男女格差の成れの果て

 日本という国は、自ら先進国を名乗りながら、精神文化的には前時代的な男女格差&男女差別の社会である。

 表面的には、建築・運送業界にも女性が入り、高学歴女性も多くなり、以前よりずいぶんマシになったように見えるかもしれない。けれども全国の女性達の多くは、日々の生活や仕事の中で、女性だからという理由で行われる理不尽に遭遇している事と思う。

 話題になった事件を例に挙げるなら、医学部受験における女性受験者の不条理なハンディなど、記憶に新しいところだ。


 私自身の事でいうなら、若い時から祖母の自宅介護に係わっていた為、社会との軋轢あつれきは大きかった。例えば、自宅にヘルパーさんが来ている時間に祖母が高熱を出し、ヘルパーさんに送られて掛かり付けの病院に行った旨、ご家族にお迎えに来て欲しい旨の連絡を病院から貰った。本来その連絡を受ける筈の母親(祖母の実の娘)とは連絡がつかず(まだ皆が携帯を持っている時代ではなかったので)、別々の会社で働いている私と父親の所に連絡が入った。

 お互いに相談すると、父親は早退をして病院に行く事が出来るが、認知症で高熱がある祖母をどうしたらいいのか判らないので、早めに私に来て欲しいという。私は早退こそ出来ないが、仕事も忙しくはないので、定時で上がって病院に直接向かう旨を伝え、家族内の対処法は決まった。───しかし、理由を話した上で、定時で退社させてくださいという私の言葉に、会社側は難色を示したのである。

 そもそも、当時勤めていた会社は、前時代的で封建的な体質だった。日常的な勤務の時でさえ、自分の仕事が終わっていても、上司が残っている間は退社出来ない事になっていたのだ。例えその上司が、仕事をしているわけではなく、若い女子社員とおしゃべりをしたいが為に、あるいは自宅に戻りたくない為に、だらだらと会社に居るだけだとしても───である。

 だが私は、家族の危機であること、自分の仕事は終わっている事を主張して、定時退社を強引に認めて貰ったのだ。

 そして、「おつかれさまでした」と頭を下げて背中を向けたとたんに、上司から飛んだ言葉が、「介護をしなきゃならないんなら、家にいればいい。社会に出てくんな」だ。

 現在では立派に社会問題になる発言だが、ほんの二十年前までは当たり前のように飛び交っていた言葉である。

 女は結婚したら・妊娠したら、退社するから、採用したくない───と、公然と言われていた。つまり、そう思われている以上、結婚・妊娠・介護をする意思のある以上、一旦退職すると復帰の道はなかったのである。なので敢えて、ここで声を大にして主張したい。


 だったら、子供だけは産んでやるから、夫の方が寿退社して、子育てと家事をして、親の介護をしろよ。こっちが養ってやるから。


 『やれるもんならやってみな』というところだ。まあ、出来はしないだろうけれど。

 おそらく、多少社会が変わったとしても、現在でも女性の不遇は続いている。けれども男性陣は知らないのだ。人生を通して逆境に曝され続けている女性が、どれほど打たれ強く・逞しくなっているのかを。


 そして、金魚鉢での話に戻ろう。

 男性従業員が九五%を占める業界に自ら飛び込もうという女性が、そうそうやわである筈がない。しかも、中途採用がメインの業種だ。各方面で艱難辛苦かんなんしんくを舐めて来た、根性の座った海千山千の女性陣が集まるといっても過言ではない。

 そんなこととは知らないお客さま達の中には、乗車して女性ドライバーだと知るや否や、とんでもない暴言を吐いて来る人々が居る。ここでは、特に酷かった例を挙げようと思う。


 日曜日の昼間、路上で手を挙げた二人連れは、明らかに引退世代の男性だった。乗車して来る前から判るかなりお酒を召した様子。乗って来られる時の、「お前、先に乗れ」・「いやいや、先輩からどうぞ」というやり取りで、見た目には変わらない年代だが、先輩後輩の仲だと判る。そして、「こんにちは、どちらまでお送りしましょうか?」と尋ねたとたんに、先輩の態度が豹変した。

「何だ、女か」

 この一言で、本来ニュートラルでお客さまに接している私の評価は、五〇%減。

「女が男の職場に、しゃしゃり出て来るようになったなぁ。女は家に居て、家庭を守っていりゃいいんだ」

 残りが更に、五〇%減───つまりトータル七五%減である。

「知ってるか、運転手さん。女はそもそも、男と比較にならない程劣った生き物として産まれて来ているんだぞ」

 この時点で情状酌量の余地無し。私は、意気揚々と語ってみせるお客さまの持論を、無言で拝聴した。

 すべてをここで語ると、多くの女性が不愉快に感じるだろうと思われるので、要点だけを表記しよう。


 一:女は男の劣等種なので、男にかしづいて従っていればいい。

 二:力も能力も頭も劣っているのだから、社会に出て来てはいけない。

 三:月の物がある女は穢れているのだから、それなりに振る舞うべきだ。


 と、まあ、そういうことらしい。

 酔いの勢いに任せて一気に語る先輩を、私は止めなかった。後輩さんは、先輩の話に合わせて頷くばかり。勿論、私は反撃の機会を虎視眈々と狙っていた。つまり、先輩が矢継ぎ早に語った後の、ブレスの瞬間を待っていたのだ。

 相手は高齢男性の酔客。一息に持論を展開すれば、私の反応をみる為と息継ぎの為の間が必ず入る。すでに反撃の態勢に入っていた私は、その隙を見逃しはしない。

 反撃のコツは、決して声を荒げないこと。そして、半呼吸の間を置く事である。

「お客さまは、たいへんなご苦労と心労の多い人生を歩かれて来たのですね」

 男性の言葉が途切れ、私は半呼吸置いて、見せかけの労りを籠めて言った。相手はこちらが怒ることを期待しているので、当然意表を突かれる。

「は?」

「だってそうじゃないですか。その生物学的に劣った生き物のお腹で十月十日を過ごして産まれ、乳を飲ませてもらい、おむつを替えてもらい、長じてはその劣った生き物を養ってやりながら生活の面倒をすべてみて貰い、最終的には下賤な生き物に口とおむつの世話を受けながら人生を終えなければならないのですから、さぞかし自尊心の傷つくお辛い人生を歩いて来られたのでしょう」

 立て板に水は、私の一〇八個の特技の一つである。

「運転手さんの話を聞いていると、まるで女の方が優れているとでもいいたそうだな」

 と、声を低めて先輩のお客さま。

「あら、お客さまはご存知ないのですか? 古来、日本でも世界でも母系社会が主流でした。それというのは、遺伝子というものが二本でワンセットだからです。つまり、性遺伝子はXXがオリジナル。Y遺伝子は環境の変化に順応する為の、予備の変異遺伝子なのですよ?」

 先輩お客さまは反論に詰まり、『さて、もうひと押しをどうするかな?』と考えていると、後輩お客さまがわざわざルームミラー越しに両手を合わせてごめんなさいを訴えて来るので、止めを刺すのはやめた。折しも、目的地に到着するところでもあった。

 後輩お客さまは、フリーズしている先輩お客さまを先に降ろし、「どうもすみませんでした」とチップ付きの料金を支払って去って行った。先輩お客さまは、後輩さんに感謝するべきだろう。

 相手がお客さまだろうが、目上だろうが、見知らぬ初対面の相手に不条理に罵倒される理由は、女性だろうが男性だろうが全くないのである。また、そのような事をしながら、反撃されないと思っているのは、砂糖よりも蜂蜜よりも甘過ぎるというものだろう。


 およそ¥二〇〇〇、チップ付きの送迎の時のお話。

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