猫嫌いの俺に猫の世話係が務まるわけがない!

佐江木 糸歌

第1話 猫嫌い、人猫の世界へ転生⁉

 うららかな春の日。どうやら俺はよわい16にして、人間としての一生を終えたらしい。


 前後の状況をよく覚えていないが、記憶があるのだ。発生源である胸から徐々に全身へと拡がっていく激痛と、息ができず、必死にもがいても死の濁流に命が吞み込まれていく恐怖と絶望。その中で己の絶命を悟った記憶が。


 その時の感覚から推し量るに、俺はどこかで溺死したのだろう。

 

 気がついた俺の目に飛び込んできたのは、中世の洋館らしい内装。


 建物の中は暗く、闇を照らすのは、俺が座り込んでいる広間を照らすランプの明かりのみ。

 

 とにかく立ち上がって周囲の様子を探るが、ここがいわゆるエントランスホール的な場所であるということぐらいしか新情報は得られない。



「それにしても、なんなんだここは。奥に行けば、天国への扉でもあるのか?」


 しかしどうしたものか。いくら待っても、天使だの女神だのという、俺を天の国へ案内してくれるはずの美少女が現れない。


「すみませ~ん! たぶん俺死んだらしいんですけど、だれかいませんか~っ!」


 ――返答はなしか。


 困ったものだ。これでは不用意に動けないし、そもそも、本当に死んだのかどうかも定かではない。まあ九割九分の確率で死んだと思うが、早いとこ確信がほしいところだ。


「はあ、まったくサービス悪いなあ」


 ため息をつき、そばにあった少しお高そうな椅子に腰かけたとき。


 バタン! と正面にある観音開きの金扉が開き、純白できわどい衣装に身を包んだ女の子が飛び出してきた。


「すみませ~ん、お待たせしましたぁ」


「――――!」


 おおっ! これはヤバい! マジのマジで美少女が来た。これがRPGとかなら、問答無用で捕獲したいレベルの。


 背中まで伸びる、金糸のような美しい髪。雪のような白い肌と、透き通る碧い瞳。そして、俺のような思春期真っただ中の男子には、いささか刺激が強い身体つき。


 がっつり見えているしなやかな背中には美しい白翼が生え、頭の上に金環が浮かんでいる。


 白い翼と、金色こんじきに輝く天使の環。これはれっきとした天使の特徴だ。


 その姿に見とれていると、彼女は息を整え、右手に握っていたカンペらしきものをちらっと確認して。


「コホン、わが名はラーメル。ええっと、美しく偉大でルックス抜群の大天使、アズラエルさまの使いである。大和やまと 伊吹いぶきさん、あなたは今日、人としての生をまっとうされました。これよりあなたを、光の楽園へ導きましょう。よしっ、かまずに言えた!」



 う~ん、最後に漏れた心の声がなければかっこいいんだが……。まあいい。


「そうですか、えっと、ラーメル……さん。それじゃああれですよね、今から天国に連れて行ってくれるんですよね、天使の力的なやつで」


 俺……大和やまと 伊吹いぶきは、自分でもおどろくほど落ち着いて、麗しい天使に確認した。


 死んでみて、初めて自分に気づくこともあるもんだ。


 言ってみりゃ俺は、異世界転生モノのラノベ主人公キャラの初期設定にありそうな、『これと言って目立つ特徴がない普通の高校生』だ。


 運動神経、学業成績ともに平凡。他人を驚かせるような特技はなく、家族・友人関係はまあ良好。強いて趣味・特技を上げるならゲームと答えるだろう。


 極底辺や引きこもり属性(休日限定で付与)は持ち合わせていないが、巷でいうところのパリピとは180度ほど違う人種だ。自室、二次元、異世界、美少女、RPG、ネット諸々……。大好きである。


 が、チキンな俺は、ごく一部にしか真の自分を明かさない。学校でそれを知るのは10人前後ってところか。


 真の正体を知る友人は、隠蔽レベル99の隠れオタクと俺を評する。


 ……という具合に代わり映えしない人生だが、同時に特な不満もなく生きてきた。


 そんなわけで、少しぐらい悲しいとか、寂しいとか、帰りたいと感じるのかと思ったが、俺は意外とすぐに現実を受け入れたわけだ。


 意外だな、と思い人生を振り返っていると、ふいにラーメルさんがなにかを決心するように口を開いた。


「ええ~っと、ですねえ……。ひじょ~に言いにくいんですが、その、今ちょっと天国にご案内できません!」


「――はい?」


 こ、この天使さんはいきなり何をおっしゃる。天国に行けない、ということは、ま、まさか地獄行き……なのか! 


 口を縦に大きく開き、ひと昔まえの少女漫画に見受けられるであろう、あの衝撃を受けた時の表情で立ち尽くす俺を見て、ラーメルさんは。


「あ、いいえ、地獄行きとかそういうことではなく――」


 と慌てて否定すると、長い長い説明を始め、


 ――約五分後。


 俺は諦めのため息とともに、観念しきった表情を彼女に向ける。


「……あの、本当にこれしかないんですね」


「はい、すみません。いくら遅くなっても、二年後までにはお迎えに行くので」


「わかりました。どうしようもないなら仕方ない。それでいいです」


 天使さんから事情を聞いた俺は、しぶしぶながらも彼女の提案を呑んだ。


 俺は無意識に苦虫を嚙み潰したような表情だったらしく、ラーメルさんが、キュートなお顔に申し訳なさを充満させる。


「ううう、ホントにしゅみません!」


「あ、いや……。そんな顔しないでください。ラーメルさんは何も悪くないんですから」


「ふええ……。伊吹さんはお優しいです。ありがとうございます。ではの世界へご案内しますので、こちらへどうぞ」


 な、なんとかわいい口調か!


「は、はいい! お、お願いします!」


 や、やべえ、マジ天使だ。あ、そうか、比喩じゃなくてマジの天使だったか。


 くだらないことを考えながら、俺はラーメルさんに連れられ館の奥にあるエレベーターに乗った。


 ヨーロッパの古いホテルにありそうな雰囲気だ。まあそんなことよりも、閉鎖空間に美少女と二人きりという状況のほうが、大いに俺の気を引いたが。


 ベルが鳴り、ゆっくりと上昇していたエレベーターがとまる。


「着いたんですか?」


「はい」


 少女はうなずき、俺に続いてエレベーターを降りた。


 ここが何階なのかは分からないが、エレベーターを降り、高級ホテルの廊下を彷彿とさせる空間を五メートルほど進めば行き止まりで、木の扉がひとつある。


 俺が訝しげに扉を見やり、その視線を美少女天使に向けると、彼女は小さくうなずいて。


「この『時空の扉』はそれぞれの階に一つあり、特定の世界と繋がっています。さあ、大和 伊吹さん。どうぞお進みください」


「はあ、どうも……ってうわっ!」


 ゆっくり扉を開けると、その内側は目を最大限細める必要がある極光で満たされていた。


 それに驚いているうちに、俺は光の中に吸い込まれ、体が浮かぶような感覚を覚える。


「それでは、今後のご活躍に期待していますので、頑張ってくださいねー!」


 瞬間見えた、守りたくなるような笑顔と、思わず口角が上がってしまう最強の声援。


 それに答えるひまもなく、俺の意識は空間との隔てをうしない、光に溶けこんでいった。


 ***


「……うっ、ここは?」


 全身に感じるほどよい重さと花のような香りで、暗闇に沈んだ意識が目覚めをむかえる。


 その瞬間、俺の身体は妙に心地よい温もりを感じた。どうやら何者かが、腹の上に馬乗りになっているらしい。


「んにゃあ、にゃう、ふにゃ?」


「あ~? 誰だようるえせなあ。もうちょっと寝かせろって? うわああああっ!」


「にゃあああ~っ!」


 俺はゆっくりと目を開き、自分が置かれた状況を理解して思わず飛びあがった。と同時に、ちょこんと座っていた存在も俺のうえから飛び退すさっている。


「……ふにゃあ?」


「ま、まじか~っ!」


 そう、俺の腹の上にまたがって顔を両手でポフポフしていたのは、純白の猫耳を生やし、水色の髪と蜂蜜色の瞳を持つ華奢な美少女だった。スカートの間から伸びるしっぽも、耳と同じく真っ白で長ぼそい。


 本人の恐ろしいまでの美貌と、可愛らしい制服姿というだけで俺に効果ばつぐんだと言うのに、微風以上そよ風以下の風ですら危険なレベルのミニスカと、少女のおみ足を包むロウのように白いタイツ。


 だめだろ、これ。冗談抜きで目のやり場が無いぞ。


「……しっかし、これは」


 俺は思春期の男子特有の煩悩をひと時忘れ、落ち着いて少女に視線を向けなおす。


「……なんか調子狂うなあ」


 うむ、ラーメルさんは確かに言った。人猫の世界だと。彼らは人間態が基本で、いわゆる猫の姿は、狩りなどの野生的な動きが必要な時に変わる姿だと。 


 目の前の美少女。


 見た目は猫のコスプレをしている中学……二年ぐらいの女の子なのに、ピクピク動く猫耳と、フリフリ動く白い尻尾が生えている。そして、猫のしぐさで顔を洗っているのだ。


「……がおー」


「! ふしゃ――っ!」


「……」


 俺がライオンのイメージで吠えるまねをすると、少女はびくっとして耳をつり上げ、頭を低く身体を丸めて威嚇してきた。


 猫嫌いゆえに、俺には猫の知識が無駄にあるのだが、姿勢が完全に威嚇する猫だ。


「――これは、どうやら夢じゃないらしいな、うんうん」


 俺は自分の言葉にうなずくと、数分前の記憶を思い出す。


 ***


「はあ? 天国に行けない? か、代わりに猫の世界⁉」


「は、はい。ご説明のとおり、人間界で生を全うされた方が多く、天国行きのエレベーターが混んでおりまして」


 ラーメルと名乗った天使の少女はそう言った。時間がかかる理由を聞くと。


「実は、天国に行くためには、私にもよく分からない手続きみたいなものがたくさんありまして、その、どれぐらいで伊吹さんの番が回って来るか分からないのです」


「え~と、でも猫でしょ? そうだ、この館? で待たせてもらうのは?」


「それは無理ですね。ここは一時的に亡くなった魂をとどめておく言わば仮宿。ずっとここにいらっしゃっては、そのうちご自身のことすら分からなくなり、真に成仏できない死霊となってしまいます。どこかで生きていること、それが他でもない存在する理由ですから」


 そして、今回のような緊急事態のため、特例で前世の姿と人格のまま別世界に行く『仮転生』という処置があるというが、いま空きがあるのは猫の世界だけだという。


「それに、子猫の学園で働く件についても、いろいろと納得いかないんですが」


「それはですね、いくら天使でも、仮転生する魂を無条件で異世界へ飛ばすことはできません。本来なら天国へ行くもので、特例措置ですから。そこで、その世界でもっとも必要とされている救世主としてなら、行き先の世界にあなたの存在意義ができる。役に立つということで、あなたを飛ばせるのです」


 な、なるほど? 分かるような分からんような……。しかし、確定事項はただひとつ。


 今の俺には、猫世界の教師になるほかの道はないと言うこと。


 まあ、やることもなく放り込まれてはそれこそ困るし、衣食住の提供は保証される。


 そういうわけで、俺は人猫だらけの世界で、学校の先生兼子猫たちの親代わりを引き受けることに。


 完全な猫じゃないだけましかもしれないし、猫ミミたちのお世話だけで死霊化する未来を回避できるなら安いモンだろう。期間も最長で二年ほどと言うし。


「死んでたら、二年なんて時間気にしても仕方ないような気がするしな」


「それでは、引き受けて下さるのですね!」


 天使のラーメルさんの目が露骨に輝くなか、俺はふと思い出して左手の人差し指を立てる。


「あ、ひとついいですか?」


「は、はい」


「その、いちおう確認なんですけど、俺の死因って……」


 すると、ラーメルさんはなぜか少し口ごもり。


「えっと……ですねえ。直接の死因は溺死……です。子猫を、助けるため」


「あ、あああああああああ!」


 俺は子猫ですべてを思い出した。


 ゴミ収集の軽トラ、その前に飛び出し固まった子猫、その子猫を守るため、飛び出す俺。


 次々と泉の底から湧き上がる記憶。


「え、でも、それじゃあ死因は轢かれたってことじゃないですか? というか、軽トラの運転手さん、人の良さそうなおじいさんだったよな。うわあ、申しわけねえ」


「いえ、溺死です。確かにトラックの前に飛びだして固まった子猫を助けにケートラの前にあなたは出ていきましたが、トラックの運転手さんは、みごとなハンドルさばきであなたと猫を避けられました」


「は?」


 いや待て。冷静になれば、なんか転んだような記憶もあるような……。そもそも、俺は確かに溺れて苦しかった記憶があるぞ。


 ラーメルさんいわく、突然の死で魂が混乱し、一時的に記憶がバラバラになっているとのこと。


「伊吹さんは、ごみ回収のトラックが、あなたと猫を避けるときに落としたバナナのかわを踏んで地面に胸を打ちつけ気絶。そこが用水路にかかる傾斜の強い小さな橋だったので、あなたはみごと用水路にドボン」


 それを語る気まずさを抑え、淡々と俺の死因を語るラーメルさん。


 彼女の話を聞きながら、血の気が引いていくのが分かる。


「まってくれ、それじゃあ……。お、俺の死因は、――リアル土左衛門?」


「は、はい。そういう意味では、あのおじいさんが無関係とは言えませんが、はっきり言って不可抗力ですよね? それにおじいさんは、最後まであなたを救おうとなさってました。つまりは残念と言うことです」


「――だ、だれか、嘘だと言ってくれ」


 俺はがくりと両膝をつき、頭を落とした。


 な、なんだその訳の分からない死因は!


「う~ん、ですがあなたの行為は無駄ではなかったですよ。一匹の子猫は救われましたから」


「はあ~……」


 もはやそう思うしかない。そして俺は、改めてにゃんこの世界に行くことを決めたのだ。



 ……と、言うのが夢だったら笑いばなしだったんだが、本当に猫の世界に来てしまったらしい。


「目の前には、ファンタジー世界にありそうな自然豊かな街並み、それとかわいい猫耳少女がひとり。まったく、神も俺に前代未聞の試練を与えるものだぜ」


 そう呟いた俺は、猫ミミ少女に驚かしてしまったことを謝り、ラーメルさんに教わった場所に向かって歩き出していた。


 こうして、俺の新生活は始まったのである。

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