新しく、懐かしい回帰 Ⅳ
窓辺の埃を軽く払い、取り出した大きめで厚手の布を敷いた彼は、そこに腰を据えるので、キルシェは彼の厚意に礼を述べて隣へ腰掛ける。
じんわり、と足が痺れる心地に、思っていた以上に疲れていたのだと通関させられ苦笑する。ため息をこぼせば、全身から倦怠感が滲んで出てくるよう。
__本当に体力が落ちている……。
回復に時間がかかりすぎているのも、その現れだろう。
「ねぇ、リュディガー。お願いがあるのだけれど……」
「ん?」
おとなしく草を食んでいるサリックスを見つめていたリュディガーが、佩いた得物を腰から外して、壁に立てかけながら視線だけを向けてきた。
得物は、矢馳せ馬の際、帯刀した衣装を纏う本番に備えて、練習でもそのようにして行う。武官であれば、得物を与えられているからそれを
「以前、冬至の矢馳せ馬の候補になったとき、矢馳せ馬のための乗馬の訓練をお願いしたでしょう? またそれをしてもらうことはできないかしら」
驚いた彼は、顔も向けてくる。
「唐突だな」
苦笑を浮かべるも、キルシェはすぐに真面目な顔になる。
「この私では、矢馳せ馬の候補を口実にするのもおこがましいと思うの」
「気負い過ぎでは?」
「周囲が納得しにくいでしょう? いくら口実で実力について目を瞑るにしても、もう少し恥ずかしくない実力にしておかなければ……」
キルシェは下唇を噛み締め、膝の上の手を見た。
「弓射は、幸い合格水準といえますが……」
大学へ復帰して、朝の弓射をしてみた。
合格水準である十矢のうち七矢は当てられて、ほっとしているところだ。
それは現状、リュディガーとほぼ差はない。
体裁として、リュディガーの弓射の指南を兼ねているにしては甘いし、さらに言えば、大学から追加で候補にされたというにはいささか温い実力である。
「……私はそれに、乗馬が甘すぎると思うの」
「……まぁ、気になるというのなら、構わないが」
キルシェは歯切れの悪いリュディガーへ顔を向ける。
「ほぼ毎日よ。でなければ、追いつけない」
「本気か? それだと、他のやるべき学科に支障がないか?」
「ないわ」
きっぱり、と言い放つと、リュディガーはわずかに目を見開いた。
「私知っているのよ。私の学科があって、貴方の警護がいらないとき、貴方、サリックスを連れ出して練習しているの」
「何でそれを」
「先生から伺ったわ」
あぁ、とリュディガーは渋い顔になった。
「私が貴方に指導してもらっている間、ついでに自分の練習をもっとできるとは思わない?」
彼は呻いて視線をサリックスへと向けると、顎をさすった。
「……わかった。引き受けよう」
やや間を置いて彼が頷き、キルシェは胸を撫で下ろす。
「ありがとう、本当に」
「いや、いいんだ」
リュディガーは腕を組んで、サリックスへと顔をむけたまま、視線だけを不意にむけてきた。
「__実際、フルゴルの言う通り、成績がふるわなければ、後悔するのは私だからな」
冗談めかした言い方だが、向けられる視線の熱っぽさに気づき、キルシェは彼の真意を悟って、はっ、として、逃げるように視線を断つ。
すぐそばで、くつくつ、と笑う声が聞こえて、顔が火照るのがわかった。
遠くから、森の木々がざわめいて聞こえてきた。
何事だろう、と視線をそちらへ向ければ、雨がどうやら通りかかってきているらしく、森の奥が白く霞んで見える。
やがてキルシェらが休む遺構も霧雨のような雨に包まれるが、座っていところ__巨木を中心にその影に入っている部分は、濡れなかった。
ぱたぱた、という音が心地良い。
見れば、残された葉が、普段よりも重く地面へと落ちていく。
雨に打たれて、落ちているのだろう。
苔むした地面が色づいた葉に覆われていく色の対比は、薄暗い今でも美しく目を引くのだから、きっと雨上がりにはとても映えて見えるのだろう。
ずっと聞いていられる音。
ずっと眺めていられる景色。
「__キルシェ」
「……はい」
「やっと、返事をしたな」
「え……」
弾かれるように彼を見れば、いささか呆れた顔になっていた。
「大丈夫か? さっきもだが……まるで反応をしない時間が長いが。今朝からずっとそんな調子だ」
キルシェは苦笑いを浮かべる。
「はやり、ここのところの忙しなさに、かなり堪えているな」
リュディガーは腕を組んで、白狐が佇んでいた柱を見やる。
「__それも見抜いて、休んでいけと言ったんだろう」
「ありがたいですね」
環境が変わりすぎたのは間違いない。
以前の大学生活の終盤、矢馳せ馬の候補の頃と同等ではあるだろうが、3年も軟禁生活に慣らされてしまった身体では、とんでもないほど目まぐるしい。
とは申せ、徐々に慣れてはきている自負はある。
とても毎日が充実しているのは、間違いない。
やりたいこと、してみたいことがぽつぽつ、と浮かぶようになったのがその証左だろう。
「__ねぇ、リュディガー。もうひとつお願いごとがあるのだけれど……」
「何だ?」
雨宿りをするため、巨木の根本に身を寄せるサリックスへ視線を投げたリュディガーは、視線をキルシェへと向ける。
「いずれ、色々一段落したら、お墓参りがしたいです」
途端にリュディガーは難しい顔をした。
「イェソドのは……どうだろうな……。できなくはないだろうが、上に相談を__」
「いえ、私の父と母のではなく、貴方の」
「私の? それなら、先日、帝都で君も立ち会ってくれただろう」
帝都へ来て数日のうちに、リュディガーの実父アドルフォスを荼毘に付し、実母の遺骨ともども埋葬した。
儀式は本来神官が行うものであるが、特例としてアンブラ、フルゴルが行い、フォンゼルとシュタウフェンベルク、そしてレナーテル学長、ビルネンベルクに加えてキルシェが参列するだけのこぢんまりとした密葬である。
アンブラとフルゴルは、それを堺に彼の元を離れていった。
「違います。ローベルトお父様の」
予想外だったのだろう。
リュディガーは息を詰め、目を見開いた。
「帝都にはない、と先生から伺いました。ゲブラー州で葬儀はした、と」
「……あぁ……。ローベルト父さんの一家は、ゲブラー州にいるから」
それは、以前、彼からそれとなく聞いていて、キルシェは頷く。
ゲブラー州は、イェソド州とは首都州をはさんで反対__タウゼント大陸西部に位置する。
「私、ゲブラー州へは転移装置を使って行けないの。だから時間がかかってしまうから、卒業してからになってしまうけれど……」
卒業は、順調にいけば新年には迎えられる。今のところ問題はないから、そのようになるだろう。
__油断はできないけれど。
今年いっぱいで、卒業する心積もりなのだ。
あと1年延びてしまったら、学資の面で困ることになる。
今年いっぱいで卒業できなかったら、という話題に先日なったのだが、彼は迷わず、そうなった場合の学資は出す、と言い放った。
そこまでは甘えられない。
彼の助言があったにせよ、自分で大学への復帰を選んだのだから、自分で始末をつけるべきだ、というのがキルシェの考えだ。
万が一そうなってしまったら必ず返す、と主張した。
__頑迷だな、と笑われてしまったけれど……。
そんなリュディガーは、受け取る気はさらさらないようで、有耶無耶に会話を終わらせてしまったのだ。
__だから、絶対に、今年で卒業はする。しなければ、駄目。
これだけは、自分が守らなければならないことだと思っている。
__だって、卒業したら……結婚を……。
内心であるものの、ふいにその事におよび、キルシェは小さく息を詰めた。
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