第62話

 中学3年生冬。


 12月初旬。2学期の期末テストも終わり、冬休みやクリスマス、年末年始のイベントが頭を過る時期である。受験生以外の学生に限るけれども。


「相田君。陸上に強い高校から特待生扱いでの入学案内が届いているけれど、プロ野球へ行くのよね?」


 ちょっと疲れた顔になっている担任教師はハジメにそう問いかけた。


「はい。条件は今交渉中なんですけど。まぁプロには行きます。徒、陸連って言うのですかね? あ、陸協だったか。競技者登録をしろってしつこく連絡が来るんですよ。登録するメリットが無い上に登録費用とか掛かるんですよ。中学生のお小遣いをいくらだと思ってるのかと言いたい!」


「ああ。しつこい理由は先生でも説明出来るわ。あのね。相田君が10kmで出した凄い記録。あれは陸上の公認記録にならないの。公認記録にするためには陸連登録というのが必要で、それをすると陸連番号が付与されるの。その登録先が陸協って通称呼ばれる陸上競技協会なの。公認コースで尚且つ公認レースに参加申し込みをする際に、その陸連番号を登録すると記録が公認記録になるのよ。ややこしいシステムで陸上競技者以外には縁が無い知識だから正確に理解している人は少ないと思うわ。前置きが長くなったけれど、相田君に公認記録でどんどん新記録を出して欲しいって理由ね」


 何故組織がわかれているのかが全く理解出来ない。おそらく相応に理由はあるのだろうが、ハジメには自分にとって複雑で理解するのが面倒な事を、理解しなければならない理由が無かった。


「すみません。聞いても複雑だなとしかわかりませんでした。でも不思議なんですけど、して欲しいって側は『登録してくれ』って言うだけ。してあげる側の俺が複雑で面倒なシステムを理解するところから始めて、お金まで取られて、登録手続きをしなくてはならないっておかしくないですか?」


「そう言われると困ってしまうわね。システムがそうなっているとしか先生には言えないもの」


「まぁ俺は別に公認記録? 公式記録? どっちかよくわかりませんけどそれが欲しいって思ってないので。つまりは登録する必要が無いって事ですよね」


 バッサリと切り捨てるハジメである。


「公認記録があれば、勿論良い記録なのが前提だけど上位の大会への参加が出来る様になって最終的には世界大会やオリンピックね。日本記録や世界記録の更新や、オリンピックのメダルを取れば、下世話な話になるけれどお金が貰えるわね」


「あはは。今の俺はこれからプロ野球で稼ぐ身になるんですよ? それが両立出来るのか? って話じゃないですか」


 さすがに担任教師でもプロ野球選手が別の競技とはいえアマの大会に出る二足のわらじが許されるのかどうかまでの知識は無い。

 そして彼の卒業後の進路は決まったので進路指導という名の高校受験に係わる話はする必要が無くなっている。もう彼女は他の、まだそれらを必要とする生徒に労力を割くべき立場なのだった。


「相田君、久しぶりだな。面識もあって話がし易いだろうという事で俺が出張って来る事になった。スカウトが仕事なんで、ちょっと職域を逸脱してる部分はあるんだが、球団職員だって事でまぁ深く考えないでくれ」


 瑞穂の親父さんはハジメの自宅を訪ねて来た。


「あ。はい。お久しぶりです」


「うん。相田君の身体能力が凄い事は理解していたが、あの10kmの記録はさすがに想像出来なかった。ドラフト会議後で良かったよ。競技が違うから他の球団が目を付けるとは思えないが、有名になれば情報も漏れ易くなるからな。それはそれとして、条件面の話だ。契約金500万。年俸は300万。但し、君はおそらく開幕スタメンでDHになると俺は予想している。でだ、その場合は1軍最低保証の1600万が上乗せされる条件を足して来た。それから出来高。これは通常下位指名のルーキーに条件提示される事はまずないんだが、球団としては最大3100万を用意する。つまり君の頑張り次第で契約金を除く年俸の最大値は5000万だ。俺は必ず達成して来るからもう払う気で準備しとけって言ってあるけどな。ここまではいいか?」


「はい。大丈夫です」


 理解しているかどうかを確認して話を進めてくれるのはありがたい。


「続けるぞ。学校の卒業後から入寮。最低2年は寮で生活して貰う。寮費は全額免除。これは他の選手には言わないという守秘義務が課せられるから注意な。2月からのキャンプは免除。卒業式以前のオープン戦については地元開催の試合のみ参加義務有り。ま、これは1軍だった場合なんだが、最初の試合は1軍確定だからな? 卒業式後は他の選手と同じだ。君の方から確認された条件についてなんだが。オフシーズンに参加する事は自由。但し、参加する事でシーズン前に故障したと認められる場合はその年度の年俸を減額するという縛りが付く。具体的にはキャンプinするのが2月だから移動も含めるとペナントレースとシリーズ終了後から1月20日頃までがオフシーズンだと考えて貰っていい。シーズン中に自主的に参加するのは禁止。オファーがあった場合についてはその時の状況を鑑みて、協議の上決定する。これには年俸の変更が伴う場合がある。後は君の親父さんから出された起用条件について。初年度の”1軍”での起用方法についてはDHのみが通った。守備はさせないって事な。代走については揉めたが結局無しになった。2軍はその限りじゃないので注意な。2年目以降は契約更改で決める」


 ゆっくりとしたペースで話してくれるのは良いが、眼からの圧が凄い様に感じるのは気のせいだろうか? 

 それはそれとして海の物とも山の物ともつかない新人、しかも学生時代の実績無しの選手に対しては格別の配慮がなされているとは感じられる。中卒の1軍プロ選手は居ないから宣伝効果も込みで期待は高いのだろうけれども。


 そんなこんなで父親も交えての契約が後日行われた。相田一。背番号70。プロ野球選手が1人こうして誕生したのだった。


「おめでとう。でも、私は高校生するから、なんか遠い人になっちゃう感じがするね。会える頻度も減っちゃうのかな?」


「そうだなぁ、シーズン中は移動も多いだろうし。練習や試合の問題で、連絡を頻繁にってのも難しいかもしれないな。そこら辺はなってみないとわからないけど」


 瑞穂の顔は曇る。年齢的に我慢がきく程大人になり切れてはいないのだから当然ではあるのだろう。


「プロになって有名になればきっとモテるよね。ハジメ君カッコイイし。私の事忘れちゃったりしないでね?」


「暴走してる自覚はあるんだけど、オタだから仕方ないね。相沢さん。いや。今日から瑞穂って呼ばせて貰うね。コレ受け取って。ほんとはクリスマスに渡すつもりだったけど。あ、前倒しだからね? 別でクリスマスのために何か用意出来ないから許してね?」


 色々言い訳しながらも、指輪を渡すハジメ。本人はプロポーズのつもりである。早すぎるわ!


「うわぁ。これ。こんなの貰えないよ。凄く高いんじゃない?」


 その見解は正しい。お値段250万円なり。契約金全部をつぎ込もうとしたお馬鹿な息子に「税金払えなくなるぞ!」と脅して止めた父親の行動も正しかった訳だが。


「うん。まぁそれなりにね。えーっと受け取り拒否されると俺、傷ついて立ち直れないかもしれない。俺の嫁になるの、嫌か?」


「えっ? あっ。これ婚約指輪? 待って待って。嫌じゃない。嬉しい。大好き!」


 そうして、2人は初めてのキスを経験するのだった。爆発しろ!


「えへへ。私、ハジメ君が初めて好きになった人で、初めて恋人になって、プロポーズまでしてくれたんだよね。もうほんと大好き!」


 可愛くはにかむ彼女を見て、ハジメは思った。俺の初めて好きになった人が瑞穂だと言った記憶はない。何故彼女がそう思い込んだのかは知らないが、俺の初恋の相手はミヨちゃんだ。やべぇのか? これがバレたらやべぇのか? なんなら、2次元の嫁が居た過去まである。リアルな3次元限定なら他の部分は合ってるから大丈夫なのか? 考えても答えが出る問題ではなく、背中に冷や汗が流れるのは止められないのだった。


 翌日、相沢家を訪ねたハジメは、瑞穂の両親に会い、正式にご挨拶をした。母親からは喜ばれ、親父さんからは黙って手招きをされ、拳骨をいただいた。ついでに、学生の間は子供が出来る様な事は絶対に禁止だと釘も刺された。まぁ認めて貰ったという事ではあるのだろう。


 推薦入学で瑞穂の進学がもう決定していた事もあり、2人に残された学生生活はイチャイチャラブラブモードに突入していた。それを見せつけられた担任教師はダークなマターが駄々洩れだったのは些細な事である。誰か! 貰ってあげて!


 オープン戦が始まり、初試合で予定通りDHで出場したハジメは申告敬遠の2打席を除き3連続ホームランの結果を出した。DHなのに1番打者という起用法で打席が一番多く回る点が良かったのだろう。但し、試合は負けだった。味方投手が大崩れし、大量失点をしたからである。


 そして、卒業式、オープン戦終了の後、ペナントレースに突入する。雄大の予想は正しく、DHで1軍スタメンに定着していたハジメは打率7割をキープしていた。バケモノと言える成績だ。そして、三振は0である。

 アウトになったのはホームラン以外の打球で、彼にとっては運悪く守備によるアウトが取れる状態になった時だけだ。


 相手にもファインプレーとかあるから仕方ないね!


 これで年俸1900万。最大でも5000万。安い。安過ぎる。1軍監督はハジメを発掘した雄大に頭が上がらない。しかし、チームとしてはハジメがいくら得点に貢献しても相手の打線次第で勝ち負けが付くため、シーズン終了時には3位で終わった。クライマックスでも負け越し、このシーズンは終わった。


 全試合フル出場。打率6割5分2厘。ホームラン25本。打点112。盗塁603。盗塁数が

異常に多いのは申告敬遠が多発し、1試合平均で4盗塁以上を決めてくるからだ。

 リードを必要としないベースを陸上の発射台に見立てた独特の走塁法は、牽制で刺される事もなく確実に決めてくるので、次打者の飯田は2盗してハジメが3塁に到達するまでは打たない。

 そうするだけで打点が転がり込んでくる可能性が高いのだから笑いが止まらない。この年の2番打者を務めた飯田は棚ぼたの打点王に輝く事になったのだった。盗塁タイトルは諦めるしかなかったけれども!


「おいっ! あの応援に来てた美人は誰だ! 姉か? 親戚か? どういう知り合いだ?」


 気安く話が出来る仲になっていた飯田から詰め寄られる。


「瑞穂ですよ。知ってるでしょ」


「違う。瑞穂ちゃんと一緒に来てた美人だよ!」


「ああ、先生の事か。美人って言うから瑞穂の事だと」


 平然と惚気が出るハジメ。爆発しろ!


 そんな切っ掛けで飯田は元担任教師の彼女を紹介して貰い、1年ほど交際した後結婚までするのであるが、それは未来のお話となる。

 ダークなアレが世に出る事はこれで無くなったと信じたい。未来のハジメがそう思いながら2人を祝福する事にもなるのだが、それは些細な事なのである。


 契約更改で、年俸8000万と出来高オプションが1億2000万を提示されたハジメは即サインした。迂闊である。起用方法のDH縛りを外されていたのだから。


 初となるオフシーズンには地元のマラソン大会に招待されて参加する事になった。公認コースではあるが公認レースではないため、陸連は注意を払っていなかったが、ここで未公認記録ながら1時間59分台の記録を出してしまう。

 最後の500m程はもう限界! の振りをしたノロノロ歩きに近い状態で、ゴール時間調整をしたのはハジメと瑞穂だけが真実を知る秘密である。


「あんなんで良かったのか?」


「うん。良い感じにへばってる様に見えたよ。新記録は何度も出した方が良いと思うから限界の記録を出すのは控えて、ハジメ君に限ってはあれで良いと思う」


 黒い! 黒いよ瑞穂さん!


 ハジメは、キャンプ中にお遊びで手首のスナップだけで投げるという独特の投球をやって居た所、投手コーチがそれを目撃し、マウンドから投げて見ろとなってしまった。

 ゆったりとした腕の振りから、球離れを超が付くほど遅くして最後は手首の力のみで投げる。ハジメ以外には実現不可能な投球法であるのだが、そんな投法でも147キロ前後の球速が出る。さすが元勇者!

 そして、試しにと打席に入った野手は口を揃えて打ち難いという意見となった。

 コントロールも素晴らしく狙ったコースに投げる事が出来たため、この年のハジメはクローザーの役割も熟す羽目になる。


 こうして、ハジメは自らの契約のミスに遅まきながら気づいたのだが、もう手遅れの2回めとなるオープン戦が始まったのである。

 

 あれ? 元々の語学力チート利用計画はどこ行った? 脳筋一直線じゃん! ふと我に返ってしまうハジメなのだった。


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このお話はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

設定もリアルとは齟齬が有る可能性があります。

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