第61話
中学3年生秋。
夏休みも終わって進路をそろそろ真面目に考える時期である。
「相田君。成績は優秀。特に国語と英語は言う事なく満点ね。この成績なら県内1番の進学校でも合格出来ると思うわ。どこか希望があるのかしら?」
「高校ですか。行くなら女生徒が多いとこが良いです。徒、あんまり行く気が無いんですよ。大学へ行くだけなら大検って手もありますし」
「うーん。あっ。そうだわ。高校で陸上競技に強い学校へ行くというのはどうかしら? 一流のスプリンターを目指すとか」
スポーツテストの一件は忘れられていなかったようだ。
「あの。それってお金になりますか? あ、高校での話じゃなく将来の話です。オリンピックで金メダルを取るレベルまで行くのなら話は違うかもしれませんが、ぶっちゃけアスリートって微妙ですよね。故障したらそれで終わりですし。日本だと真面に稼げるのって野球位じゃないんですか?」
「そうねぇ。食べて行く一生の仕事にするには、確かに陸上選手では無理があるかもしれないけれど。でも記録が狙える年齢は限られているからチャレンジしてみて欲しいかな。あ、ごめんね。先生の願望を押し付けちゃいけないわね」
ハジメはネットの閲覧で自分が何故か、どこの国の言語のHPであろうとも読めて理解出来る事に気づいていた。理由がわからなくて不気味に思ったのは一瞬の事であり、直ぐに俺、覚醒した! チートだ! チート! 喜んだ後は冷静になる。これ、通訳とか翻訳とかで食べて行けるんじゃね? と。
「実はですね。俺、本当に語学が得意なんですよ。多分先生が知ってる国の言葉全部が話せる位。だから、通訳とか翻訳の仕事で食べて行けないかな? って考えていたんです。調べたのですけど特に資格が必要って仕事じゃないみたいですし、英語関連のいくつかと漢字検定位は受験して取っておこうかなとは考えてますけど。そんな人生計画なんで、高校へ行く理由って友達が増えるかも? だけなんです。で、俺本質は引き籠りのオタなんで」
普通にアニメとラノベ大好きオタである。本人は気づいていないが、そっち方面で全面的に翻訳活動をするのが、実は収入としては一番安定するのかもしれない。
「そ、そうなの? じゃ、こうしましょう。先生が相田君の希望に沿うような女子の多い高校とか良い友達が出来そうな高校をいくつか見繕っておくから、そこから選んで貰って、推薦なり、受験なりして貰うって言うのはどうかしら? 後に続く後輩のためにも優秀な生徒には受験して進学して貰いたいのよ」
「わかりました。では先生のお勧めを期待して待ってます」
だが、結果としてハジメの高校進学は実現しなかった。原因はあの陸上美少女の相沢瑞穂とその父親だ。
夏休み最後の日。ハジメは瑞穂と待ち合わせをして合流し、彼女の父親の職場へ見学に来ていた。某プロ球団の練習場である。
「初めまして。相沢さんのクラスメイトの相田一です」
「おう。俺が瑞穂の親父。相沢雄大だ。娘が凄い逸材だって言うから時間を取ったんだが。ぶっちゃけ俺は信じてない。本当は惚れた男を紹介に来たと思ってる」
「お、お父さん! ヤメテヨモウ! そんなんじゃないから! まだ告白もしてないから!」
娘の言葉を聞いた雄大は、ニヤニヤしながら言う。
「と、そういう事らしいぞ。『まだ』してないそうだ。瑞穂を泣かせたら俺は君をぶん殴らせて貰うからな」
瑞穂さんは顔真っ赤でぶんむくれ状態である。
「ソウデスカ。俺としては、相沢さんの親父さんが球団関係の職に就いているおかげで珍しい場所が見学出来るって話で、ノコノコついて来ちゃったんですが」
「そうか。別に運動着でもないしスパイクも持ってなさそうだから変だとは思ったが。だがせっかく来たんだ。君の自慢の足だけでも見せて貰えんか?」
「50m走ですか? それぐらいなら構いませんけど」
そう返事をした所に、一人のプロ選手が顔を出した。オタであり、あまり野球に興味がないハジメでも知っている有名選手だ。
詳しくない彼は知らないが、昨年の走塁数のリーグタイトルを取っており、今年もタイトル争いに絡む事は間違いない選手でもある。
「おはようございます。雄大さん。珍しいですね。今日は引率ですか? あ、可愛い。娘さんですか? うわー俺、数年待ってお義父さんって呼ばせて貰って良いでしょうか?」
いきなり瑞穂の手を取って、握りながら笑顔で雄大にそう宣う。
「ダメだな。そこの男の子、相田君が瑞穂の本命だから。その握ってる手は直ぐ放せ。それにまだ中学3年生だぞ? だが、ちょうど良い。飯田。お前、ちょいとこの子と50m走で勝負してくれないか? 勝ったら瑞穂にアプローチする事だけは黙認してやるぞ」
「え。マジッスか? そんな緩い条件で良いっスか? やりますやります。見ててね。瑞穂ちゃん」
ハジメは蚊帳の外でとんとん拍子に話が進み、軽くアップをしてから勝負する事になるのだった。
「あー。中坊相手に本気出すとかしたくないけど。まぁ諦めてくれ相田君」
「いえ。大丈夫ですよ。俺多分負けませんし。6秒切りますよ。俺」
「はっ? マジ? それって俺より速いんじゃ……」
そしてガチの本気の顔に変わった飯田とハジメは勝負する。結果は同着であった。但し、ハジメは靴が違う。運動向けでもない普通の靴だ。ついでに言えば服装も競技をする様な服装ではない。かなり不利な条件での同着である。
勿論、本気で走っていた訳でもなく手抜きであるのだから真相を知られたら呆れられるか、恐怖の目で見られるだけであろう。
「お前、凄いな。そんな恰好で俺と同着とか。雄大さん。こいつ逸材じゃないですか? 遠投とバッティングもやらせてみましょうよ」
なし崩し的に、遠投、バッティングもやらされる羽目になる。だが、ここで問題が起こる。
ハジメは野球少年でもなくプロ野球に興味がある訳でもない。
どの程度の手加減をすれば程々の塩梅なのかが全くわからないのだった。
遠投。計測範囲を超えて遠くへ投げたため計測不能。バッティングはマシン相手に150キロでホームランを含む打撃を見せた。飯田のいたずらで、使ったバットは彼の特注品の練習用竹バットである。
雄大も飯田もマシン相手とはいえ、まだ身体が出来上がっているとは言えない目の前の少年の身体能力に驚かされるしかなかった。綺麗なフォームでもなく、ど素人に打たせるとこんなもんか? の動きであるのに、スイングスピードとバットコントロールだけは素晴らしい。
しかも、雄大は知らないが使用しているのは竹バットだ。芯で打たなければ真面なバッティングなど不可能である。
瑞穂に至っては目が完全にハートマークになってるのではないかと思える位の、熱い想いがこもった視線を向けている。
「おはよう~。あれ誰だ? 雄大さんの隠し玉? 野球部員をこんなとこへ連れて来たらやばいんじゃ?」
登板日ではないため、調整練習で軽く投げるつもりでやって来た若手のエース様である。
「おう。上川か。野球部じゃないし、中学3年生だからそこは問題ない」
「ほー。最近の中坊はすげぇんですねぇ。マシンじゃなくバッピ相手で打たせてみたらどうです? 何なら俺投げましょうか? 調整に来たんで軽くですけど」
そんな会話がされているとは知らないハジメは、初めてやったバッティングマシンの球を打つのが楽しくなって来ていた。打つのって楽しい!
そんなこんなで調子に乗って、ハジメはバッティングピッチャーと上川相手にも打撃を披露し、少なくとも打撃に関してはプロの1軍レベルで通用する事を確定させてしまったのであった。
「瑞穂。これは確かに本物の逸材だ。俺はこの後録画のデータを持って編成と打ち合わせをする。彼の連絡先を後で俺の携帯に送っておいてくれ」
本来なら守備も見たい所ではあるのだが、幸いこのチームはDH制のリーグである。バッター専門であっても価値が有るのだ。プロレベルの変化球を相手に初見でヒットやホームランを打てる学生打者など他では見た事も聞いた事も無い。
高卒の大型ルーキーと呼ばれるような強打者であっても、プロ1年目は変化球に翻弄されるのが普通だ。勿論、中には対応するのが早い例外の選手もいる訳だが。
「今日はありがとう。野球って楽しいね」
「こちらこそ、良い物を見せて貰ったよ。相田君ってホントに凄い人だね。あ、お父さんから連絡先が知りたいって言われてるの。教えちゃって良いかな?」
「ああ。携帯と自宅の両方大丈夫。相沢さんの親父さんなら悪用とかなさそうだしね」
「当り前じゃない。ありがと。お父さんの携帯に送っておく。明日から学校だね。じゃ、また明日」
そう言って瑞穂は帰路につこうとする。家へ送り届けた方が良い様な時間帯でもないのでそのままお別れしても良い。だが、今日聞いてしまったアノ一件が有る以上、ハジメにはそれは出来なかった。
「うん。また明日。でも帰るのはちょっと待って」
「え?」
お父さんの事でまだ何か聞きたい事があるのかしら? と考えながら、瑞穂はその場に止まった。
「相沢瑞穂さん。好きです。俺と付き合って下さい」
「えっ。あ。はい。私も相田君が好きです。よろしくお願いします」
こうして、オタは告白に成功し、初の3次元彼女が出来たのだった。2次元を裏切ったな! 浮気者め!
尚、4月の最初から出席番号と座席の関係で、暫定クラス委員でコンビで仕事をしていた時から、瑞穂が憧れの相手であった事は墓まで持って行きたいハジメだけの秘密である。
「でも何かズルくない? 私の気持ちを知ってから先に告白してくるなんて。両想いだったなんて嬉しくて良いんだけどね」
「アハハ。オタを舐めちゃダメだ。石橋を叩いて叩き壊してから自分で納得する出来の橋を作ってからしか渡らない。それが真のオタという物だ」
ハジメが勝手にそう決めつけているだけで実際はそんな人ばかりではない。多分。きっと。おそらく。
「何よそれ。あーでも陸上も一緒にやりたかったなぁ。あ、そうだ。卒業前に、マラソン大会に一緒に出ようよ。あれなら申し込めば参加できるから。お金もかかっちゃうけど」
「長距離かぁ。俺未経験だけどそれでも良いなら」
「うんうん。事前に練習デートも出来るね」
どこまでも陸上女子な瑞穂なのだった。その場でスマホで参加可能な大会を調べ出す。
そうして、10kmなら私達でも出られるのがあると発見すると、さっさと11月上旬の大会にエントリーしてしまうのだった。
勿論、ハジメに拒否権は無い。早くも尻に敷かれそうな雰囲気である。
そんなこんなで、担任教師からはお勧めの提示を受け、週末にはジョギングデートを熟し、瑞穂の親父さんからはドラフト指名の話を聞かされる。
運命の10月下旬。ドラフト会議で8位指名の隠し玉としてハジメは指名されたのだった。
そして、11月上旬。マラソン大会の当日。下位指名のハジメはまだ契約交渉が始まってもいなかった。父親の忙しさの問題もあったのだが、上位指名が優先されていた球団側の事情もある。ハジメ本人には「後日、正式にご挨拶に伺います」と連絡があったのみである。
「おはよう。絶好のマラソン日和だね! ハジメ君のカッコイイとこ見せてね?」
「よし。わかった。1位を取って勝利を君に捧げる」
「本当? 約束だからね?」
瑞穂は冗談だと思っており、笑顔でそう答えた。だが、ハジメは本気の発言だったのである。
ハジメは50m走の力加減でスタートダッシュを決める。周囲の観客からは、あー最初だけ目立ちたいこういう事する奴居るよねーって目で見られるだけであった。
しかし、歴代最強勇者にあっさり負けたとはいえ、ハジメも元は勇者の端くれである。
これまでに得た経験値と身体能力は今も有効に作用する。勿論、勇者としての能力強化も健在だ。
本人には勇者だったという記憶も自覚も無いだけなのだった。
5分間。ハジメはペースを維持して走った。ぶっちぎりの1位をキープしているのだが、本人は後ろを振り返って見る事はない。故に後続が離れている事はわかっても、それがどの位離れているのかは当然知る事が出来ない。
さすがにそろそろ少しペースを落とすか。そう考えて居たハジメは手遅れのドアホウだ。短距離走の速度を5分間維持。あり得ないレベルである。1500mの世界記録も真っ青なペースで走っているのだから。
力加減というか手抜き加減というか。そういった物への考えが足りていないハジメは、5分おきに1割位のペースダウンで良いだろ! 程度の大雑把な考えしかなかった。
23分30秒75。走り切った彼は、世界記録を遥かに更新した記録である事に気づいていなかったのである。
こうして、瑞穂との1位でゴールする約束は果たされた。
ドラフト指名選手であるのに、陸上界からも目を付けられる記録を出してしまう。色々とやらかし続ける記憶喪失元勇者のハジメなのだった。
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このお話はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
設定もリアルとは齟齬が有る可能性があります。
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