魂振儀 Ⅰ

 吐き出す息は、白い。


 この日は特に冷えて、一日で最も温かい気温になる時刻であるにも関わらず、日当たりでも寒さを覚えてしまうほど。


 ほぼ無風であるのが幸いだ。


「かなり経ったが、寒くはないかい?」


 振り返って問うのは、厚手の外套に身を包むビルネンベルク。


 祝詞をあげ、楽が奏でられ、舞が行われ、矢馳せ馬が始まり、今にいたる。すでに11人の矢馳せ馬が出走を終えたところ。時間にして、おそらく3時間は経とうとしている。


「はい。足元が温かいので」


 キルシェはビルネンベルクのお付きということで、貴賓席にいる。蓬莱様式の貴賓席は、板の間と、その上に藺草いぐさで作られた畳が敷かれ、置かれる羊毛で織り込まれ、綿が詰められた厚みのある座に腰を据えるようになっている。


 座には、魔石が仕込まれているらしく、大学の床下に熱い煙を流して温めるこうと呼ばれる床下暖房のそれのように、じんわり、と温めてくれるから、冬の戸外でも長時間居ても、下半身から温められているので苦ではない。おそらくだが、日没までであればこうしていても、この座があれば寒さで耐えられないということはないだろう。


 __足の痺れしだいでしょうけれど。


「それに、これもありますし」


 言って示すのは、膝に置いた毛皮を使った白いマフ。円筒形のそれは両端から手を差し入れて使う手元用の防寒具。


 ならいいが、とビルネンベルクは空を振り仰ぎ、真紅の双眸を細めた。


「__冬至とは申せ、これほど陽が弱っているのはなかなかにない。先だっての月蝕の余波と聞いたが……」


 冬至の矢馳せ馬は、神事。宮中祭事だ。


 __別名、魂振儀たまふりのぎ


  粛々と執り行われるこの宮中の祭りは、魂振儀と呼ぶ。それは一般の目につかないものと知られているが、まさにそう。


 日輪は帝の象徴で、帝国においては龍帝の象徴であるが、その力がもっとも弱まり陰る冬至に、再び息吹を取り戻すように、と祈りを込めた儀式の一環で矢馳せ馬が奉納される。


 夏至祭で行われていた催し物といった雰囲気はつゆほどもなく、粛々とばかりしている。


 祭事に参列を許されるものは、国の貴賓にあたり、限られた者のはずで、名だたる名門が揃っているのは言うまでもないのだろう。


 ちらり、と見る上座には、龍帝が座しているらしい。


 らしい、というのは、その目で見ることが叶わないから。


 質素だが厳かな蓬莱式の櫓には、御簾が降ろされていて、中の人影の数はわかるものの、そこまで。憚られるから、龍帝一門__とりわけ龍帝がご座視遊ばれている場合、御簾が降ろされているのが通例。


 龍帝がいるであろう櫓の周囲には、五つの宮家が座し、見覚えのある蓬莱の民族衣装をまとった女児と男児が控えるように佇んでいる。どちらも額に一角を頂く子供。


 女児は地麟であるから、男児は天麒だろう。


 次いで神官の長の教皇、文官の長の大賢者、武官の長の元帥、そして各九州侯等という面々が揃っている。


 実のところ、ビルネンベルクは名代らしい。大ビルネンベルク公と当主であるビルネンベルク侯が招待されていたらしいが、どちらも都合がつかず、帝都にいるドゥーヌミオン・フォン・ビルネンベルクが名代となった。そして、そのお付きという名分のもと、キルシェは同行をしている。


 __実のところ、一苑(ひとのその)へ君を連れていく名分だよ、全部。あそこは、確実に安全だからね。


 身の危険を感じるようなことは、幸い帝都に来てからまるでなかった。それは知らないだけなのかも知れないが、日常をつつがなく過ごせていることは事実。


 以前のように、静かに大学生活を送ることができ、お陰で新年には卒業ができることが、見込みでなく確定した。


「__惜しいね。君も出られればよかったのに」


「流石に3年の空白がありますから」


 キルシェは苦笑をし、目の前の馬場を見た。


 砕かれた的を新しいものと交換し終えたところだった。


 キルシェは残念ながら、矢馳せ馬の乗り手には選ばれなかった。


 馬の疾走が足りないことが一番の要因で、対してリュディガーは担い手になった。


 遅れて候補になった__入れ込まれたとは言え、彼の腕は衰えていなかったのだ。3年前に経験済みということも大きいのかもしれない。


 しかしそれは同時に、矢馳せ馬の候補となった彼と、外されたキルシェとでは、警護対象者と護衛という役割が果たせない危惧が生みだされてしまった。


 ビルネンベルクが中央にかけあい、護衛であるリュディガーと離れずに済むよう、矢馳せ馬の雑用係として候補から外れても同行できるように根回しをし、講じてくれ、以後も練習には一緒に行動をしていた。


 贔屓目でもなく、そばで見て、リュディガーは今回の矢馳せ馬の候補ではかなりの実力があるのはキルシェにもわかった。


 それ故、彼は最後の走者に抜擢された。


 __気負わなければいいのだけれど……。


 当人の渋い顔が思い出され、キルシェは口元に拳を添え、零れそうになる小さな笑いを抑える。


 弓射の成績がふるわなかった3年前。彼は注目されているということで、それがたとえ親しい者であっても、そうと無意識に感じてしまうと、途端に弓射の腕が落ちてしまっていた。これは、本当に、中々に気づけなかったこと。盲点だった。


 彼は武官で、しかも注目を浴びやすい羨望の的、龍帝従騎士団の者なのだから、そうしたことには慣れているはずだからだ。


「お……いよいよだね」


 俄に、周囲がざわめいた。


 馬場元に最後の矢馳せ馬の走者が現れたのだ。


 黒い馬に映える、白い装身具。しゃらん、しゃらん、と鳴るのは、馬の装飾。鈴ではなく、飾り同士が擦れあって奏でられている。その音は派手ではないのに、妙に響き渡るほど、周囲は静まり返っている。


 白い息を吐き出す馬と、乗り手。


 乗り手のリュディガーは、蓬莱由来のたっぷりとした裾の独特の装束に身を包み、これもまた白。一点の汚れもない白。


 龍帝従騎士団の制服とは違う、神官と文官の制服に近いその装束は、蓬莱人とは雲泥の差で上背と厚みがある体躯のリュディガーに思いの外似合って、着られている感じというものがなく、寧ろ、よく馴染んで見えた。


 それは、帝国の龍室の源流が蓬莱であることに通じているのかもしれない。蓬莱と帝国の文化が時とともに融合した形。


 背面に張り付くように負う矢筒には、五宮家いつみやけを表す矢が5本。矢はそれぞれ、黄、青、赤、黒、白の5色に染まった矢羽がある。その色が、五宮家を表す色だ。


 矢馳せ馬では、取り出した矢が何色か選んでいる暇などないから、射掛ける色の順番は決められていない。ただ、最初の一矢のみ、疾走前に手に取るそれは、必ず黄と決められている。


 紫の色とともに、黄は現在の龍帝と后、皇太子、皇女の家を表す色であるからだ。


「必修の弓射で落第し、大学へ舞い戻ってきた不肖の教え子の腕前はいかほどだろうねぇ」


 落第、ということは、リュディガーは未だに認めていないこと。


 __体裁のためですから。


 必ずそういった言葉で否定している彼。


 これについては、キルシェは言う立場にないが、中々に理不尽な形で取り消し__という体裁__となったのを目撃しているから、彼の味方である。


 __本当に心苦しいもの……。


 苦笑をしていれば、ビルネンベルクは人の悪い笑みを浮かべる。


「必死なことには違いないだろうが」


「必死……ですか」


 くつり、と笑うビルネンベルク。


「__だって……ほら」


 含みのある言い方に、キルシェは戸惑って言葉に窮してしまう。思わず視線を落として、左手の薬指にはめられている指輪を弄った。

 

 __もし、矢馳せ馬の成績が振るわなかったら……どうなるのかしら……。


 怖くて聞けないでいる問い。


 リュディガーの卒業はどうなる。


 またもう1年先になるのか。


 __それに、私たちの……。


 そこまで考えて顔を上げ、馬場元にいるリュディガーへ視線を向けた。

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