胸に還る想い Ⅰ

 どちらからというわけでもなく、2人は膝の高さぐらいの岩に腰を据えて、言葉少なくその後は景色を見ていた。


 おそらく、自分が落ち着くのを待ってくれているのだと、マイャリスは彼を盗み見て思った。


 会話はほぼないものの、居心地の悪さなどはない。それは、時間を共有することが多かった大学に在籍していた頃、そのままだった。


 どこかこそばゆさを覚え、顔が綻びかけたのをマイャリスは小さくため息を零して止め、視線を前へと向けた。


 届きそうなほど、近くを舐めるように雲が流れていく景色。


 荒涼とした印象の景色は、間違いなく冬に片足を突っ込んでいる。


 時折吹き抜けてくる風は、震えるほどに冷たい。


 いよいよ太陽が西の壁のような山の連なりに近づいてきて、山から粉雪を時折運んでくる。


 彼が気遣って座るときに敷いてくれた厚手の布のお陰で、岩からの冷たさはない。布は、彼の愛馬サリックスの鞍にくくられていたものだ。


 時折、主人であるリュディガーにちょっかいを出しに来るサリックス。幾度目かのそれに視線を向けて、軽くあしらうように鼻面を撫でるリュディガーとのやり取りを見て、くすり、と笑う。


「__どうするか、ある程度でも決まったか?」


 視線はサリックスに向けたままのリュディガーが突然話を振るものだから、マイャリスは身体をわずかに弾ませた。


 彼が視線を向けてきて、マイャリスは苦笑を浮かべる。


「……全く」


「全く?」


「さっきも言ったけれど、州は出なければ、と思っているの。土地勘があるのは帝都だけだから、行くとなればそこだけれど……ただ……」


「その先、か」


「ええ」


 __侯爵位だったなんて……思いもしなかった。


 今朝、彼から聞かされたこと__一族は、実のところ秘められた爵位が与えられていて、そもそも、州城は一族のものだったのだそう。


 かつて父祖は、魔穴を管理する機能を特化させ、国へと移譲し、自分たちは下野した。

今後は父祖の功労に対しての報償と、かつて保護しきれなかった賠償として、生涯、衣食住に困らないらしい。


 望むのであれば邸宅を用意してくれ、その運営資金も拠出されるという。驚くほどの高待遇だ。

だが、そうした話をされても、いかんせん、どうしたい、というものが浮かばないままだ。


「宝飾品は、こだわりはないから売ってしまおうと思っていて……いくらかでも金になるのであれば、それを雇っていた使用人の皆さんに支払われる退職金等に加えてもらうつもり。考えられたのは、これぐらい」


 この地に住め。この地で役を果たせ。こうしてはいけない。これは禁止で、これはよし。この範囲のみ許す__そうした制約、制限を寧ろよこしてもらった方が良いのかもしれない。その中でできることを考えるのであれば、いくらでも浮かぶはず。


 振り返ってみれば、今までがそうだったのだ。


 食うに困るわけでもなさそう。いっそ食うに困るような状況になってみれば、嫌でも浮かぶものなのだろう。そこまで追い詰められるような状況を、国が許すとは思えない。


 隠居、捨て置く__それを願ったらどうなのか、とフルゴルに聞いてみたが、それは可能な限り応じるだろうが、完全にはそうはならない、ということだ。


 何せ、自分の身体に流れる血は、紛れもなく獬豸の血胤のそれ。鏡と断たれたとは言え、獬豸の血胤の者への礼を欠く行為は、天帝への侮りと同義となり得ることらしい。


 __それは、とてもありがたい、恵まれたことなのよね。


「私……思っていた以上に、受動的だったのね。しかも、ある程度、縛りがあったほうが考えられるらしいの。__初めて知ったわ」


 自嘲してしまう。


 リュディガーは、撫でていた鼻面を、軽く押しのけるようにして、サリックスに身を引かせる。


 つまらない、と言いたげに鼻を鳴らしたサリックスは、首を返して離れ、草を食み始める。


「やりたいこともないのか?」


「こうしたい、ああしたい、ということは、全部もう終わってしまったの。それをずっとしたかったから……。__貴方が成し遂げてくれた」


 リュディガーは、わずかに目を見開いた。


「まさか……ロンフォールを殺したかった、とか……」


「いえ、殺したいのとは違うわ。不正を白日の下に晒せれば、と思っていたの。証拠を揃えて……そして、然るべき裁きを……と」


 マイャリスは、遥か彼方__州都があるであろう方角を見やる。


「それが、あんな大それたことを目論んでいて、あれほどの犠牲を生み出していたなんて思いもしなかった……」


 何年も何年も。じっくりと。


 ひたすら密かに練りに練って、果たそうとしていた養父。


「強いて言えば、マーガレットやハンナ__マーガレットの前の侍女だった人なのだけれど、せめて彼女たちのご遺族のところへ謝罪に伺いたいけれど」


「おすすめはしない」


「ええ、わかっているわ……」


 リュディガーに苦笑を向けると、彼は視線をマイャリスから景色へと移し、ある地域を示すように顎をしゃくる。


「ハンナ嬢は、遺髪があった。それはすでに彼女の遺族へ届けてある」


「遺髪って、それは、どうやって……」


「州境の谷から、拾い上げられたものだ。__私が、預かっていて……昨夜にはアンブラに届けさせた。マーガレット嬢の分も」


 いつの間に、とマイャリスは目を見開いた。


「当初は、君のものだと思ったが」


「私だって断定したのは、この耳飾りでしょう?」


 顎を擦って言いにくそうにするリュディガー。


「__君が死んだと言う現場に赴いて……大ビルネンベルク公にそこで初めて遭遇したんだが、大ビルネンベルク公が拾い上げていたそれを、自分が持つよりは知っているお前が持つほうがいいだろう、と預からせてもらった」


 そんな出来事があったのか。


「……ありがとう」


 いや、と返すリュディガーは後ろ頭を掻いた。


「となると……やはり浮かびませんね。本当になくなってしまった……」


 ぽつり、とつぶやきが溢れた。


「行き場……私にはなかったなぁ、って……痛感しています」


 対して、リュディガーは難しい顔を向けてくるので、苦笑を返すしか出来ない。


 それを見て、彼はやや視線を落とし、腕を組んだ。


「あの屋敷を引き払って、州城に着く頃には決めますから」


 困ったように笑ってみせるも、彼は視線を向けるばかり。その表情も硬いから、優柔不断さを責められているような心地に、マイャリスは罰が悪くなる。


 膝に置いていた手に視線を落とし、指先を手持ち無沙汰にいじって、妙案を思案する。


「__なるべく、意見をしないように、と待っていたが……意見をしても?」


 弾かれるように顔をあげ、まっすぐ見つめてくるリュディガーにマイャリスはぎこちなく頷く。


「意見、というか……提案だな」


「提案?」


 何、と首を傾げて促す。


「私と、改めて結婚するというのはどうだろう?」


 さらり、と言い放つ彼の言葉に、マイャリスは大きくひとつ心臓が打ったものの、飲み込めないでした。


 彼の言葉を噛み砕いていれば、リュディガーは立ち上がって歩み寄り、徐に胸元の衣嚢から何かを取り出した。


 そして、マイャリスの手をとり、流れるような動きでその場に片膝をつく。


 その様子が、記憶の中の出来事と重なって、途端に心臓が暴れ出す。


 ただただ呆然として、呼吸が浅くなる。身体が、火照る。


 これから起こることが、はっきりとわかった。


 __でも、何で……。指輪を返したとき、何も言わなかった……じゃない……。


 真摯な眼差しの彼は、取り出した物を示す。


 それは、金色の指輪。だが、以前、彼がつかむ手の指に嵌められていたものと、明らかに異なる彫金が施されている代物である。


「前のは、売ってしまおうとして決めていたから、帝都に戻ったとき新しく誂えた」


 うまく言葉が紡げない。


 これから起こることは、容易に予想できる。


 言わせてはならない、と止めようとする自分がいる。


 手を振りほどいてしまえばいい。だのにそれができない。__言って欲しい、と思う自分がいることを自覚した。

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