胸に還る想い Ⅱ

 内心の葛藤を知ってか知らずか、彼はまっすぐ見つめて口を開く。


「__結婚してほしい」


 __あぁ……また……。


 こそばゆいほどに嬉しい。


 苦しいほどに嬉しい。


 胸に迫る想い。


 春めく鮮やかな想い。


 __ありがとう……。でも……。


「それは……やめておきましょう」


 __ほら、また……。


 また、こうやって彼を傷つけるのだ。


 彼が言うとわかっていたのに、言われる前に止めさせなかった。


 じわり、と視界が滲む。


 __また、踏みにじった……。


 リュディガーは目を細めた。


 それが責め立てるように見えて、マイャリスは視線をそらす。彼から手を引いたが、いつかのように、彼はそれを許さなかった。


「理由を」


 無骨な手。


 筋張って、大きな手。


 やろうとすれば、自分の手など潰せるのではないだろうか。


「……私、人間ではないですから。獬豸にもなりきれない半端もの……」


「……生まれが、負い目なのか」


 こくり、と頷く。


「気にならない、と私が言ってもか」


 一瞬、動きに詰まるも、こくり、と頷く。


「君が、純然たる人間だったとしたら、受けていてくれていたのか?」


 マイャリスは、動揺した。


 それは、と言葉に詰まるマイャリス。


「自分の生まれが生まれだから、指輪を返したのか」


「だから、というか……だってあれは……あの婚姻は無効でしょう。あの人が押し付けた、不本意極まりない婚姻」


「確かに、そうだな」


 ぐぎり、と彼の言葉に、心の奥がうずいた。


 __やはり、そうよね……。


 彼に押し付ける形の婚姻。


 彼を縛り付ける側面もあった婚姻。


 面と向かって彼があの婚姻をそう評価したことが、どこか物悲しさを覚える。


 少しぐらい、わずかでも、好意的に思っていたのでは、と期待していた。


 ただただ、申し訳ない。


「君のご両親は……ご尊父が獬豸の血胤で、ご母堂は人間だったそうだな?」


「……らしい、です」


「婚姻するにあたり、ご尊父は一族の使命を伏せていたわけではないだろう。国家の根幹にかかわることだ。知った上で、君のご母堂は、婚姻を受けたのだと私は思う」


 確かに、その可能性はある。


「そして、君が生まれた。__ごくごく普通の、よくある家族の形だろう。獬豸の血胤だから秘めた使命こそあったが、傍から見れば、一般的な家庭だったはずだ」


 そう。


 微塵も置かれている立場を知らなかったし、感じ取ることも出来なかった環境。


「どうして、根幹に関わるような使命を持っていたのに、市井に紛れることを選んだのかしら……」


 ふと、口をついて出てしまった疑問に、マイャリスは我に返って口を押さえる。


「上から見下ろしているだけでは見落としかねない人々の営みがあるから、市井に紛れたのが鏡の守り人である君の父祖だ。密かとはいえ、位を与えられているという一族が、龍帝陛下が無闇矢鱈に人々を苦しめていないか、とすぐに気づけるように下ったと聞いた。使用人などはいたが、護衛が常にいなかったのは、そのためだった。文官や神官として、州城に出入りしていたのだそうだ」


 思いもよらない、リュディガーの丁寧な回答に、マイャリスは顔を上げて彼を見る。


 相変わらず手を離そうとしない彼は、表情が乏しいことも相まって、表情は硬い__否、むしろ、眼光が強いから苛烈な表情に見える。


「よく考えてくれ。__受ける資格などない、と自分を卑下して拒絶しているわけではないよな?」


「……っ」


 その指摘は、考えたくない部分を容赦なく突いたものだった。


「君の素性は承知でいる。君も、私の素性は承知だ。__私も、自身の源流が外つ国だとはつい最近知ったことだが……」


 自身を揶揄するような物言いをした彼は、不意に、視線を落とした。


「それでも首を振るのであれば、君は、『氷の騎士』と揶揄された私に、さすがに愛想が尽きたか」


「それは! そんなこと……ない。私は、貴方を__っ」


 そこまで強く否定したものの、先の言葉を紡げなかった。


 勇気がなかった。


 尻込みしてしまう。


 彼が顔を上げて先を待つが、それを自分の口から放つ資格がない、とマイャリスは口を引き結び、一つ呼吸をおいた。


「昔、嘘をついて、突き通して、拒絶したのよ。その私が、どうして……。そして、ここにきて、私は……獬豸の血胤だもの……」


 語るうち、リュディガーが目を細める。その視線は別段責める風でもないのだが、マイャリスは耐えかねて視線を落とした。


「以前、求婚した時……素直に伝えられなかった。もし、その当時、君の素性を知り得ても、全て飲み込んでいた。一緒に抱えていいと思ったはずだ」


「……貴方は優しいもの。卒業を迎えられず、無理やり戻らされる私を哀れんで、同情してくれて、厚意で__」


「愛していたからだ」


 言う先を遮る彼の口調は、かなり強いものだった。


「あの求婚は、心の底から愛していたから。離れて欲しくはないから、と。確かに同情はあった。だが、それがすべてではない。あの時、素直にそれを伝えられなかった……。それらしい小地付けをして、説得して……。そして、君は、死んでしまった、と告げられた……」


 リュディガーはそこで、ぐっ、と一度奥歯を噛みしめる。


「とても後悔した。__君が生きているかもしれない。イェソドの中枢に潜り込めれば養父の情報を得られて、どうにか安否は確かめられて、あわよくば会えるかもしれない、と任にあたって……そして、生きている君を目の当たりにした時、柄にもなく心が高鳴ったんだ。そして、君への想いは、色褪せてもいなかったんだと自覚させられた。契約者で、よかったよ。顔に出てしまっただろうから」


 嘘、とマイャリスは小さく首を振った。


「本当だ。さらに言えば、確かに、君との婚姻は、不本意なものだったが……。君がたとえ形式でも妻になったということに、私は浮かれてしまっていた」


 はっきり、と言い放った彼に、マイャリスは息を詰め彼を見る。


 __浮かれる……?


 いま彼はそう言ったのか。


「忠犬を演じるため、冷徹な態度を君に貫く辛さもそうだが、『氷の騎士』としてしなければならない仕事を、ただでさえ耐え難いというのに、最愛の人に間近で見られる辛さを、君はわからないだろう」


 リュディガーは、指輪を持つ手で掴んでいた手を覆うようにして、握った。そして、それを彼は額に押し付ける。


「__君を妻にしろ、と言われて……浮かれていたが、同時に試されていると思った」


「え……」


 震える声で唐突に零すリュディガーは、変わらず額に手を押し付けたまま視線を落としていて、マイャリスからは表情が伺いしれない。


「指示通り、君を迎えて……君の、瞳の深さを覗き見て、狼狽えた……。私の行動すべてを糺しているような、まっすぐな君の瞳。__もう一度、見てみたいと思った瞳に浮かぶ失望を知りながら、『氷の騎士』を貫くしかなかった……。庇いきれず、そして傷つけるしかできなかった……。君が、そういう風に捉えてくれている方がよかったには違いないんだが……そうはいっても、やはり……理解されない苦しみよりも、それが……つらかった……。いっそ君を手放せたなら、と思った……」


 それほど、彼を苦しめていたとは。


 確かに任務だと知らなかったとき、彼の変わりように失望したのは間違いない。軽蔑もしたのは事実だ。


 自分がそばにいることで、より彼は辛かったことは察している。


 彼が、不可知の領分で邂逅したとき、すべてを打ち明けてくれ、ひたむきに任務についていた彼のことを疑っていた自分の浅はかさを恥じた。


 __心をすり潰すように、追い詰めていたのは私……。


「任務を終えて、君が、このまま居るものだ、と言ってくれたとき……たったあの一言だけで、救われた。__まだそばにいることを許されるのだ、と」


 リュディガーはそこで顔を上げる。


 苦しげに目元を歪めた彼の顔。表情が乏しい彼の出せる、数少ない顔にマイャリスは息を詰めた。


「君に、まだあの頃の想いが欠片でも残っていて、今の私に愛想が尽きていないのであれば、今一度……今度こそ、寄り添わせてくれ」


「リュディガー……」


「行き場がない、と言うのなら、私を頼ってくれ。私と歩んでくれ」


 これほど、彼が懇願するとは思いもしなかったから、マイャリスは戸惑ってしまう。


 握られた手が、じりじり、と熱い。

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