第3話 おとこの人

   

 びっくりして振り返ります。

 少し離れた壁際に、おとこの人が立っていました。

 梨香ちゃんのお父さんより、少し若いくらいでしょうか。でも着ているものは、大人らしくありません。白いノースリーブのシャツと茶色の半ズボンという、むしろ小学生っぽい格好でした。

「おじさん、誰……?」

 そう尋ねてしまったのは、この家の人なのではないか、不法侵入を怒られるのではないか、と思ったからです。しかし「ありがとう」という言葉は叱責とは逆であり、そもそも、ここの住人は既に亡くなっているはず。

「僕かい? ここに住んでる者だよ」

「ここの人? でも……」

 梨香ちゃんは少し混乱しましたが、一つの結論に思い至ります。

「……それじゃ、おじさんは幽霊? とっくの昔に死んじゃったけど、おじさん、気づいてないのかな?」

「ハハハ……。この通り、僕はピンピンしてるよ。ほら、足だってあるだろ?」

 おとこの人は、足をブラブラと振ってみせました。

「ああ、そうか。『ここに住んでる』って言ったから、お嬢さん、誤解したんだね。いや僕は正式な住人じゃなくて、廃墟となった建物に、勝手に住み着いてるだけさ」

 つまり浮浪者です。世の中にはそういう人もいることを、梨香ちゃんはきちんと理解していました。

 言われてから気づいたのですが、おとこの人からは、少し鼻をつくような匂いも漂ってきます。何日もお風呂に入っていないのでしょう。

「こんなところに閉じこもってると、なかなか楽しみもないんだけどね。でも最近は、毎日のようにお嬢さんが訪ねてきてくれるからさ。お嬢さんの顔を見るのが、唯一の娯楽なんだよ」

 おとこの人は、黄色く汚れた歯を見せて、ニカっと笑いました。

「でもお嬢さん、いつも建物の中に入らず、ここで立ち止まっちゃうだろ? じかに会いに来るのが恥ずかしくて、躊躇してるみたいだから……。今日は、僕の方から出てきてあげたんだよ!」

「えっ? 私、そんなつもりじゃ……」

「もう恥ずかしがらなくていいからね。ほら、自分の気持ちに素直になってごらん!」

 おとこの人が両腕を広げて、梨香ちゃんの方へ一歩、足を踏み出しました。

   

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