくることになる。イシュタルにとってセイルに対する危険が増えるのは絶対に避けなければならない選択
イシュタルはゆっくりと音を立てないように、第三通路につながる通路の
そして帝国兵を一人、角から出てきた瞬間、両手で一気に身体を引き寄せ、腹に
「敵発見!」「敵だ!」
通路内に響き渡る「敵」という声に反応した帝国兵たちは、すぐに振り向き銃を構えた。
通路いっぱい横一列に並び、前列がしゃがみ姿勢、後列が立つという二列の射撃態勢だ。一斉に
通常の人間なら
―弾道予測。
しかし、イシュタルにとってこの時代の銃は全く
まるで兵士は
「どうした!」
部屋の外で発砲音が聞こえたフェベルは部下に状況を尋ねた。
「敵です、大佐!」
「敵だと、特定危険種か?」
「いえ、それが戦闘生物ではなく、人間です!」
「人間?馬鹿な!」
一瞬、部下の報告を疑った。
だが、さっきから一向に収まらない発砲音や部下の声から、敵が倒れていないのは確実だった。徐々に音がこちらに近づいている。フェベルは事の重大性を理解し、右腰のベルトから七式拳銃を取った。そして部下に命令した。
「誤射に注意しろ! ヒューイ隊は部屋の入り口を固めろ! スプレイ隊、私の左右に展開!」
「ホーク隊が全滅」
「シスタ隊、下がれ!」
「くそ、なぜ当たらない!」
「撃て、撃て!」
「相手は一体、何者なんだ……くそっ!」
フェベルは優秀な指揮官であり、部下は決して見捨てない性格だ。
絶えない部下の
「大佐、
「何を言っている、部下がやられる姿を
フェベルも部下と同じように銃を前に構えた。彼も含め特別騎甲大隊の隊員は全員、射撃技術が高い。帝国軍で制式採用されている武器は全て使用可能で、当然、新しく開発された
(大隊が、たかが人間相手に
「大佐!そちらに対象が向かっています!」
そう聞こえた瞬間、目にも止まらぬ速さで人間らしい姿がやって来た。
(何!)
全員、反射的に引き金を引いたのだが一発も当たることなく、通路にいる帝国兵達はイシュタルの高い身体能力に
(この動き、人間ではない!)
フェベルは直感に従って腰を引き、低い弾道の弾を撃った。部下が撃った方向ではなく、自分のすぐ斜め横、手前の部下の右横の空間だ。結果的に彼の放った銃弾はイシュタルに当たることはなかったが、彼女がここに来るという直感は見事に当たっていた。その空間にイシュタルは来たのだ。
(指揮官のようですね。なかなか良い勘です)
イシュタルの回避行動自体には全く影響されないのだが、最も彼女に対して良い反応をしたのが指揮官であるフェベルだった。他の兵士は彼女をほとんど視覚に捉えておらず、
(ですが、これで終わりです)
イシュタルが彼の部下をなぎ倒しながら、その息の根を止めようとフェベルに接近する。
「ヴェーガ!」
通路内にフェベルの声が響いた。イシュタルの接近に反射的に反応したフェベルは銃を撃つと同時にヴェーガを呼んでいた。
「ギイイィィシシャャアアアーーーー」
「シシィィァアァァアアーーーー」
「ギイィィシャアアアアーーーー」
「ギイィィアアアアーーーー」
「シャアアアアアアーーーー」
「ギイィシィィァァアアアーー」
(ヴェーガ……)
イシュタルもすぐに接近してくる複数のヴェーガ生体反応を確認した。
ヴェーガの速さは人間や他の戦闘生物を
「来たか……」
ヴェーガ達の到着でフェベルの命は
それは本当にギリギリのタイミングであり、あと1秒遅ければ、間違いなく彼は死んでいただろう……
実はヴェーガ達はフェベルに呼ばれる前から彼の元に戻ろうと高速飛行で帰路についていた。それは当然イシュタルの危険性をフェベルに伝えるためだ。イシュタルの存在をすぐに指揮官である彼に報告しようとしていたのだ。
ヴェーガ六体のうちの一体、イシュタルに
「シャアアァ……」
「ああ、ここで逃がす訳にはいかない。必ずここで仕留める」
光学実験室の中に入ったイシュタルは、ヒューイ隊の一人を片手で
「ぐはっ……」「うっ……」
「くそ!」
支えにした兵士をそのまま足の力で押し倒した後、奥で銃を構えていた兵士の銃を正面から奪い去る。そして、手だけ向きを変えスプレイ隊に向けて銃弾を放った。スプレイ隊はイシュタルとヒューイ隊があまりにも近いために銃で応戦することもできず、イシュタルの撃った弾が次々と命中し、その場に倒れていく。
「うわっ……」
「くらえ!」
壁の後ろに隠れていた兵士と、床に伏せてやられたフリをしていた兵士が、イシュタルに襲いかかる。だが、彼女に触れる前に一人は後転
「いたぞ!撃て!」
部屋の外の兵士を引き連れたフェベルがイシュタルの姿を確認するなり銃を発砲。この部屋の
「……全く
イシュタルは後ろから飛来する弾も
「化け物め!」
DoLLである彼女は人間とは違い、視覚情報に依存している比率が低い。先に述べた通り、各種センサーが備わっていた。つまり、背後からの攻撃もちゃんと見えているのだ。背後から攻撃しようが、死んだふりをしようが、壁に隠れようが、遠くから狙い撃とうが、全てイシュタルには見えていた。そのような小細工はするだけ無駄だ。
「ありえない。背後からの銃撃を全て避けるとは」
フェベルは弾切れになった七式拳銃を捨て、背中に背負っていた
「いくら撃とうが弾の無駄ですよ。帝国軍の皆さん、大人しく引き下がってください」
イシュタルは背後からの攻撃を回避しながら部屋の
『入力コードを認証』
透明プレートに認証完了の文字が表示されると同時に、
驚くべきことに《失われた旧世界》の施設は数千年前に主人達を失ったにも関わらず正常に作動しており、イシュタルは開いた隠し金庫から灰色のケースを取り出した。
「目標を回収成功。これより帰投」
「あいつ、何を回収した……この部屋を知っているのか?逃がすな!」
フェベルはイシュタルの妙な動きを確認した。どう考えても、この部屋について知っているようで、今まさに壁に隠されていた物を手にしていた。
(このまま、この数の帝国兵をセイルの元に連れていくわけにはいきません。彼らを隔離しましょう)
光学実験室は機密保持と安全のために《失われた旧世界》の仕掛けが多く存在していた。その全てを
「何だ、これは!」
通路に展開していた帝国兵達が驚きのあまり、大きな声をあげた。
『緊急事態発生のため、第二武装研究棟を封鎖します』
光学実験室の入り口も分厚い壁、特殊装甲板で覆われてしまい中にいるフェベル達は完全に中に閉じ込められた。
「大佐!閉じ込められました!」
何とか壁をどかそうと、フェベルの部下達が部屋の内側、外側から押したり引いたりしているが、扉は一ミリも動きはしない。
『緊急事態発生のため、第二武装研究棟を封鎖します』
第二武装研究棟全域では緊急事態を告げるアナウンスが響き渡っていた。
「これで時間
イシュタルは隔壁が下りたことを確認した。
緊急事態発令による封鎖で、第二武装研究棟に集まっていた帝国兵は全く身動きできなくなった。
「さてセイルの元へ急がなければ」
次にイシュタルはケースを左手で持ったまま、右手で透明プレートに別の文字を入力した。
『入力コード認証』
するとイシュタルの足元の床が開き、彼女はその中へ落ちて消えた。
イシュタルが入力したのは緊急事態時でも使用可能な権限力の高い秘密コードで脱出用。第二武装研究棟光学実験室の床の抜け穴から、見事脱出したイシュタルは長い
(早く、セイルのところに戻らなければ)
広い通路を走るイシュタル。ここは非常用脱出路のため、セイルがいる場所までそのまま直行することはできなかった。複雑なこの遺跡……施設には様々な箇所に仕掛けが
何の知識もなしに歩けるような場所ではない。そういう理由で帝国軍が彼女より先にセイルのところにたどり着けるはずはなかった。それに、第二武装研究棟にいた部隊は封鎖された部屋や通路から簡単に出られない。
そのはずだった。
「あれは……」
イシュタルが見たのは、敵が施設に侵入した可能性があるという警告案内。
空中に映し出されているその案内は、この施設の階層・通路と侵入者の生体反応を映していた。イシュタルが第二武装研究棟の非常事態発令を行ったのだが、どうやら帝国軍は特殊装甲板である隔壁を破壊したようだ。そのため、施設の独自セキュリティは『侵入者』がいると確定判断し、その排除のためにセキュリティシステムを全面的に起動、施設にいるイシュタルにその報告をしてきたのだった。
案内板は走るイシュタルに合わせ、彼女の左斜め前に移動しながら宙に表示されている。侵入者とされる多数の反応の中で、飛び抜けて速い速度で移動しているのがヴェーガと思われる六つの反応だ。
「どうやって、あの隔壁を……」
〈第二武装研究棟 光学実験室〉
「消えた……」
フェベルと彼の部下は、さっきまでイシュタルがいたはずの場所へ、急いで歩み寄りその床面を確認した。
「どうやら、抜け穴のようだな」
フェベルは床を手でなぞる。
「そのようです」
抜け穴の入り口自体はすでに閉まってしまい床と区別ができなかった。驚くべきことに穴の目印だとわかるような
「大佐、閉じ込められたようです」
「爆破できそうか?」
「無理です大佐。この隔壁は
後ろの隔壁を見た兵士が言う。
おまけにフェベル達はこの部屋から出ることはできない状況だ。イシュタルにより第二武装研究棟の部屋と通路の全てが
「心配はない、落ち着け。全員、入り口から離れろ」
そう言われた部下達は入り口から離れた。
「いいぞ、やれヴェーガ」
フェベルのその言葉が合図となり入り口の隔壁が爆発。そして大きく崩れた。
「……力の制御はまあまあだな」
フェベルが破壊された隔壁の
「ヴェーガですか」
「少し、危なかったですよ」
全員が光学実験室の扉を出るとヴェーガがたたずんでいた。
「シャアアァ……」
ヴェーガ一体がフェベルに何かを伝える。
「ああ、他の連中も今、助けてくれているんだな」
人間の言葉を話したわけではないのだが、フェベルはヴェーガが伝えたいことをすぐに理解した。
「シュウウ……」
どうやら、他のヴェーガ達はフェベルに命令される前から部隊の救出に向かったようだ。
あちこちで爆発音が聞こえる。フェベルは部下に弾倉の再
「大佐、あれは人間でしょうか?」
先ほど
「……見た目は少女でした。まさか、遺跡の
戦闘生物でもない強力な相手……帝国軍でもこんな戦闘経験はない。まして《失われた旧世界》の遺跡での出来事だ。
フェベルもこんな事態を想定しておらず、確かに内心動揺はした。しかし指揮官としてそんな姿を部下に見せるわけにはいかなった。それに、あの少女が何者なのか興味が
「それはない。もし
少し時間が経つと、他の場所にいた部隊が合流してきた。彼らを救出したヴェーガも一緒だ。フェベルはさっきこの場所で何が起きたのかを他の部隊に詳しく伝え、油断することがないように注意を促した。これは彼自身もあまり意味のないことだと感じてはいる。だが、現時点ではそれしか部下に言えることがなかった。
「私はヴェーガとともに奴を探す。ヴェノ隊、マクレアン調査隊が来たらこの部屋を案内しろ。レベン、お前がウォンクスを率いて下層に来い。あとマース、ジュライ、キュリアム、サタ、ヴィナックはいるか?」
「はい」
最初に返事をしたのはマース。
「ここに」
大佐のすぐ近くにサタいた。
「はっ」
ジュライは敬礼し声を上げた。
「準備はできています」
キュリアムはジュライの横に。
「全員いるみたいですよ、大佐」
最後、ヴィナックが手を挙げた。
名前を呼ばれた兵士達が前に出てくる。彼らの戦闘服は他の兵と色やデザインが異なっていた。この戦闘服は武器を身に着けるポケットやベルトの位置が通常のものに比べて、やや上半身寄りになっている。使用している
「お前達わかっているとは思うが、ヴェーガで出るぞ。奴をこのまま見過ごすわけにはいかない。放っておけば帝国の
彼の言葉に対し、全員が敬礼をして「ハッ!」と答えた。
各員が自分の相棒であるヴェーガに搭乗する。フェベル自身も彼の相棒であるヴェーガの背に乗った。
フェベルの搭乗するヴェーガは他のヴェーガのまとめ役であり、イシュタルに
「シャアアァ……」
ヴェーガは生まれついてから、その圧倒的な戦闘能力で世界を駆け巡ってきた。そう人間に
フェベルもこれまでにない感情をヴェーガが
「気持ちはわかるが、落ち着け。奴は今まで会った敵の中で最強だ」
「ジャアアァーーシャァ、キュルゥゥ……」
「そうだ相棒。あいつは必ず倒すぞ。よし、全員準備はいいな。行くぞ!」
フェベル大佐を先頭に、五体のヴェーガが飛び立った。
〈第一研究棟 非常用脱出路 D区画 第一通路〉
「なんて速さ、ヴェーガ」
イシュタルが見ているヴェーガの生体反応は、正確に下層へ移動しており立ち止まることはない。おまけに、施設内の侵入者迎撃兵器まで相手にしているのに、その勢いは全く
同時にヴェーガの様子が映像で表示された。
「起動したセキュリティまで、軽々と突破するということは……会った時のヴェーガは全く本気ではなかったということ、あるいは何か力を解放するきっかけがあったということだ。なるほど、これは予想外」
施設セキュリティは光学兵器による侵入者迎撃と隔壁による区画閉鎖を中心とし、他にも多くの仕掛けが存在するが、事実、ヴェーガはそれらを突破していた。この時代の兵士達の服装や装備はイシュタルが知っているものとかけ離れており、そんな帝国軍がこの施設のセキュリティを突破することはありえないと考えていた。イシュタルは起動権限こそ有していないものの、セキュリティネットワークのアクセス権限を有しており、すぐに施設の独自セキュリティシステムに命令を出す。
「レーザーネットを
『了解しました、ゼロクイーン。
「防衛ユニットは展開できる?」
『申し訳ありません、ゼロクイーン。防衛ユニットがすでに消費されているため展開できません』
「敵の解析結果は?」
『高速移動中の侵入者は飛行型生体兵器と思われます。また、その飛行型生体兵器の背にそれぞれ搭乗者が確認できます』
「やはりヴェーガね」
『また、後続として四足歩行型生体兵器と歩兵が多数接近中。また二足歩行型生体兵器に騎乗している騎兵らしき兵士が下層に向かっています』
「第二武装研究棟に閉じ込める作戦は失敗。早く脱出しないとセイルが危ない」
イシュタルがこの場でできる帝国軍への妨害は全て行った。しかし、ヴェーガの戦闘能力は油断ならず、直接戦闘をしても確実に勝てるという保証はない。彼女の
それに、セイルはDoLLであるイシュタルとは違い、ただの人間だ。帝国軍が使用している生体兵器のことを考えると人間が彼らを相手に戦うのは非常に難しい。だからこそ、彼女が手にしている武器が必要ということになるが、それでも基礎身体能力には大きく差がある。正面からセイルが戦う事態になるのは避けなければならない。生体兵器は人間を殺すために造り出されたのだから。
現在、彼女が走っているのはD区画。目の前には、さらに下層へ行くための
『ゼロクイーン、現在マスター・セイルをF区画第四脱出路まで誘導中。もう少しで到着します』
「了解。飛行型生体兵器の状況は?」
『依然として、飛行速度が
ヴェーガ達は見事な飛行術でレーザーネットとレーザー弾幕を回避しながら、破壊できるエネルギー発生源(ジェネレーター)を次々と破壊していった。レーザー弾を何発か受けてもヴェーガがひるむことはなく、受けた損傷は
(脱出路までヴェーガが来たら非常に
〈第一研究棟 F区画 DoLL用秘密通路〉
いくらDoLLとはいえ帝国軍特別騎甲大隊のど真ん中に、突っ込むというのはいささか
「イシュタル、大丈夫かな。相手は特別騎甲大隊か……」
帝国軍は多大な
(この
帝国とユランベルク諸国連合が戦争になる、ということは今のセイルにとって嫌な話だった。なぜなら、ユランベルク諸国連合の南に位置する商業都市国家〈クルゾン〉が、彼の基本的な生活の場であり、知り合いも多くいるからだ。特に考古学研究の学者や戦闘生物ハンターの知り合いは年齢層が幅広い。遺跡から脱出した後、彼らに出会えば何か手助けしてくれるだろう。
『こんばんは。マスター・セイル、ゼロクイーンから脱出路に案内するように
「うわっ、なんだ!」
突然、目の前に現れた案内表示とどこからか聞こえた声にセイルは驚いて声をあげた。
空中に映し出される《失われた旧世界》の案内は、この時代の人間にとって非常に奇怪なもので心臓に悪い。どんな原理かは知らないが、思い通りの場所に空中案内とアナウンスを届けることができる《失われた旧世界》の技術はやはり未知の世界なのだ。
「マスター・セイル?ゼロクイーン?なんで、言葉がこの時代のものなんだ?どうやってこんなところに映像が……声が、どこから声が?」
いきなりの出来事で、セイルは混乱した。おまけに、何故か声の
『失礼しました。ゼロクイーンというのは、あなた様がイシュタルとお呼びになっている
姿の見えない声の主に言われるがままにセイルは移動を開始した。案内には現在地と進行方向が表示されていた。それに沿ってセイルは走ればよかった。
「イシュタルは?」
『イシュタルは現在、第二武装研究棟で目的のものを回収し、こちらに向かっています。また、各区画ではイシュタルの命令により、防衛機能が働いています。ですが、飛行型戦闘生物を食い止めることはできていません。依然としてこちらに向かっています』
そう言うと案内表示にはイシュタルの現在地と飛行型戦闘生物ヴェーガの現在地の両方が追加表示された。
「この反応は間違いなくヴェーガだ」
『はい、イシュタルもその名前を
(イシュタルが無事だとわかったのはいいけど、やはりヴェーガに追われているのか……)
ヴェーガの戦闘能力が高いことは知っているが、先ほど会った感じでは戦争時の戦局を左右したり、帝国占領域の居住区周辺の
しかし、初めてヴェーガを見た時、セイルが他の戦闘生物とは次元が異なるという恐怖を覚えたのも事実だ。その感覚は、まさに
(だから死の恐怖を感じたんだ……)
彼らは吸い寄せられているのだ、獲物に。まるで遠く離れた恋人を求めるかのように。そして、殺すのだ。彼らの存在意義を刻むために。
今でもヴェーガの姿が鮮明に思い出される。最初に出会った場面が脳裏に焼き付いていた。
『マスター・セイル、表示されている地点で止まってください』
セイルは言われた通りの場所で止まる。周りには通路の
(何もない)
と思っていたのだが、床の一部が徐々に音もなく開いていく。そして、下へと続く階段が現れた。
「この遺跡は本当に迷路だな」
『マスター・セイル、この先が第四脱出路です。我々は第四脱出路に向かう必要があります。急いでください。イシュタルもこちらに向かっています。合流まで間もなくです。申し訳ありませんが私の誘導はここまでです』
「ああ、ありがとう」
階段を下りるセイル。底は見えなかった。
セイルが完全に床下に収まると上の床は
(もうすぐイシュタルが来る)
一応、敵の襲来に備えて銃を手にした。弾は
「……あれは、イシュタルだ」
間違いない。人間離れした速さでこちらに走る少女だ。イシュタル以外にはありえない。それにケースを手にしていた。
「こっちだ、イシュタル」
イシュタルの姿が次第に大きくなってくる。ここまであと少しだ。
「セイル、お待たせしました。急いでここから逃げましょう。危険です。大丈夫ですか?」
イシュタルの声がセイルにはっきりと聞こえた。
「大丈夫だよ」
ドバーン
「キィィシャアアァーーーーーー」
突然、天井を破壊して現れたヴェーガ。
その口からは光が
それをイシュタルは後ろ宙返りで回避した。ヴェーガはそれを見るなりイシュタルに次々と光弾を放つ。
「さあ、その手に持っているものを渡してもらおうか」
ヴェーガの背に乗るフェベルはイシュタルに言った。
生きているイシュタルからは絶対にケースを奪えない、イシュタルの
「く、まずいヴェーガだ!こんなところにまで!イシュタル!」
セイルが
イシュタルはヴェーガに対して反撃する余裕がなかった。
「イシュタル……このままだとイシュタルが危ない。これで何とか」
銃をヴェーガに向け、セイルは引き金を引こうとした。
バーン
「シャアアァーーーーーー」
「キィィイイーーーー」
「うわっ……」
セイルの後ろの天井が破壊され、強い衝撃でセイルは床に倒れた。
その時、銃が手から
「ん?遺跡に少年?」
「こいつ、マクレアン隊の報告にあった少年じゃないか。まだ生きていたとはな、驚きだ」
「どちらにしろ、死んでもらおう」
「ああ、命令だ」
やはりセイルは動けずにいた。こちらを
(身体が、身体が動かない……)
ヴェーガの口が光り始めていた。
(まずい、まずい、まずい……どうする、どうする、どうする!)
ヴェーガの口の光がさらに増大する。
(銃を拾う?いや、無理だ!)
ヴェーガの口から光が
「セイル!」
イシュタルが見たのは、セイルが今にもヴェーガの攻撃を受けそうになっている光景だった。
このままでは確実にセイルが殺される。しかし、それを止めようにもイシュタルはヴェーガ三体による集中砲火を受けており、救出に行ける状態ではなかった。ヴェーガ三体は攻撃を
(反撃する余裕がない。このままではセイルがヴェーガにやられてしまう)
「セイル、拾って!」
一瞬でイシュタルは手に持つケースを
イシュタルの声に反応したセイルは後ろを振り向いた。そして右手を伸ばした。そこへ見事に銃が収まる。セイルはしっかりとその銃を握り、流れるようにヴェーガへ狙いを定めた。
『使用者認証。高速射撃モード・アクティブ』
そして、セイルは反射的に引き金を引いた。
「ギャアア、シャアァ、ギャアア」
放たれた青白い高エネルギー弾がヴェーガの胸部に命中した。セイルは続けて二体目のヴェーガにもエネルギー弾を撃った。生きるために、ヴェーガから逃れるために無我夢中だった。
「ギャアアア、キュアアアア」
今までに味わったことのない強烈な痛みで、ヴェーガ達は
セイルから見ると、エネルギー弾はヴェーガにそれぞれ二発ずつ当たったように見えた。だが、実際はヴェーガに六発ずつ命中していた。身体こそ貫通しなかったが、高エネルギー弾を受けたヴェーガの皮膚は大きく焼けただれ
セイルには自身の一連の動作が全てスローモーションのように感じた。
「何!」
「馬鹿な!こんなことが!」
ヴェーガ二体はしゃがみ込んだ状態から動けそうになかった。事実上の戦闘不能状態だった。
「やった……」
セイルはひとまず
ヴェーガ二体の襲撃からセイルが助かったのをイシュタルは確認した。フェベルも同様にそれを確認した。ヴェーガを率いてきたフェベルにとって、それは信じられない光景だった。
「エネルギー兵器だと、そんなヴェーガが……くっ!」
ヴェーガの攻撃がすぐさまイシュタルからセイルに変わった。
複数の光弾がセイルへと放たれた。ヴェーガはセイルがイシュタルほどの身体能力がないことを知っていた。いくら武器を手に入れたとしても、
「うわっ!」
光弾が迫って来るのを目にしたセイル。
だが動けるはずもなかった。セイルは反射的に目を閉じた。
『自動防御システム・アクティブ』
だが、セイルは身体のどこにも痛みを感じなかった。加えて身体の感覚があり、意識もちゃんとあった。現状確認のためにセイルはゆっくりと目を開いた。
「これは……一体?」
ヴェーガの光弾がセイルからそれていっていた。セイルに当たるはずの光弾がそれていく。まるで光弾が意志を持っているかのようにセイルの身体を避けていた。
「当たらない。そんな馬鹿な!あの少年、一体何を……」
フェベルはこの現象の理由を説明できなかった。
『防御システム再起動まで:5秒』
フェベルがセイルに気を取られているのをイシュタルは見逃さなかった。イシュタルはすかさずフェベルのヴェーガへ
「しまった……」
フェベルのヴェーガが壁に倒れかかる。
ヴェーガによる集中砲火がなくなったイシュタルは一気にヴェーガ達へ反撃を開始。天井の上にいる二体のヴェーガを倒すため、大きく跳躍して上の階層に行き、ヴェーガの右脚へ回転
「ギャアア」
イシュタルの動きに気が付いたもう一体のヴェーガがイシュタルの姿を捉えた。そして光弾を撃とうとするが、その前に強烈な打撃を食らい、攻撃は中断した。
「ギャア……ア」
ヴェーガはそのまま気を失い地面に倒れた。しかし死んだわけではない。通常の生物ならば確実に死んでいるだろうが、ヴェーガの生命力はイシュタルの予想を
「この化け物め!」
「くそ、なんて奴だ!」
事が終わると
「セイル、
「大丈夫だよ。イシュタルの方こそ大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。心配をかけました」
「とにかく、急いでここから出よう。まだ後続部隊が大勢いる。それに、ヴェーガは時間が経てば回復する。今のうちに離れないと」
セイルの端末は特別騎甲大隊の騎兵部隊とウォンクス部隊が迫っていることを伝えていた。
「行こう。ヴェーガだけに気を取られるわけにはいかない」
二人はすぐに移動を開始する。
「ヴェーガが収束レーザーを撃てるとは驚きました。それにあの生命力、恐ろしい生物ですね」
「ああ、あれなら戦争で大きく活躍する。なんて生き物だ。国を滅ぼすこともできるとは言われていたんでけど、本当だったなんて。それにしてもこの武器は?」
重量はほとんどなく、握っているという感覚がわかる程度だ。そのため、簡単に片手で扱うことが可能である。この武器が太古に作られたレーザー銃なのはセイルでもわかった。なぜなら、《失われた旧世界》の遺跡にはレーザー系の仕掛けや防衛システムが多いためで、帝国でもレーザー兵器を完成させてはいないからだった。遺跡でセイルもレーザー機銃のセキュリティに引っかかってしまい、
「私も詳しいことは知りません。何しろ、試作段階のものですので。ただ、あらゆる場面での使用が想定されて開発された光学銃のようです。そのため、射撃時には様々なモードが存在し、数秒間だけですが、使用者に命中する敵の攻撃を自動的に無力化します。ただ、この自動防御システムは
「この銃のおかげであの時助かったわけか……本当にすごいな。でも、こいつをここに置いてはいけないな」
セイルは荷物となるのに先ほど落とした自分の銃を拾いベルトに収めた。確かに威力も使い勝手もレーザー銃の方が申し分なかったが、自分が長い間使ってきた銃を捨てようという気にはならなかったのだ。
「この先に行けば、ここから脱出ができます」
「よし」
「シャアアアアア!」
その
やはり視線の先にいたのはフェベルとその相棒のヴェーガだ。
「お前達を逃がすわけにはいかない!ここで死ね!」
二人を生かして逃がすまいと、フェベルはヴェーガの背中に乗っていながら
それは
「キィィイシィャアアアアアア!」
「セイル、私の背中に!」
そう言われたセイルはイシュタルの背中に飛び乗った。
「飛ばします。しっかり
セイルを背中に背負ったにもかかわらず、イシュタルの走る速度は上がっていった。
「うわっ……」
イシュタルの速度が上昇するにつれセイルの顔に当たる風が強くなる。目を開けることも難しくなりセイルは自然と目を閉じていた。
「シャアアアアア!」
フェベルとヴェーガの距離が段々開いていた。
フェベルはイシュタルとセイルが遠ざかっていくその姿をどうすることもできない。
「シャアアアアア!」
『侵入者のため第四脱出路を緊急閉鎖します』
通常の遺跡における規定では脱出路まで閉鎖することはない。しかし、上の通路から天井を破壊してきたヴェーガにより、遺跡のセキュリティシステムは脱出路の閉鎖を決定したようだ。イシュタルとセイルがヴェーガから離れたことを確認したと同時に第四脱出路の封鎖を開始した。
『侵入者のため第四脱出路を緊急閉鎖します』
二人の後ろで通路を
「セイル、ヴェーガを振り切りましたよ」
「……あ、ああ。助かった……」
「脱出まで、もう少しです」
イシュタルとセイルがいるのは第五非常用脱出路。この先にセイルの端末が示す最終目的地がある。周辺に敵の反応はなかった。
(イシュタルから体温を感じる……温かい)
イシュタルの背中に乗っているセイル。
彼女の肌から人間と同じ体温の温かさを感じた。高速で走るため、風当たりが強く冷たいのも事実であるが、イシュタルは温かかった。幼い頃から
もちろん、
セイルの心はいつも冬だ。
長い長い冬だ。
でも、その冬は
「セイル、見えてきました。あれが、脱出用の転送装置です。あれに乗れば、ここから遠く離れたところに行けます」
イシュタルが大きく跳躍したかと思うと、その瞬間、転送装置が自動的に起動し二人が大きな光に包まれた。
そして数秒後、二人の姿は完全に消えてなくなった。
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