善狐の見返り Ⅰ
屋敷に戻った2人__リュディガーがフルゴルとアンブラに誘われたのは、応接間。
西日が降り、夜の帳が落ちてしまった屋敷は暗いのだが、ことこの部屋は特に蝋燭だけの明かり__それも最低限の数しかないため、仄暗い。
常であれば、この部屋を利用する場合、夕暮れほどの穏やかな明るさにするというのに、である。
その部屋の中央に置かれた箱は
柩の蓋がフルゴルとアンブラによって、恭しく開け放たれる。
その中に横たわる者を目の当たりにし、リュディガーは絶句し、彼のやや後ろでマイャリスは驚きに声を上げそうになるのを、口を押さえて飲み込んだ。
青白い顔の男。
榛色の髪色の男は、面影がリュディガーによく似ている。
その男の周囲。どこでどうやって集めてきたのか、隙間という隙間は白い花で埋め尽くされていた。
「どう、いう……どうして……」
やっとのことで絞り出したリュディガーの声は掠れてしまっていた。
「あの魔穴で、痴れ者と対峙している時、私が勝手に動いたのを覚えているか? あの時、確保しておいた」
馬鹿な、とリュディガーが顎を覆う。
アンブラは続いて、柩の横の小振りな背の高いテーブルに置かれていた飾り気のない木の箱を取り、蓋を開けた。
その中には、白い石の破片のようなものがいくつか収められている。
「こちらは、回収できたお前の母の遺骨。我々でも、これだけしか……あとは焼き尽くされたか、砕かれて土へ還ったようだ」
マイャリスは、ぎゅっ、と心臓が鷲掴まれたような心地に身をこわばらせ、リュディガーを見る。
彼は目を見開いて、ただじっとその箱の中身を見つめていた。
「お前の父は、お前があれを討ち取ったとき、未練なく旅立った。母は、昔__そう、お前が新たな家族に迎えられたのを見届けて、旅立っている」
「では……何故……わざわざ……」
「我々ができる、そなたへの見返り。__陛下への忠誠を尽くしたことへの対価」
フルゴルの言葉は、いつもにもまして威厳に溢れたもの__否、その佇まいからすでに、威厳にあふれている。
「……忠義の果ては概して__」
「忘恩なり」
リュディガーの言葉を途中から奪ったのは、フルゴル。
「__
「陛下は、忘恩なさる方ではない。それは護法神の末席にある我々でも、周知のことだ。だがお立場上、常に見返りを分かる形で与えることはできない。とは申せ、今回のこれは、陛下の思し召しではなく、我々が自律で行ったこと」
「何を言っている。自律、だと?」
「左様。__この2年余り、そなたが苦渋に満ちた決断を続けたのを側近くで見てきた。それによって、堕ちてしまうようであれば、我々が断つことになっていた」
「知っている」
「そうだろう。……そう、そなたのそういう聡いところ。小賢しく、可愛げがないが、嫌いではない。そうと察していながら、それでも、我々に全幅の信頼を置いて信じていたのを知っている。そして、成し遂げた」
くすり、と笑うフルゴル。
「己を殺し、信念を秘め、ことにあたる。これはそうそうできることではない。__そんなそなたに、報いたかった」
「陛下うんぬん抜きに、我々がそうしたかったのだ」
2人の顔を交互にみるリュディガーは、口を一文字に引き結んだ。
「__弔えていないのだろう?」
さらに続いたアンブラの言葉に、ひゅっ、とリュディガーが息を詰めた。
「契約相手のそなたとは、稀に見る深さまで繋がってしまった。故に、色々見せられた。だからこそ、特に、実母に対して自責の念に駆られていたことが、よく分かっていた」
アンブラが目を細めて、苦い顔をするリュディガーを見つめた。
「この地が、お前の母の故郷だったから、お前の父アドルフォル亡き後、移り住んだ。だが、土地勘はあっても身寄りはすでに他界していて……頼るものもなく__違うか?」
リュディガーが肩を落とし、拳を握りしめるのが見えた。それはみるみるうちに血の気がなくなっていくほど。
アンブラは視線を、柩の中に横たわる遺体に移す。
「お前は、あの時……実の父だと打ち明けられたあの時、迷わず剄った時。あれは私が、すべきだった。私が動くよりも先に、お前が動いてしまった……」
「何を……」
淡々と言葉を紡ぐアンブラに、リュディガーは動揺をしているようで、いくらか声が震えている。
そんな彼に対して、アンブラは一度深く呼吸をするとともに目を伏せる。
「__すまなかった、リュディガー」
息を小さく詰め、半歩下がるリュディガー。
「何で……」
「一瞬でも怯んで
その言葉が止めだったように、リュディガーは膝から崩れ落ちる。
そして、項垂れて膝をそれぞれの手で握りしめ、肩を震わせていた。
「お前というものが、不思議でならなかった。いくら任務とはいえ、陛下へ確固たる忠誠心があるとはいえ、どうしてそこまで心をすり減らしても踏みとどまれるのか、と。道を見失わずにいられるのか、と__不可解で、深く覗きたくさせる」
いつも見上げるほどに大きな体躯の彼。盾になることを厭わず、勇猛果敢を体現するかのようなその身体が、驚くほど線が細く脆弱なものにみえてくる。
「……お前のあの時の、静かでいて爆ぜるような想いを、私は身をもって知った。忘れることはないだろう」
噛みしめるように言って、アンブラが黄昏色の双眸を開けてリュディガーへ向ける。
「契約っていうのは、厄介だな……そんなところまで共有するのか……」
「……場合によるが」
「場合、か……」
「爆ぜるような感情の発露などは、そうだな。お前とはしかも、直前に怪我の受け渡しをしたからなおさら」
「なるほど、そういう……」
浅く呼吸を繰り返し、いくらかそれが落ち着いてきて、リュディガーはひとつ大きく呼吸をして口を開く。
「……いくら、『氷の騎士』と揶揄されていた私でも、実の父を剄って何とも思わないわけがない……たとえ、遺体でも……」
ぽつぽつ、とこぼれ落ちる言葉。
彼は、膝を掴んでいた右手を離し、見つめる。
「なんで……最後の最後で……この手で……」
時折、体が弾むのは、零れそうになる感情を抑え込んでいるからだろう__そう察して、マイャリスも真横で膝をついて身を寄せるように腕を回した。
ぎゅっ、と抱きしめると、首側にまわしていた腕を彼が優しく、それでいてしっかり、と掴む。
項垂れたままの彼は、しかし視線は床を睨みつけるように見つめたまま、目元に力を込めて歯を食いしばって視線を合わせようとはしない。
気を張って感情に餐まれ切らないようにしているのだろう。それがまた、見ていてマイャリスを苦しくさせる。見ていられなくて、その感情をできることなら少しでも受け止められたら、と額を彼に押し付ける。
「__だから、あの時、あのまま捨て置くことを、私はできなかった。それだけは、我慢ならなかった」
ぱたぱた、と床にリュディガーの涙が落ちていく。その音が妙に響くほど、部屋は静かだ。
嗚咽のような呼吸をする彼は、項垂れたまま口を開く。
「アンブラ……フルゴル……ありがとう……」
絞り出すような声でリュディガーが言った。
ただ始終見守るばかりのマイャリスは、その彼の気持ちを推し量ることしかできない。それでも、ただ寄り添って、彼の辿ってきた道を思うだけでも、胸が軋むほどに苦しかった。
忠義の果ては概して忘恩なり、という
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