欠ケル夜 Ⅶ

 州城の下層__おそらくは、州城を戴く岩山の中へ降りていく階段なのだろう。


 天然の空洞と岩肌を荒く整えたその階段は、大人が二人並んでも余裕があるぐらいの幅である。


 それを降りきったら、今度は横にさらに広がりをもった空間だった。


 自然のままに利用された空間は、緩やかに下る岩の空間__空洞。


 等間隔で壁際に置かれた魔石の灯りとは別に、ところどころ不規則に、それこそ大きさも違う灯りは、この岩山の鉱脈から露出した光る性質がある魔石らしい。


 重い耳障りな金属音が響いているばかりの空間__だが、よく聞けば、ぴたぴた、と滴る水音がする。


 明らかにそれは天井から滴る水の音なのだが、それがどうにも、先程みかけたリュディガーから滴る血の音のように聞こえてしまう。


 上での惨劇が嘘のように静かな空間で、脳裏にちらついて離れないリュディガーの無残な姿も、実は夢幻だったのではないのだろうか、と思えてくる。


 だが、現実なのだ。


 __リュディガーが、負けた……。


 あのリュディガーが。


 龍帝の懐刀にも太刀打ちできる実力者のはずの彼が。


 __救護をすべきだった……。


 わかってたのに、どうしても動けなかった。


 __恐ろしかった……。


 近くで確認したら、彼の死を認めなければならないから。


 ひとり、ふたり、と知らぬ間に欠けていく__それが極まった。


 マイャリスは、ぎゅっ、と下唇を噛み締めた。


 ふと、潤む視界に浮かぶ異形の姿があって、それを目で追った。


 不可知の領分の存在だろう異形たち。


 黒い不気味な影は、上で見かけたそれとかわらないものの、蟲のような、獣のような、鳥のような異形は朧気ではなく、光を滲ませつつもはっきりと輪郭が見て取れる。


 __増えている。


 地鳴りがした。


 唸りのような地鳴りだった。


 唸りは、向かう先から響いてきているように思えるが、この空間__この岩山全体が揺らいでいる地震が元凶だろう。


 揺れによって雫が多く降ってくるが、岩壁や天井はびくりともしない。とても強固な空洞のようだ。


 __いっそ、崩落してくれればいいのに……。


 生暖かい、湿り気を孕んだ緩やかな風が頬を撫でる。


 少しばかりえた臭いがするのは気のせいだろうか__。


「__抵抗なさらないか」


 すぐ近くでスコルが問う。


 担がれているから、スコルの顔が否応なく至近距離だ。


「もう少し、抵抗してくださった方が面白いんですがね」


「……しないほうが、楽でしょう」


「まぁ、楽には違いないですが。面白みに欠けるので……というか、拍子抜けしている。州侯の話を聞くに、もっと気位が高いじゃじゃ馬なのだと思っていたもので」


 口布の隙間から、彼の口元が歪んで笑んでいるのが見えた。


「形骸化しているとはいえ、良人の無残な姿を見せつけられて、取り乱したりもしないのは意外だった。一応、ご学友なのでしょう?」


 口を引き結んで、マイャリスは顔をそらした。


「……わざわざ貴方が楽しいと思うだろうことを、私がするわけがないでしょう」


 鼻でスコルが笑った。


 __いっそ崩落してくれれば、この男に一矢報いれたでしょうに……。


 歯がゆい思いで、進む先を睨んだ。


 先に見える、口。


 徐々に近づいてきて、口の向こうに広い空間があるのだとわかった。


 やがてたどり着いたそこは、竪穴。


 マイャリスらがいるのは、竪穴の天井に近い場所だった。


 竪穴は、舐めるように均された壁を有した天然のものだと思われる。その壁から生えるようにして階段が下へと伸びていた。


 底は仄暗いものの、魔石の灯りで見る事はできる。


 竪穴には何があるというわけではないが、さらに口が開いているから、その先にまだなにかあるらしい。


 目を細め、抱えられながらも覗き込むと、吹き上がってくる湿気を孕んだ生ぬるい風。その風にのってくるのは、饐えた臭い。風は人の悲鳴にも似た断末魔の咆哮のように、耳障りに唸っていて、驚きにマイャリスは身をすくませた。


 くつり、と笑うスコルに、弾かれるように彼を見た。


「お嫌でしょうが、しっかりと自分に掴まっていてくださいよ」

マイャリスが怪訝に眉をひそめると、スコルは一瞥をくれてから地を蹴った。


「__っ」


 思いも寄らない行動で、ふわり、とした浮遊感と同時に恐怖し、思わず声を失う。そんなマイャリスに向かって、向かいの壁が迫ってきた。唯一縋れるスコルの体躯にしがみつく。


 直後、壁の階段へと着地した。


 スコルはどうやったのか__ただ落下するだけでなく、跳躍をしたのだ。それも驚くほどの距離を。


 とてもヒトの業とは思えない能力。


 身体を強張らせたままのマイャリスのことなどお構いなしに、スコルは背後の竪穴へ振り返ると再び跳躍した。


 それをさらに二度__いよいよ底へと着地する。


 途端に濃くなる饐えた臭い。ねっとりと、まとわり付く空気の不快なこと。


「__ご無事のようですので、進みます」


 担ぎ直すスコル。


 負傷しているはずが淀みのない動きを見せる彼。そして今しがたのヒトとは思えない能力を披露した。


 __リュディガーが負けたのは、無理もなかったのかもしれない。


 見た目は、ヒトのそれだ。


 能力を隠して今日まで過ごしていたのであれば、リュディガーも力量を見誤った可能性がある。


 龍騎士としての得物も持ち得ない、元龍騎士。特殊な能力__クライオンもなければ、翼もない。


 __なんてこと……。


 龍騎士になれた能力者とは申せ、只人となった彼では太刀打ちできなかったのだ。

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