第2章 噂
場所は変わり、春樹を見送った九条邸。
外では中庭に植えられている桜が綺麗に咲き誇っており、今の季節を春だと実感させられる。風が吹くたびにゆったりと落ちて行く花びらに風情を感じる、はずだった。
「……で?色々聞きたいことがあるのですが。まずは、何か言うことはありますか?」
「「す、すみませんでした……」」
目の奥にゆらゆらと揺れている怒りを感じ取った二人は、そんな彼の目の前で正座させられている。心当たりしかない二人は目を彼と目を合わせることなく謝罪をした。
「はぁ……まずは、外で勝手に式神を使ったことですが、それは何も言いません。どうせそうするだろうと予測していたので。ですが、烏丸に会ったのは予想外過ぎます。あれほど彼に近づくなと話したのに……」
「申し訳ないです……」
「……いえ、彼があそこに来ることを予測出来ていなかった私の責任です。すみません」
片手で顔を覆うようにしてため息をついている彼、蒼は自身を責めているようにも見える。
約一ヶ月前に神社を訪れたことについて咎めていたのだが、帰宅後に聞いた思わぬ訪問者が同じ神社にいたと言うこと、更には一番警戒している烏丸に術を見せられて大変な目に遭ったことを同時に聞いて頭を抱えてしまっていたのだ。
「あの、何故あの人がいるって知らなかったのですか?神主さまに聞けば教えてくれたのでは……?」
「いえ、そんなことは出来ません。神社での出来事や訪問者は基本的には他者に漏らしてはならないもの。きっと、聞いても答えてくれることはなかったでしょう」
「そう、だったのですか……」
春樹が一人で試験を受けている頃、三人はかなり浮かない顔をしていた。周りには誰もいないその部屋は蒼が専用として使っている一室。いつも居る広々とした場所ではなく、こじんまりとしている。
三人入るので精一杯のようだが、壁には雪見障子があるので、外の様子を伺うことが出来る。下級陰陽師の憧れでもあるそれを持ち合わせている彼の部屋は理想的だ。
「……ところで、春樹のその後の様子は大丈夫でしたか?」
「え、えぇ。変わり無く、いつも通りに過ごしていました」
「そうですか……」
「あの、質問してもいいっすか?」
「何ですか?陽斗」
「いや、烏丸さんに術をかけられた時って春樹には俺らよりも強めの霊力をかけていたって神主さまが言ってたんです。だから、俺たちよりも混乱している時間が長かったって。でも、春樹って一般の陰陽師である俺らよりも莫大な霊力を持っているんですよね?それだったらかかりにくいのではないか、と思って」
先ほどまで海斗と蒼のやり取りを聞いている陽斗が手を挙げて質問する。その内容に顔を覆っていた手を顎まで下ろし、何やら考えている素振りを見せる。
「……恐らく、まだ霊力に対しての“耐性”がないのでしょう」
「え?でも、あいつの中には大量の霊力が入っているって……」
「確かに彼には持ち合わせている霊力は人並み以上、いえ、まさに異常です。しかし、それを持っているからと言って今まで実際に霊力を使った術を受けたことがあるのでしょうか?……彼の話を聞いている限り、恐らくそれはないでしょう。それが、あいつの術に深くかかってしまった原因です」
不思議そうな顔をしている陽斗に説明している様子は自身にも同じように説明しているようだ。彼らと目を合わせない蒼も頭の中で必死に考えているのだろう。彼の話に「なるほど……」と納得していると、「いえ、そのことではありません」とハッとしたように話を戻した。
「あなた達二人が付いていながらこのような事になるとは思ってもいませんでした。ですが、今回の事件については予想不可能でしたので目を伏せておきましょう。……まぁ、次はありませんがね?」
「が、頑張ります……」
ふふふ…と不敵な笑みで目線を下げている二人を見下ろすようにしている蒼。笑っているようで、目の奥には再び怒りが燃えているようだ。
普段は物静かで柔らかい雰囲気を纏っている彼だが、怒らせると誰よりも怖いことで有名だ。ちなみに、そんな彼に対して何か言えるのは他の十二神司であることも同時に知られている。
「さて、今頃筆記の試験を受けているのでしょうか?」
「あ、春樹っすか?」
「そうです。あなた達が全力をかけて教えている“はず”なので、結果は期待していますが……」
「だ、大丈夫ですよ!春樹ならきっといつも通りの良い結果を出してくれますよ!」
「そ、そうっすよ!あははは……」
一部を強調するように言った蒼の言葉に体が揺れる二人。必死に春樹と一緒に自分たちを擁護している姿は周りから見るとかなり滑稽だ。しかし、そのように見られていても気にしていられないのが蒼の怒り。何とか収めるために愛想笑いをひたすら続けているのだった。
*
(この、問題は一体……?)
彼の先輩二人が必死に擁護している時、春樹は春樹で一人で目の前に立ちはだかる問題に苦戦していた。試験が始まってからもうすでに三十分程経っているのだろうか。
周りではちらほらと老師の元へ用紙を提出し、退出していく者がいた。それを見た彼は少し焦りを感じるが、(落ち着け……焦りは禁物だ)と自分自身に言い聞かせて再度問題へと視線を向ける。
(陽斗さんと海斗さんが話していた通り、たった一問だけ。でも、どう答えれば良いのか……一体、何が正解なんだ?)
頭を抱えている春樹は目の前に羅列されている文字に悩まされていた。その内容とは、『貴方にとって式神の存在とは何か?』だった。
たった一行で書かれているその質問は簡潔に答えることも出来る。書物に書いてあった答えだと、『陰陽師である主人の代わりに戦い、守るための存在』だ。しかし、それでは根本的な何かが違うと直感した春樹は筆を止めた。
“貴方にとって”と書かれていることに何かが引っかかり、頭の中で考えを巡らせているのだ。一文字一文字がどんな意味であるのか、そこにはどんな意図があるのだろうか、など深く考えてしまっていた。
隣に目をやると、同じように頭を抱えている月輪冬吾の姿があった。彼も考えているのだろうか、と思い軽く用紙を盗み見ると、そこには何やら虎のような絵が描かれていた。
(今までの中で一番無駄な覗きだった気がする……)
他人の回答は見るもんじゃない、と思った春樹は自分の用紙に向き直った。
(式神、か……そう言えば、陽斗さんと海斗さんは自分の式神を相棒って言っていたな。僕にとっての相棒って、一体誰のことなんだろうか)
神社に行く前の活き活きとした彼らの姿を思い出す。いつもより輝く笑顔で、自慢げに話す二人のことは鮮明に覚えている。陽斗の真神は姿は獰猛だったが、かなり懐いていた。
頭を彼の体に擦りよせ、撫でられると嬉しそうにしていたのが頭の中に過ぎる。海斗の大太郎法師も息が合っており、しっかりと指示を聞いていた。一つしか年齢が違わないとは言え、先輩であることに変わりない彼らはちゃんと陰陽師であった。
(……あぁ、そう言う事か。何だ、すでに知っているじゃないか)
ふと思いついたのか、サラサラと筆を動かし始めた春樹。横にいた冬吾は先程まで頭を抱えていたのが嘘だったかのように書き始めたことに驚いているようだ。目を見開き、白紙のままである自身の用紙と睨めっこを始めていた。
(これで、よし)
ゆっくりと筆を置き、書いた内容を確認して正座していた足を慎重に動かした。いつもより短い時間座っていたが、足を捻ると後々大変なので痺れを軽く取ってから持って来ていた荷物を手に持ち、老師の元へと提出した。
「……本当にこれで良いのか?」
「はい、これが僕の答えです」
「そうか、では別室で実技の試験を待つように」
「はい」
老師は春樹の回答を見て少しだけ目を見開いて提出を確認した。躊躇いもなく肯定し、老師に促された通りに廊下に出た。そこにはここまで案内した先程の女性が立っていた。
「九条春樹様ですね?お次は実技の試験です。順番に行いますので、こちらへお願い致します」
「は、はい!」
返事をした後、何も言わずに背を向けて歩き始めた女性。長々と続いている廊下を歩いて行き、何度か曲がった後一つの部屋の前で足を止めた。春樹の方へ向き直り、説明を始めた。
「ここが、次の試験までの待合室です。既に他の者は実技の試験を受けていますので、恐らくすぐに受けることになると思います。それでは失礼します」
煙を立てて目の前から消えた女性はヒラヒラと床に式神が落ちていった。それを見ながら次の試験について頭がいっぱいになりつつある春樹。筆記の時と同じように深呼吸をして襖を開ける。
同じようにこっちを見られるかと思ったのだが、誰もこちらを振り返らない。少し胸を撫で下ろして周りを見渡して空いている席へと座る。今回の場所では机は無いようで、座布団が一定の間隔で置いてある。このまま座っていれば良いのか、と思い先程とは違い胡座をかいた。
「みんな、何をしているんだ……?」
小声で呟いても誰も気にすることはないようで、辺りを見渡す春樹。どうやら全員精神統一をしているようで、瞑想をしている人も見かける。
しかし、数人は何やら手の平に文字を書いて口の中に放り込む作業を繰り返している。声を掛けづらいのだが、興味を持った春樹は話しかけてしまった。
「ねぇ、君は何しているの?それ、何の意味があるの?」
「あ?……って、お前筆記で同じ部屋で受けていた奴じゃねーか。これはな、緊張を和らげるためにやってんだよ。ほら、手の平に『人』の文字を三回書いて飲み込むんだ」
「へぇ……そんなことする程、緊張するの?」
「はぁ?お前、何も知らねーの?この実技の試験、数人に一人だけ必ず落とされるんだ」
「え?そ、それってどう言うこと?」
呆れたような顔をして春樹の質問に答えた同い年くらいの少年。少し目つきが悪く、柄が悪いのが印象的だ。口も悪い彼はため息をついて一から説明をし始めた。
「実技の試験って言うのは、数人同時に始めるんだよ。その時に式神を配られるのは知っているな?もちろん、自分の霊力を使って召喚するんだけど、その中に一体だけ俺達じゃ召喚出来ない上位式神が混じっているんだよ」
「え……そ、それって、噂だったんじゃ……?」
「そんな訳ねーだろ!実際、さっきそのせいで不発して落ちた奴がいるんだよ!」
「そ、そんな……」
焦っているのか、少し大きな声で否定した彼は慌てて口を閉ざす。彼の態度から見て、今言った話は本当なのだろう。呆然とする春樹に再度小声で話す少年。
「良いか。もしそれに当たったら合格は絶望的だ。全力を出して不発するか、最初から諦めるか、二つに一つだ。お前も精々当たらないように気をつけるんだな」
それだけ言うと彼はすぐに自分の世界へと戻った。ひたすら何かを呟いているのだが、彼の言葉なんて欠片も耳に入ってこない春樹。陽斗と海斗が話していたことは事実であり、それに当たると陰陽師どころか陰陽寮にすら入れない可能性がある。
もし、もし仮に当たってしまったら。
(俺は……陰陽師に、なれない?)
背中に嫌な汗が伝った。ゾクリとした感覚に顔が青ざめて行くのが分かる。先程から次々と呼ばれて行くのを見ていると、自分が呼ばれるのもそう遠くはない。焦りと絶望感が物凄い速さで襲ってくる。
「……では、次の受験者をお呼びします。……さん、……さん、……さん、……さん、……さん、最後に、九条春樹さん。今から実技試験の場所へご案内します」
自分の名前を呼ばれて思わず体を揺らして大きく反応してしまう。解決方法など、全く思いつかないまま自分の出番が来てしまった。他の受験者が老師の元へ向かう中、未だに立てずにいる春樹に話しかける。
「九条春樹さん、早く来てください。他の人が待っています」
「す、すみません。すぐ行きます」
震える手を必死に抑えつけ、ゆっくりと立ち上がる。心臓が荒ぶっているのが全身で感じることが出来る。脈打つ心臓は速くなるばかりで、自分以外の時間がゆっくりと過ぎているようだ。
「では、全員揃ったので向かいます。場所は中庭ですので、外に出ますのでお願いします」
淡々と告げたその老師の後を他の受験者は付いて行った。彼らと同じように後ろを歩いていたが、少しだけ離れている。
(どうする。ここで終わる訳にはいかないだろう?他に解決方法があるはずだ。何か、何か……)
一難去ってまた一難。やはり多くの陰陽師を輩出しているだけあり、振い落しからが尋常じゃないようだ。
それを知ってしまった春樹の頭の中はいっぱいいっぱいのようで、他の声が入ってこない。かろうじて老師の声は聞こえたので、一人一人手渡された式神を受け取り中庭へと出る。
「……?これは、桜……?」
頭上から何かが舞ってきたことに気が付いた春樹は見上げた。すると、そこには空を全て覆うような薄紅の花が咲き誇っていた。他の受験者は全く気にする素振りを見せない。
何か説明をしているのが聞こえるが、薄っすらとしか聞こえない春樹。彼の話よりも、目の前に広がる景色を見て一年前のことを思い出した。
『生きろ……春、樹……お前は……幸せに……』
(……そうだ。俺は、あいつのために生き延びると決めたんだ)
「……さん、九条春樹さん!」
「あ、は、はい!」
「次ですよ、用意してください」
頭の中に響く親友の声。誰の為に生きるのかなんて、とっくの昔に決まっていることを思い出した春樹はいつの間にかいた複数人の老師に気がつく。
名前を呼ばれ、今目の前で繰り広げている一人の少女が式神を召喚しているのに目が行く。しかし、彼女は召喚した後すぐに式神に飲み込まれて言うことを聞かせることが出来ず、老師達に無理やり消されていた。
「……では、次。九条春樹さん、お願いします」
「はい!」
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