春の終わり

 夏は鮮やかだった。

 華やかで、鮮烈で、強烈で、濃密で、芳しく、派手で、凶悪で、爽快で、無責任で、揺らめいていた。赤く、黄色く、緑で、透き通っていて、白くもあり黒くもあった。眩く輝き、明滅したかと思えば静まり返り、賑やかで、巨大で、一瞬で、寂しく、艶やかだった。星空で、夕焼けで、雷鳴で、虫で、陽炎で、夕立で、湖で、太陽で、火薬で、逆光で、青空で、記憶で、恋で、ガラスで、刃だった。若く、濁り、活発で、長く、暴虐で、物悲しく、熱烈で、残酷で、汚らわしく、無邪気で、きらびやかで、多彩で、うるさくて、さざめいて、腐敗し、狂っていた。



 堤防の上から荒川の全てを満たすようにして、夏は死んでいた。それは巨大で、膨大だった。上流にも下流にも見渡す限りに夏が満ちていて、その全てが死んでいた。

「奪って、殺して、捨てたんです」

 と、絞り出すような声で天使が言った。

「誰が? とか、なんで? とか野暮なことは訊かないでくださいね。まぁお二人とも別に興味ないと思いますけど」

 興味がないわけではない。できることなら訊いてみたいが、答えを聞いたところで理解も納得もできるわけがないということもわかり切っている。

 だってそうだろう。どうしたら夏が死んで、何がどうなったらそのせいで人類が終わるんだ。どんな回答を得たところで、こちら側に納得できる素養がなければそれは無意味と同じことだ。

「なんというかですね、半端じゃないですか、今って。人類は消えたけどお二人みたいな取りこぼしもありますし、夏の死体は残ってますし、カラスは元気に生きてますし、言うほど世界終わってないわけで」

 話しながら、天使は大きく一度だけ羽ばたいた。ふわりと一メートルほど高度を上げ、彼女は続ける。

「全部奪ってちゃんと終わらせるか、夏を返してちゃんと続けるか、どっちにしてもけじめはつけなきゃと思ってたんですよ、ボク的には」

 陽の光を遮って広がる白々とした羽が、僕の目にはまるで透き通っているかのように映り、微かに陰をまとった天使の顔は、その印象とは裏腹に柔らかい。

「で、まぁ続ける意味はありそうかなって思うんですよね、価値があるかはともかく」

 この世界はゴミ溜めで、生きてる価値なんかこれっぽっちもありはしなくて、けれど、その負債を帳消しにしてでも居座りたいと思えるたった一つがあるから。

「だから、ねえハイトさん、価値はないけど世界は続きます。運命なんてないし、理不尽なことは理不尽に起きるし、苦しいことも辛いこと楽しいことも嬉しいこともなくなりません。もしかしたら死んじゃうことだってあるかも。けど安心してください、そうして降りかかるあらゆる出来事には何の意味もありません。あなたの思うとおりに」

 まるで天使のような微笑を浮かべ、彼女は両腕を広げる。

 不意に風が吹き、さらさらと夏がざわめいた。

 それはどこか眠たげな律動のようで、不意に僕は思い出す。子供の頃は、いつだって夏が終わらないような気がしていた。あれはどうしてだったのだろう。

「それじゃあ、どうか良い夏を! お二人ともカラスに気をつけて!」

 大きな声でそう言ってから、天使は悠々と空へ舞い上がった。

 何の感慨も無かったと言えば嘘になるが、別段言葉になるような気持ちがあるわけでもない。

 何しろ正しく状況を理解できている自信がまるでなかった。

 だから、僕らは無言で荒川の上空へ飛んでいく天使を見送った。


 どこからか飛んできたカラスの群れに襲われ、悲鳴を上げながら夏へ墜落していく天使の一部始終を、僕たちは黙って見ていた。笑いをこらえながら。




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