長く短い5年

走る、走る。

木の枝で頬を少し切った。しかしそんな小さな痛みなど、この切り落とされた腕の痛みに比べればなんともない。


「(何が竜の鱗だ!狂ってる!)」


ただただ走った。死にたくないという一心で。

二の腕にベルトを強く巻き応急措置で止血すると追ってくる奴らの足音がどんどん近ずいて来て嫌な汗をかく。

飛んで逃げた方が早いかもしれないがそれではすぐに見つかってしまうのでリスクが高い。なのでこうしてわざわざ森の中に逃げ込んだが、正直道が分からない。


「枷さえなければ....」


こんなに追い詰められることは無いだろうと思いながら、早く誰でも良いから契約しておくんだったと後悔する。しかし、もう遅い。少し呼吸を整えるとまた前に向かって走った。

切られた場所が痛い。再生に時間がかかるが、必ず復讐しに行くぞと脳内で呪いながら進んでいると倒れていた木に足を取られその場に倒れ込んだ。

今は一分一秒でも惜しいのにと苛立ち立ち上がろうとすると、声が聞こえる。


「だからねぇ、本当にきれいな湖だからっ!ぜったい気に入るから!」

「やはり戻りましょう、旦那様に叱られてしまいます....」

「エルのいくじなし!」


子供用のドレスを着た少女と、そのお付のものだろうか燕尾服をきた男が我の目の前に現れた。

燕尾服の男は我の状態を見てすぐに少女の目を塞ぐ。


「エル?」

「お嬢様、このまま振り返って頂けますか」

「ねぇなんで?今誰が倒れて──」


しかし不運にも、我の背後から追っ手のものが現れる。見たところ少女と男はただの一般人だ。戦えるはずがない。

追っ手の1人が我の足を掴むとズルズルと引き寄せ拘束しようとする。

そしてもう1人は少女と男の方へ向かう。見られたので始末するつもりなのだろう。


「に、げろ....!!」

「....はぁ。お嬢様、申し訳ございませんがそのまま目を瞑っていてください。すぐに済ませます」


絞り出した我の声を無視して男は拳を構えた。ただの使用人だろうやつが適うわけが無い。慌てて手を伸ばすがそれは届かず、無念にも我は拘束されてしまう。


追っ手の1人が男へ仕掛けた。手に持っていた剣を振りかぶり男を斬りつけようとするが、男はそれを見切って素早く後ろに下がり回避するとがら空きになった追っ手の腹部に拳を叩き込む。

追っ手が怯む。その威力とスピードはただの人間が出せるものでは無いと不思議に思いながらも、我はその戦いの末を見守った。

結果は燕尾服の男の勝利。何度も剣を避けて相手の顎を強く殴り失神させると懐から取り出したナイフで心臓を1突きして追っ手を殺した。


我を拘束した追っ手もその自体に焦ったのか燕尾服の男に向かう。さっきのはまぐれだったかもしれない。早く逃げてくれと祈ると、ふと体を拘束していたワイヤーが緩む。


「怪我いたくない?大丈夫?」

「──」


いつの間にか少女が我の元へ来て拘束を解いた。燕尾服の男は戦闘に集中しているようでそれに気づいていないようだ。我は立ち上がると僅かに残った魔力で薙刀を生成する。


「あの男は貴様の大切な人か?」

「うん、私の1番の友達よ」

「そうか....」


我はそれだけ聞くと、男と戦っている追っ手に突っ込んだ。本来なら力も出ない、ただ生き延びるために走ることしか出来なかったはずなのに何故か今我は戦おうとしていた。


「ぉああぁあっ!!」


男との戦いでこちらに気づいていなかった追っ手の背に、思い切り薙刀を突き刺す。


「〈イグナイテッド〉ッ!!」


そのまま薙刀の刃から炎を起こして追っ手の体内から焼く。一気に炎は大きくなりその身を焼きジタバタともがいた追っ手は倒れ込み絶命する。

我は安堵から膝をつき武器を消すと息を吐く、それを見て男は礼を言うと我に治癒術をかけた。


「申し訳ございません、まだ見習いなもので多少しか癒せませんが」

「いや....助かる」


男は出来るだけの治癒を我に施すと血に濡れたて手袋を外して仕舞い、後ろにいるはずの少女に話しかける。


「お嬢様、終わりまし──....ぇ、いない!!お嬢様!?」

「エル〜!」

「何故そこに....!?ああ、こんな残酷な所をお見せしてしまって....私はなんて事を....」


我のすぐ傍にあった大木に隠れ、いたずらっ子の笑みで男に手を振る少女に我は少し笑った。

そして、ぐらりと地に倒れ込んだ。もう体力が限界を迎えていた。先程男に治癒はしてもらい死ぬ可能性は減ったが、無くなった訳では無い。


「はぁ....ぁ....」

「だ、大丈夫!?ねぇエル、助けてあげようよ!」


少女が我に駆け寄る。しかし男はそれを止めると少女の手を握りそのまま立ち去ろうとする。

なんだ、分かっているではないか。それが正解だ。


「....どなたか存じませんが、手助けできるのはここまでです。お嬢様を厄介事に巻き込む訳にはいきませんから。....申し訳ない」

「いや、それが正しい....我の事は、すぐに忘れるとよい」


男は少女の手を引いて来た道を引き返そうとするが、ペチッと音がなり我はそこに視線を向けた。

少女は男の手を振り払い、男を睨みつけている。男はかなり戸惑っているようだ。


「嫌だ!あの人助けたい!」

「お嬢様、我儘を仰らないで下さい」

「エルが助けないなら私が助けるからいいよ!もう!」


言い争う二人の声を聞きながら、意識がどんどんと遠ざかるのが分かる。かなりの出血量だ。もしかしたらこのまま目を瞑れば死ぬかもしれんなと何処か他人事のように思いながら、我は意識を手放した。





──






「──」


初めに感じたのは体のだるさだ。まだ眠いという気持ちもあったが、ゆっくりと目を開く。

高そうな柔らかいマットレスの上に横になり、毛布を被っている。かなり質の良いベッドで、何故こんなところで寝ているのだろうとぼうっとした頭で考えた。

その時、扉の開く音が聞こえ勢いよく半身を起こすとそこには驚いた顔をしたあの少女が立っていた。


「目が覚めたんだね。良かったぁ....」

「....我を助けたのか」


結局あの後助けられてしまったのかと思い、少女の意志の強さを感じる。燕尾服の男は必死で反対していたが、もしかしたらこの少女には甘いのかもしれない。


「もう1週間も眠ってたんだよ。隠すのも大変でさぁ」

「隠す?ははっ、家族に内密にペットでも飼っているようだな」

「笑い事じゃなよ....ここ、エルの部屋なんだ。広いでしょ?」


確かに広い。この屋敷自体が広いのか、それともあの燕尾服男、エルと言う人物がそれほど偉い立場の人間なのか。どちらでもいいが、目が覚めたならすぐに立ち去るべきだろう。1週間も怪我人を隠し通せたなど奇跡に近い。


「ちょっと、どこ行くの?」

「世話になったな、礼はいつか必ず」

「だめよ!まだ休まなきゃ!」


立ち上がると無くなっていた腕を見て....それを再生させる。1週間も休んだんだ、魔力はある程度回復している。

それを見て少女は若干引いているようだ。簡単に見せるものではなかったかと少々後悔する。


「見ただろう、我は普通とは違う。貴様に不運をもたらすやもしれんぞ?」

「....でも貴方悪いやつに追われてたでしょ?困ってる人は放っておけないわ」

「........頑固だな、貴様は」


全く持って譲らない。扉の前に立ち我を通さないようにしているのを見て思わず笑いそうになる。そのような抵抗で我を止められないのは少女も分かっているはずだがとため息をつく。


「何より、あのような雑魚は枷さえなければ容易く葬れる」

「枷ってあの枷?」

「ああ、多分貴様の思うそれだろう」


そう簡単に説明して話は以上だと立ち去ろうとする。が、ドアノブに手をかけた時反対側の手を少女に掴まれる。その小さな手に視線を向けると、少女は我を見つめていた。

その目には強い決意のようなものが見える。何事だとドアノブから手を離し我は少女と向き合った。


「私が、私が契約者になってあげるよ!」

「........は?」

「だから、私が契約者に──」

「いや....貴様は今幾つだ?」


少女は何故そのその質問をされたのかよく分かっていないようだが、元気よく12と言った。その答えを聞いて我は堪えることが出来ずに笑う。それを見て少女は不満そうにした。


「何がおかしいの!?」

「はははっ、齢12の小娘が我の契約者等と!これが笑わずにいられるか?」

「私は真剣よ!私が契約者になるの!」


強く我の手を握る少女は確かに真剣そのものだ。だからだろうか....首を縦に振ったのは。


その時は単に契約者が欲しかっただけかもしれないが、この出会いは我にとってかけがえのないものになる。






──




少女....エルシュと契約して3年が経った。

契約してから我を狙ったあの者達のアジトをぶっ潰したあとからは特に危ない事はなく、ただ平和な日々が続いた。


「それでさぁ、その時助けてくれた人が凄い強くて!」

「ああ、それで?」

「私ね、この屋敷から出ていってその人の元で戦いを学びたいの!」


口に含んだ紅茶を吹き出しそうになる。あの過保護のレンディエールが居ないか周りを確認していると、エルシュは笑った。いや、レンディエールが居なくてもそんな事我が許すわけが無いだろう。


「反対だ。我がいるだろう?守ってやるぞ」

「違うの、私は自分の身は自分で守れるようになりたい!それに....ここは窮屈だわ」


彼女が言っているが屋敷の広さなどのことでは無いというのは当然理解出来る。エルシュの両親は彼女に期待し過ぎているのだ。エルシュは確かに多才だ。しかし、彼女にも心がある。プレッシャーというものに耐えきれずにいるのだ。


「....その、ヴィノス・ラージェンと言ったか?信用出来る者なのか」

「そうね....分からないけど根は悪い人じゃないと思うの」

「根は」

「うん、根は」


という事は普段は悪人のようなのかと不安に思う。クズみたいな輩に絡まれていたエルシュを助けてくれた事には感謝するが、それとこれとでは話が別だ。

1度そいつと話をさせろと抗議したが、エルシュは即座にNOと答えた。


「....屋敷から出ると言うのは感心しないな。確かにここは君を閉じ込める鳥籠のようなものかもしれない。しかし、両親と妹が君を愛している事は理解出来るだろう?」

「それは....まあそうだけど....」

「出ては行かずにたまに息抜きに抜け出す程度でも良いのではないか?レンディエールも心配する、無論我もな」


エルシュは我の説得に少し心を動かされているようだ。そして、分かったと頷くと我に向き直る。


「ソリッドが言うなら、そうしてもいい....かな」

「危険な目にあって欲しくないという我の気持ちを分かってくれ」

「うん、ありがとう」


エルシュは笑う。それに釣られて我も笑ったが、レンディエールにはどう説明しようかと内心焦っていることには彼女は気づいて居ないようだ。

勿論その後何故承知したのかとこっぴどく我が、我が!叱られた。全く、解せぬことよ。






──




1年後



エルシュは泣いていた。いつもの笑顔の彼女がこうして声を上げて泣くのは珍しいと我は焦った。膝をつき、この場にいない誰かに懺悔しているようだ。


「エルシュ、どうした」

「ぁ、ソリッド....わた、し....私!」

「落ち着け、ゆっくり話してみろ」


話を聞くと、どうやら人を殺してしまったらしい。我は驚愕したが、1からの順に説明させるとそれは取り返しのつかない、事故のようなものだと我は思った。


「それ、で....私はっ!!その、女子のからっ....父親を奪ってしまった!!」

「ああ....」

「私は、どうし、たら!彼女になんて声を、かけていいのかも....!!」

「....エルシュ。人は時に過ちを犯すものだ....もう忘れろ」


我は、残酷な事を言った。その父親を奪われた少女がどのような気持ちでいるのか、それを完全に無視した。我にとって大切なのはエルシュだ。彼女を苦しいと言うのなら、我はどんな非道な事でもやってのけよう。


「そんな事許されるわけないじゃない!」

「....完全に忘れて生きるのは難しいだろうが、それを乗り越えろ。戦士という生き方を選んだのだったら、それぐらいの覚悟はすべきだ」

「....私、は忘れない....ずっと背負って生きるわ」


彼女の意志は変わらないようだ。それがエルシュの選ぶ道ならばと我はそれ以上は何も言わなかった。

相手はまだ12の少女、どうしたものかと我が考えていると視界にレンディエールが見える。


「レンディ──」


我が名を呼ぼうとすると、レンディエールは静かにと口元に手を当てそれを止めた。軽く手招きをして来たので、まだ落ち込んだままのエルシュを一瞥した後彼の方に向かった。


「今はそっとしておいた方が良いかと」

「何故だ、今こそ傍に居るのが正しい行為ではないのか?」

「あまり横から意見を言い過ぎるのも逆に混乱させてしまいます。それに、先の言葉で何かを決意されたご様子ですので」


そういうものなのかと我はあまり理解ができなかったが、エルシュと長い付き合いであるレンディエールが言うのならそうなのだろうと渋々承知した。






──





「それでねぇ、その子....いや、私と同じ年みたいなんだけど」

「ああ」

「凄いポーカー上手いなぁって見てたらイカサマしてたの!それで相手からお金取ってたから止めたんだけど、彼女素直でさ」

「なるほど」


どうやら彼女に友人が出来たらしい。相手も同じ女戦士で、直ぐに意気投合してまるで親友になることが決まっていたかのように感じたのだとか。

悪事で金を稼いでいたやつなどと思ったが、エルシュの支えになってくれるならその少女さえ利用してやろうと考えた。


「ロザリエって言うんだけど、すごい可愛い子でさ。でも大食いで!しかもそれなのに料理がド下手なんだよ!」

「そうか」

「だから私が守って上げなきゃって。私達とってもいい相棒になれると思うんだ」

「....うむ」


なんだろうか。この気持ちは。

いや、分かる。分かるが認めたくない。我がそんな小娘ごときに....嫉妬などと。エルシュの相棒枠は我ではないのかと少し傷ついたが、彼女はまた気づいていないようなので黙っておく。


「ちゃんとソリッドにも紹介するね!」

「....ああ、楽しみにしておこう」


複雑な気持ちだったがエルシュがとても嬉しそうにしているのを見て、我はこのモヤモヤを無かったことにした。

これ程楽しそうにするエルシュは久々に見たので、逆にそのロザリエという少女には感謝しないといかんのかもしれない。







──そして、その日が来た









2年後





滅多に出さない翼出して我は飛んでいた。何故かずっと嫌な予感がしていたのだ。この嫌な想像がどうか本当にならないでくれと願いながら我はエルシュを必死に探していた。


「レンディエール!」

「ソリッドさん?如何なさいましたか?」

「エルシュは、エルシュは何処にいる!?」


彼に掴みかかる。その我の普通じゃない様子に彼も戸惑っているようだ。そして今日はロザリエの家に向かったと言う一言を聞いて彼には何も説明せず飛び去った。今は時間が惜しかった。

この早い鼓動は、忙しく動いているからではない。それが分かるのだ。我の直感が、急がなければ後悔するぞと警告している。


「何処だ、何処なんだ....!!」


雨が降り始める。そんな事には構わずに我はロザリエの住む小屋がある山の上空を飛び回った。ある場所を通過しようとすると、血の匂いを感じすぐに減速する。


その場所に急降下して、我は動け無くなる。

森の中で、血にまみれたエルシュを抱きかかえ泣いている少女がそこには居た。大量に地面に付着している血に、ピクリとも動かないエルシュ、そして少女の悲痛な叫び。すぐに分かる。理解などしたくないが、理解出来てしまう。


──エルシュ・ネルトは死んだ。


するとその場所に向かおうとしている強い殺気を感じた。我は急いで森の中降りてその殺気の塊のような男の前に立ち塞がる。黒髪に長い耳、白地に青の模様が入ったコート、左腕の刺青....


「貴様、ヴィノス・ラージェンだな」

「なんだてめぇ....退け!今はてめぇに構ってる場合じゃねぇんだよ!!」


走って我の横を通り過ぎようとする彼の腕を掴むと、拳が我の顔目掛けて放たれた。それを手で受け止めると相手の鳩尾に膝蹴りを食らわし怯んだ隙に地面に押さえつける。


「は、なせぇっ!!」

「貴様、ロザリエ・リーベスを殺すつもりか?」

「俺は、見たんだ!!あの女がビビったりしなきゃエルシュが庇う事はなかった!!ぜってぇ殺してやる!!」


なるほどと大体の状況を把握する。ロザリエとエルシュの傍には魔物の亡骸が転がっていた。魔物に襲われ、最終的には殺すことが出来たが....


「ロザリエは、エルシュが心から大切に思っていた親友だ」

「それがなんだ!アイツのせいでエルシュは死んだんだ!!」

「....我もそれは理解している。しかし、彼女を殺して何になる」


ヴィノスは黙り込んだ。今すべきことはそうではないだろう、そう伝えたいのだ。


「我々はエルシュを守れなかった。違うか?ロザリエだけに全てを背負わせ殺すのか?」

「........」

「我はそれが正しいとは思えぬのだ」

「じゃあ....どうすりゃいいんだよ....」


ヴィノスから抵抗する力が抜ける。我は彼から手を離すとロザリエ達がいるであろう方向に目を向けた。

立ち上がったヴィノスは、もうそこに向かおうとはしない。大きな泣き声が聞こえる。


「エルシュはロザリエ・リーベスを守りたいと言っていた。我はその意志を継ぐ」

「それが正しい行動だって言うのか....?」

「これはあくまで我の考えだ。しかし、ロザリエを殺すことが正しくない行動だと言うのは分かるだろう。もしまだ殺しに行くというのなら我を殺してからにしろ」


ヴィノスからもう殺意は感じない。彼も急な自体に戸惑っているようだ。彼は涙を流した。彼にとっても、エルシュという少女は大きな存在だったのだろう。


「てめぇがソリッドってやつか....」

「ああ、そうだ」

「....エルシュは幸せだったと思うか?」


我は....答えることが出来なかった。それを見てヴィノスは想定通りだったのか我に背を向けると立ち去って行った。


「........」


もうロザリエの声は聞こえない。










気づけば群の施設にある自室にいた。いつの間にここに着いたのだろうか、それすら思い出せなかった。

部屋にいるはずになのに、ここがどこか認識出来ないような、不思議な感覚。ぼんやりと突っ立っていたが、体の力が抜け膝を着いた。


「う、ぐ....うぁああぁあぁ!!」


エルシュが死んだ。光のような彼女は死んだのだ。

何故ヴィノスに冷静な態度が取れたのかと疑問に思うほど、たがが外れたように泣き喚いた。

もう、もう我に笑顔を向けるあの優しい彼女はいない。


「何故....何故彼女なんだ!!まだ18だぞ!!エルシュには....まだ光り輝く人生が──」


ガンッとテーブルに拳を叩きつけると、そこに置いていたラペルピンが床に落ちる。それは、エルシュから貰ったものだ。シンプルなデザインのそれを手に取り、それを包むように体を丸めた。


「今度付けて来てやると、言ったではないか....何故見る前に逝ってしまったのだ....」


視界がまた歪む。もう彼女には会えない。最近まで会っていた彼女には、もう二度と会えない。あの声も、あの笑顔も、あの暖かい手も、全て死に持っていかれてしまった。


「──人は、あまりにも脆い」


200年以上を生きておきながら、今更そう実感した自分に呆れた。守ると言っておいて守れていないじゃないか。我は、何をしていたんだ。胸を剣で貫かれたかのように、痛かった。


「──」


ラペルピンを握りしめたまま、倒れ込む。


なんのために、自分はいるのか。


あれ程まもるといっておいて、何故彼女のききに駆けつけられなかったのか。


だれがわるいのか。


どうればよかったのか。


これから....なにをすればよいのか。






「──なあ、君の元へ行ってもよいか....?」





立ち上がった我の手には、ナイフが握られている。

これで首を掻っ切ったら死ねるだろうか。

その刃をその身に当て──




「....なるほど、死ぬ勇気もないか」




手からナイフを落とし、小さく笑った。

我のやる事は恐らくこれではないだろう。彼女の意志を継ぎロザリエ・リーベスを....いや、困っている人を助けなければ。そうすればエルシュはずっと我の中で生き続ける。この意志を絶やしてはいけないのだ。


だが....


「少し、少しだけ休ませてくれ....君を失った事は、我にとってはあまりにも辛い現実なのだ」


よろよろとベッドに近づくと勢いよく倒れ込んだ。カチカチと時計の音がいつもより大きく聞こえる気がして。我はゆっくりと目を瞑る。


目が覚めたら全て嘘だった、などと都合の良いことはないだろうか。

我は、ただ....また君に会いたいだけなんだ。











──











「....そんな都合のよいことなど、あるはずもないか」



意識が浮上して放った第一声はそれだ。くわっと欠伸をしてベッドから降り、周りを見渡すと違和感に気づく。

部屋に、ホコリが溜まっている。いや、それは普通に起こることだが、数時間寝た程度でこんなに汚れるものかと疑問に思うほどの汚れよう。

それを指でなぞり首を傾げながら、体がベタベタするので風呂に入ろうと軽くシャワーを浴びる。しかし、やはり違和感がある。


「おかしい....なんだろうか。雰囲気、というのか?」


着替え直して、コートにラペルピンを付けるとエルシュの屋敷に向かった。レンディエールには何も伝えずに部屋に戻ってしまったので、彼にもこの辛い現実を伝えなければならない。なんと言えばよいのか、話している途中で自分も泣いてしまいそうだと考えながら目的地に付くと、我は絶句した。


「な、無い....?屋敷が....」


そこにあったはずのネルト家の屋敷が無くなっている。何故、数時間前まであったはずだ。いや数時間前などと仮定していたが──


我は''どれほど眠っていた''?


焦り。

もしかして、もしかしてと焦るが一旦冷静になって傍にいた通行人を止める。


「お、おい!そこの君!ここに大きな屋敷があっただろう、いつ無くなった!?」


通行人は幸運にも事情を多少知っているようだった。

エルシュが死んで残された家族は、そのショックから屋敷に火をつけ一家心中したらしい。そしてそれは、2年前の話だと....


「2年前!?」


寝すぎにも程がある、逆によく2年も起きずにいられたなと感心....いや、あまりにも愚かだ。

レンディエールは、ロザリエは、ヴィノスはどうなった。あまりにも、情報が足りなさすぎる。

我はその通行人に礼を言うとすぐさま立ち去った。






人のいない場所まで行くと鎧やコートを脱ぎ翼を出し、ロザリエの家に向かって飛ぶ。彼女はエルシュと仲が良かった。頼むから生きていてくれと小屋のある場所に着くと、人の姿が見えて木陰に隠れる。


「ロザリエ....生きていたか....」


そこには素振りをして鍛錬に励むロザリエの姿があった。我は安心して彼女に声を掛けようか迷っていると、背後から口を塞がれそのまま森の中に引きずり込まれる。


「(しまった、油断した!)」


すぐに相手の足を強く踏むと手が離れ、振り向きながらその首を掴み持ち上げる。が、その姿を見て急いで手を離した。


「ってーな....ざけんなよ....」

「最初仕掛けたのは貴様だろう、我は悪くない。しかし....生きていたか、ヴィノス・ラージェンよ」

「それはこっちのセリフだ」


ヴィノスは軽く咳をすると我を睨みつける。その目に敵意は無く、我は安堵した。しかし、何故こんな所にいるのだろうか。わざわざこのようにコソコソと行動して。ロザリエの元へ行こうと言うと、彼は首を横に振る。


「今更あいつに合わせる顔なんてねぇよ」

「貴様....そんな事を気にしているのか。阿呆め」

「誰がアホだ。俺様にも気持ちってのがあんだよ」


そういうものなのだろうか思ったが、確か我もさっきロザリエに話しかけるか迷ったので同類かとため息をついた。彼女は今1人で生きようとしている。それを邪魔してしまう気がするのだ。


「つーか、てめぇは2年間何やってたんだよ」

「........寝ておった」

「は?」

「だから寝ていたのだ!2年の間ずっと、起きることも無く!!」

「........マジか」


ヴィノスは引いている、当然の反応だろう。何故なら我も自分に引いているからな。何故そのようになったかは分からないが、恐らく酷いストレスを感じた脳が起きて現実をまた実感することを拒絶していたのではないかと予想した。実際のところは知らんが。


「貴様、確かに情報屋だったな」

「正確には違ぇが....対価が払えるなら売ってもいいぞ」

「....レンディエール・エクリプスはどうなった」


その時、あからさまにヴィノスの態度が変わる。顔を歪ませ、我を睨みつけた彼は怒っているようだ。これは聞くべきでなかったなと後悔したが、発した言葉は戻ってこない。


「....二度と俺の前でアイツの話をするな」

「承知した。自分でどうにかしよう」

「くそっ....!!」


余程苛立っているのか、ヴィノスは何の挨拶もなしに立ち去った。短気な彼の事だから戦闘になる事も考えたが、ここはロザリエの家から近い。戦闘音で気づかれる可能性があるのは、彼も理解しているのだろう。


「はぁ....これからどうしたものか」


1番守らなければならない者を守れなかった我は、これからどうすればよいのか。

考えながら森をさ迷っていると、ある場所に付きその光景に見とれた。とても綺麗な湖がそこにはあった。花々に囲まれた、透き通る水面を見ると自分の姿が写っている。


「エルシュがレンディエールに見せたいと言っていたのはここだったのだろうか....」


彼女がまだ12歳で我と初めてこの森であった時、エルシュは確かレンディエールにそんな話をしていた。懐かしいなと思い出に浸っていると、少し離れた場所から銃声が聞こえる。


「....なんだ?」


無視しても良いが、気になってその銃声が聞こえた場所に行くと誰かが魔物と戦っていた。まあ、よくある光景だ。別に我が助けなくても、勝てるだろう。


....だが、それでいいのだろうか


エルシュはどうするだろうか。もし我と同じ状況に立ったとして。見ると相手は3対1、苦戦はしていないようだが絶対に勝てるというわけでも無さそうだ。ならば、答えは1つ。



「ゆくか、[シャティール]」



我は、走った。

魔物の首を、その炎で出来た薙刀を振り綺麗に飛ばすと軽く息を吐き戦っていた3人に視線を向ける。

我は、エルシュの思う正義を貫こう。彼女が死んだ今、彼女の正義と言うより我の考えるエルシュの正義となるが、それはもう仕方なの無いことだ。残された者は、それしか出来ない。


「余計な助太刀だったかもしれないが、無事か?」


戦っていた3人はそんな事ないと我に感謝した。名を聞かれたがそれは答えずにその場を去る。


人は脆い。

我が、守らなくては。今度こそ。


「ふむ....顔も目立つし、隠した方が良いか....?」




ヒビの入った部分を親指でなぞると、我は笑った。

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