(α+β) 知りすぎたこと

  実行まであと1日となり、トマスは病院へと戻った。夜明け。病院の窓から高ぶる胸の鼓動を抑えて、ぽつぽつと色めき出す街の明かりを眺めている。すると、トマスは背後に異様な気配を感じ後ろを振り返った。

 「誰だ。組織のものではないな」

 彼が振り返った先には、今朝彼が出会ったあのアヤという少女が居た。髪は二つ結びで結んであり、トマスを見ながら恥ずかしそうにただずんでいる。

 「あの...朝、私を運んでくれてありがとう」

 トマスは唖然とした。自分が人間の女と話していることに妙な嫌悪感を感じるとともに、不思議な、嗅いだことのない匂いさえも感じたからだ。

 「礼などいらない。早く消えろ、人間」

 「名前は...なんていうの」

 後退りするトマスに駆け寄るように、アヤは部屋に入っていった。

 「冬夜だ。お前はアヤだな。母親に捨てられた哀れな人間よ、なんなら、組織に加入して完全体の生物へと生まれ変わるか?」

 トマスはアヤの元に自分から駆け寄って、アヤの前に手を差し出した。

 「ママは...絶対私を迎えに来てくれる。そう信じてるの」

 トマスはまた唖然とした。来るはずない母親を、自分を捨てた母親を信じられる心があることに。そこに何故か劣等感が募った。なぜ、か。

 「勝手に信じればいい。本当に哀れだね。だから人間は完全になれない、かわいそうな...」

 「ママはいないの?パパは?」

 自分の目を覗き込んでくるアヤに、また後退りした。分からない、やめてくれ、気づかせないでくれ、といった拒絶が。

 「わぁ、冬夜くんの瞳、あのお空の色してる!きれいだね、素敵」

 目の前にある無垢な少女の笑顔、初めて褒められた高揚感に、あの劣等感は吹き飛ばされた。思わず自分の目に手をやって、夜明けの空を見上げる。

 「曙色。ママが着物屋さんやってたから知ってるの...もう少し朝になったら迎えに来てくれるのかなぁ」

 うずくまるアヤをトマスはじっと見つめていた。そこに哀れみはなく、優越感も劣等感もない。不思議な異色を放つ、生物を見るような目で。

 「なぜ信じている?」

 トマスがそう言うと、アヤは急にうつ向いて、悲しそうな表情をするのだった。トマスは自分が悪いことを言ってしまったのか、とアヤの行動にためらいを持った。

 「言いたくなければいいが」

 「ママだからだよ…私のママが置いていくはずないもの」

そう言うと、またアヤは空を見上げその瞳に空を映し出すのであった。

 こいつは、組織には入れない。組織から聞いていた人間ではない、トマスはそう感じた。すると興味が無くなったのか、トマスは少女を置いて部屋から出て行った。

 「待ってよ!冬夜くん…一緒に居てくれない?ママが来るまで」

 トマスはその言葉を無視し、アヤから離れようと必死に早足で歩き続けるのだった。なぜだ、なぜだなぜ自分はあの少女に気にかけるような事をしたのか。もっとも人間らしい行動をしてしまったことに嫌気が指す…


 だから、嫌いだ。


 「…あれ、私今日は」

 朝日が差し込み、朝を迎えた。汗も呼吸も落ち着いている。私は自分の手を握ったり、開いたりを繰り返してここが夢のハザマでないことを確かめた。

 「リビングからは何も聞こえない。なんで…母さん、ひどいよ」

 一瞬はそう声に出すも、期待していた自分が間違っていたのだと思い返す。変化を求めていた自分を恥じらうように、また自分の中に閉じこもった。そしてリビングへ行くと、3枚の紙切れをぐしゃぐしゃに丸めてしまった。

 

 学校への道のり、あのカラスが私を待ち構えていたように駆け寄ってきた。まだ時間があったので、カラスに顔を近づけてみると

 「よく見ると目がオッドアイなんだね、右が青で左が赤だ。綺麗だね、似合ってる」

 そうカラスのつぶらな瞳にしばらく見入っていたが、校門の前まで来るとまた飛んで行ってしまった。青空にはばたく羽音が、空によく似合う。自由な音、何も気に欠けず、誰にも依存しない…でも、一体、その先には何があるんだろう?

 教室に着く。今日は来なかった。ああ彼女は自由だと思った。でも、本当は違うんだ。彼女は自由を欲しがっている。

 彼女になんらかの悩みがあること、その悩みは彼女の自由を奪っている事。その悩みは、街のネオンの明かりに閉ざされてしまうことー…

 「知りたいけど、聞かない」

 そう言って、彼女が座っていた机、いす、そういうもので気持ちを紛らわせる。どうしようもない、行き場を失った名もなき感情が押し寄せる。

 「答えてくれないから」


 だから、知らない。

 

 「これが、3人目…?どうして急に成長しはじめたの」

 ここは、ヨハネの組織の部屋だ。副幹部に呼ばれた私は、職員の監視付きの元、副幹部と共にとある保管室に来ている。組織の部屋には液体が詰め込まれたカプセルに見を包んだヒト型の生物が居る。私の目の前に居る、銀髪のショートヘアのヒト型は女性らしい体つきをしている。トマスとは違い、体は子供ではなく大人びている。

 「そうさ。トマスをはぐくんだばかりだというのに、マリアはまたもや”卵”を形成した…トマスの時よりも成長した君のような少女を産み出せた原因は分かっていない」

 副幹部の目が私の胸元へと移ったことはすぐに分かった。すぐに目線をそらし、カプセルに入っている3人目を眺める。

 「一体誰の遺伝子が入っているの?私も…トマスも…みんな、脳にある程度の情報がインプットされたままで、卵から生まれたのみの存在」

 まじまじと3人目の顔を見ていると、

 「…同じように見えるかい?目や鼻、口や体も」

 「同じ遺伝子ではないけれど、ところどころ共通点があるのは同じ遺伝子が操作されたものだということ?どっちにしろ、興味はないわ」

 これ以上踏み入りたくはない。ひとまずは明日の計画を実行させてから。

 「明日の計画はトマスに任せるといいよ。あんまり…踏み入らない方がいいと思うけど。きっと大騒動になると思うし、関係者で疑われたら、その場から逃げきれるスキルが君にあるかな?」

 副幹部はそう言うと、私の肩に手を置き

 「認めたくはないだろうが、君にトマスのように人を脅したり殺そうとすることは出来ないよ」

 心底嫌だと思った。初めて、世界で初めて私が成功した例だと言うのに。肩に置かれた手を振り払うと、私は副幹部を睨んだ。

 「人間のくせに…!何が人間らしい、よ!私は人間じゃない、人間らしくなりたくもない。人間のペットになるために生まれたんじゃない」

 息が上がり、周りの監視員の目が光った。でもその言葉が続かない。じゃあ何のために?卵生として生まれた、組織の計画に加担する生物…初めての例、それは私。でも、じゃあ、どうして、一体なんのために?私の意思は、なんのために?その先には一体何が?

 ごめんなさい…と小さな声で副幹部に謝った。

 「言い方を変えよう。君は特別だ。これから生まれてくるあと4人の誰よりもね。だから君は君にしか出来ないことを見つけなきゃいけない」

 副幹部は私の目を見つめ、そう微笑んだ。特別、その言葉になんだか胸が高鳴る。特別?他の誰よりも…私が人間らしいというのは特別なの?

 そのあと、休むつもりだった学校へと向かおうと荷物を持って通学路を歩く。軽やかな羽音が宙を舞ったと思えば、一羽のカラスが私の差し出した手の上に乗っかった。

 「…オッドアイの瞳。不気味ね」

 私がそう言うと、カラスは飛び去って行った。その自由さか、はたまたその自由に隠された束縛か。そして軽やかな羽音ではなく、何か不協和音が混ざるような、私にはそんな胸騒ぎさえもする。どちらにせよ、”彼ら”は自由ではない。そして私もー…副幹部の肩におかれた手、そして胸元へと移る目。そういうものが、私の脳裏によぎる。

 「自由が私達を苦しめるのよ」


 だから、人間は知りすぎた。

 嫌いという感情も、どうでもいいという感情も知りすぎてしまった。やはりこの世界には、ある意味統合が必要だとさえ思う。そうでもしなければ、人間は人間自身でその文明を滅ぼす。でも。

 校門前。一歩足を踏み入れようとするが、何故かためらう。

 わからないんだ。自分の、自分も、自分と…何を。でも…まあいいや。また、考え直そうと思う。

 校門前。ためらい、ためらった足先の方向は一回転。ヨハネの組織、自分の場所へと戻る。副幹部を呼び出して、またネオンの光に消える。今夜は深い夜になるだろうか。


 数時間が経った。トマスは、あの少女が居た部屋へと無意識に足を運ぶ。何の感情も無い、ただ気になっただけなのだ。あの人間が、少女が、母親を信じ希望を持ち続けるあの子が。病室に居るヒトの気配を察知し、静かにドアノブを回す。

 「××××…?なぜここに」

 するとトマスを待ち構えていたかのように、背の高いカラスの面を被った人物が腕組をして立っていた。

 「あの少女が気になって気になって仕方がない?自分が突き飛ばした?訳の分からない感情に身を任せてやってきた?」

 トマスはその人物の荒い口調に、思わず後ずさりする。

 「ふざけるな、トマス。俺はお前を信用していたのに」

 カラスの仮面の下で起こっている歯ぎしり、隙間から見える赤く光る瞳にトマスは息を飲んだ。

 「××××、あなたを裏切るようなことはしない…すべてはマリアのためだ。明日になればあの人間もろとも、ハデス行きにしてやるよ。だからそれで許してくれないか…」

 その人物はそういわれると、腕組を止めてどこからともなく気を失ったあのアヤという少女を出現させた。床に倒れこんだアヤを、思わずトマスは抱きかかえてしまう。

 「ッ…」

 「その少女…。偽りの真実に身を任せて、自身に幻想を見せているようだな。ちょうどよい栄養源になりそうだ」

 肩に手を置かれたトマスは体の小刻みの揺れを必死に抑えた。

 「…ユダには何も言わないのか」

 トマスがそう言うと、

 「ハハッ…嫉妬しているのかい?彼女はまた別の存在なんだよ。”ユダ”という名前をもってして生まれた彼女の残酷な運命…彼女は俺のお楽しみさ」

 トマスは、別の存在という言葉に違和感を覚えた。背の高い人物は消え去り、夕日が差し込む部屋に意識を失ったアヤと二人きりになった。

 「やっぱり、君の母親は君を迎えに来ないよ。どんな幻想でも、現実には抗えない」

 トマスはそう言うと、アヤはゆっくりと目を開けた。そして自分を抱えるトマスの頬に手を伸ばす。トマスは、その手に触れないようにと顔を遠ざける。

 「私は…信じてるの。だって私のママだから、世界でたった一人のヒトだから。だから幻想なんて言わないで…」

 「…!」

 アヤの目に映る自分の姿がゆらゆらと揺れ、アヤは一粒の涙を流すのであった。トマスは、母親を信じる心の強さは幻想さえも超えてしまうのかと、ただひたすらに驚くばかりであった。するとアヤはその言葉を最後に、気を失ってしまった。

 トマスはアヤを起こそうとするが、自分ではどうしようも出来ないとアヤを抱え、あの背の高い男が居ないことを確認すると病院の診察室へと向かったのだった。

 なぜ自分が必死になっているのか、まったく分からない。でも自分が気づいてしまったのは確かなことなのだ。自己完結の出来ない不完全な生き物、ああ、どうしようもない未熟な抜け殻の自分。見下していたものよりも、はるかに劣ってしまった?そんな感情がトマスの心をかき乱していった。トマスはアヤを医師に預けると、病院から逃げるように飛び出し、あの男の元へと向かうのであった。

 

 気づきたくなかったこと、劣ってしまったこと…なにより不完全になってしまったこと。すべて、すべてあの少女のせいじゃないか!!少女に駆け寄っていたトマスの一時の穏やかさは、いつしか少女への怒りへと変わっていた。背の高い人物への恐怖、自尊心の崩壊…それは彼自身の希望を打ち砕くものだった。

 「汚されたんだ…心へと浸食された?ああ、きっとそうさ。自分をそそのかしたんだ。だから自分は不完全になってしまった」

 一度は怒りがこみ上げるも、進んでいくにつれて何故か冷静になる頭に恐怖さえ感じた。

 そう言うと、トマスは走っていた足を止め何かに気づいたかのように真っ暗になってしまった空を見上げるのだった。

 「…その先には何があるんだ」

 気づいてしまったこと、それが彼の足をとどまらせる。

 信じていた道、固く張り付いた信念、希望という名のすがり。それら全てが。


 それぞれの気づきが、長く短い夜をより深い、深いものにしていったのだった。


つづく

 

 

 

 

 

 


 

 

 

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