第63話

 プロ生活6年目の冬。


 6度目契約更改で事が起こる。


「球団側としては出せる金額に限りがあるのだよ。相田君がこれ以上を望むのであれば当然他の選手の年俸へ影響が出る。これで納得してサインしてくれんかね?」


「あの、俺の球団への貢献。例えばグッズ販売みたいのだけでも売り上げかなりありますよね? それと、打率は確かに去年と比べると1分2厘下がっていますが、打点と盗塁は上がってますよね? セーブ数も40セーブ。セーブ失敗が5ですよ? DHとクローザー両方熟して成績も残しています。俺が入団して初のリーグとシリーズ優勝にも貢献しているのに現状維持はないと思うのですが」


 ハジメは口には出さないが、語学力を生かして外人選手の通訳とチーム内での融和への多大な貢献もしているのである。これは、個人成績に数字で現れる物ではないが、チームの成績には影響が出る貢献だ。


「そうは言ってもね。出せる総額は決まっていてそれをどう振り分けるか? なのだよ」


「では、俺をトレードに出すとかは? 人的補償と金銭で喜んで応じる球団が複数あると思いますが?」


「何を言っとるんだね! 相田君はこの球団の顔とも言える生え抜きの選手ではないか! 君には球団愛という物はないのかね?」


 現実的な提案をしたつもりが、ハジメの言は逆鱗に触れてしまったようである。


 そして、そんな物はないのだが、”それを言ったらお終めぇよ!”になってしまう。本音は隠してスルーが吉だ。


「ではお聞きしますが。成績から算出したこうなるという本来の査定金額はいくらなんです? 今提示されている金額との差はどの位あるんです?」


 交渉は難航し、球団側は査定数字を出し渋ってなかなか見せなかった。だが、折れる事のないハジメの交渉態度に、ついには諦めて本来ならこれ位という数字を出す。差額は1億5000万であった。


「なるほど。つまり俺の年俸をそれだけ上げる価値がなく、他の選手の年俸に回したい。球団としてはそういう判断という事ですね?」


「あまりはっきり言いたい事ではないが、結果からはそうなる」


「わかりました。では、俺の年俸は全部他の選手に回してやって下さい。契約更新はしません。任意引退します。慰留は受け付けません。では、荷物を纏めますのでこれで失礼します」


「おい! ちょっと待ってくれ!」


 呼び止められたが一礼だけをして、ガン無視で部屋を出る。6年間でハジメの貯蓄額は納税用に分けてある分以外で10億を超えている。つまり、平均的なサラリーマンの生涯収入の3倍以上だ。

 プロ野球を収入を得る職の一つとしてしか見ていなかったハジメに、野球にずっとしがみ付くという熱意はない。そういう物は全然、まるで、全く、からっきしもないのであった。

 ファンに対しては少しばかり悪いなと思う気持ちはなくもないが、プロである以上仕事として行うのであればそれに見合う対価が支払われなければならない。

 支払われなければ仕事をしない事や契約をしないのは当然の権利である。


「おい。ハジメ。お前何がどうなった? 編成から何とか宥めて慰留してくれって俺のとこに泣きが入っているぞ」


「お義父さん。今晩にでも電話するか家にお邪魔しようかと思ってました。話は簡単です。契約更改の条件が折り合わなかったので、任意引退します」


 4/1で20歳になったハジメは入籍だけは済ませており、12月に内輪で細やかな挙式を行う予定であった。勿論、相手は瑞穂であり、掛かって来た電話の相手は雄大だ。


「お前なぁ。俺の立場って物も発言する時には考慮してくれんか?」


「だって俺どうしても野球したいとか、野球で食べて行くしかないって人間じゃないですもん。『相手見て話をしろ』って事ですよ。それと俺の事でお義父さんに何かを言って行くのは球団としては筋違いですよね? スカウトの仕事は俺の管理じゃないですもん」


「それはその通りなんだがな。ま、電話じゃ伝わらない事もあるだろうし、今夜家に来い。そこで話そう。瑞穂も喜ぶしな」


 彼らは入籍だけは済ませていたものの、新居は今探している最中であり、挙式後から一緒に住む生活を始める予定であった。故に、未だお互い実家に住んでいた2人だった。


 そして夜になり、場面は相沢家の居間へと移る。


「チームの財政事情は俺には関係ないんで。ここでもし俺が譲歩したら、きっと球団は選手に対する年俸の総額をドンドン下げて、同じ事を繰り返すでしょうよ。それは結局他の選手の年俸に影響を与えます。俺が1年我慢すればって問題ではないです。個人事業主のプロ野球選手に、他の選手の年俸がって理屈を球団が持ち出すのはダメでしょうよ」


 元が理屈っぽいオタだけに、こういった理論武装の議論をさせるとハジメは強い。勇者としての能力強化で思考速度が強化されているだけにタチが悪いとさえ言える。今回は彼の側が正論であるけれど。


「なるほどな。それは確かにその通りだ。優勝して、貢献して、個人成績もきちっと出している選手の年俸が上がらないなんてのは、前例を作ってしまったらやばいな。スカウトする俺の仕事にも影響がある。荷物はもう整理して引き払ったようだが、任意引退の手続き自体はまだされていない。一度だけ俺に話を預けてくれ。他も含めた査定総額の話で球団代表に会ってくる。後、瑞穂は良いのか? このまま行くと無職の旦那と学生主婦の生活が始まる事になるんだが」


「ハジメ君はちゃんと貯金してるからお金の心配は要らないわ。それに、野球やめたら陸上選手として稼ぎ放題も出来ると思うし。語学力を生かした仕事も出来るはず。ずっと無職で貯金だけで生活して行くのだって選択としては有りよ。大元がハジメ君はプロ野球選手になりたいって人じゃなかったんだし、それはお父さんも知ってるでしょう。私との生活のために無理してプロ野球を続けて貰うとか無いわよ」


 結果的には雄大が代表と話をした事で事態は悪化した。「無い袖は振れない。任意引退させるぐらいならトレードで放出したい」そう言ってしまったのがハジメに伝わったから。

 それを知ったハジメは、「それってもう球団側が俺からの提案蹴ってる話じゃないか。何を今更」と相手にもしなかった。任意引退決定である。


 雄大は雄大で、球団代表の意向に逆らう事はしないが、仕事への熱意が冷めて行く事にはなった。生え抜きの超人気選手への扱いがコレではスカウト活動に支障が出るのは明白だったからだ。

 だが、給料を貰って働いている以上、それを口に出したり態度に出したりする程大人の対応が出来ない人間ではなかったというだけの事であった。


 ハジメが任意引退した事で、ファンは荒れに荒れた。ハジメへの非難は勿論、球団へも非難轟々だ。後には代表を含めた上層部の総入れ替え人事へと発展して行くのだが、その頃には彼への陸上界からの熱いラブコールと特別扱いを受ける話が進んでいた。

 そして、3月に行われたマラソン大会。いきなり世界新の公認記録を叩き出した事で、世間のハジメへの非難は下火になって行く。寧ろオリンピックでのメダルが期待出来るようになり、「野球やめてくれて良かったんじゃね?」という声が大きくなる始末なのだった。


 更に事態は予想外の方向に転がる。原因はインタビューをした記者の一人の発言だ。ハジメ程の身体能力があれば、と考えた彼が「個人種目の競技のほとんどで記録が狙えるのではないですか?」と聞いてしまった事だ。

 あっさりと「やってみなくちゃわかりませんけど可能性としてはありますねぇ」等と調子に乗ってリップサービスのつもりで言ってしまった本人にも責任は有るのだけれど。


 質問した記者のTV局のバラエティ担当プロデューサーがそこへ悪乗りし、色々チャレンジして貰って、記録を計測しよう番組を企画。暇なハジメはそのオファーを受けてしまう。

 ハジメは一応、各種目の日本記録や世界記録を頭に入れて挑んだのだが、走る系競技の調整はある程度経験から可能でも、”投げる”、”飛ぶ”、等の競技は未経験で力加減がよくわからない。

 そして、番組としてはこれ以上は無いだろうという展開で、最高の面白さになったのである。


 どの競技も試技として2回、本計測を2回、計4回で行う事をハジメ側が希望し、TV局側がそれを受け入れる。

 そして、ハジメは本番でその通り行ったのだが、彼が想定した状況と異なってしまったのだった。

 ハジメが想定していたのは、砲丸投げ・やり投げ・円盤投げ・ハンマー投げといった投てき競技と、走高跳・棒高跳・走幅跳・三段跳といった跳躍競技である。ところが、TV局側が作った契約書は、それらに加え短距離・中距離・長距離の競走とフルマラソンが含まれていた。

 両者は収録が始まってからそれに気づき、契約内容を合意の上で変更しようとしたのだが、そこで司会者が冗談ぽく煽ってしまう。


「あれ? これ全部4回やるんですよね? 相沢選手は凄いなぁ。マラソン4回とか超人ですよ超人!」


 生放送ではないので編集でいくらでも修正はきくのであるが、投てきと跳躍はトラック競技であるために陸上競技場を借りて観客が入っている。

 そして、ハジメは煽られた事で観客の前で「やる!」と言ってしまったのだった。ドアホウである。


 競技開始時刻は朝8時。会場の競技場は24時まで借りる契約となっている。16時間で全てを4回。正に人間の限界への挑戦だ。

 但し、元々時短のために中距離以上はマラソンの途中にそれぞれのゴールラインを引いて走り抜けて計測する手筈になっていた。

 つまり、ハジメは跳躍4種目、投てき4種目、短距離走3種目を全て4回熟した後マラソン4回を走るのである。そして、マラソンコースの使用許可の問題から3回は競技場内のトラック周回での計測となる。


「ハジメ君。さすがにこれは無茶だよ。無理して死んじゃうとかやめてね。限界だと思ったらリタイヤしてね。いきなり未亡人とか私、嫌だからね?」


「はーい。やれるとこまで頑張りまーす」


 元も含めて勇者は嫁には弱い。勇者の共通項目に思えるかもしれないが、単なる偶然である。Maybe!


 斯くして、古今東西、空前絶後の超ウルトラスーパー陸上鉄人レースとでも言うべき競技が開始された。


 跳躍・投てき・短距離の順に1種目を1回ずつワンセットで試技から行い記録を取る。短距離は3種目のため4セットめは跳躍・投てきのみだ。やっている事はまるでサーキット種目の様な物である。

 時間が限られているためドンドン消化して行く。

 そうして、試技と本番の間に他の競技が入るのと、時間に追われるために、ハジメは消化する際に力加減を覚えこむ事が疎かになって行くのだった。


 そんなこんなで、当初の予定では微妙に日本記録を上回ったり下回ったりで調整するつもりが、行った競技の全てで日本記録を超えてしまった。そして、所要時間が2時間弱。完全にバケモノである。


 時刻は10時。マラソンの路上コースは13時から17時を予定して許可を取っている。開始までにはまだ時間があるとして、休憩をとドン引きした司会者が提案するも、「トラックでマラソン1本行っとくか」とハジメはスタート位置についてしまった。

 1本目2時間10分。「13時からは本気で行くぜ!」とカメラの前で宣言してから休息と食事に入ったハジメは、もう細かい事を考えるのは止めていたのだった。


 23時45分。競技は15分程前に終了し、全ての種目の記録も終わって周囲は後片付けをしていた。そしてハジメはトラックに大の字になっており、へたばっている振りをしている。

 勿論、長距離とマラソンもいい感じの記録にきっちり仕上げているのは言うまでもない。


 事故に備えて1日待機でハジメを観察していたスポーツドクターは、頭を抱えていた。競技で消費したと考えられる総カロリーが彼の常識を叩き壊したからだ。

 「あり得ない。あり得ない」ぶつぶつと壊れた様に呟き続ける彼だったが、競技を頑張っただけのハジメには何の責任も無い。


 ハジメは各種目で好記録が出せる事をTVを通じて広く知らしめてしまった。手抜きをしているのがバレ無い様にするのに苦労はするけれど。

 そして、「あり得ない。バラエティ番組のやらせだ!」と騒ぐ人間も一定数は居たのだが、記録計測には陸連の人間が駆り出されており、見ていた観客も多い。

 そうした状況から、やらせで誤魔化す事は不可能だろうという認識の方が一般的であった。


 こうして、野球をやめてしまったハジメは、個人競技のアスリートとしてしばらく活動して行く。そして晩年は、ラノベの翻訳をして過ごすオタク返りの人生となる。


 やらかして記憶を失い、勇者としての異常な身体能力と言語チートを持ち帰った元勇者。

 なんやかんや有りながらも、幸せな人生を構築する事に成功した元勇者。


 これは勇者シンがドアホウ認定をして日本に送り返した、ハジメのその後の物語である。


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記憶喪失元勇者編 ~FIN~


次はロウジュさんの閑話になります。

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このお話はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

設定もリアルとは齟齬が有る可能性があります。

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