LOSTのカタチ

 立場・年齢・性別の如何を問わず、『喪失』というものを必ず誰しも経験する。

 『喪失』と日本語でいえば、ひたすらに重いもののようだが、英語でのLOSE───「ルーズな時間を過ごす」や「ルーズ・ボールを拾う」という例えを出せば、もっとニュアンスが近いのかもしれない。

 困ったことに、私達は失うものを沢山持っている。それは、周囲の人々との別離や大切なプレゼントを無くすという判り易いものから、面子や体裁や立場、あるいは「オレの青春を返せ」的なものまで失ってしまうのだ。加えて、LOSEをもっと広義に捕らえれば、失敗・失言・失恋などもLOSEの内に入るだろう。こんなにも山盛りに失ってしまうものを抱え込んでしまう人間とは、本当に困った生き物である。

 こうして生きていれば、何かしらをやらかしたり・しでかしたりを繰り返し、様々なものをLOSEしてしまうのだが、本当はLOSEがLOSTになった時に、その人の価値というものが見えてくるのかもしれない。


 私の所属する会社に予約を入れてくださるお客さまの中に、とある親子がいた。私が知っている限りでは四人家族で、若い両親と小学校低学年の男の子と未就学児の女の子という構成だ。御主人には一度しか会ったことはないが、夫婦共に、見た目も言葉遣いも服装も送り先も、西日本最大といわれる歓楽街に勤めている人達だった。

 多くの人は、『歓楽街で夜の仕事をしている』と聞けば、自分とは関係のない世界の別の人種と考えるかもしれない。特に、スナックやラウンジに勤めている人々だけではなく、泡のお風呂で勤めている人々もいるので、一概に「そうではない」とは私も言えない。───が、それでもやはり、「そうではない」のだ。

 一流企業や公務員として勤務している人々の中にもロクデナシがいるように、夜の仕事をしている人々の中にも素敵な人達がいる。そして、諸々の事情持ちの人が多い───というのが、私の印象だ。


 先に述べた御家族は、「そうではない」ことはない人達だった。

 必ず時間指定の予約をするのだが、まず時間通りに来ることはない。十分から十五分遅れるのはいつものこと。そして乗って来るなり、「◎×まで五分で行って」と物理的に不可能なことを要求する。「夕方で混んでいますから、△◆分はかかりますよ」と答えれば、車中で大騒ぎをして巻き舌口調で脅すようなことを言う。両親がそんなふうだから、幼い子供達も荒い言葉で運転手を罵る───とまあ、そんな具合のお客さまだった。正直に言って、その予約が当たってしまうとうんざりしたものである。

 似た者同士の御主人には一度しか会っていないので、毎日のように車中で勃発する騒ぎの原因は、ほとんど若いお母さんだった。

 ある年の十二月二十四日の金曜日、十八時前後に時間にその家族の予約に当たった事がある。そして例によって十五分遅れで登場し、「新幹線の駅まで十五分で着けて」とのこと。

 時は、一年間で最も渋滞する年末。しかも、クリスマス・イブで給料日の金曜日の夕方。通常の交通状況であっても、十五分はギリギリの時間で、今日に限っては一時間かかっても無理かもしれないと、正直に説明をした。勿論、大暴発である。

 どんなに暴発されても、車列が全く動いていない状態では努力のしようがない。特にこの時期は、新幹線の駅と空港に向かって渋滞しているのだから、迂回する術もない。だから、確実な線として、地下鉄の駅に向かうのをお勧めしたが、近県で最大の駅の地下に不案内な上、小さい子供を連れているので、それは嫌だとのこと。仕方がないので、車中でトリプル・サウンドの罵りを受けながら駅までお送りした。

 この一件の送迎だけで、とてつもなく疲れたことはいうまでもないだろう。


 この件の後、私はしばらくこの御家族に会うことはなかった。

 意図したわけではなく、同じ予約のお客さまに毎日のように会うこともあれば、ぷつりと全く会わなくなるのもこの仕事の特徴なのだ。

 そして何年か経ち、久しぶりにこの御家族に再会した時───私は驚愕の嵐に襲われたのである。

 最初の驚きは、指定された時間通りに現れたこと。しかも、「お待たせしてすみませんでした」という一言。勿論、かつてそのようなことを言われたことはなかった。そして以前の通りに、最初にお母さんの出勤前の美容室に行き、セットの間を子供達と待ってから、子供達を夜間保育へ・お母さんをお店へとお送りするコースだった。

 だが、その間、かつてのように無理を言われることもなく、お母さんの準備の間の子供達も実に大人しく、待ち時間が退屈だろうとフルーツのど飴をあげると、二人口を揃えて「ありがとうございます」と言うのだから、驚きのメーターは降り切れていた。

 しばらく会わない間に何があったのだろう───というのは、当然生じる疑問である。そのことを直接質問したわけではないが、一~二年の間に大人びた息子さんが、ぽつぽつと語ることで事情が判明した。

 私が会わなかった間に御両親が離婚して、お母さんがシングルマザーになったこと。だからこそ、子供達の為に一生懸命働いているということ。そんなお母さんに感謝して、尊敬しているのだということ。


 環境と逆境は、斯くも人を変える。

 夫で父親である男性をLOSEしたことで、彼らは変わった。

 母親は、子供達を育てる為に背筋を伸ばして立ち上がり、周囲の人々に感謝をするようになった。子供達は、そんな母親を支えようと自らを変え、おそらく母親が悪く言われないように礼儀正しく振る舞うことを覚えた。

 それが彼らの、LOSE後に得たLOSTの残したカタチだったのである。


 人は、失うことで変わることが出来るのだ。

 LOSTの刻印を得た後で、自分をどう形作っていくのか───それが、人の重要な在り様なのだと思えた───およそ¥1800ほどの道行のお話

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