驚異のマシン
「それは逆に僕があなたに質問したい。あなたは魔人のものをほとんど読んでいるのでしょう。そうなんでしょう? 作品に心なんてありませんよ、心は読者にこそあるのです。いかに読者の想像力を活性化するか、それが小説なんだ。物語を作るのは実は読者なんですよ。作者の役目は読者の想像力を上手に促す事なんだ」
「――確かにそうかもしれませんわ」
アキノの表情はなぜか冴えない。
「ところであなたは作家を廃業するとおっしゃいましたが、どういう意味なのですか?」
「実は天才が死んでしまったのですよ。僕の尊敬する天才の西条が、この機械の父が死んでしまった。美人薄命というけれど、天才もまた薄命かもしれません。彼は元々身体が丈夫じゃなかった。この機械に没頭しすぎて夜も寝なかった。疲労が重なっていたのですよ。ある朝彼はこのマシンにもたれかかるように冷たくなっていた……。そういう意味でこのマシンには彼の熱い血が流れているのかもしれません」
「まあお気の毒に……」
「そして僕はたった一人でこのマシンを使って話を作った。それを出版社に持ち込んだのです。彼がそうすれば喜ぶと思って。勿論、兄さんの新作だってこのマシンが生み出したのです」
「でも素晴らしいです。その西条という人もあなた、安藤さんも…… でもなぜそんな重大な秘密をわたしなんかにお話になったの」
「僕はもう疲れてしまった。仮面の魔人を演じることにです。もうあれから五年以上僕は魔人を演じ続けてきたのです。僕はこのマシンを壊してしまうつもりです。魔人は死ぬのですよ永久にね」
「なぜ壊してしまうのです?」
「人はいつかこのことに気づくでしょう。僕は読者を失望させたくない。やはり僕のやったことは間違っていたのかも知れず、それが怖いのです」
「あなたが小説を書いたらいかかですか」
「はははっ、笑わせないでください。僕には文才がないんです。作文だって書けやしません」
「……でも壊すなんて、残念です」
「そうだ、最後にあなたの好みそうな話を即興でつくってみましょう」
青年の表情が見違えるように輝いて見えた。生き生きとした口調である。
「そうだ、物語の主人公は少女にしましょう。無垢な心を持った少女はあるとき、黒マントの男に誘拐されてしまう。変りゆく少女の心とマントの男の正体がこの話の核になって、物語は思わぬ方向にどんどん転がっていく……。あらゆるトリックがこの話には詰まっているんだ」
青年が夢中でキーボードに話の発端だけを打ち込むと、マシンがザッ、ザッと音を立てて作動し始めた。まるで生き物のようだった。
「見てください、このマシンはすべてのデータを超高速で照合している。古今東西のあらゆる文献を紐解いて読者の心を高鳴らせる物語を紡ぎ出しているのです」
「凄い、本物なんですねこのマシン」
あっ気にとられ、事態を見守るアキノの瞳に恐れと憧れが交差する。夢のような出来事であった。しばらくするとガシャッ、ガシャッと音を立てて原稿がプリントされる。何枚も何枚も果てしない原稿の量だ。たまらずアキノはその一枚を手に取って目を凝らす、紛れもない長編小説の誕生の瞬間であった。
「どうです? 題名までついていますよ『闇夜の訪問者』とある」
青年がその原稿を揃えてアキノに手渡した。
「あなたに進呈いたしますよ、さあ」
アキノは夢遊病者のようにそれを受け取り、数歩後ずさりした。
「でもわたしになぜ秘密をお話になったの?」
「あなたが熱烈なファンだったからです。ネットに熱心に書き込みをしたり、手紙も毎日のようにいただきました。言ってみればあなたはファン代表なのですよ。このマシンが死ぬ前にあなたにはせめて知ってほしかった。この偉大なマシンのことを」
「わたしだけに……」
「さあ、陽が沈まないうちにお帰りなさい」
青年がドアをそっと開け、アキノを促した。
「このことは誰にも話しません。誰にも」
「ええ、そう願いたいものです」
軽く会釈をして洋館を後にするアキノであった。折から吹く風はまるで異界の地から吹き付けるようで、なんども洋館を仰ぎ見てアキノは深呼吸をした。
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