第3話 序章・国で一番お姉さまに至るまでの色々 その3

 歌劇「后と乙女」は、解釈がとても難しい題材で、演出家によって趣ががらりと変わる。


 翼の王国でほんの20年ほど前に起こった実話を題材にしており、件の王も后も御在位あそばし、乙女は王家に嫁いで妃殿下の座についておられる。

 もちろん、歌劇は現実そのままではない。あくまで題材。歌劇はフィクションである。

 荒筋はこうだ。

 架空の王国の后となる姫は、婚礼の旅路で一人の少女と出会う。

 気立てのいい少女に、まだ若い姫は心を開き、二人は姉妹の契りを結ぶ。

 時は流れ、かつて姫であった后の夫の王は、冒険の旅路、とある乙女と恋に落ちる。

 王には后がいたが、王は多妻が認められていた。何の問題もない。嫁いでおいでと告げる王。

 乙女は男と添いたいと思ったが、「汝、男を他の女と分け合うことなかれ」という戒律を持っていた。

 ここまでが、各版ほぼ共通の序幕及び第一幕である。

 序幕での姫と一幕での乙女に同じ歌姫を配したミットラルの演出で一躍スターダムにのし上がった歌姫・メルチュリカを知らぬ者はいないだろう。

 王と乙女は后の後押しで結ばれるのだが、ここから筋書や解釈が変わり、登場人物もだいぶ変わる。


 一番幻想的なバルツゲート版は、森から魔女が現れ、「后を殺した後に嫁げばいい」と乙女を誘惑する。

 しかし、「后は国の要。恋のために殺せない」と乙女はそれを拒み、魔女の誘惑を退ける。ここで国王が逃げる魔女を追い、討伐する一幕が挿入されたサクスケード劇場のこけら落とし特別公演は、全幕上演に三日を要した傑作で、今でも語り草になっている。

 そのようなことを勧める魔女が守る古い戒律に効力はないと、乙女は晴れて王に嫁ぐ。この版では后は嫁いできた姫を温かく迎える、重要ではあるが脇役である。

 もっともポピュラーな翼の王国版では、魔女は現れない。

 乙女は悲嘆に暮れ、恋に殉じて死を選ぼうとするところへ后が駆けつける。

「ああ、かわいいあなた。死を選ぶことはない。あなたは私の姉妹なのだから」

 往々にして「汝、男を他の女と分け合うことなかれ」の戒律には「姉妹を除く」の付記がある。姉妹ともども有力者に嫁がせるのは古き時代ではよくあったことだ。

 この場の二重唱「死を選ぶことはない」と序幕の「姉妹の契りを結びましょう」の二重唱は同一モチーフが使われており、より技巧的になった「死を選ぶことはない」の后と乙女の二重唱は歌姫競演の最たるものだ。

 次の幕、后は居並ぶ法務官、王室機密官、神官を前に乙女の戒律と王の結婚に何ら支障は生じないと高らかに歌う。

 王、法務官、王室機密官、神官の男性四重唱「陛下。国を取りなさい」がどれだけ重厚であるかが、舞台の出来を左右すると言われている。テノールパートの神官は新人の登竜門と言われている。抜擢は名誉なことだ。

 四重唱の余韻の中、王の独唱「それでも乙女に恋をしている」から、宮廷に現れた后の「陛下、后は王を愛しています」への移行。

 后と王の二重唱で双方に情愛を前に押し出すか、国を共に治める同志の連帯感を押し出すかは未来永劫演出家たちの大いなる課題となるだろう。

 更に、それを経たうえでの「控えよ。乙女は私の姉妹なのだから」の后のアリアはガラコンサートでもよく歌われる傑作である。

 このアリアを乙女との恋に苦悩する王のために歌っているのか、姉妹の契りを結んだ乙女への愛をうたっているのかで解釈が甚だ分かれる。

 結婚の障害となる全てをねじ伏せ、王と乙女の結婚式のフィナーレに、乙女の肩を抱き、后が乾杯の号令を上げるところで幕が下りる。

 后の解釈が非常に難しく、王への無償の愛に生きる女性。宮廷の混乱を避ける賢夫人。幼い頃の約束を忘れない純真な婦人と多岐にわたる。幼き日の乙女への恋を胸にくすぶらせていたという解釈は、すわ上演停止になるのではと危ぶまれたが、宮廷は沈黙を以て、おとがめなしとしたのは記憶に新しい。

 また、王を老人とするパルトリニ解釈と、青年とするデメトリ解釈にもそれぞれ熱いファン層がいる。

 また、荷重を乙女と王の恋愛に置くか、后と乙女の姉妹愛に置くか、あるいは陰謀渦巻く宮廷劇に置くかで、まったく別の芝居を見せられることになる。

 実際、后をデウス・エキナ・マキナとして「乙女は私の姉妹なのだから」と共に幕とする手法は学生演劇、とみに女学校でよくみられる。


 様々な解釈を内包し、現在も進化し続ける「后と乙女」だが、何が「正解」なのかは決して明かされることはあるまい。

 何しろ、乙女のモデルがどうやらおひとりではない。

 20年前、王は第一妃殿下から第四妃殿下と相次いで婚姻されたのだ。

 王后陛下と義姉妹の契りを結んでおられるのは第三妃殿下。

 国王陛下と大恋愛の末お輿入れしたのは第四妃殿下。

 作中の乙女の姿が似ておられるのは第一妃殿下。

 現在の版ではまったく共通項が見えない第二妃殿下に関しては、歌劇というスタイルが影響したと言われている。

 第二妃殿下が優秀な鳥使いであることは国民周知の事実である。婚儀の折、大聖堂で国中の鳥が歌ったのは語り草であり、その様をつづった歌は現在では披露宴の定番曲である。

 最初版で乙女は鳥寄せをしていたのだ。

 舞台上で鳥寄せをするのに実際の鳥を使って無理があったことや、羽毛で役者がせき込む、染み付く臭いや予期せぬふんで衣装に被害が大きいなど、フレーバー要素にかかるコストが大きいため、その部分だけ淘汰されたのだ。

 定説では、この歌劇はそもそも宮廷の肝いりで、当時代変わりして間もなかった翼の王国の王、后、妃はゆるぎなく親密であるという、プロパガンダであったとされている

 例えば、概念の発生。

「恋の末」とは、作中に出てくる言葉である。

「私が愛しているのは国王陛下ではなく、ダニエーレ。私の生む子は、私の愛したダニエーレの子であり、国王陛下の子ではありません。この恋の末に生まれる子なのです」

 すなわち、国策ではなく、国王の恋愛によって娶られた妃の子の王位継承の否定である。

 翼の王国は、王族同士が血で血を洗った歴史の上に成り立っている。王家伝統のマントは、身内の血でどす黒く染まっている。事実として。

 そこまでして研ぎ澄まされた人間兵器としての危険性は管理されてしかるべきである。 実際、王家の先祖返りによる惨劇は枚挙にいとまがない。ここ百年ほどは報告がないことを制度の定着として喜ぶべきことだろう。

 嫡流――王后及び枢密院選出の王妃の子――は「担う翼」として王族教育を受ける一方、庶流――枢密院より推挙がなかった王妃の子――は「飛び立つ翼」と称される。

「飛び立つ翼よ。選べ、象牙の門か信仰の門か冥府の門か」

 150年前の芝居にも出てくる程度に、王の庶出の男子が権力をふるう身分に収まるのは厳然としたタブーである。

 学究の徒となり、生涯本に埋もれるか。厳格に俗世との関わりを捨てる僧院に入り、祈りの日々を送るか。

 血筋をばらまかないよう、婚姻は許されない。さもなくば、死ぬしかなかったのだ。そこまでしても権力闘争に巻き込まれ、無残な目に遭った者も多い。

 当時は、臣下となる。貴族の入り婿になる。在野に下るという選択肢もなかった。

 しかし、「思い出すのもはばかられる時代」のように、王が次から次へ年間数人の庶子を生産するような時代ではない。

 人権という概念がちらほら芽生えかけている近現代では、待遇は緩和されている。

「学究の徒」は、生涯を象牙の塔に幽閉される事はなく、留学と称して各国の宮廷をめぐり、非公式な外交チャンネルとなる。

「信仰の徒」は、生涯を僧院に幽閉されることなく、巡礼と称して各地の僧院をめぐり、非公式な交渉チャンネルとなる。

 一か所にとどめておいたら、反王制派に洗脳された王子がやらかした前例を踏まえ、常に王国の「指導」のもと移動させることになったのだ。

 王国に戻れるのは数年に一度。昨今の気風を踏まえてかなり軟化している。

 それに加えての「恋の末」という概念の登場である。

 現国王陛下の場合、第四妃殿下、第五妃殿下が該当となる。もちろん、現行法でそのような記述はなく、慣例としてもそのような明言はないが、この考えはとても翼の王国民の心を打った。

 すなわち、玉座に座るのは必ず国民のために選ばれた后あるいは妃の子であるならば、一個人としての王の恋愛を妨げることはない。彼にも恋に落ちた人と子を設ける喜びは必要だ。という考えだ。

 翼の王国特有の思想が透けて見えるが、彼らは一様に善良で素朴で純真である。

 国王陛下と王后陛下が仲睦まじくおられるのはもちろん最高だが、燃える恋情はいつ何時人を襲うかわかったもんじゃない。しかし、その相手が女性として好ましくても国の中枢に置いていい訳ではない。かといって、国政が担える能力がないからと恋をあきらめるのは二人とも可哀想だし、不慣れなのに政治に利用されるのはもっと可哀想だ。守って差し上げなくてはならない。

 王の恋は応援したいが、国家を揺るがすようではいけない。つまり、国王の公私の完全分割である。

 だから、絶対に王位につけない。と初めから決めてしまえばいい。道理を無視して、利用しようとするのは人として品格がない行為だ。と、有力貴族や聖職者達に釘をさす結果となった。

 極端な話、国家計画から外れた者を国母にしない。后を脅かさないという概念である。

『権力を振るう者はまず自らを戒めねばならない。話はそれからだ』

――とは、芸能王のお言葉だが、それが国民のいつわらざる総意である。

 「恋の末」という概念は瞬く間に浸透し、他国の辞書にも掲載されているほどだ。

 現在該当なさっているのは、第四妃殿下の第一王女殿下、第五妃殿下の第一王子殿下のお二人である。


 恐れ多くも国王陛下、王后陛下、妃殿下方にそれをうかがう肝の太い者がいたとし、それについてお言葉を賜る可能性が万が一にもあったとして、その真偽を確かめる術がない。

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