第9話 じゃあね、と彼女は笑顔を残した

「一緒……?」

「あなたが人間と接触したことは咎めない。この子はそう言ったわね。それはね、昔、この子も同じことをしたからよ」

「同じ? じゃあ……」

 ゼロは3103号のほうを向いた。今度は完全に照れている表情だった。

「……あなたほど派手な接触ではなかったですけどね。でも、気持ちは同じでした」

 そうして静かに、諭すように語りかける。

「……ねえ、3103号。あなたが落っこちたのは、どうしてですか?」

「それは……そのう……元気にしてるかなって……見てみたくて……」

 大家はにっこり笑って言った。

「さては足を滑らせたわね」

 図星をつかれて、3103号は思わずぺたんと座り込む。「ごめんなさい」とちいさく頭を下げた。

 ゼロはふうと息をつくと、うつむく3103号の前に座りなおした。

「……ですからその件は咎めません。先程このかたがおっしゃったように、私も昔、似たかたちで人間と接触しました。問題は」

「問題は……?」

「そのあと、どうするか、ですよ。残すのか、連れて行くのか。あなたの最初の願いはなんでしたっけね? 3103号」

「最初の……」

 ゼロのもとに来たとき、自分が望んだこと。それもきちんと思い出して、3103号は顔を上げた。目の前ではゼロが微笑んでいた。

「……行ってきます」

「ええ」

 3103号は駆け出す。

 ゼロと大家は、穏やかな表情でその背中を見送った。

「……追うの?」

 大家の問いに、ゼロは静かに首を振る。

「いえ。あの子はたぶん……私の思うように仕事をしてくれるはずですから」

「じゃあ、もう、戻るのね?」

「ええ。いまごろ面接会場は長蛇の列でしょうしね」

 自分が叩きつけた【休憩中】の札を思い出して、ゼロはひとりで笑った。

「……生きている間に、三度目は、あるかしらね?」

 大家はわずかな希望をこめて聞く。できればもう一度くらいは――逢いたい。

「……どうでしょうね?」

「信じていたい気はするけれど」

 ゼロは頭の中で、ここ三年あとくらいまでの書類を思い浮かべながら、「たぶん、」と言った。

「私があなたに手を振るのは、もうすこし、先だと思いますから、私も……信じていたいと思います」

 死神が手を振るということは、生の世界からの完全な決別を意味する。まだ、そのときではない――ゼロは大家に言った。一度目のときと、同じように。まだ、時間がありますと。

「うれしかったわ、レイコ。ほんとうに」

 そういわれて、ゼロは恥ずかしそうに微笑む。

「いまは、ゼロと呼ばれているのですよ、姉さま」

「――そうだったわね。じゃあ……【また】ね」

「ええ、【また】……」

 ゼロはそうして、姿をどんどん薄くしていった。途中、一度だけ止めて、大家に笑いかける。

 大家も微笑み返した。これで最後ではないことを、互いが知っていた。

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