さよなら、手を振るその前に
担倉 刻
第1話 それでは、と彼女は聞いた
しんと静まり返ったその場所には、女性がひとり座っていた。向かい合った椅子には誰かが座っているが、暗い影を落としている様子であった。女性は椅子に座っている人物に向かって、諭すように、しかし柔らかに語りかけている。
「……ですから、あなたにはいま一度、ご自分を見つめ直していただきたい。いずれまたこちらに面接を受けに来られるでしょうが、そのときは生まれ変わったあなたの言葉をお聞かせください。――よろしいですね?」
相手は深くうなずいて、椅子を立った。女性は相手に軽く手を振ると、その後ろ姿を見送る。
「きょうはあと何人かしらね。ええと、次は――」
言いながら、女性は手元の書類をとんとんとそろえた。
「次のかた、どうぞ」
椅子の前に立ったのは、やたらに礼儀正しい、そしてやたらに元気な青年だった。
「失礼しますっ」
青年はずっと椅子のそばに立っている。
あまりに座る様子がないので、女性はさすがに「どうぞ、座ってよろしいですよ?」とすすめた。
「はいっ」
「では、お名前を」
女性が問うと、青年ははきはきと答えた。
「はいっ、
そこで女性は首をかしげた。書類と名前が違う。もっと言えば、顔写真も違っている。ただ、こういうことは稀ではあるがあることだ、と、女性は気を取り直して、青年――シンヤに向き直った。
「では、まず、シボウ動機をお聞かせください」
「はい、御社の実に自由な社風と、社訓である【なんとか なるなる】に強くひかれ、」
そこまで聞いて、女性はもっと首をかしげた。彼は何を言っているのか?
「? ――あの、」
シンヤは構わずに話を続ける。どうも会社か何かの面接と間違っているのか?
「売上高は年々右肩上がり、大学で経済学を学びましたわたくしとしましては」
女性はさすがに止めるつもりで話を遮った。
「あの」
「はい」
「私は死亡動機を聞いてるんですが」
こんどはシンヤのほうが首をかしげる。
「はい、ですから志望動機をいま」
「えっ?」
「えっ?」
その疑問符が出たのは、ふたり、ほとんど同時だった。
「あなた、何か勘違いしてますね?」
「はっ?」
「私はね、死亡動機を聞いているの」
「だから志望――――」
言いかけたシンヤを、女性は完全に制した。もうラチがあかなかった。
「違う! あなたはなぜ死んだの? それを聞いてるの!」
「死んだ⁉」
一瞬の沈黙のあと、シンヤはパニックになった。
「……ま、またまたそんな、だって俺、いま、ここ、就職の面接で、」
「違います」
「違う⁉」
「ここは死んだひとの面接会場です。なんで死んだか、これからどうしたいか、私がそれを聞く場です」
死人にこれからもへったくれもないでしょうよ、シンヤはそう言ってみたが、女性はあくまで冷静だった。
「そのこれからがあるから聞いてるんですよ。いいですか、あなたはもう死んでるんです」
「だって俺死んでないよ!」
「生きてる人間はこんなとこきませんよ!」
「そりゃそうだろうけど、俺、まだ、やらなきゃいけないことあるし、死んでる場合じゃないんだってば!」
いったいどれだけの死人と対峙してきたのか、死を認められずパニックになることはよくあることなのですと、穏やかな体勢を崩さず、女性はシンヤに語りかけた。
「死んだばかりのひとはみんなそう言うんです。大丈夫。慣れますから」
「慣れたくないよ! とにかく、俺、失礼します!」
「失……え⁉」
シンヤはすぐに立ち上がると、ものすごいスピードでその場所を去った。
逃げ出した⁉ まさかここから逃げ出すことはできないはず、女性はもういちど書類を見たが、シンヤの名前も顔写真も、その日の面接予定にはなかった。彼女はすこし考えて、自分の部下を呼ぶことにした。
「3103号!」
返事はない。
「3103号‼」
返事はない。その代わりに、小さな身体の少女が、面接会場に入ってきた。
「ゼロさまー」
「405号? なんであなたが来るの」
「3103号はいないんです」
「いない⁉」
仕事をさぼっているのかと思ったら、405号と呼ばれた少女は話しにくそうに言った。
「……あのう、下で、ひとにぶつかって、なんだか、たいへんで」
「下で人にぶつかった⁉ 何してんのあの子!」
下というのはたぶん【地上】だろうし、【人】というのはそれこそ生きている人間だろう。なんてことをしでかしてくれた。ゼロは脱力しながら、しかし、次の手をすぐに考えた。
「……仕方ないわ、405号、あなた、3103号を確保して! もし行った先でさっきの人間を見かけたら、とりあえず捕まえて!」
「はーい」
405号は、会場からちょっと下を見ると、狙いをつけたように飛び降りた。
ゼロは405号が無事に飛び降りたのを見送ると、書類を所在なさげにめくった。
シンヤが逃げた方向を呆然と見ながら、彼女はため息をついた。あるいは過去のことでも思い出していたのかもしれない。
「…………何年ぶりかしらね、こんなの」
ゼロはすこし考え、机に【休憩中】の札を叩きつけると、自らも狙いをつけて会場から飛び降りるのだった。
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