(α+β) 冷たさと、切なさと。

 それから、玄関先で母に見送ってもらった。これもまた何年ぶりだろうと思いふけていた。

 「いってらっしゃい」

 母が笑う、ほおをあげて笑う。純粋に。明朝に咲く、霜が降り注いだ百合の花のように、純粋に。

 「いってきます」

 そう言って私が扉を開けると、この前の一羽のカラスがまたやってきていた。餌が欲しいのかと腰を下げて、近寄ってみる。

 「餌はないよ。この前と同じ」

 カラスは玄関先にいる母の方をじっとみているようだった。そして5秒ほど経った時、再び飛び去った。

 「あのカラスこの前も居たんだよ」

 母はカラスが飛び立っている様子を見て、何か考えことをしているようであった。

 「じゃ、また」

 私は学校へと向かった。なんだか、気分が心地いい。率直な言葉で言い表せない、いいや、むしろ言い表してしまえば価値が損なわれてしまうから。軽快なステップで歩き始めた。

 「電話だわ」

 私が学校へ行った後、母の携帯に一件の電話がかかってきた。鳴り止まぬ携帯をとり、着信番号を見た母は驚いている様子だった。

 「あの人...どうして」

 そう言いつつも、おずおずと電話に出る。

 「はい、ええ、あなたよね。言われた通り、夜中に帰ってきて、あの子に朝食も作ってあげたんだけど。二度と電話しない約束だったはずよ」

 母がそう言うと、電話の主は

 「…いいや、借金と罪の代償は重いよ。そっちに行ったエンブリヲは元気そう?僕のペットなんだ…そうそう、まさか、君の娘があの電話番号を知っているなんてね。数日前から監視させてもらってるのさ」

 母は驚いた様子で息を飲んだ。

 「…娘は好きにしていいわ、ただし私への報酬を忘れないで」

 「...分かった。僕の“計画”を進めるには君が必要だ。また前にみたいによろしくな」

 電話は切れ、母は息が荒くなった様子で壁にもたれかかった。

 「中村…隆二…か。一回の過ちが、なんでこんなことに」

 そして、小さな声で泣いていた。


 「セツナ、おはよう」

 朝、机に座って携帯をいじっているセツナに声をかけた。セツナの席には朝日が差し込み、彼女の銀髪の髪が一層綺麗に見える。

 「おはよう、ユメ。今日はなんだか気分が良さそうね」

 セツナにそう言われ、自分でも顔を赤らめる。そして自分の席に座る。

 「母と一緒に朝ご飯を食べたんだ。手作りの目玉焼きで、しょっぱくて、あんまり美味しくなかったけど、心地よかった。何かに包まれるようなそんな感覚...」

 そう話す私を、セツナは横目で見つめていた。そして目線を外にやって、カラスが再びやってきていることに気づいたようだ。

 「...そう、それはよかったわ」

 「セツナはどうなの?お母さんやお父さんと一緒に食べたりする?」

 私がそう言うと、セツナは少し寂しそうな顔をした。私は、彼女の気にに触れてしまったのかと、「ごめん」と誤った。

 「今日私二限目で抜けるから。授業、始まるよ」

 茫然とする私を振り払うように、セツナは移動教室へと一人で向かっていった。なんだか、冷たい感覚がした。


 

 別に、孤独であることに変わりはない。母親や父親、そういった存在に包まれたいとも思わない。ユメが羨ましいと思ってはいない、ただただ自分が否定されている気持ちになる。そう、それだけ。

 教室から出て行った私は、学校の水道で顔を洗い鏡の自分と見つめ合った。

 「いい?セツナ、あと三日後に第二の計画が実行される。上手くいかなければ、私はきっと消される」

 目をつぶって、心に決め、一歩一歩を踏み出した。私という独りの存在に出来ることは、それしかない。


 セツナは二限目に学校を早退したようだった。隣のぽっかり空いた席が、なんだかどうしても気になるのだ。おかげで授業中、先生に指名されても気づかずとても恥ずかしい思いをした…帰ってきたテストの点数を見ても驚かず、ただ、なんというか、言葉に言い表せない感情がある。冷たい、という。

 お昼休み。相変わらずのぼっち弁当には慣れている。しかし今日の昼休みは、なんだかクラスメートが騒がしかった。

 「なあ、おい見たか?あの人気Btuberのハヤトが、また面白いことやるらしいぜ」

 Btuberとは、人気投稿アプリBtubeで動画をアップしている人物の事である。私には縁もゆかりも無いが、クラスの中では流行っているようであった。

 「この前は一般人にいきなりドッキリをしかけたり、突然大声で叫んだりして炎上していたよな。今度は古宿駅前のクロス交差点で、でっかいイベントやるらしいぞ!」

 「どんなイベントなのか見に行こうぜ!」

 クラスの男子がそんなことを話していると、学級委員長のマリがお弁当を持って私に駆け寄ってきた。一人だから、と気にかけてくれたのだろうか。

 「杉崎…さん」

 「マリでいいよ。笹原さん、今日は清川さんと一緒じゃないのね」

 なんだか居ずらい雰囲気になる、嫌な雰囲気だ。私は一度彼女を避けているから、慎重な言葉選びを無意識にする。

 「今日は、セツナは用事があるから早退したんだって、あの…何か用があるの?」

 私にそんなことを聞かれ、マリは驚いた表情をしている。

 「私、お節介だよね。笹原さんが一人で居るところを何回も見てて…その、特に理由は無いけどほおっておけないんだ。そういう人」

 セツナに出会う前、いや、入学した当初からマリはいろんな人に声をかけていた。そのたびに、私と違って輝いている姿にあこがれていたのかもしれないと今気づいた。憧れ、それは依存ではなく、一つの目標として彼女を見れるなら。

 ”他人、あなたが嫌いな他人でしょ”

 ”じゃあ怖いのは何?”

 そうやって、いや違う、だけど、私には

 「私は大丈夫だよ」

  思いを断ち切るように、私は彼女にそう告げた。いつか彼女に甘えてしまう未来は、はっきりと見えていた。誰にも依存したくない、いつか自分を責め立てるなら。

 「…そう」

 彼女は静かに私から離れて行った。それでいい、これでいいから、と。



 「来たか、ユダ…」

 トマスを置いて行った病院に収集され、面会室へと案内された。そんな私の前に、今朝すやすやと眠っていた少年が居る。肉体は少年だが、精神は同い年くらいの青年のように思える。

 「それで、作戦は」

 私がそう言うと、トマスは来ている上半身の検査着を脱ぎ始めた。そして彼は自身の左手を右手でいとも簡単に、組み立て式のロボットのように取り外したのだ。

 「なっ…体が」

 「僕の体はユダと違って早急に作られたから、壊れやすいみたいでね。ここの病院の”職員”にやってもらったのさ。なあどう思う?なぜ組織は計画を急ぐと思う?」

 トマスは小さな体で歩き、私の顔を覗き込むようにしてそう聞いてきた。

 「私には分からないけど…ひとまず計画を教えて。話はそれから」

 私がそう言うと、話を遮られたことが気に食わなかったのか、むすっとした少年の顔をして自身の腕を付けなおした。まるで幼子のように。

 「ふん、まあいいや。作戦はこうさ。舞台は古宿、クロス交差点。なんらかの方法で人を多く集めさせ、そこで僕が”ヨハネへの扉”を開く。すなわち、ハデス、黄泉の国への入り口さ」

 「ハデス…?」

 「ああ。人々の魂の行方…他者への拒絶心と孤独に満ち溢れた感情こそ、マリアの栄養源となる。それ以外の人の意思は、神の静寂の審判によって裁かれる。もっとも、”適合者”が居ればね」

 つまり、ノルマはマリアの栄養源となる職員を増やす事…トマスの計画に乗るしかないのね。

 「それと適合者って…一体なんのこと?」

 「…話はここまでだ。交差点に人々を収集する罠は、もうすでに張り巡らせておいた。君は当日、ビルの上かどこかで、見てるだけでいいよ。それじゃ、その罠の様子を見てくるよ」

 トマスは部屋から出ていった。私もなんとしても計画に加担しなければといった焦りの感覚が心を揺らした。そのためには、どんな手段でも構わない、いいや構いたくはない。私が私で居るためには、一人でも多くの犠牲が必要だから。

 「人間だって、同じでしょ」


 日は落ち、あたりは凍える寒さとなった。

 薄暗い部屋、汚く揃えられた髪、周りに散らかるゴミの山。

 「はぁーい、どうも!HAYATO、ハヤトでぇ~す。さてさて今日の視聴者さんは…おっと、前回より3000人増えてるね。もしかして初見さんいらっしゃいかな?どの炎上動画から来てくれたのー?」

 一人の男が画面の大きなパソコンの前で、生配信をしている。彼を灯す光は、たったその光のみだ。男は生配信にやってくる視聴者の数を見てほおを釣り上げ、にやけている。

 「えぇっと、そうそう二日後に古宿駅でビックイベントやるから来てくれよな! 」 

 男がそう口にした瞬間、視聴者はさらに増え動画のコメント欄は一気に盛り上がった。しかし、男は「炎上で人を困らせてると思わないのか」といった批判コメントを発見すると、一気に形相を変えたのであった。

 「ははん?まあでも、そういう人達も俺の動画に出てるわけだし。出演料くらい払ってほしい気分だね」

 ”さすが良い返しだ、ハヤト!”

 ”今度のイベントはすごいものを期待してる”

 ”俺らのハヤトだな”

 「いい感じ。いい感じ、批判する奴らは消して…」

すると男のパソコンの右端上部にメッセージが来たことを知らせる通知がやってきた。

 「あぁ、ちょっと待っててな皆んな。俺の彼女が呼んでるわー」

 男はすぐさま配信を切り、後ほど再開するつもりなのか、電源をつけっぱなしにしている。

 男が向かった先は誰も通らなさそうな暗い夜道だ。

 「なあ、おい居るんだろ?チビ、早く出てこ...」

 男が誰かを煽るような口調でいると、彼の声は何者かの手によって遮られた。男の首にはいつのまにか巻きつけられたロープがある。

 「二度とそんな口調で話すな」

 銀髪の髪をふわりとたびかせると、背の低い少年が男の背後から忍び寄った。

 「..ゲホッ...わかったよ、わかった。君の名前は、」

 「藍清冬夜だ。組織名はあるが、部外者には明かすなと言われているからな。どうだ?人は集まりそうか?」

 「ハッ、楽勝さ。目的は知らないが、古宿駅に人を集めればいいんだろ?それで100万円がもらえるなんて安いものよ」

 男がそう言うと、少年は異様な笑みで微笑む。

 「ああ、そうさ。やつらの命の保証はないって約束したよな?そんな奴らより金が大事か...」

 「所詮これはネットさ、ネットなんてお遊びの一つに過ぎない。奴らなんて俺を持ち上げるための、コマにすぎないのさ」

 「そうか、もう帰っていいよ。君の本心がよくわかったからね。当日、君も古宿駅まで報酬を取りにくること、それだけだよ」

 男がそう言われると、配信の続きだ、と自身の家へと帰っていた。男が見えなくなるまで少年は、その男を見つめていた。

 「ハハハ、ひどい話だね。金欲しさに視聴者を売る配信者。君の生きざまを見せても、誰の得にもならないね。一部の部外者を除いて」

 少年ー...トマスはそう言うと、男の声を録音していたと思われる録音器具を取り出した。その器具を見つめながら、また異様な笑みを浮かべている。

 「独りでは生きられない哀れな生き物たち...人間。マリアの栄養源になる準備は出来たかな」

 

 その日の夜、母はまた私を置いていってしまったのだと確信した。家に帰れば、母が待っていると信じていた。暖かいごはんと、笑顔の母がそこに。ソコに。けれど、そんな期待は粉々に砕けた。

 「3枚の紙切れ...」

 リビングの机には3枚の紙切れ。

 私の夢は、もうとっくに壊れていたのに。

それよりも期待する自分が居たことに嫌気を感じた。母親が、他人が、そういった自分以外の誰かに期待して、嫌になった。

 だから他人が嫌いだ。冷たさも、人と触れ合えぬ切なさも、もうどうでもいい。どうでもいいものは、きっと、そうやって、小さい頃に丸めてくしゃくしゃにしてしまった、母親を描いた絵のように、ゴミ箱に捨ててしまおう。

 「私が恐れているもの...他人じゃないなら、じゃあ何?」

 私はきっと、今の自分ではその答えにたどり着けそうにもない。そうやってまた私は、夢のハザマに堕ちていく。

 彼女が言った、答えを見つけるために。

 

 つづく

 

 

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