第二話 思惑

 前回のあらすじ。

 御簾垣みすがきあるじ、八代目 御簾垣みすがき 五和いつわから、夜咄よばなしに誘われたはな。両手に荷物を抱えながら、華の部屋へと現れる大奥様こと、御簾垣 五和。大奥様から頂いた綺麗な筒。その中身は と呼ばれる果物酒だった。

 錬金術も披露され、恐れ慄く華。同時に華の実家である一之瀬家が、御簾垣家に代々仕えていた事実にも驚く。 

 そんな中、大奥様との夜咄は続き、明日の春宮はるのみやへの付き人を再度申し入れされる華であった。



 

   🤍 🤍 🤍



  

「ねえ華。」

「なんでひょうか?」


 れもんさわあ を半ば飲み干し、呂律の怪しい私に対し、大奥様は笑顔で応対してくれる。

 大奥様との夜咄はとても楽しく時が過ぎる。


「今一度、お聞きしますね。明日の春宮には華も一緒に来てもらえるかしら?」

「でも…大奥様。私には…。」

「華にはどうしても見てもらいたいのです。それに、明日はりつも見えます。久しぶりにお話しなど如何ですか?」


 確かに律姉様とは暫く会っていない。姉の嫁ぎ先は分家の御簾垣。

 本家と同じ東京市。だが、律姉様の住まう町は本家の東京市荒川区からは遠く離れた、生糸の町と呼ばれる八王子。

 お休みを頂いたとしても、律姉様とお話をする時間などあまり取れない。まさにトンボ帰りは必須。

 私の心は揺れ動いた。


「実はね華。明日、皇室での依頼の後に息子たちから、お話を聞いてもらいたいの。内容は華にとって、とても大事なお話。」

「わかりました、お供いたします。それでは私は明日の昼食の下拵えをして参ります。」

「ああ、大丈夫よ。昼食は皇室の方で用意してもらえるわ。既に明日の御簾垣は四名と皇室の執事に伝えてあるし。それに、明日は陛下はいないから緊張しないで大丈夫よ。」


 陛下はいないからって…。もしも目の前に陛下がいらしたら、私はきっと緊張のあまり気絶してしまいます。

 もお、大奥様は最初から私をお供させる気でいたのですね?

 それよりも、若旦那様からの大事なお話とはいったい何なのでしょう…。


「よし決まり! それじゃ、ここからは少しお勉強の時間。」

「お勉強ですか?」

「そうよ。」

 大奥様はそう仰ると同時に、私の額に左手を充て、目を閉じた。


「リカー抽出…分解…蒸発…。疲労…抽出…回復…。精神…解析…回復…。よし!」

 

 大奥様の、よし! という掛け声と当時に、私の頭の中はスッキリとした。毎夜訪れる疲労感も全くない。いったいこれは?


「どお? 酔が覚めて、疲れも取れたでしょ?」

「どういう事でしょうか? 意識もハッキリとし、何に対してかわかりませんが、意欲が湧き上がっております。」

「そうでしょ? これも錬金術よ。抽出や分解は人の精神も書き換えられるの。華の先ほどのお酒によるダメージと今日働いた身体へのダメージ。律に会いたいけど、軽く会いに行けない心のストレス…、心の負荷の事ね。これらを通常の状態にすることもできるのよ。」


 驚いた。錬金術といったら、異国の物語では悪党が屍人を使い、町を崩壊させたりとしていた。大奥様の仰る錬金術は、お医者様ではないか。なんて神々しいお方なのでしょう。御簾垣家の人々は神様なのでしょうか?


「華、私は神々しくなんてないのよ。そう見えるのは貴方達、一之瀬いちのせ双葉ふたば、両家のおかげなの。この話は明日、宗一郎と律から聞いてね。さあ、それじゃ、姿見の前に立って。」


 大奥様は私の心を読み取ったように、笑顔で仰った。

 そして、私を姿見の前に立たせる。


「鏡に映る自分を見て、思うことはある?」

「何だか恥ずかしいです。」

「え? 自分を見て恥ずかしいの?」

「あの…。こんな私めが、大奥様と一緒に映っていることが恥ずかしいです。」


 カワユスカ!?


「ああっと。華? あなたは充分過ぎるくらい可愛いのよ。今は集中してくださいね。」


 大奥様!? 私が可愛いなんて!?


「姿見に向かい目を閉じ。行ってみたい場所。若しくは会いたい人を思い浮かべて。」


 私は言われるままに目を閉じる。

 行きたい場所…。

 父様と母様はいかがお過ごしでしょうか…。

 双葉の兄様は…。きっと匠のような器用さで、竹細工を編んでいることでしょう。

 お久しぶりに会いとうございます。


「まだ目は閉じていて。簡単な所で、華の実家。そうね、リビング…井間なんてどう?」

「畏まりました。」

 

 大奥様が仰るよう、私は実家の囲炉裏を思い浮かべる。

 南部鋳鉄の湯沸かし。今時期は額に汗を浮かべ、炭を返していることでしょう。

 囲炉裏の隅に置かれた、炭の攪拌に使われるた竹串。


「へえ、ここが華の実家ね? 趣のある素敵なお家ね。華も姿見をご覧なさい。」


 大奥様に言われ、目を開ける。

 姿見に薄らと映る私の実家。父様の使う籐細工の肘掛。夏季に使う藁の円座。母様の円座は足の甲の当たる場所がへこんでいる。

 母の円座の傍には、私が茶器を落とした時にできた傷。

 私の頬には次から次へと涙が零れ落ちる。東京へ来て未だ四ヶ月。私は郷愁に駆られ自然と涙を流していたよう。

 大奥様が近くにいるのに…。

 情けなさから私は両手で顔を隠した。


「華はすごいわね。今見えたのはこの姿見が特別ではなく、華の能力なのよ。」

「私の能力でございますか?」

「ええ、華の能力です。初めてなのに鏡に写せたのです。鍛錬を重ねればハッキリと映し出せますよ。」

「ありがとうございます。」

「さあ。夜も深けました。そろそろ休みましょう。」

 大奥様はそう仰ると、皮革を鞣した袋に、先ほどまで口にしていた綺麗な筒や燻製などの芥を放り込む。

 一尺四方のその袋は、芥を入れたのにも関わらず膨らむ事もなく全てを飲み込んだ。


「大奥様? その袋はいったい…。」

「ああ、これは道具袋よ。見た目は小さくても、中は一反くらいかしら?」

「一反ですか?」

「どうぞ。中を見てご覧なさい。」


 半信半疑の私に皮革の袋を開けこちらに向けられた。

 その中を覗くと、驚いた事にとても広い空間となっている。薄暗いその空間はまるで、黒い霧がかかっているようにも見える。

 先ほど大奥様が袋に入れた綺麗な筒も、フワフワと漂っている。


「これもアルケ…錬金術を使い作ったの。袋の口を通る物なら沢山入るわ。便利でしょ?」


 私はただただ驚き、言葉が出てこない。


「さあ。明日は春宮よ。今度こそお休みしましょ。」

 大奥様はそう仰り、部屋を後にした。


「お休みなさいませ。」

 私は大奥様をお見送りした。


 先ほど鏡に映し出されたのは確かに実家の居間。薄暗かったけど、この時間の景色だったのでしょうか。もしもそうだとしたなら、双葉の兄様にも会えるのかしら…。

 



 🤍 🤍 🤍



 

 翌朝。

 大奥様と夜更かしをしたのに、体はとても軽く感じる。きっと錬金術により疲れを取り除いて頂いたおかげでしょう。

 私は着替え、朝餉の支度のため台所へ向かう。


「お早う御座います。」

 私の挨拶に誰も応答しないのはいつもの事。さすがに毎日続くと心身ともに折れそうになる。

「はいよこれ、大奥様のね。」 

 料理長が私に御膳を渡すが、顔は外方を向いている。

「ありがとう御座います。」


 私は御膳を持ち、二階の食事の間へ向かう。

 途中、洋風の服を着た女性とすれ違う。彼女は大奥様が皇室へ赴く時の付き人だ。


「お前に話があるの。夕方、台所に顔を出しなさい。」

 それだけ言うと、付き人の女性は階段を降りて行った。


 やはり…。

 こうなる事はわかっていた。

 おそらく5、6人で私を囲み、文句を言うのであろう。


 私は食事の間につき、大奥様の朝餉をいつもの場所に置く。

「お早う御座います。朝餉の用意ができました。」


「おはよう華。嫌な思いをさせてごめんなさいね。」


 大奥様は気付かれている?


「何の事で御座いましょうか?」

「華、隠さなくとも全てわかっております。でも、あと少しの辛抱ですからね。」


 朝餉を取りながら、大奥様は今日の予定を話された。

 

 十時に出発。

 春宮に到着し次第、古い文献の復旧に取り掛かる。

 一二時に昼食となり、その後は皇室執事との会談。

 その後、一室をお借りし、若旦那様からのお話があると…。


「帰宅は夕刻前になるから、待ち合わせの台所には間に合うわね。私も拝聴しようかしら。」

「大奥様!?」

「何でしょうか?」


 大奥様は全てを知っていながら、私を付き人にしたのでしょうか。

 それとも、若旦那様と律姉様に会わせるためでしょうか。

 何かとても深い意味がお有りのようです。


「いえ。台所には私一人で伺います。お気遣いありがとう御座います。」

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