第2章 陰陽寮


「……実はあの時、昔の親友……冬樹の姿が見えたんです」


「冬樹って、お前が前の主人の所で一緒に働いていた?」


「そう、です。その、陽斗さんと海斗さんが見えた時にあいつの姿が見えたんです。最初は、普通に微笑んでいて楽しそうにしていたんです。でも……」


「でも?」


「どんどん、様子が変わってきて。俺の方を見て、指差して、言うんです。『お前の所為だ。お前の所為で、俺は死んだ。お前の所為だ。お前の所為だ。お前の所為だ!!』……そう、言って、冬樹は……」


「もういい。これ以上、言わなくていい」


歯切れの悪い春樹の様子がおかしいと勘付いた海斗は途中で会話を遮った。顔が青ざめ、血の気が引いていくのがよく分かる。


手は震え、視線は下を向いており、息が短くなっているのを見て、尋常じゃないと流石に気づいた陽斗。「あー……」と言いながら後ろ頭を掻き、口を開いた。


「春樹。すまんな、嫌なことを思い出させて。これ以上話すことは止めよう。だがな、お前の記憶の中にいる冬樹ってやつは本当にそんな奴だったのか?」


「え……?」


「今さっき烏丸さんが使ったのは一種の幻覚で、それが真実だとも限らない。要するに、お前が“怖い”と思うことを出して来ただけなんだよ」


「俺が、怖いと思う、こと……」


「そうだ。春樹はきっと今まで俺らが想像出来ないような経験をして来たから、怖いって言う感覚が麻痺しているのかもしれない。そんな中でのお前の“恐怖”が親友にそう言われることだった、ただそれだけだ」


ぶっきらぼうな話し方の中に優しさを感じた春樹。冷え切った心がじんわりと温まるような気持ちになった。彼の話を聞いていた海斗は「そうだよ」と同意し、春樹の背中をさすりながら話し始める。


「春樹が知っている親友は、そんなこと言う人じゃないのだろう?それは君が一番よく知っているはずさ」


「そう、ですかね……」


「あぁ、そうだよ。人間は大切な思い出を忘れることなんてないんだ。ただ、思い出せないだけだよ」


温かい手の平を背中で感じながら、海斗の台詞を繰り返し言う春樹。先程の衝撃で忘れていた冬樹との思い出が少しずつ頭の中で流れ始めた。そこにはいつも一緒に笑いあって助け合った日々があったことを思い出した。


「そうだ、冬樹は、そんな奴じゃない。本当に優しくて、こんな俺に『生きろ』と言ってくれたんだ」


「だろ?ほら、やっぱり違ったじゃねーか!」


「はは、そう、でした。すみません、陽斗さん海斗さん」


「いいんだよ。思い出せて良かったね」


目を細めて笑いかける海斗。彼の笑みに反応するように春樹も目を細めて口角を上げた。そんな2人を見ていた陽斗は照れ臭そうに鼻をこすり、「さてと!」と大きな声を出す。


「んじゃ、神主さんの所へ行ってお礼して帰るか〜」


「そうだね、いつの間にか陽が傾き始めている」


「おら、行くぞ、春樹!」


大きく伸びをし、春樹に声をかける。先に歩いて行ってしまった彼はいつも通りになっており、「ほら、行くよ」と手を差し出してくれる海斗。いつも教え、助けてくれる彼等に救われているのは春樹だけではないのだろう。こうやって他の後輩にも教えているのかと考えると、少し誇らしく思えたのだった。





試験直前。直前も直前で、ほんの一時間前のことである。


「大丈夫か、春樹。忘れ物はないか?落ち着いて行くんだぞ?分かったな?」


「いや、お前が一番落ち着けよ」


天と地ほどの温度差がある彼等は陽斗と海斗。もちろん、前者が陽斗で後者が海斗である。今日は待ちに待った陰陽寮の試験日。あちこちから来る陰陽師の卵達が溢れかえる日だ。


どんな人がいるのかも全く分からないまま試験を受けることになっている。事前に聞かされた内容では、筆記の問題に関してはあまり気負いしなくて良いと事前に蒼にも言われていた春樹。どちらかと言うと、実技の方が心配だと言うことを誰も分かってくれな買ったらしい。


「大丈夫ですよ、陽斗さん。今まで習って来たこと、教えて頂いたこと全てを活かして受けて来ます」


「そ、そうか?それなら、良いんだけど……」


何故か春樹よりも不安げな陽斗は眉尻を下げたままだ。その横で「お前、いい加減しつこいぞ」と注意を促している海斗は微笑む。


「たった一年でここまで成長してくれるとは思わなかったよ。間違いなく、お前は自慢の後輩であり、立派な九条家の人間だ。胸を張って行ってこい!」


「はいっ……!」


心の底から尊敬できる先輩にここまで言われた春樹は、期待に応えるしかないと覚悟を決める。短めの返事で気合いを入れ、彼等の挨拶もそこそこに陰陽寮へと向かった。




そして、現在に至る。



目の前には学舎とは比にならない広さと大きさを誇ってる陰陽寮。流石、国が総出で力を尽くしている役職。今からその試験を受けるとなると、やはり緊張は付き物だった。


周りには育ちが良さそうな人間から、もしかしたら自分と同じ身分の出かもしれない人間までいた。明確には分からないが、次会う時は同じ陰陽寮の仲間になっているかもしれない、と言う期待に胸を膨らませて中へと入って行った。


「こちらは陰陽寮の試験場です。順番に中へとお入りください。なお、時刻が過ぎた後の入室は禁止になっておりますので、くれぐれもご注意ください。それから……」


一つの建物に向かって全員が歩いている。入り口の前には老師と思わしき人物が立っていた。全体に聞こえるように大きな声で言っているのだが、あまりの人数の多さに声がかき消されている。すると、頭上から少し偏った発音で同じことが聞こえて来た。


「コチラは陰陽寮ノ試験場デス。順番ニ中ヘトオ入リクダサイ。」


「あれは……鳥、か?」


見上げてみると、そこには綺麗な赤色と黄色が混ざった鳥が優雅に飛んでいる。見たことがない色をしていることに目が行き、思わず足を止めてしまった春樹。


他の人間も同じように見上げている。すると、先程から叫んでいる老師が頭上の鳥について説明を始めた。


「あれは私が扱っている式神の鳥、鸚哥いんこです。これからはあちこちでこのような式神をたくさん見かけます。今の時点で珍しがっているようでは、この試験には受かりませんよ」


注意喚起、とでも言うのか。楽しそうに、よりも愉快そうに話す女性の老師はどこか不気味さを感じてしまう。やっとここで春樹は自覚した。そうか、これが陰陽寮。これくらい出来なくて、最強の陰陽師になれる訳が無いのだ、と。


「……よしっ」


頬を自身の両手で叩き、気を引き締めた春樹。未だに頭上の鳥に見惚れている人間もいる中、さっさと建物内に入るべく足早にその場を去った。


中に入るとこれまた広く、複雑な造りになっている。何処に繋がっているのか全く検討のつかない廊下、そして部屋の数々。このほとんどが指導する教場として使われていると聞いて、目玉が取れそうになった春樹。


九条邸もなかなかの大きさだとは思っていたが、それを遥かに超えるものが来るとは思わなかったようだ。


「では、貴方は今からここで筆記試験を受けます。他にも生徒がいますが、私語は慎むようにお願いします」


「あ、はい」


淡々と言ったその女性はいきなり煙を立てて消えてしまった。入口から一人で案内された時には式神だなんて全く気づかなかったのだ。


「こんな所にも……」


ここに入る前に女性の老師が言っていたことを思い出した。


『……これからはあちこちでこのような式神をたくさん見かけます。今の時点で珍しがっているようでは、この試験には受かりませんよ』


彼女の言葉な本当だったようで、今も何処に式神が潜んでいるかも分からない。何処からか監視されているかもしれないし、実戦で何をされるのかも分かっていない。


不安だらけの中での試験がこれ程までに体を強張らせるとは知らなかった春樹。微かに震える手に気付き、「ははっ……」と乾いた笑いが出て来た。このように震えたのはあの烏丸の術をかけられて以来だと思い出された。


「早く、中に入るか」


誰もいない廊下で一人呟いて、目の前にある襖を横に開いた。カタン、と揺れる音がした後すでに室内にいた数人がこちらを振り向いた。半数以上が男だったのだが、例外なく女性も春樹を足の爪先から頭の先まで舐めるように見る。


彼らの視線に違和感を感じつつも、誰も座っていないであろう机の前に座る。もう少しすればこの視線も無くなるだろう、と思い持ってきていた帳面を開いて読み始めた。


内容に集中していると、途中で一人老師が入ってきた。今度は男性の老師で蒼と同じような装束を着ている。周囲の子供達も同じ服装だが、彼の被っている烏帽子の色に全員の視線が集まった。


「えーでは、もうすぐ試験を始めるので持ち物の筆以外全てを机の上から片付けてください。後ほど試験用紙を配りますので、もう少し待っててください」


全員の前に立っている先生は手を前で合わせながら全員を見ていた。後ほど配ると言われた用紙はすでに彼の横でふわふわと浮いている。その不思議な光景をしばらく見つめていたが、それも全て式神を使っているのだろうか、と深く考えてしまう。


「あーーーー!あっぶね〜!」


バンッと襖を大きな音を立てて開けたのは一人の少年。春樹とそんなに年齢が変わらないであろう彼は息を切らしながら中へと入って来た。


「こら、君!煩いぞ!もう始まるからすぐに座りなさい!」


「あ、はーい!すみませーん!」


謝る気があるのかないのか、注意をしている老師のことを軽く流して、空いている席を探すために見渡している。彼の容姿はそこまで珍しいものではなかったのだが、よく見ると目の色が暗い赤色であることに気づいた。


思わず見つめていると、見渡している春樹は目が合ってしまった。


「あー!お前、俺知ってるぞ!九条家の春樹だろ!」


「え?あの、君は……?」


「あ、俺?俺は月輪つきのわ冬吾とうご!月輪家で修行してんだ!よろしくな!」


「は、はぁ……」


差し出された手をどうするか悩んだが、恐る恐る自分の手を近づけた。その瞬間を逃さなかった冬吾はガシッと掴み、上下に振って嬉しそうにしている。


「こら!またお前か!早く席に座らんか!」


「はいはーい、すみませーん」


一度、廊下の外に出て行った先生が中へと戻って来た。誰もいないことを確認したのか、襖を閉めて彼らの前に再度立った。


「では、これから用紙を配る。制限時間は……そうだな、今回は自信のある解答を書けたと思った者から退出して良い。この後には実技もあるので、忘れないように」


時間がないと言う事実に驚きを隠せない受験者達はざわついていた。軽く説明した彼は「では、用紙を配る」と言って軽く指を動かした。


それと同時に浮いていた紙が各自座っている受験者の前に置かれていく。春樹の目の前に来た時、「始め!」と号令をかけられ、すぐに筆を取った。

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