2つの怒り


ヴィノスは人気なの無い森の中にいた。ある男を待つためだ。暫くするとその敏感な聴覚が足音を拾う。


「久しぶりだな、レンディエール」

「........」


レンディエールは1度顔を顰めると、すぐに真顔に戻る。普段は温厚と言える彼がこれ程不機嫌な態度をとるのにはちゃんとした理由がある。

勿論それは、エルシュ・ネルトに関係があった。


「良くもまあのうのうと私と顔を合わせようなどと....正気ですか?」

「ああ、俺様は至極真っ当だ」

「....私が生きているのは、貴方には知られたくなかったのですがね」


ヴィノスは情報通だ。人並外れた聴覚のおかげで色々な話を盗み聞ける。そしてレンディエールはあの群に所属する者なら誰でも知っているであろうレイゴルトの従者、噂はすぐに届く。


「主人をすぐに乗り換えやがって....エルシュの事は忘れるつもりか?」

「そんな事は絶対にしません。エルシュお嬢様の存在は私の中から消えることは決して有り得ませんので」

「....俺達はエルシュを救えなかった。その上ロザリエはあいつの死で深い傷を負った。そのレイゴルトとやらに仕えるより先にやらなきゃいけねぇことがあんじゃねぇのか?」


レンディエールは黙る。それは後ろめたさや罪悪感からでは無い。怒りだ。ヴィノスの先の言葉は今仕えるレイゴルトを馬鹿にしたように聞こえた。それが許せないと感じたのだ。


「....最近ロザリエ様会いました。ロザリエ様も貴方もエルシュお嬢様に縛られすぎている。それがお嬢様の望むことだと思うのですか?」

「てめぇが....エルシュの気持ちを決めんじゃねぇ!」

「私はエルシュお嬢様をずっと傍で見てきた!あの御方は今の貴方を見たら何と言うだろうな、良い言葉が返ってくるか!?」


ついにレンディエールの言葉遣いが崩れる。一触即発。今の2人にふさわしいのはそれだ。互いに睨み合い殺意が混ざり合う。元々昔から馬が合わなかったのだ。

お嬢様という決められた人生を親に歩まされようとしていたエルシュを自由にしたヴィノスに、戦いという危険な場所へ連れて行った事に、レンディエールはずっと怒りを感じていたのだ。


「貴方がエルシュお嬢様に戦いを教えてしまった....その道にさえ進まなければあんなに早く死ぬことはなかった!」

「あいつはあの屋敷にいる事に、苦しみを感じていた!」


そして大きな音が鳴る。2人の怒りはついに言葉だけでぶつかり合うのに限界を迎えていた。

ヴィノスの放った氷の塊をレンディエールはこうなる事を予測して、瞬時に出せるようにしていた杖で弾いた。レンディエールの手が衝撃で痺れる。


「今からお前をあの世へ送ってやる。そこでエルシュに謝罪しろ!」


ヴィノスは魔族。対してレンディエールはただの人間だ。誰が見てもこの戦いの結果は見える。しかし、レンディエールは諦めきれなかった。


「許さない、貴方だけは……!」


杖を軽く掲げ詠唱を始める、自らの能力を底上げしシールドを張ると無謀にもヴィノスに突っ込んだ。ヴィノスは余裕の態度で魔術など必要ないと素手でレンディエールに殴りかかる。しかしその一撃はシールドに受け止められ、今度はヴィノスの手が痛んだ。


「てめぇ....」

「私だって無駄死にするために生きていない。あの御方の役に立つために、努力ぐらいする」

「それがどうした。それでもこのオレに勝てるか?」


レンディエールは護符を取り出すとそれをヴィノスに向かって投げる。それは弾け閃光を放つと直視したヴィノスは思わず腕で目を塞ぐ。

その隙を狙ったレンディエールの回し蹴りがヴィノスにぶつけられた。


「っ!……おま、え....なんかしてるな?」

「さぁ、なんの事だか」


ヴィノスが腕で受け止めたレンディエールの脚力は普通の人間のものでは無い。魔族ほどではないが、戦士でもないただの治癒魔術師が出せるレベルの力ではなかった。


「はぁっ、ふざけ、やがって....」

「まだだ」


繰り出されたレンディエールの拳をヴィノス簡単に掌で受け止める。いくら視界をくらまされたとはいえそれを食らうほどの弱さではない。それをレンディエールは理解できるだろうが、何故か無意味な体術での攻めが続く。


「あほ、か....てめぇはっ!」

「──ぐぁっ!」


ついに視界が元に戻ったヴィノスの蹴りがレンディエールの腹に直撃し、その体が宙に舞う。大木にぶつかり合う血を吐いたレンディエールに向かってヴィノスはゆっくりと歩き出す。


「どう足掻いてもただの人間が魔族に勝てるわけねぇだろ。例え危ねぇもんに手ぇ出してもな」


そう言いヴィノスは自分の胸の中心をコツコツと指で指し、レンディエールの普通の人間とは違う身体能力の正体を示す。


「てめぇのここから膨大な魔力を感じる」

「....」


レンディエールは服の上から示された場所を撫でると、鼻で笑い杖を支えに立ち上がる。


「まだ──」

「くたばれぇッ!!」

「がはっ……!」


詠唱の暇もない、次々とヴィノスからの攻撃がレンディエールを襲った。このまま殴り殺してやるとヴィノスはレンディエールの臓器を潰す勢いで何度も何度も拳を叩き込んだ。これで最後だと強めの回転を加え回し蹴りをレンディエールにぶつけると再びレンディエールは吹っ飛び地に落ちた。


ヒューヒューとか細い息をするレンディエールを見ながら、ヴィノスは違和感を感じていた。


「(なんでこっちまでこんなに呼吸が荒くなってんだ....)」


苦しさを感じレンディエールを睨みつけると、レンディエールはよろよろと立ち上がると傍にあった大木を背もたれに不意に杖を掲げるとその杖が光を帯びる。


「〈ライフ・ダーレス〉!!」


その光がレンディエールを包むと彼の酷かった傷が全て癒える。何事も無かったかのようにヴィノスと向き合うレンディエールはまだいけるぞと杖の柄頭を地面に叩きつける。


「なるほど....さっきの魔術、俺の体力を....」

「貴方が私に接触する度吸収して溜めていた。もうこの手は効かないだろうし、種明かしだ」


ヴィノスは舌打ちをすると、左手に魔力をこめる。もうレンディエールの顔を見ることさえ嫌になった。ヴィノスはその苛立ちを魔力に変換していき、刺青が薄く輝く。


「貴方の得意な氷漬けか?」


レンディエールにはまだ手があるのか、それを受ける気で何もせずそれを見守るように立っていた。その余裕な態度にさらに腹が立ちどんどん魔力がヴィノスの左手に溜まる。


そして、その時が来た。レンディエールに標準を合わせ手を出すと、ヴィノスは懇親の一撃を放つ。


「〈グレイシア〉ッ!」


レンディエールはそれを受け入れるように、そして何かのタイミングを図るように杖を構える。


「〈オール・カウン―〉ッ!?──っな!」


レンディエールが魔法を発動させようとしたのと、その人物が来たのは同時だった。氷漬けになったのはレンディエールではなかった。白髪に真っ赤な瞳、垢を基調とした薔薇の飾りの着いた服を纏うその戦士は....



「ロザリエ様っ!」



レンディエールは目の前で氷漬けになり固まったロザリエに駆け寄る。酷く冷たいその氷塊に触れると、レンディエールは絶句して動けなくなった。


「ロ、ロザリエ....?な、なんで....だ?」


ヴィノスは目を見開き自分の左手を見た。かなりの怒りを、魔力を込めて放った自分の一撃を、守るべき者に放ってしまった。その事実はヴィノスに重くのしかかる。


「は、早く魔術を解け!このままではロザリエ様が──」

「一度氷漬けにしたら破壊しかできねぇんだよ!出来るならとっくにしてる!!」


目を瞑り、レンディエールを庇うように両手を広げたロザリエは綺麗に固まっている。ヴィノスも、レンディエールもそれを見て放心状態になっていた。


が、それの無の感情は氷塊の異変によってかき消される。


「〈──〉」


なにか音、いや声が聞こえ氷塊が一気に溶け水となり地面を濡らした。ヴィノスとレンディエールの間には、ロザリエが激しく息をしながら立っている。


ロザリエ・リーベスは生きていた。


ヴィノスもレンディエールも彼女に駆け寄ろうとするが、ロザリエはそれを止めた。そして荒かった息を整えると、2人に向かって叫ぶ。


「この....愚か者!!」

「....」

「....ロザリエ様....」


ロザリエは涙を流していた。ロザリエの中で様々な感情が混ざり合い。それが瞳から流れている。


「何故....何故殺し合いなどしている!いや、どうせエルシュのためだとか言って始まったのだろう!?愚か、あまりにも....あぁっ、言葉も出ない!!」


ヴィノスもレンディエールも何も言葉を返せなかった。図星をつかれ言い返す言葉もない。


「こんな、こんな事して、私はエルシュに何と伝えればいい!!貴様らは今の状況をエルシュに伝えられるか!?自分達のしている事が、どれだけ彼女を苦しめるのものか分かるか!?」

「──っ!どれだけエルシェに伝えても、あいつの言葉はもう聞けねぇ!残されたものは....それを考えながら生きるしない!俺も、もうどうしたらいいのか、わかんねぇんだよ!!」

「だからと言って....!!ぐ....ぁっ....」


ロザリエの様子に異変が生じた。胸を強く抑えまた呼吸が早くなり、立つことすら辛くなったのか膝をつき顔を歪める。

今度こそヴィノスとレンディエールはロザリエに駆け寄る。レンディエールはロザリエの背をさすりゆっくりと呼吸をするように促すが、ヴィノスは何も出来なかった。


「早く消えろ。お前に出来ることはない」

「っ……!」


レンディエールは立ち尽くすヴィノスを睨みつけると、ロザリエを癒し始めた。ヴィノスはゆっくりと一方下がり、そのまま2人に背を向け消えていった。


「ロザリエ様、申し訳ございません....」

「はっ....はぁっ....ぁ....」

「........」

「んっ....も、う....エルシュの、ためにっ....あのような事を、するな....」


徐々に苦しそうだった呼吸も落ち着いて来て、ロザリエは一度深呼吸をすると立ち上がる。

そしてレンディエールを見ると、拳を振り上げ胸を少し強めに叩いた。


「ぐっ....」

「私に説教しておきながら、貴方もまだ進めていないではないか」

「....返す言葉もありません」

「はぁ....私達にとって、エルシュの死はそれほど辛い現実だった....それは、理解している」


私のせいだという言葉をロザリエは飲み込み、レンディエールに背を向け歩き始めた。森から異様な魔力を感じると聞き駆けつけたはいいが、知人同士が殺し合いをしていた時は心臓が飛び出るかと思ったと思い返しながら、ロザリエは乗ってきた馬に跨ると自分の住む山小屋に戻る。


「何が....何が正解なんだ....」


ロザリエの言葉は、風を切るおとにかき消された。

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