天才って、何?
はるかが「待って」と言いながら俺に抱きついてきた。布団越しだから身体の密着感はあんまりない。残念だがあのすごい胸の弾力までは確かめられない。いつもの肉の密着とは大違いだ。布団が恨めしい。
けど、それにあまりある顔の近さ! 頬が優しく触れている。高そうなシャンプーの匂いが直に俺の鼻をくすぐる。肉のとは違う、子供から大人まで女子に大人気のなまだしあ主演CMの商品の香り! 何の演技か分からないけど、ずっとこのままでいたい!
はるかの言葉を思い出す。「待って」、どういう意味? それが分からずにしばらく待っていると、はるかが教えてくれた。顔も分からないほどの距離で。
はるかは俺に抱きついたまま。静かに言葉を紡ぐ。「待って」と言った理由と俺に抱きついた理由。
「北條君。私、分からない……」
「えっ……」
何が分からないと言っているのか、これだけでは分からない。俺はまた、静かにはるかの言葉を待つ。
「男って、何? 天才って、何?」
矢継ぎ早だった。男って何か、俺にも分からない。天才って何か、それはきっと一芸に秀でた人だと思う。少なくとも今まで俺の周りにいた天才はそうで、あることにおいては秀でていても、その他のことには劣っている。はるかも肉もひな板も天才だが、生活力はまるでない。
2つの問いのあと、しばらくあって、
「男の天才って、何?」
と、はるかが言った。
その顔には不安があった。不安しかなかった。
「はるきゃっ……」
俺は思わずそう呼んでしまった。はるかは顔を上げ、俺を見つめた。
「それは、待ってって言ったのに。しかもまた噛んでるし……」
「あっ、あぁっ。そうだったね。思わず、ごめん」
はるかが久し振りに笑った。俺の顔、変だったかな。それとも、言葉が変? 分からないけど、俺も笑った。
「どうして笑うの?」
「それは、はる……なまださんが笑うから」
「ミラーリング効果ってやつ、狙ってるの?」
「狙ってなんか。けど、自然発動しているのかもしれない」
ミラーリング効果は、本来、好意を寄せる相手を無意識に真似ること。その結果、相手は「こいつはオラの仲間だっ」と無意識に思う。転じて恋愛テクニックになった。わざと真似ることで気付かれぬうちに相手に仲間意識を植え付けたいときに用いる上級技。バレると、うわぁキモーッと言われる。諸刃の剣。
「どうして……」
「…………。」
好きだから、と言い切っていいものかどうか、分からない。
「……どうして、発動するの?」
「それは……俺がなまださんのことを無意識に好きだから、かな」
「北條君、私のこと好きなの?」
「まだはっきりと好きってわけじゃない。あくまで無意識。けど……」
言葉に詰まる。促されてようやく続きを言う。
「け……ど……?」
「台本読んでるの見てたら、すごい努力してんだなーって思った」
「それ、皮肉?」
「えっ? そんなことないけど」
はるかが何をもって皮肉と思ったか、分からない。
「努力って、天才からは遠いところにある言葉じゃない」
「そうかなぁ……?」
はるかがどうしてそう思うのかは分からない。けど、努力を認めないのなら、それはあまりに悲しい。
「以前、映画で天才ピアニストの役を演じたことがあるの」
「知ってる『梅小路小梅は白黒はっきりしている』、名演だったよね!」
いや、名演なんてもんじゃない。はるかにしかできない役だった。
「こうめは、努力なんかしなかった」
「あっ……。」
そうか。どうやら、さっきはるかが皮肉と言ったのは、天才と努力の関係にあるようだ。
「私は、努力することでしか、人の前に立つことができない」
もしかしたら、はるかは影で努力する自分が好きではないのかもしれない。少なくとも、天才と呼ばれることに疑問を抱いているのだろう。
「失敗が許されないプロの現場では、当たり前のことじゃないか」
「そう。当たり前のことを、当たり前にやるだけ」
久しぶりにはるかが笑った。俺も笑った。明らかにミラーリング効果!
「けど、それが難しいのを知ってるから、みんなが評価するんだよ」
「じゃあ、天才って、何? 天才は努力しないの?」
「それは違う。天才は努力する。努力していることを天才は誇りに思うべき」
「そう。私は私の努力を誇りに思ってもいいの……」
「もちのろん!」
「よかった。ずっと不安だったの!」
そのときの顔がどんなものだったか、俺にはうまく説明できない。安堵の表情を超えた何かだ、としか。
俺は決めた! 絶対に男の天才になる! そのためにはいかなる努力も惜しまない! はるかに合格をもらうまで諦めない! 久し振りに清々しい朝だ。
「覚えてる? はじめて会ったときのこと」
「うん。私、追いかけられたわ」
それは横入りして俺の幾丼を持ち逃げしたはるかが悪い。
そのとき「待って」と言って追う俺に、はるかは「待ってと言われて待つ人はいない」って言ってた。
俺ももう、待つ必要はないだろう。俺は「はるか!」と全く噛まずに言った。俺史上サイコーの笑顔を付して。
はるかもはるかで、俺に対して最高の笑顔を上書きして見せてくれた。そして「うん」と頷くのだった。
はるかのこの反応、ひょっとしてミラーリング効果? んなわけ、ないか。
時刻は朝の4時20分をまわっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます