第2章 問題

渡された式神を持ち、霊力をその中に流し込むのを想像する。受ける前に練習として下級式神を召喚したが、それらは簡単に出来た。しかし、蒼が持っていた上位式神はやはり難しく、召喚できたとしてもすぐに煙となって消えてしまっていた。


(あれ?何で召喚出来ない……?)


何度も挑戦したあの時と同じように霊力を流し込むがピクリとも動かない式神。ここで、あの話が頭の中に過った。


『……もちろん、自分の霊力を使って召喚するんだけど、その中に一体だけ俺達じゃ召喚出来ない上位式神が混じっているんだよ』


まさか、と思った春樹は目の前にいる老師達を見ていると、目を細めて哀れむような目で見られていることに気がついた。


(あぁ、これが上位式神ってことか。本当、俺は運が悪いのか良いのか分かんないよな)


何処か馬鹿にするような彼等の目線の中に一人だけ見覚えのある顔があった。確か彼は月輪……と呼ばれていた気がする。まさかの再会に驚いたが、それよりも自分が置かれている状況をどうするかを必死に考えていた。


彼の両隣にいる老師は気味の悪い笑みを浮かべている。しかし、そんな彼等に挟まれている彼は口をこちらに向けて動かしているのに気づいた春樹。同じように口を動かし、何と言っているのかを考えた。


「君は、ここで、終わるのか……?」


ドクン、と心臓が大きく跳ねた。さっきとは違う胸の高鳴りに体がどんどん熱くなるのを感じ、繰り返した彼の言葉の意味をもう一度理解した。


(……そうだ。俺は、こんな所で終われない……!)


持っている式神に力が加わり、くしゃっと音がした。しかし、それ以上に全神経を集中させて霊力を注ぐ。召喚される式神を想像し、ありったけの自分の力を出すことだけを考える。


すると、何も起こらないと高を括っていた老師達は目を大きく見開いた。自分の手の中にある式神に集中している春樹は気づいていないが、彼の周りに風が吹き始める。


地面に落ちていた桜の花びらが揺られて少しずつ動いている。目を瞑り、全神経を式神へと注いでいる彼はゆっくりと口を開いて声に出す。


『……姿を見せぬ命ありき物達よ。ここに正体を現し給へ。』


彼の声の直後、暴風が巻き起こされた。頬を切り裂くような痛みを感じながら、式神を決して離す事なく強く握りしめている。後ろにいた他の受験者や目の前にいる老師達は自分のことを守るように腕で顔を隠す。


吹き荒れる風によって砂や小石があちこちへとぶつかり、様々な音が聞こえる。しかし、春樹は全く聞こえていないのか、今以上に力を込めて叫んだ。


『犬神!!』


強風がピタリと止んだ後、春樹と老師達の目の前に現れたのは巨大な狼。青空に向かって遠吠えする姿は凛々しいだけでなく、上位式神としての品位を感じる。視界が悪くなっていた彼等は突如現れた彼の姿に戸惑いを隠し切れていなかった。


「な、何で犬神を召喚出来たのだ!?確実に出来ないと言っていたのに!」


「へぇ……それは、どのような意味でしょうか?」


「へっ?あっ……」


唾を飛ばして叫んでいる一人の老師はよく分からないことを言っていたのを月輪は聞き逃さなかった。鼻息荒く言い放った老師は自分の失言に気づき、目を細めて微笑んでいる月輪に質問されて目を泳がせている。


「何故、彼が“確実に”召喚出来ないと知っていたのですか?上位式神は無作為に渡されるはずです。そして、そのことを僕らは知り得るはずもない。なのに、何故あなたはご存知で?」


「うっ……そ、それは……」


一部を強調するように圧力をかけながら話している姿を見ている春樹。一体、何の話をしているのか分からずにただ立っているだけだった。


『……お前が、俺を召喚した主人(あるじ)か?』


「え?そ、そうですけど……」


『ふん、こんな子供に召喚されるとはな。俺も落ちたもんだ』


彼の話し方はどこか春樹を馬鹿にするような発言に「は?」と喧嘩腰になる。しかし、その一触即発の雰囲気に水を差したのは圧力をかけていた彼だった。


「犬神。貴方は落ちぶれてなんかいません。ただ、これが彼の実力です。認めざるを得ませんよ」


『ほう……この年齢でこれ程の霊力を持ち合わせているのか?それはそれは、期待しても良さそうだなぁ?十二神司よ』


「えぇ、そうですねぇ」


犬神の発言をすぐに否定し、今起きたことを説明した月輪。どこか嬉しそうにしている彼は口元を緩めている。彼の発言に納得したのか、頭の先からつま先まで舐めるように見ている。その視線に緊張しつつ、ゆっくりと手をあげた。


「あの……これは、成功ってことですか?」


『あぁ、もちろんだ。生意気だが、俺を召喚し意思疎通が出来る所まで来ていたら成功以外の何物でもないさ』


「……そう言うことですよ、春樹くん。よく頑張りました」


評価をしている月輪や老師が言う前に犬神が口の端を上げてニヤリ、と笑った。彼につられるようにニコニコと微笑んでいる月輪。彼らの言葉を聞いた春樹は心の底から湧き上がる何かに胸が締め付けられ、何故か目から雫が溢れていた。


そんな彼の反応に周りは目を大きく開いていたのだが、月輪だけは何も言わずにニコニコしているだけ。すると、そろりそろりと忍び足で逃げようとしている老師の首根っこを捕まえた。


「では、私はこの害悪老人を本部へ連れて行きます。しばらく休憩時間と受験者に伝えてください」


「はい、かしこまりました」


「さ、行きますよ。色々貴方には聞きたいことがありますからね」


春樹達を連れてきた若い女性は返事をし、頭を下げた。彼女に指示を出しつつ、首根っこを捕まえている彼は暴れて逃げようとする老師を見下ろした。何やら「離せ!」とか「わしを誰だと思ってるんだ!」と叫んでいる。


「貴方、いつまで暴れてのですか?いい加減にしないと……強行手段に出ますよ?」


ゆらり、と彼の陰が動いたように見えた。明らかに月輪よりも年上であろう老師は口をつぐんでしまった。一瞬だけ彼の表情が春樹にも見えてしまった。他の受験者はすでに先程の女性に誘導されてここから立ち去っていた。


少し遅れて行こうとした時に見えた彼の後ろには明らかに人ではない獰猛な動物の姿が見えた。それと同時に見下ろしているその視線は春樹に向けていた目と同じとは思えない程に鋭く、冷たいものだった。





「……では、以上が陰陽寮の試験です。本日はお疲れ様でした。一週間後、各自に式神を通して結果を知らせますのでお待ちください。尚、同時に入学後についても送るのでしっかりと読むように。それでは、解散」


眉を少しも動かさずに言い切った彼女は踵を返して中へと入って行った。春樹が外に出た頃には同じように試験を受けていた受験者は帰っていたようだ。一人ポツン、と残された春樹は「は、はぁ……」と曖昧に返事をしてそのまま突っ立っていた。


ついさっきまで起きていたことが夢のようだったのだ。上位式神の召喚、それが意図して行われたと言う事実などなど。頭の中で処理しきれていない感覚に陥っていた。


「とりあえず、帰るか……」


誰もいない春樹のその言葉は独り言となり、空気に消える。誰も聞いていないのを分かってはいたが、あまりの静けさに少し不気味さを感じながら九条邸へと歩みを進めた。



道中、春樹はずっと考えていた。と言うよりも、思い出していた。


月輪が口を動かして伝えたあの言葉、そしてその後瞬間的に思い出した自分の兄弟の言葉。いつまでも頭の中に残っている。


忘れもしないあの日の事。


目の前で温かさを失っていく自分の兄弟であり親友でもある大切な人。薄紅色の花びらが真っ赤に染まっていくのをただ見ているだけで、何も出来なかった無力な自分。


(……俺は、強くなっているのだろうか)


ここまで必死に生きてきた春樹は、今回の試験でより強く感じた。あの場では火事場の馬鹿力で何とかすることは出来たが、それがこれから何度続くのかも分からない。ぐるぐると頭の中で巡る考えはまとまらず、試験が終わったのに気が重くなる。


「……―い。……き?おー……は…る……おーい!!春樹!」


「えっ?あ、陽斗さん?何でここに?」


「いや、何でってすぐそこが九条邸だぞ?」


「え?あ、本当だ……」


遠くから聞こえてきた声はどんどん近くなり、いつの間にか目の前に現れた陽斗。手を振って気づかせようとしていたが、それすらも分からない程呆けていたようだ。気が重くとも歩みを止めることは無かったようで、無事に九条邸に着いていた。


「それよりも、また何かあったのか?」


「え?ま、まぁ、その……」


口籠る春樹を見てため息をつく陽斗。頭を強く掻きむしってから、「あー何だ」と話を切り出す。


「とりあえず、蒼さんの所へ報告しに行くぞ。話はそこで聞くからな」


目を泳がせていた春樹を一瞥し、背中を強く叩く。彼なりの不器用な励まし方に「あ、ありがとうございます」と小さくお礼を言いながら彼の後ろをついて行った。


そこからは何も話さずにただ蒼のいる部屋へと向かっていた二人。襖の前で「陽斗です。失礼します」といつもとは違う真面目な声で言い、「入って良いですよ」と優しい聞き慣れた声の指示で中へと入った。


「お疲れ様です、春樹。試験はいかがでしたか?」


「一応は、全力を尽くしました。ただ……」


「ただ?」


「その、実技の試験で陽斗さんが話していた上位式神に当たってしまって……」


「上位式神!?」


先に声が出たのはそのことを春樹に吹き込んだ張本人、陽斗だった。しかし、蒼に「陽斗、煩いですよ」と諌められて謝りながら体を縮こまらせていた。


「それで、どうなったのです?」


「召喚は、成功しました。正直、最初は出来る気が全くしなかったのですが、その、月輪さん?に言われて……」


「ほぉ。あの月輪が私の弟子である春樹に?」


「その時のことはあまり覚えてなくて……とにかく召喚することに必死だったんです。でも、成功して犬神を召喚出来ました」


「流石、春樹ですね。あの気難しいと言われる犬神を召喚させるとは、天晴れです」


「あ、ありがとうございます!」


微笑みながら自分の弟子を褒める蒼の姿は親そのもの。親が元からいない春樹にとってはくすぐったいが、心が温かくなるのを感じていた。


「では、あの式神が言っていたことは本当だったのですね」


「え?式神、ですか?」


「えぇ。先程、月輪さんから式神が届きまして。ほぼ伝言のように伝えられたようなものだったので、真実かは定かではありませんでした。ですが、春樹の話を聞いている限り本当のようですね」


考え込んでいる蒼は真剣味を帯びており、今回の出来事が普通ではないことを知った春樹。しかし、蒼の話について行けていない陽斗は二人の顔を交互に見て「ど、どういうことっすか?」と質問をした。


「ここだけの話、と言うか後から貴方も聞くと思いますが、一人の老師が外部の人間に情報を漏らしていたようです。本人曰く、雇い主から『金髪頭の青目の少年を確実に落とすように仕組んでほしい』と頼まれたらしいです」


「で、でも、陰陽寮のことって口外厳禁のはずじゃ……」


「もちろん、そうですよ。だから今回のことが発覚したので、その方は陰陽師として永久追放されました。絶対にしてはならない禁忌を犯したのですからね」


「それじゃ、僕があの時手に取ったものは……」


「そうです。確実に仕組まれたことだった、と言うことです。これは……思ったより、深刻ですね。あまりにも君の情報が回るのが早すぎます」


春樹が帰ってくるまでの間に蒼も色々と考えていた、と言った。学舎ではまずあり得なかったことが、陰陽寮に入るとなってから状況が変わってきてしまったのだ。しばらく口を閉ざしていた蒼は春樹を見て再度話を始める。


「春樹、以前参加した会合のことを覚えてますか?」


「そ、それはもちろんです!」


「あの時、貴方の話を皆さんにしました。その時に西園寺さんが言ったことを覚えてますか?」


「西園寺……あの、可愛らしい人のことですか?すみません、そこまでは……」


「そうですか、大丈夫ですよ。今から説明します。彼が言っていたのは『上が黙っていないんじゃないの?』です。要するに、春樹の存在は上にとっては不都合なんです。だからこそ、十二神司の彼らに協力を要請したのです」


「あ、あの、そんなに春樹の存在って……その、上層部には邪魔なのですか?」


淡々と説明しているのを今まで黙って聞いていた陽斗が口を開いた。彼の疑問は春樹の中でもあったようで、首を縦に振る。二人の姿を見て蒼は目線を下に向けた後、「分かりました」と何かを決めたように言った。


「この事についてお話しする必要がありますね。ですが、海斗にもこの話はしないといけません。陽斗、彼を呼んできてください」


「分かりました!」


慌てるように立ち、素早く廊下に出て走り去っていく音が聞こえた。

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