(α+β)うねり
目覚めれば、あの背の高い男と向き合いながら座っていた。
記憶でも記録でも現実でもない夢の世界。
それが、自分の始まりだった。
窓が一つ、椅子とテーブル。窓の外は真っ白、何も見えなかった。頭の中には、この男が誰であるのか、目的は何か、何が起ころうとしているのか、全てインプットされていた。ただ一つ分からないのは、自分だけだ。誰で、どうして、何故自分なのか、特別?そんなものを。
「やあ、トマス。いいかい?君は特別だよ。やることは分かっているよね?」
トマス、小さい体、銀髪、青い目。それが自分。そして特別。それ以外の何者でも無かった。
その夢からもう一度覚めた時、大きなカプセルに入って無数のチューブやら液やらを繋がれている自分の体を、まるで幽体離脱しているかのように自分を眺めていた。自分が外の世界に出られるようになるまで、何度か綺麗な女の人が見に来ることがあった。自分のカプセルに手を添えて、何か話していたけれど、彼女もまた人間ではない霊的な存在のようだったことを覚えている。
そして今に至る
計画実行の朝、トマスはあのBtuber宅へとついた。
「いいか。今日の夜決行だ。なんでもいい、なんでもいいから人を集めるだけ集めろ」
心の焦り、不安、そういった気持ちがトマスを困惑させた。もはやそこに哀れみや劣等は存在しえなかった。
「ああ、いいぜ。人を増やすだけ増やしたら…もっともっと増やしたらどれだけ金がもらえる?全く安い仕事だな。ネット社会に溺れる、何かにすがらないと生きていけない哀れな馬鹿ども」
Btuberの男は余裕そうな顔で、今日の”イベント”の告知をしようとしていた。何かにすがる…そんな言葉に、何故かトマスはあの少女を思い出す。空想や虚構を越えた人間の意思。信じる心、零れ落ちた水、知らない側面、そう言った一面が彼の心に刻まれた。
しかし彼をささやく背の高い大きな何かが、また彼を引き戻してしまうのだった。まるで砂浜に描いた絵を、引いては返す波がかき消してしまうように。静かに。
朝、登校する。椅子に座って、横を見る。カバンも無い。ああ、セツナが居ない。断片的な言葉かしか出てこない。何があったんだろう、どうしたんだろう、会いたいとは思わないけど、何があったかは聞きたい。
そんなセツナの座っていた机といすを、憑りつかれたように見る私を委員長が心配そうに見ていた。だんだんと近寄ってくる委員長の存在に気づいた私は、顔を上げると、委員長と目が合ってしまった。
「…誰かが居ないのって寂しいよね」
委員長はそう言って少し笑うと、私の前の席に座った。
「私、家に帰ったら誰もいないんだ」
彼女の言葉に、私は何か、つながりのような、ものを感じる。うまく言えないが、言うつもりもないが。
「両親は共働き。寂しいのは慣れてるけど、やっぱりまだ子供なんだよ」
少しの間。私は何も言わず委員長から目線を外して、セツナの机を見る。
「清川さんにプリントとか届けなくてもいいのかな…住所も何も知らないし、私じゃ嫌われちゃったかもしれないから、今度笹原さんが届けに行ったらどうかなって…その…」
私が不機嫌そうにしているのかと思われたのか、マリ…は慌てて言葉を訂正した。
「プリント、置いておくね。じゃあ…」
私が声を発する間もなく、マリは行ってしまった。何か言えばよかったか、いやしかし話すことが見つからない。きっとここで繋がりを持ってしまったら、怖いものがやってくる。そう、だから…でも、さっき感じたのは依存じゃなくて、一本の線のような脆くて切れてしまいそうなほどの糸だ。
本当の気持ち。もし今度、話しかけてくれたら、話しかけることが出来たのなら、
「ちゃんと、話したい」
セツナも交えて、他愛もない会話をしながら、お弁当にでも誘おう。
前に座っている委員長を見ながら、私は決意を固めた。
「ハヤトのイベント、お前も行くよな?」
「もちろんだよ!古宿駅に、夜6時集合な!」
この間話題になっていた、あの配信者のイベントが今日あるからなのか、クラスメイトの大半はそんな話題ばかりだった。関係のないことだけれど、何故か気になってしまう流行の話題。ついていこうと努力するのも嫌、でも何も知らないのも嫌…難しく読めない譜面の空気に、また嫌な感覚を覚えてしまった。
ついに時は来た
辺りは暗くなり、ネオンの町の明るさが一層に際立っている。
古宿駅の交差点前には、多くの若者が訪れ、デパートに設置されている大型スクリーンに何かが映し出されるという情報が流れていた。
私とトマスは、デパートの屋上に立ち、人の流れを見ていた。スマホを持ってはしゃぐ若者、常に響く笑い声、そういったものを見下ろしながら。
「…前言ってた、適合者というのがこの中にいるかもしれないのね」
私はおそるおそるトマスに聞いてみる。
「ここに大勢の人間を集めたのは他ならない。マリアの栄養源のため…ハデスの門を開くのは奴らの拒絶心、劣等感、恐怖、そのものだ。適合者は誰よりも強い拒絶心を持った人間を指すのさ。それが君の役割でもあると俺は思うけどね」
私の役割…?生ぬるい風がほおをつたい、トマスの銀髪の髪がなびいた。
「時間だ…ハデスの門を開いたら、もう閉まらないかもしれない。それは俺自身なんだよ。そうしたら君は逃げていい。俺も逃げるから」
予想外の言葉に戸惑いつつ、私は行こうとするトマスの手を引く。しかし彼の手は簡単に取れてしまい、紙粘土のようにボロボロになった。
「…!!」
「ごめん、もう行くんだ」
彼はその場からスッと消え、ハヤトの元へと向かうのだった。
「逃げるつもりもない、死ぬつもりもない、でも生きるつもりもない。私達は虚構に生きるしか他ならない。それを教えてくれた何かに、彼は出会ってしまったのね」
私はそうつぶやいた。
「さあさあ!!お待ちかね!古宿駅に集まってくれた視聴者たちよ!今日来てもらったのには…超ビックなイベントがあるからなんだぜ、今から流す動画をよく見ててくれよ」
ハヤトは自身の自宅から生配信をし、トマスから受け取ったCDを流そうとしていた。ハヤトは、トマスにそのCDを聞かせることも条件にしていたのだった。一体何が流れるのかと、人々は目を輝かせながらスクリーンを見守る…
「それじゃあ、再生スター…
彼が再生ボタンを押す前に、その”音声”はスクリーンから流れてきた。
”ハッ、楽勝さ。目的は知らないが、古宿駅に人を集めればいいんだろ?それで100万円がもらえるなんて安いものよ”
聞いたことのある声、誰だ?ハヤトはそれが誰であるかに気づき、ボタンを押そうとしていた手が震え始めた。
「今の声って…」
「一体どういうことだよ、100万円?」
「もしかしてドッキリ?」
交差点には異様な空気が流れ、人々の輝いていた目は消え失せたのだった。
「おいっ!!なんだよ、これ、一体だれがこんな音声を…」
ハヤトはどうにか音声を消そうと試みるが、パソコンはもはやひとりでに動き出し、その音声をリピートし始めていた。
「やめろ!止まれ!止まってくれ!これは俺じゃない!」
ハヤトが焦る様子は、Btubeにて生配信されていた。
「あのチビ…!録音しやがったのか、あのクソガキィ!!」
ハヤトはついには自身が座っていた椅子をパソコンに振りかざし、画面を割った。しかしながら音声のリピートは止まらず、スクリーンからはハヤトの暴言が響き渡っていた。
”所詮これはネットさ、ネットなんてお遊びの一つに過ぎない。奴らなんて俺を持ち上げるための、コマにすぎないのさ”
「…!!それはっ」
『有名大人気Btuberハヤト、炎上確定か』
『速報 ハヤト ファンをコマと表現』
『古宿駅でのイベント 生中継wwwこれはやばいWWW』
まるで彼の発言が予言されていたかのように、次々とネットではハヤトに対する不信感を表すニュースが飛び出した。
「これドッキリじゃないんでしょ。誰が録音したかも分からないけど、これがハヤトの真実ってことでしょ。あたし帰る」
ハヤトの言葉に唖然としていた視聴者はそう言い残し、古宿駅から次々と退散しようとしているものが居る一方で、まだ何か起こるのではないか、良い記事はないかとその場に残る視聴者も多数いたのだった。
「観てください…!!これがあのハヤトの真実です」
「炎上で人を困らせていると思わないのか」
「やばくね?」「虚構は幸福なり」「あたしたち一人一人をなんだと思ってんの?」 「論外」「最悪」「気持ち悪い」
「帰ろう」「どうでもいっか」「炎上で人を困らせてると思わないのか」
「これが真実!」「偽装!二重人格!」
「炎上で人を困らせてると思わないのか」
「炎上確定!」「明日からどうやって生きるの?」「呟こう」「拡散しなきゃ」
「気持ち悪い」「つぶやいとこ」「真実は残酷なり」
壊れないパソコン、屈辱的な言葉の雨、突き刺さる劣等感の槍、後悔を拒む恐怖心。止まらない罵声、逃避場所が無い、孤独、不安…ハヤトは今の状況に追いつけず、息は荒くなり、誤解を解こう…と古宿駅へと走り出していたのだった。
「あのガキ、ガキが!俺の世界をぶち壊しやがって!!」
「…そろそろ、か」
彼らの様子を見下ろしていたトマスは、そう言うと目を閉じ、地上へとゆっくりと浮遊しながら降りてきたのだった。その人間離れした様子に、周囲の人々は驚き、恐怖さえも感じるのだった。
「ひ、ひとが空から…降りてきた」
「やばくない…?子供だけど…人間?」
トマスは、怒り狂ったハヤトが近くまで来ている事を察すると手をその方向へと向けた。
「我をあるべき所へ導き給え、愚かな魂の浄化、そして安らかな融合を果たせ、ハデスの門よ、マリアの元へ」
そう言うと、ゆっくりと目を開け、彼の目は薄い曙色から赤く光る眼へと変化していった。その眼で人々を見つめると、ある見つめられた少年は自己を失ったかのように目は虚ろになり倒れてしまった。
「きゃああああ!!!」
少女がそう叫ぶと、トマスはすかさずその少女を見つめる…そうしてトマスはたくさんの人間の自己を奪っていった。老若男女問わず、彼の光を見たものは次々と抜き取られた。
「人が倒れたぞ!!早くきゅうきゅうしゃ…を」
トマスの周りに居る人々は次々と倒れ、彼らの自己は光となってトマスの手の中へと収束していったのだった。
「早く!早く逃げろ!」
古宿駅から逃げようと、駅へ向かおうとする人々さえもトマスの眼にやられ、次々と自己を抜き取られていくのだった。何事かと警察や消防隊さえもが駆け付けるが、彼らもまたトマスの餌食となった。自己を吸い込んでいくにつれて、トマスの光は増していった。建物に居た人や、電車に乗っている人…ついには画面越しで生配信を見ている人にまで被害は及ぶのだった。
「…これでいいんだ」
トマスはそう言うと、光を収束させハヤトの方向へと向けた。
「このクソガキィイイ!!よくも、よくも俺の人生を壊したな!俺を裏切ったな!」
ハヤトは、トマスの後ろから殴りかかろうとするが、見透かされ彼の眼の餌食となったのだった…彼の自己は今にも消えてしまいそうなほど小さく、トマスはその光を吸収した。
「人間はいつもそうなんだ…何かにすがって、勝手に信じて、虚構を生きている。完全体になることで、もう何も…そう何も、恐れることは無い」
けれど、自分が知ってしまった事、それはもう手の届かない幻の彼方。浸食された心―…それらがトマスの心の迷いを増幅させるのだった。
そして古宿駅はもはや地獄と化し、その場にたたずむのはトマスただ一人—…のはずだったのだ。この場に居る人間の自己はすべて奪ったはずだった、しかし人間の荒い小さな息がする。
小さな靴音、小さな鼓動、小さな息、何よりも大きい包み込まれる心。
そう、あの”少女”だった。
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