第1章 会合

学舎に通い始めてから半年。春樹の生活は大きく変化していた。以前までは自室での学習が主要であり、先輩である陽斗と海斗に指導される日々だった。しかし、今は学舎で勉学に励むことが多くなり、課業が終わった後も例の書物庫に篭るようになっていた。この事は蒼も了承しており、何も言わない。


そこまで勉学に励んでいる春樹は今、焦っている。


「おい、そうじゃないって言ってるだろ!何回言えば分かるんだ!」


「だ、だって、こんなの知らないですよ!」


「それは言い訳にしかならないよ。ほら、もう一度最初から」


「嘘だろ……」


陽斗と海斗の容赦無い扱きを受けている春樹。今は筆を持ち、帳面を開いている姿は見られない。彼の手に持っている物は、皿やらお盆やらと、勉強とは全く関係ない物だ。それらを持っている春樹の手は少し震えている。


「こ、こんなの長時間持てるかよ……!」


「おーい、その声聞こえてるぞ〜?はい、盃追加な〜」


「うぐっ」


背中は長い定規を入れているように真っ直ぐで、手の平にお盆を乗せられている。更にその上に皿や盃やらを乗せられており、先程から何個も落としては割っている。


陶器である皿は決して安い物ではないので、流石に蒼の逆鱗に触れると考えて、木で作られた皿を代わりに乗せている。春樹はどうやら平衡感覚が人より鈍いようで、一度は並行に保てても直ぐに崩れて落としてしまう。


「な、何でこんなことを僕が……」


「仕方ないでしょう?君が会合の付き添いに選ばれたんだから。ほら、また腕が落ちてきているよ」


「俺らもわざわざ時間を割いているんだぜ?有り難く思えよ〜」


「全然思えないっての……」


「はい、聞こえてまーす。皿二枚追加〜」


春樹が文句を垂れる度に増えていく皿と盃達。陽斗と海斗は半年前よりも厳しく指導していた。加減を知らないのか、次から次へと増えていく物達に苛立ちを隠せないようだ。それでも根気強く続けるのは例の会合の所為だった。


「こんなの、必要なんて、聞いてないっ……」


「あー蒼さん、話してなかったんだな」


「会合、とは言っても国家間での会合なのだよ。小さな失態が今後の関係に繋がるかもしれないのだから、気を抜くことは許されないよ」


「で、でも、俺が、希望、した訳じゃっ……もう無理!」


床に落ちた大量の皿と盃は大きな音を立てて、九条邸の中に響き渡った。息を切らしている春樹の姿を見た二人は溜息をついて、やれやれ、と言いたげな表情をしている。


今回運良くか悪くか選ばれてしまった春樹は一ヶ月前からこの練習をしていた。陽斗が説明した通り、国家間での話し合いなので失敗は絶対に許されないのだ。


それもそのはず、和国と華国の天皇が話をする訳ではない。あの十二神司が全員集まって代わりに話し合いをするのだ。そこでは互いの腹の探り合いに近いものがあり、下手なことは出来ない。


更にそこに連れて行かれる弟子は一人だけで、ほとんどが次期十二神司に最も近い人間ばかり。そんな場所で失態を犯した日には、師匠の顔に泥を塗る羽目になるので、それはもう必死になるはずだ。


「あと一週間しかないんだぞ?お前、本当に大丈夫か?」


「無理……です……」


「あ〜完全に力尽きてるね。ちょっと休憩しようか〜」


「お、それなら俺お茶持ってくるよ」


「ありがと〜」


彼等の部屋の前にある廊下で練習をしていたのだが、春樹の体力は底を尽きてしまったようで倒れたままだ。辛うじて返事が出来るようだが、しばらくは動けそうにない。ぼうっと空を見ている春樹を放置して陽斗がお茶を淹れに厨房へと歩いて行った。


綺麗な青空の中をゆったり流れる白い雲。見つめているだけで癒しを貰えるのだが、横にいる海斗が「お茶飲んだら直ぐに再開するからな」と言った一言で一瞬で絶望に変わった。


「あの、何でそんなにも十二神司が、大事、なのですか……?」


「ん〜?学舎で習わなかったのか?」


「いや、習ったんですけど、今一納得出来なくて……」


「そうだなぁ〜説明、難しいなぁ〜」


息も切れ切れに聞く春樹の横に座り込む海斗。彼は汚れることなんて気にしない様子で、腰を下ろして胡座をかいた。そこまで綺麗ではない廊下は初夏の風が吹き込んでいるので、少しだけ涼しく感じる。


腕組みをして唸っている海斗はぶつぶつと何か言っていたが、「よし、説明するぞ!」と気合いを入れたように話し始めた。


「春樹。お前、春秋陰陽戦争のことは覚えているかい?」


「はい、この国が二つに分かれる事になったきっかけの戦争ですよね?」


「そう。その戦争には更に続きがあるんだ。この戦争は長く続いていて、いつまでも終わらないって言われていたんだ。多くの人が逃げ惑い、混乱している世の中で必死に生き抜いていたんだよ。そんな中、突如現れた物達がいたんだ。それが……」


「十二天将ってこと。ほら、起き上がってお茶でも飲めよ」


「あ、ありがとうございます……」


話に途中から入って来たのは湯呑みにお茶を淹れて戻って来た陽斗。渡して来た湯呑みを受け取るために何とか起き上がる春樹。並々入っているお茶を止めることなく飲み干した後、「はぁ……」と一息ついた。


「あの、十二天将が戦争を止めたってどういう……?」


「そのままの意味だよ。突如彼等が姿を現したんだ。戦争のど真ん中にね。その場にいた式神達は一斉に止まったよ。だって、上位式神の中の更に上位だよ?勝てる訳ないって本能で分かったのだろうね」


「そんな奴らが来てみろよ。全員の動きが止まり、何も出来ないのは目に見えているだろ?で、そこで十二天将達が言ったんだ。『これは、我らが主人であった安倍晴明様の遺言である。『我が死んだ後、陰陽師による代理戦争が勃発した時、お前ら十二天将が止めるのだ。その時の手段は問わぬ。どんな形でも良い。一時的な平和でも良い。平和で、安泰な世の中にする為に。』……以上だ。では、今からお前らに選択肢を与えよう。ここで我らに殺されるか、今すぐ戦争を止めるか。』ってな」


「平和で、安泰な世の中……」


自然と繰り返した言葉達は、何処か春樹の心の中に引っかかる物があった。今では食べる物も、住む所も困っては無い。しかし、それまでの生活は決して人間とは思えない扱いを受けていた。思い返すと吐き気が出てくるようなものばかりだ。


「……そんなの、幻想ですよ」


「ん?何か言ったか?」


「あ、いえ。何でもないです。それで、彼等が現れた後はどうなったのですか?」


「あ〜そこからは教えた通りだよ。二つに別れた国家が互いに『和国』『華国』と名乗り、不可侵条約を結んで、今に至るってわけ」


「二つの国に大きく関わった十二天将と、彼等と共に生活している陰陽師は切っても切れない関係ってことなんだ」


春樹の声は誰にも聞こえないほど小さく、か細いものだった。戦争後の話をしてくれた二人は同じようにお茶を飲み終わり、持って来ていたお盆の上に乗せた。


廊下、とは言っても縁側と同じようになっており、中庭に大量の石が敷き詰められている。所々にある木々は新緑の葉が風と一緒に揺れている。

その場で起き上がっていた春樹は、縁側に座り外に足を放り出している二人の横に座り直した。


「じゃあ、陰陽師はどんな人でもなれるってことですか?」


「まぁ、そういう事になるね〜」


「もちろん、死ぬ気で努力しないといけないけどな!」


「やっぱり、茨の道ですね……」


「よし!休憩終わり!続きやるぞ〜」


「うっ……またかよ〜……」


「ほら、言葉遣いが戻ってるよ。しっかりしなさいね」


三人で一緒に足をぶらぶらと動かして、世間話のように軽く話を終わらせた。横に並ぶ事により、春樹は二人の顔が見えない。それでも何処か笑いを含んでいる彼等の声に、これからの道が楽ではないことを遠回しに言われているようだった。


嫌がる春樹を無理矢理立たせ、再度お盆の上に湯呑みや杯を乗せる陽斗と海斗。例の会合で失態を犯さないよう、蒼に恥をかかせないように先輩二人は更に厳しく指導するのだった。





「春樹、忘れ物はありませんか?」


「はい、大丈夫です」


「ついにこの日が来たか〜!いや〜、何だか感動しちゃうな〜!」


「そうだね。あれだけ厳しく指導したから失敗はしないと思うけど……」


「大丈夫ですよ、海斗。私もしっかり見ていますので」


「それなら安心だな!」


先輩二人に色々言われている春樹はいつもとは違い、固くなっている。蒼と話をして笑っている陽斗と海斗は成長を続けている後輩が可愛いようだ。


それもそのはず、今日は会合の日。


数え切れない程いる陰陽師の中でも上位にいる彼等と対面する。更にいつもより上質の装束を着せられ、烏帽子は蒼だけ被っていた。


「あの、僕は烏帽子は被らなくていいのですか?」


「ええ。春樹はまだ陰陽寮にも入っていないので、被せる訳にはいきません。気にせず、いつも通りでいてください」


「は、はぁ……」


釈然としない蒼の話を聞いて、曖昧な返事をする春樹。最初の頃に聞いた通り、階級によって色が異なってくる。蒼は十二神司の一人なので、濃い紫色をしている烏帽子だ。彼の烏帽子を羨ましそうに見ている春樹を見た陽斗は笑いながら言った。


「こら、お前にはまだ早いって事だよ。そんなに焦るなって!」


「は、はい!」


強めに背中を叩く陽斗を見て、背筋が伸びた春樹。顔をくしゃくしゃにして笑っている彼を見て、固くなっていた肩から力が抜けたようだった。彼等のやり取りを見ていた蒼は何も言わずに微笑んでいる。


「では、もう行きますよ」


「はい!」


「頑張ってこいよ〜!」


「行ってらっしゃい!」


春樹は先に歩みを進めていた蒼の後ろを付いて行くように小走りした。そして、後ろから大きく手を振ってくれている先輩達に、同じように手を振り返した春樹。


彼等の応援を背に、これからの会合に期待をしつつ、心を落ち着かせるように深く息をしたのだった。


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