第1章 本物達
「春樹、忘れ物はありませんか?」
「はい、大丈夫です」
「ついにこの日が来たか〜!いや〜、何だか感動しちゃうな〜!」
「そうだね。あれだけ厳しく指導したから失敗はしないと思うけど……」
「大丈夫ですよ、海斗。私もしっかり見ていますので」
「それなら安心だな!」
先輩二人に色々言われている春樹はいつもとは違い、固くなっている。蒼と話をして笑っている陽斗と海斗は成長を続けている後輩が可愛いようだ。
それもそのはず、今日は会合の日。数え切れない程いる陰陽師の中でも上位にいる彼等と対面する。更にいつもより上質の装束を着せられ、烏帽子は蒼だけ被っていた。
「あの、僕は烏帽子は被らなくていいのですか?」
「ええ。春樹はまだ陰陽寮にも入っていないので、被せる訳にはいきません。気にせず、いつも通りでいてください」
「は、はぁ……」
釈然としない蒼の話を聞いて、曖昧な返事をする春樹。最初の頃に聞いた通り、階級によって色が異なってくる。蒼は十二神司の一人なので、濃い紫色をしている烏帽子だ。彼の烏帽子を羨ましそうに見ている春樹を見た陽斗は笑いながら言った。
「こら、お前にはまだ早いって事だよ。そんなに焦るなって!」
「は、はい!」
強めに背中を叩く陽斗を見て、背筋が伸びた春樹。顔をくしゃくしゃにして笑っている彼を見て、固くなっていた肩から力が抜けたようだった。彼等のやり取りを見ていた蒼は何も言わずに微笑んでいる。
「では、もう行きますよ」
「はい!」
「頑張ってこいよ〜!」
「行ってらっしゃい!」
春樹は先に歩みを進めていた蒼の後ろを付いて行くように小走りした。そして、後ろから大きく手を振ってくれている先輩達に、同じように手を振り返した春樹。彼等の応援を背に、これからの会合に期待をしつつ、心を落ち着かせるように深く息をした。
いつも移動する時は牛車を使っている春樹は、今回も同じように牛車に乗るものだと思っていた。しかし、今回は別のようだ。
見送ってくれた先輩達に手を振った後、蒼の後ろに付いて行って屋敷の外に出た。その後も少し歩いて行き、人がいない広い場所まで来た。
「あの、一体何処へ向かってるんですか?」
「ん?もちろん、会合の場所だよ」
「え?でも、ここって山の中……ですよね?」
辺りを見渡す春樹は不思議そうな顔をしつつ、本当に今から何処へ行くのか心配なようだ。彼の質問に対して余裕の笑みで笑っている蒼は「それは、こういう事だよ」と袖の中から真っ白な式神を出し、宙に浮かせて呟く。
『姿を見せぬ命ありき物達よ。ここに正体を現し給へ』
いつもより低めの声で唱えた台詞と共に宙に浮いている式神に向かって扇子を扇ぐ。風に乗せられて浮いたそれはボフン、と大きな音を出して煙が溢れて出て来た。突然の煙に咳き込む春樹の目の前に現れたのは、あの真っ赤な鳥だった。
「あ、初めて会った時に見たあの鳥……」
「そうですよ。これを召喚するためにここまで来たのです。では、彼の上に乗ってください。一緒に向かいますよ」
「え?牛車を使うんじゃ……?」
「そんなの使っていたら日が暮れてしまいますよ。さ、僕の手を取って」
目の前いっぱいに広がる朱色と巨大な鳥に戸惑っていると、春樹の発言を笑いながら否定して手を差し伸べる蒼。予想外の方法で向かうことになり、頭が追いついていないようだ。彼の困惑する姿を見てもう一度吹き出して笑ってしまう。
「絶対に、落とさないでくださいね?」
「ふふっ愚問ですよ」
眉を下げながら彼の手を取り、何とか背中に乗ることが出来た春樹。相も変わらず手触りの良い羽を持つ彼は、本当に式神とは思えない。
「さぁ、お願いしますね」
蒼の一言により、甲高い声をあげて羽を広げた。雄大に羽を動かす度に強風が起こり、砂埃が舞う。目に入りそうになるのを防ぐために手で隠しながら閉じる。
上に向かって飛んだ時、大きくかかる圧力に耐えるようにしがみついた春樹。
「ほら、春樹。目を開けてください」
「うわぁ……」
感嘆の声を上げた春樹の目の前に広がるのは、いつもなら絶対に見ることがない景色。いつもなら見上げる建物や木々、人間は蟻のように小さく見える。地面よりも雲に近い今の高度は夏なのにも関わらず、少し肌寒く感じさせる。
「楽しそうですね。さぁ、このまま向かいましょうか」
春樹の反応を見て頬を緩めながら目を細めている蒼。頬に当たる風が心地よく、今の季節にはちょうど良く感じる人間もいるだろう。
瞬時に過ぎ去って行く景色と雲を見ている春樹。青く輝く彼の瞳に映る景色は新鮮そのもので、それと同時に初めて会った日のことを思い出させた。
「なんか、懐かしいですね」
「……そう、ですね。もう半年も前ですか。今の生活には慣れましたか?」
ふと出た春樹の気持ちは心の底から感じたもの。次から次へと入ってくる風の所為か、目を細める。彼の表情を見て、少しの間の後に同意する蒼。彼の質問に短い沈黙の後、「そうですね」と明るい声で答えた。
「半年前の僕では考えられない程、良い生活をさせてもらってます。……その分失った物が大きかったですけどね」
はは、と苦笑いしている彼は真っ直ぐ前を見たままだ。横に並ぶように乗っているので、直ぐに彼がどのような顔をしているのか見ることが出来ない。だが、今の春樹の答えは確実に明るい答えではなかったのが蒼には分かった。蒼の気持ちに気づくことなく、春樹は話を続ける。
「でも、こうやって人間は成長するのですね。残酷なまでに」
「……」
一段と低くなった春樹の声に反応した蒼は何か言おうと口を開いた。彼の口は開いたままで発することはなく閉じられた。耳元で物凄い速さで駆け抜ける風の音よりも、春樹の声が聞こえてくるのは気の所為ではない。羽ばたく度に風の圧力を感じていると、「見えてきましたよ」と蒼は指を差した。
指差す方へ視線を向けると、広大な土地を囲んでいる立派な塀。その中心部には孤立して建っている一つの建物があった。巨大な湖の中に堂々と佇んでいる周りに、更に雑木林のように木々が植えられている。
しかし、何処か違和感のある風景に首を傾げる春樹。
「何か、足りないような……あっ」
「ふふっ気がつきましたか?無いんですよ、橋が」
目を細めて、口を緩ませている彼は心の底から楽しそうだ。違和感に気づき、戸惑っている春樹の顔を見て何か言いたいようにそわそわしている。
「これ、どうやって向かうんですか?」
「それはですね……こうするのです!」
「え?うわぁ!?」
ゆったりと上空を飛んでいたと思った瞬間、突如動かしていた羽を止めた。羽の動きを止めたらどうなるのかなんて、赤子でも分かる。真っ直ぐそのまま急降下。大量の水がある塀の中へと羽をすぼめて落ちて行く。
飛んでいる時の風など比にならないほど、強風が顔全体に吹き付ける。耳には何の音も届くはずがなく、春樹の耳に微かに聞こえたのは蒼の楽しそうな声。
「お、落ちる!!」
鬼気迫った状況で出てきた言葉はそれだけで、目の前にまで迫っていた水面。反射的に目を閉じて、全身に水がかかるのを覚悟した春樹。しかし、先程まで吹き付けていた強い風が一瞬にして止み、水を感じることは何もなかった。
「あ、あれ……?何で、濡れてない……?」
「あれまぁ、蒼さん。あんた、自分の弟子を虐めるのが趣味なんかぁ?」
「……え?」
自分の手を見て、顔を触り、一滴も濡れていないことに衝撃を受けていると、聞き慣れない方言で喋る男性の声が聞こえてきた。春樹が手から視線を離して見上げると、入り口にある短い階段に一人の男性が立っていた。
いつも見上げている蒼よりも遥かに大きい彼は細い目を垂らし口角を上げている彼。どこか胡散臭い笑顔を浮かべているのを見ると、頬を引きつらせてしまう。
「いえいえ、そんな趣味はありませんよ。あまりにも良い反応をしてくれるので、つい」
「嫌やわぁ〜胡散臭い笑みを浮かべとるあんさんに言われたくないですわぁ〜」
「ふふっ それは、お互い様ですよ」
座りっぱなしの春樹を置いて、いつの間にか方言が強い男性の目の前に立っていた。ここからどのように移動すればいいのかと、辺りを見渡していると蒼から「立っても大丈夫ですよ」と春樹の方を見て微笑んだ。
「もう皆さんお着きですか?」
「そうやで〜やっぱ、和国の人は少しのんびりし過ぎと違いますかぁ?」
「おやおや、ご心配ありがとうございます。ですが、残念ながら貴方のお気遣いは無用ですので」
春樹は下にいる彼の式神である鳥に気を使いながら、慎重に地面に足をつける。立ったままではあるが、強く踏まないようにしていた為、平衡感覚を崩してしまい倒れそうになった時。
「おっと、大丈夫か?って、君はもしかして……噂の春樹くんかい?」
「は、はぁ。そうですけど……」
頑丈で逞しい腕により、春樹は硬い地面に向かって倒れることはなくなった。太く、硬さを感じさせるその腕にしがみついている春樹を立たせた彼は、先程の彼より大きく見える。
齢十くらいしかない春樹にとっては巨人のように見える。未だに互いに一触即発の雰囲気を醸し出していたのだが、次から次に絡まれる弟子を引っ張り、横に置く。
「ほら、
「あぁ、それはすまないな!今回は彼に会うのを一番の楽しみにしていたから、つい話してしまったよ!」
「ん?ほな君が春樹くんかぁ?いや〜すまんなぁ!全然気付かなかったわぁ〜許してや!」
矢継ぎ早に声をかけられ、勝手に名前を知られている事に混乱しまくっている春樹は、よく分からない微妙な顔をしている。手を袖の中に突っ込んでいる彼は違和感のある話し方と笑顔で近寄ってくる。しかし、そんな彼から守るように間に入る蒼。
「いやいや、ご冗談を。『私が最後』とか言いながら、近衛さんも今来ましたよね?嘘も程々にしてください。春樹、私から離れてはいけませんよ。彼は信用したらいけません」
「そうだぞ!
「心外ですわぁ〜!俺以上に優しい人間なんておらへんよ?」
三つ巴で話を進めていくのを見ているだけの春樹は、言葉を発することが出来ずにいた。烏丸と呼ばれた彼が息をするように嘘を吐くことではなく、近衛と呼ばれた人物が自分の一回りも二回りも太い二の腕にでもない。
今まで側にいたのにもかかわらず、気づくことがなかった『十二神司』の存在感。常に笑みを崩さず、問題が起きても諭すように話す彼が本当にこの中の一人だと感じるには十分すぎた。
「春樹?どうかしましたか?」
「あ、いえ、何でもないです……」
「そうですか?ほら、早く中に入りますよ」
蒼は眉を下げて春樹の顔を覗き込む。いつもより静かになっている彼のことを心配しているようで、まだ何か言っている二人に適当に返事をしていた。近衛と烏丸は既に開いている入り口の中へと入って行く最中だった。
彼らの後ろを歩いている蒼とその後ろで立ち止まっている春樹。肌で感じた三人の雰囲気は言葉で言い表せれない物で、たった三人にこれだけ気圧されるとは想像もしていなかった。
「俺、もしかして凄い場所に来ちゃった……?」
溢れた春樹の言葉は誰にも拾われることはなかった。
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