欠ケル夜 Ⅵ

 抵抗しながらも、手を引っ張られるようにして進む廊下。


「放して差し上げてもいいんですがね」


 スコルがくつくつ、と笑って進みながら口を開く。


「さっきも申しましたが、自分としてはこのまま放して、また追いかけるっていうのも愉しくていいんですよ。ただ、ロンフォール様のご不興を買うのが目に見えているので……」


 申し訳ない、と言う彼の顔も声も、明らかに悦に浸っていた。


 __この男は、何……?


 父の新たな気に入りだろう、男。


 スコルは、歪んだ何かを抱えているようにしか見えない。


 『氷の騎士』と畏怖されていたリュディガーとは違い、不気味さを隠すことなく晒しているのだ。相手がどう感じようが__否、異様さに戸惑うのを愉しんでもいるかのよう。


「__邪魔も入らないですからね」


「邪魔?」


「ええ。__残念ながら、『氷の騎士』殿は来られませんよ」


「来ない……?」


「はい。彼の名誉にかけて言えば、敵前逃亡したわけではないので、ご安心を」


 何を言っているの、と怪訝に眉を潜めた。


 進む先に廊下の突き当りが視界に入った。


 そのあたりの光景。近づくに連れ、マイャリスは抵抗するのを忘れていく。


 揺れなどで転がった調度品はこれまでも見かけた。だが、見えてきた突き当りはとくにひどく荒れていたのだ。


 どう見ても、揺れだけでなったようには思えない荒れ様。


 つきあたりには、出迎えるように据えられていたのだろう、大きな壺が砕けていて、それを見た瞬間、嫌な予感がした。


「おっと。このあたりから、お足元が悪うございますので」


 慇懃無礼な響きで言ったスコルは、掴んでいた腕を引き、マイャリスの腰へと手を回すと、軽々と肩に抱えあげた。


 最初こそ抵抗したものの、それさえもすぐに忘れてしまった__至ったつきあたり。


 つきあたりからは、左右に廊下が続いていて、その左手側の壁がなくなって部屋の中が見えたのだ。そこだけではなく、その先も何箇所か壁がなく、天井や硝子窓も砕けてしまっていた。


 壁には鋭利な刃物で傷つけられたとしか思えない損傷もあって、激しい戦闘が行われたのだと、そうしたこととは無縁であるマイャリスでも理解できた。


 __では誰が……。


 誰と誰が。


 壁や床に、ある赤黒く見える染みは、ただの汚れというわけではないだろう。


 __血……。


 このあたりに集中している惨状だから、ここで決着したはずだが__と注意部深く見ていれば、スコルが歩みを止めた。


 そして、難を逃れた調度品の上に、何を思ったかスコルはマイャリスを下ろす。


 養父の元へさっさと連れて行かず、荒れ果てたこの場に下ろす不可解な行動に彼を見ると、彼は顎をしゃくって何かを示した。


「__っ!」


 その示された先を見やった刹那、心臓が大きく拍動し、そして一気に縮こまった心地になった。


 崩れた壁の残骸がうず高く積もった場所。その影。


 横たわる大きな体__否、横たわるというより、壁際に力なく項垂れている体があった。


 それは明らかに、リュディガーの体。


 見事な正装が、裂け、汚れている。


 __何が……。


 どうして彼が倒れている。


 どうして倒れたまま動かない。


 何かを__声を掛けなければ。


「リュディ__」


 ひきつる喉を叱咤して名を呼ぼうとしたが、そこで言葉を失う。


 不自然に、体から伸びるものがあった。


 それは、真鍮の槍__だと思ったが、突き刺さっている部分に刃はない。


 鋭く尖った物が大きな体に突き立てられていて、よく見れば、身の丈以上の長さの枝付き燭台であるとわかった。


 __何故、燭台が。


 本来の役割ではない使われ方。


 それがよりにもよって、体を貫いている。


「これでは来られないでしょう?」


 くつくつ、と喉の奥で笑うスコル。


 呼吸を確かめなければ__そう思っても、体が動かない。


 確認したいが、確認できない。


 __もし……そんなことになっていたら……。


 認めたくないことを、認めざるを得なくなる。


「流石、元とは申せ、龍帝のいぬだっただけのことはありますな。かなり手こずりました」


 動いて、と切に願う。


 __こんなのは、嫌……。


 まだ話していないことがある。


 色々、聞きたいことがある。


 __面と向かって、謝りたいのに……。


 床に無造作に転がるいくつかの蝋燭は、転がった拍子に消えたのだろう、床にいくらか蝋を広げていながら今は灯火は消えている。


 __話すことが、山程あるの……。


 見つめている彼の体が、滲んだ。


「龍帝の懐刀から一本とっていたので、どれほどのものかと思っていましたが、お得意の得物もクライオンも持ち得ぬ__見限られた者とあれば、所詮は腕が立つだけのヒトでしかない」


 __あったのに……。


 近しい人たちが、知らず知らず欠けていく。


 ハンナ、オーガスティン、マーガレット__リュディガーまでも。


「まぁ、そこそこにこちらも手負わされたのは、称賛に値しますがね」


 徐に腕を上げて、マイャリスに示すスコル。


 その腕には__篭手があるはずのところに裂傷があった。他にも改めて見れば、甲冑の欠けているところ尽くに生々しい傷が見て取れた。


「さて、参りますよ」


 呆然と立ち尽くしていると、再びスコルに担がれた。


 彼は気にした風もなく淀みない動きをいている。その腕で、身体で、何事もないように動いている。担いでいる。


 __何なの……。


 このスコルという者は、得体が知れないものなのではなかろうか。


 ヒトではない、何か__。

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