ダイヤモンド

 この『金魚鉢の中から』を執筆・公表するにあたって、決めていた自分ルールが幾つかある。


 一・個人情報には特に気を付けること。

 二・出来るだけ本当の事を書く事(省略や簡略化を除き)。

 三・著名な方の話はしないこと。

 四・意図的に、読む方を傷つけないこと。


 ───等である。

 そして、今から書こうとしている話は、自分ルールの中でかなりグレーゾーンだ。けれども、やはり書くなら今日しかないと思い、敢えて私が自分で見聞きした話をしようと思う。

 二〇一一年三月十一日───この日の意味が判らない日本人はいないだろう。十年経った今日、その時に住んでいた場所・職業・年齢・人間関係によって、一億二五〇〇万人以上の日本人が一億二五〇〇万通り以上の想いを抱く事と思う。そのすべての人に敬意を籠めて。


 その日、私は介護タクシーの仕事中で、寝台車(ストレッチャー車)での送迎を終え、二十キロほどの距離を会社に向けて一人で運転中だった。福祉車両での仕事は全予約制なので、突然お客さまが乗って来られることはない。突発の仕事が入る時も必ず自社の介護事務所経由なので、指令が来ない限りは会社に一直線に戻ることになる。なので、一人である事とその日の予約が終了している気楽さで、ラジオを聴きながらの一人ドライブだった。

 そして、速報が入った。最初の情報でマグニチュードが7以上だったか8以上だったか、はっきりとは覚えていない。正直にいって、数値を聞いてもピンと来ないからだ。「ああ、大きいな。最近、本当に地震が多いな」と思っただけである。

 ぎょっとしたのは、予想される津波の高さを聞いた時だ。

「十メートル? いやいや、言い間違いでしょ、今の。十メートルはないでしょ?」

 だが、いつまで聴いていても、「数値の間違いでした」という言葉は聞こえない。同じ数値が繰り返されるばかりだ。

 津波に遭った経験はないが、知識として水の怖さは知っていた。海面の水位が世界的に一メートル上がれば人類存続の危機だとか、川の水位の急上昇では三十センチ~一メートルの高さで生命の危険が充分にある等という認識だった。それらに照らし合わせても、十メートルという高さは想像を超える。建築物の種類にもよるが、一階の高さが三メートルから四メートル───十メートルの波は三階を越えるだろう。加えて、水の質量は……。

 「えっ? 嘘でしょ?」との思いの反対側で、そんなことばかりを考えていた事を覚えている。

 会社に戻ると、事務所にいた同僚達が騒然としていた。事務所内にテレビは無いが、私と同じくラジオで地震を知った同僚が先に戻っていて、パソコンでニュースを見ていたのだ。私がその日の映像に触れたのは、この時が最初だった。


 そのあとは、ほとんどの人々と同じだったと思う。幾つものニュース・数値・刻々と変わる状況を、指をくわえて見ていただけだ。

 そして、時間が過ぎると共に葛藤が訪れた。遠く離れた場所に住む自分に出来る事はないのだろうか? たかが介護福祉士だが、現地に移住すれば出来る事があるのではないだろうか?───けれども、私は私で、現在居る場所で守っている生命が在る。私でなくてもいい事もあれば、私ではならない事もある。

 結局、私は現地に赴く事はなく、可能な範囲での寄付と被災地産の製品を選んで購入するぐらいのことしか出来なかった。


 しかし、それでも出会いはあった。この十年の中で何度も。

 とある男性は、元自衛隊員だとおっしゃった。二〇一一年の災害派遣に行ったと。そして、その時の任務は全うしたけれど、それ以上自衛隊員を続ける事は出来なかったと。

 またある看護師の女性は、二〇一一年も二〇一四年も二〇一六年も被災地派遣に行き、自衛隊や消防の人達と体育館で寝起きしたとおっしゃった。次があって欲しくはないけれど、次があればやはり志願するのだと。

 そしてまた、幾人もの災害調査をされる損害保険会社の方々とも御一緒した。この人々は、何十件・何百件・何千件規模の災害が発生した時、全国から被災地を訪れる人々である。懸命に働いても、被災した家屋の査定は一人当たり一日に一軒から三軒が限界で、早朝から動き回っても三件目には確実に日が暮れるのだ。それでも彼らは、一軒一軒を丁寧に調査し、一軒でも多く・一日でも早く調査をしようとし、調査当日の深夜までかかって報告書を上げる。

「何故なら、我々が報告書を上げないと保険金が下りないからです。被災された方々には、一刻も早くお金が必要でしょう?」

 と、ある調査員の方はおっしゃった。だから、東北も広島も熊本も、同じように調査に訪れたのだと。


 それならば───と私は考えた。

 それならば、私の出来る事は、彼らを安全に送迎することだと。

 任務を果たした元自衛隊員さんも、幾度も被災現場に赴かれる看護師さんも、災害後に現地調査に行く調査員さんも───出会ったその時、無事に目的地に送り届けるのが私に出来ることなのだ。

 物が流動するように、人々もまた流動する。私は、自分の車に乗って下さったお客さま、全員の素性を知っているわけではない。一般の人であっても、海外に伝手があるからと赤ちゃん用の粉ミルクを大量に仕入れ、被災地に自費で送ったという人にも会った。自分は被災地には行けないから───と。


 おそらく、この人々がマスコミやメディアにフューチャーされることはない。彼らも、それを望みはしないだろう。

 けれども、一人ひとりの微力を尽くそうとする彼らこそが、本当の国の宝物なのだと確信している。彼らこそが、決して輝きを失わないダイヤモンドなのだ。


 二〇一一年───私は一人の老婦人とお会いした。被災時に骨折され、娘さんの婚家に身を寄せているということだった。治療の為に入院している病院から、リハビリの為に別の病院に転院される時に、仕事の中でお会いした方である。

 震災に関して・被災された事に関して、私から掛ける言葉があろう筈もない。ただ、労わりを籠めて介助させていただいた。

 別れ際に、「親切にしてくれてありがとうございます。またお会いしたいわ」と言っていただいた。私は、「二度とお会いしないことを願っています。完治して、リハビリも順調にいって、普通に元気にお暮しになれれば、私が運転する寝台車に乗る機会はないでしょう? だから、もう一度会ったりしないでくださいね」と答えた。

 老婦人も付き添いの娘さんも、「そうします」と言って笑ってくださった。それが、私のささやかな誇りになるのだ。


 それから十年。私は介護タクシーの仕事を続けているが、かの老婦人と再会してはいない。これは、そんなお話。

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