助け舟をありがとう

 俺を救ってくれたのは、肉だった。脂の乗り切った肉。真性が肉に言った。


「この男、師匠の知り合いですか?」

「ええっ。マイ・ダーリンよ」


 人前で肉にダーリンって言われた。なんか、気恥ずかしい。肉は見た目だけならヒロイン級だからな。実のお母さんではあるけれど。それにしても、真性は本当にバカだ。俺のこと、もう忘れている。


 その場にいた天才たちが、一気に鎮まった。肉の発言に対する反応。誰彼となく顔を見合わせたあと、今度はざわつきが拡がる。


「奈保様がそうおっしゃるのなら」

「この男はマイ・ダーリンなのでしょうね」

「そうですとも!」

「奈保様がおっしゃることに、間違いはない」


 奈保というのは肉の名前。肉は第1回天才選抜試験の合格者。そのときに合格したのは3人だけ。今、この場にいる天才はみんな肉の後輩ばかりで、先輩である肉に頭が上がらない。天才社会は、凡人が思う以上に縦社会なのだ。


「で、どのような天才なのです?」

「奈保様のマイ・ダーリンでしたら……」

「……さぞや高名な天才なのでしょうね」


 違う。俺は天才ではない。何をやっても99点。肉も言葉に窮する。


 そこへ、嫌な奴がやってきた。「クックック」という高笑いがキモい。


「たっ、田中先生!」


 数学教師。


「上司命令で遅参致しましたが、間に合ったようだ」


 何をしにきたんだ? 田中先生は、教師生活37年の大ベテラン。それは仮の姿で、第1回天才選抜試験の合格者。つまり、肉と同期。世間的には上司に媚を売る天才。俺の中では数学教師。教科主任だが、部下からは全く好かれてない。


「同期の暴走を止めに来たんだよ! 奈保!」


 肉と数学教師。1期生同士の対立に、他の天才たちが黙り込む。緊張。


「あらあらーっ。どうしてそんなこと言うのかしらーっ」

「息子が天才だなんて、身びいきが過ぎると言っているんだ」


 ざわつきが拡がる。


「なんだ。奈保様の御子息なのか」

「奈保様は、子供かわいさに、大言壮語したのでは」

「うん。そうかもしれない」

「それが母心というものだろう」


 数学教師に分がある。夕刊配達で汗ばんでいたハゲ頭をハンカチで拭く余裕がある。一方の肉。右手親指の爪を噛む。左手は自慢の髪の余ったところをぐるぐる。イライラしている証拠。


 そのあと、肉が目を閉じて深く息をした。

 まっ、まずい。これって肉がくだらない嘘をつく前の行動。見栄を張ってあることないことぬかすのだろう! 分かってはいるけど、止められない。


 静かに目を開けた肉は、

「マイ・ダーリンは未だかつてない天才です!」

 と、嘘をつく。反応は上々。みんな嘘とは思っていない。


 今度は、ふんっと鼻息をもらしながら、

「だから、評価する適切な方法が、今まで無かったのよーっ」

 と、もっともらしいことを言った。


「なるほどーっ」

「未だかつてない天才だったのか」

「それなら、はなしが分かる」


 って、信じてる人がいる。バカなのか?


「ふっ。言うに事欠いて、未だかつてない天才とはな……」

「母心が、妻の天才を狂わせたのかっ」

「たしかにそうだ」

「でたらめに決まっている」


 まともなのも半分はいるみたい。どこか安心した。けど今は、騙されてくれた方が都合がよかった。俺と肉のピンチが続く。


「あのーっ、師匠。この男は一体、何の天才なのです?」


 真性が珍しく核心をつく。余計なことをしてくれた。けど、これではなしが一気にまとまった。


 肉は目を閉じて深く息をしたあと、静かに目を開けて言った。


「それは、男の天才よっ!」

「なにっ!」

「おっ、男の天才だって」

「そんなざっくりした天才、未だかつて……」


 ざわざわざわ。


「いや、違うぞ!」

「男の天才、あるのかもしれない」

「夫の天才と妻の天才の間に生まれた男だ」

「あり得る。あり得るぞ!」


 俺は、何の根拠もなく男の天才にまつりあげられそうだ。

 対抗勢力が牙を剥く。


「どうやって証明するんだ?」


 両陣営が入り乱れて侃侃諤諤とした。そんなときでも、威勢のいい「よいしょっ! よいしょっ!」のかけ声は続いている。


 俺はどうなってしまうんだろうか。天才ではないことがバレちゃうの? そんなのイヤだ。俺だって、俺だって天才って呼ばれたーいっ!

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