チャプタ―:(α+β)


 玄関が閉まる音がしたのを確認し、自分の部屋の扉を開けリビングへ向かう。

机の上にあるのは、変わらない文字と紙切れたち。彼女もまた何かに必死で生きて、すがるために生きているのだとしたら。それが、人ひとりを変えてしまうほどの力を持つなら。

「依存なんて、無ければいいじゃないか」

 あの時の先生の言葉を否定するように、私は紙切れを握りしめて呟く。

依存は、あるより無い方がマシなのだ、と。

 寒い朝、玄関の扉を開けると電柱に雀が2匹止まっていた。私が近寄ると、羽音を立てて彼らは飛び立ってしまった。

「珍しい、鳥なんて最近全く見なくなったのに」


 学校に着き、薄汚い空気の流れる教室へ私が入ると、一斉に生徒の目線が集中した。おそらく、先生の事件で警察に事情聴取を受けたからだろうか。私の背後に、一人の三つ編みの少女杉崎真理が駆け寄る。

「笹原さん、何かあったら相談してね。私学級委員長だから、些細な事でもいいのよ」

 彼女の目は、私を見ていない。しかし人というのは、何故こう醜く他者にすがろうとするのだろうか。一回も話したことも無く、目も合わせた事も無く、気かけてもらった事も無い。だから、私はこの子に依存してしまうんだろう。醜いのは、私の方だ。

「そういうの、大丈夫だから」

 困惑する真理を押しのけて、私は自分の席に着いた。何やら、「杉崎がかわいそうだ」とか「せっかく言ったのに」とか、そういう言葉が後ろから聞こえる。それでいいよ、それでいいから、もう誰も私に近寄らないでほしい。私が言っても、誰かをもっと傷つけるだけだから。

 孤独を恐れ、孤独になるのは自分のせいだと分かっている。でもどうしようもない感情が押し寄せ、私と他者が離れていく。そのたびに先生の電話番号が頭に浮かぶのは、まだ、そういうことなんだろう。


 その時また一斉にクラスがざわめき始める。「来たぞ来たぞ」「すっげー美人」そういう男子の声が響き渡り、何やら廊下に生徒が数名出ている。一体何事かと思うと、一瞬今朝見た精神世界に出てきた白い髪の少女が頭に浮かび上がる。


大丈夫、もうすぐ会えるから


その言葉に、 私は息を飲み、 その瞬間に教室のドアが開いた。

期待と不安が入り混じる感情と感覚、これは嫌な感覚だ。

 一人のグレーがかった髪の少女が、静かな風のように教室へ足を踏み入れる。その静けさに、騒いでいた男子も女子も静まり返る。

時が止まったかのように、ただ響くのは彼女の足音のみ。それと、鳥が羽ばたいていくような羽音だけ。

「父の転勤で、この学校に転校してきました。清川セツナです」

 精神世界でも感じた、あの風の響きのような声。耳にスッと入り、清らかに筒抜けていく。生徒や担任の先生も、静まり返った。やはり――…そうであった。

「あの、先生。私の座席はどこですか?」

 男性の担任教師は、あからさまに顔を真っ赤にしてセツナという少女を直視できないようであった。担任教師は、クラスを見渡し

「き、清川さんの座席は後ろの…笹原さんの隣はどうですかね」と言う。

 え、と嬉しいような面倒くさいようなそんな感覚に襲われる。セツナという少女は、分かりました、と笑顔で答え、生徒の目線をかっさらったと思えば。私の隣の席に座り、一言「よろしく、笹原さん」と言った。

 いきなりの一言に、私は動揺して目も合わせずただ頷く。彼女は、本当に私の精神世界の少女にそっくりであり、いやむしろ本物なのだろうか。そんな期待、不安…嫌な感覚を覚えながら、授業中も彼女の事をばれない程度に、と。横目でちらちらとみるのであった。


 休み時間になれば、突然の美少女の転校ということもあり他クラスの生徒も彼女へと駆け寄る。私の隣に人だかりができてしまい、なんだが私は居ずらい。ただでさえ、人が密集する空気は嫌なのに。

「綺麗な髪だね!ねぇねぇ、がいこくじん?」

「清川さん、私委員長の真理です。携帯とか持ってたら連絡先交換しませんか?」

 そんな言葉が、彼女を包み込み、意外にもどの質問にも答えず、ただただ配布された教科書を見つめている。フレンドリーな感じかと思えば、とても冷たい人なのだろうか。

「携帯…?それはどんな機器なの?」

 多くの個人的な質問がある中で、彼女の興味をそそったのは「携帯」だったようだ。委員長の真理は、自分の質問への返答があったことが嬉しかったのか目を輝かせながら口を開いた。

「あ、あのね。こういう、薄い板のようなものなんだけれどインターネットという媒体を通じて人と繋がることが出来る機械よ。とっても便利なの!」

 私は、彼女がどんな返答をするのか、気になっていた。

「…人と繋がる?へぇ、すごく面白そうだけれど私にはいらないわ。ごめんなさいね」

 私は、目を見張った。

 彼女はそう言うと、自身のグレーがかかった髪をたなびかせて居心地悪そうに教室を出て行く。誰も彼女を追いかけはしない。クールな彼女に惹かれた人もいれば、なんだよ、と言って教室から出て行く生徒も居た、と思う。…そのとき、教室を出て行く彼女を追いかけるようにして私も教室から出て行った。

 なぜだか、自分でも分からない。でも彼女が、人と繋がる事を避けている事は読み取れた。 そんな部分に、私は吸い寄せられるよう、に。

 廊下に出れば、新鮮な空気が私を待っている。一人でも他人が居るのは嫌なのに、私は何故彼女を逆に追いかけるのか。

 彼女がどこへ行くのかと、後ろを付き歩く。しかし、曲がり角を曲がると彼女の姿が見えなくなった。吹いていた風が、ピタリと止まる、そんな静寂に包まれるような感覚に襲われ、「え、」と声を漏らしてしまった。

 まさか、と思い背後を振り返るとセツナと呼ばれる少女が私を蔑むような青い瞳で見つめている。さっきとは違う、まったく違う目だ。この目を知っている、ような。

「どうして私をつけていたの?」

 心の核心に迫られるような圧迫感、吹いてくる風は追い風だ。突如として、彼女が怖くなる。理由もなく、ただ付けていたというのが正解なのだろうか。そんな風に、私が返答にオドオドとしていると、セツナと呼ばれる少女は腕組をして私を見つめる。

「あれ?どうしてあなたは、他の人みたいに私に質問をしないの?私に興味ないの?」

 意外な彼女の口調、予想外な言葉にさらに理解が追い付かなくなる。

「い、いや、理由は無い。あなたを付けている気はない…ただ、ただあなたが似ていたから、わたしの、夢で…」

 言うつもりのなかった言葉を発した自分に、困惑する。腕組をしている彼女は、首を傾げてニヤニヤしている。彼女の美しい顔からは想像もつかない、にやけ顔だ。

「あなたの夢?どうでもいいけど、この私が出てきたことを誇りに持つと良いわ。どうやらあなたはアイツらとは違うみたいね」

「アイツらっていうのは…」

「自分から委員長って言ってきたやつとか、質問してきた奴らの事よ。人が多いと、ホントに嫌な空気になるの。だから教室は嫌い」

 私は安堵し、深く息を吸う。何のための安心感か、わからぬまま。

「誰も私の事なんか見てくれない。自分の地位とコネを持つために、私を利用するばかり。今までもそうだった」

 彼女の、「今まで」という言葉に何か引っかかった。

「転校初日で、意外とあんたみたいなのも見つけられんのね。私に興味を持たれたことも、誇りに持っときなさい」

 あんたみたいなの…?とは、何か。そして、謎の興味を持たれたことに驚いた。

「あんた、名前なんだっけ?」

「ええ、と…笹原優芽」

「ああ、隣の。私の事、授業中もちらちら見てたでしょ。すぐ分かるのよ」

 自分が見ていたことを気づかれていたこと、不意な恥ずかしさに。彼女の青い瞳から目線を外す。彼女は、私の顔を覗き込み、少し笑った。

「私に興味ないみたいね。ハハッ、ちょうどいっか。今日の帰り、というかこれから一緒に帰ってくんない?先生からの評判受け良くするためにさ、ほらいいでしょ?」

 ありえない、と心底感じた。今日夢に出てきた美少女が、何故か現実で自分の学校に転校してくるところからおかしい。そして、その学校中の注目の的の美少女と私は帰る約束をしてしまったのだ。…ありえない。

 

「…誰とも帰ってないし、いいですけど」

 仕方ないな、という雰囲気を醸し出すことに精一杯だった。また期待と不安の、あの嫌な感情に取り込まれる。だがしかし、期待の気持ちが大きい。

「あんただけは、アイツらみたく私を見てないからね」

 彼女はそう言うと、曲がり方を指さす。すると曲がり角から数十名の男女が、一斉に逃げ出した。奴らは、私たちの会話を聞いていたのだった。また別の恥ずかしさが、私を襲う。

「じゃ、帰りね」

 グレーの髪をたなびかせ、彼女は教室へと戻ると足を踏み出す。

 彼女が角を曲がるまで、私は彼女を見つめ唖然としていた。


今起こった一連の事が本当だとしたら、これは始まりであり、終わりである、と。

いつか出会わなければ良かったと、後悔するときが来ると分かっている。

それでも彼女の願いを承諾したのはどうしてだろうか。

その日の昼休みは自分に問い続けるばかりであった。


 

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